ありとあらゆる水曜日の朝

超能力者の水曜日の朝

　――めんどくさい。

　目が覚めて、最初の思考がそれだった。

　「朝一番に、何より先に思うことがネガティブなのは良くない」と反射的に考えて、思い直そうとしたが、過ぎ去った思考を変えることは不可能だと気が付いた。

　せめてもの抵抗として、起き抜けのカラカラの喉で精一杯に「おはよう！」と明るく口に出せば、少しはポジティブに一日が始まる気がして、声を上げた。

「……ぉはょ」

　自分でも驚くほどに、小さな声だった。返事のあるはずもない挨拶は、例え誰かがいたとしても、声と認識されなかったに違いない。気温の冷えた部屋は物悲しく静かなままだった。今日も前向きに生きられそうにない。

　冬の夜に熱を奪われて、凍えるような室温なのは、すっぽりとかぶった布団越しにもよく分かる。かろうじて超能力を発して、ベッド脇のカーテンを引き開けた。

　まばゆいほどの朝日は、つむったままのまぶた越しにも目を刺した。

　眠気と眩しさに目を開けられずにいると、今度は電子的な不快音が耳を襲った。かろうじて薄目をあけてスマホを探し出すと、目覚ましをスヌーズ機能ごとＯＦＦにした。

　――お前は毎日、ホントに面倒なヤツだな。

　スマートフォンのタッチパネルというのは超能力者の天敵だ。いくら念力を発して画面に触れても、科学的に存在しない超能力の指をスマホが認識することはない。おかげで毎朝、スマホのアラームを止めるために、現実の手を伸ばして操作しなければならない。それを憎々しく思った。

　無意味な悪態をスマホに向けると、少し起き上がりかけた頭をぽふりと枕に突っ伏した。

　このまま布団に閉じこもってしまいたい。布団のすそをぎゅっと握ってみたが、けれど、これ以上、起き上がらないでいれば、二度寝してしまうということは、これまでの人生で学んだ最も大きな教訓だ。

　そうして覚悟を決めて超能力を放った。布団は思い切り吹き飛んで壁にぶつかり、パサリと床に落ちた。体はふわりと中空に浮いた。

「うわっ……、さむっ」

　床に倒れた布団を手に取る誘惑を堪えてリビングへと浮遊した。リビングの空気もまた冷え切っていて、ため息を吐くと、その息は白ずんでいるようにも見えた。

　部屋を暖めるという超能力は、残念なことに僕は持っていない。

　浮きながらにリビングに辿り着いた私はまた超能力を使って、暖房とテレビ、そして電気ケトルのスイッチを同時に押した。こういう家電はタッチパネルじゃないからありがたい。

　効きの悪いエアコンはいつになったら部屋を暖めてくれるか分からない。仕方なしにエアコンの吹き出し口の真ん前へと体を浮かせ、暖をとる。　

　――コーヒーでも飲もう。

　そう思い描くと、勝手にインスタントコーヒーの袋とマグカップが浮かび上がって、さらさらとコーヒーがカップに落ちる音がする。お湯が沸き終わったケトルも宙に浮くと、これまた勝手にカップにお湯を注いだ。

　毎朝、同じことをしているのだから、コーヒーを入れるくらい、目をむけずとも思い描くだけで超能力が勝手にやってくれる。まぁ慣れというやつだ。

　僕が超能力に目覚めたのはつい半年ほど前のことだ。

　ある日、突然に超能力を使えるようになった。これと言って何かきっかけがあったわけではなく、本当に突然使えるようになったのだ。

　超能力を得た僕は有頂天になった。

　毎日同じように浪費されるだけのつまらない日常に、突然、非日常がやってきたのだ。これからきっとマンガの主人公のように刺激的な毎日が始まるに違いない。いや、仮にそんなマンガのようなことが起こらないにしても、この超能力を使って面白おかしく暮らせるはずだ。

　そうして始まった僕の新しい非日常な毎日だったが、しかし、それはそれまでのつまらない日常の日々と何ら変わることのない毎日だった。

　僕が超能力を持っていても、だからと言って何か事件が起こるわけではなかったし、それを活用する場もなかった。しばらく経って、何となく超能力は人に隠さなければならないものだと思って過ごしていたのが良くなかったと考えた。けれど誰か披露できるような友人もいなかったし、思い切って会社で念力を使ってみても出来の良い手品だとしか思われなかった。

　事件が起こらないのならば、この超能力でうまく大金を稼ごうと思った。だが、僕には超能力を使って稼ぐ方法は思い浮かばなかった。犯罪まがいの方法で金をせしめることはできただろうが、残念なことに僕は小心者だったせいで、実行には移せなかった。

　せいぜい僕がやったことと言えば、会社帰りにゲーセンに立ち寄って、クレーンゲームで念力を使ってズルしただけだ。学生時代以来に入るゲーセンは、スーツで入ってみると少し気恥ずかしかったから、もう一度行こうとも思えなかった。クレーンゲームの景品も別に欲しいものがあったわけでもなかった。

　つまるところは、僕は超能力を手に入れたものの、それによって日常が大きく変わることはなかったのだ。

　こうして家事をするときに、超能力を使って楽をする程度のことしか僕には考え付かなかった。

　この超能力には何の意味もない。

　僕は超能力者だったが、しかし、ただそれだけで、どこにでもいる一般市民Ａ以外の何者でもなかったということだ。

　その事実に宝の持ち腐れとはこういうことかと、大きくため息をつく毎日だった。

　超能力でカップがふわふわと僕の手元までやってきた。これぐらいしか僕の超能力は役に立たない。カップの取っ手を掴むと、熱いコーヒーに火傷しないようチビチビと口に運んだ。

　白く湯気を吐くコーヒーは、僕と同じように寒い部屋にため息をついているような気がした。

　少しずつ飲んだコーヒーに飽きてくると、今度は朝食を食べようと、キッチンの戸棚からバナナを浮かせた。

　朝食を食べるという習慣がなかった僕が、こうして毎朝バナナを食べるようになったのは、バナナを食べると超能力が増強されるということに気が付いたからだ。

　なぜバナナを食べると超能力が増強されるかは分からない。たまたまバナナを食べながら、家事でもしようと超能力を使ったところ、いつもよりも威力が強かった。洗おうとしていた皿を力加減を間違って割ってしまった。

　いつもと同じ超能力なのになぜだろうと原因を考えてみると、それはバナナしか思い浮かばなかった。それから何度が検証してみると、バナナを食べると超能力の威力や精密さが上がることがわかったのだ。しかも、一度、増強された超能力はバナナを食べ終えてからも、元に戻ることはない。

　それに気が付いて以来、僕は毎朝バナナを食べることにした。家事以外に使いもしない超能力を毎日鍛え上げることに何の意味があるのか疑問に思うのは確かだ。けれど朝食を少しでもちゃんと食べることは、健康のために決して悪いことじゃないだろうし、バナナは美味しいから、朝にバナナを食べるのは続けている。

　バナナを食べながら、ぼんやりとテレビを眺めていた。仕事に出かけるまで、まだ幾分か時間はある。少しでも朝ののんびりした時間を続けていたかった。

　テレビは、今日も昨日と同じようなニュースを垂れ流していた。生活が変わると報道する割に何も変わらない政治改革、顔と名前だけ知っている芸能人の不倫に、誰が食べたくなるのだろうと首をかしげてしまう今話題のスイーツ。

　毎日、繰り返されるようなニュースは、同じ日が繰り返されているのではないかと誤解しそうになる。

　いや、それは誤解ではなく、たぶん毎日は繰り返している。

　テレビのニュースはどれもこれもが毎日同じだ。僕は毎日同じくコーヒーを啜って、バナナを食べている。それは気のせいじゃない。

　これが同じ毎日でなくてなんなのだ。

　それでも僕は無意味に毎日を浪費している。

　このつまらない日常から抜け出す努力をしているわけでもないし、自分自身を変えようとしているわけでもない。

　ただ漫然と毎日を過ごしているだけだ。

　昨日、僕が無意味に浪費した“今日”が終わって、また“今日”が来た。つまり、それを積み重ねた僕の人生は無意味だ。

　――いや、本当にそうなのか？　本当にこの毎日に意味がないのか？

　テレビは繰り返される毎日の中で、繰り返し同じニュースを流しているような気がするが、実はよく見ると少しずつ違う。

　女性アナウンサーの化粧の感じが少しだけ変わっていたり、緊張して力が入りすぎていた新人アナウンサーは最近、自然に笑顔が見える。

　このくだらない情報番組の変化と同じように、毎日同じに見えて僕もまた何か違うのかもしれない。

　そんな希望を抱きたいから、毎日テレビを見ているのかもしれない。

　だから、僕は今日もぼんやりテレビを見ている。

　ふと、窓の外を見ると、お隣さんが前の道を走っているのが見えた。

　隣の部屋の住人は、僕と同じくらいの年頃の女性だった。会話したことはほとんどない。引っ越してきたときに挨拶をしたほかは、たまにすれ違って会釈をする程度の間柄だ。

　きっと彼女も超能力者だと、僕は勝手に親近感を持っていた。

　彼女が超能力を使っている姿を見たわけではないのだが、彼女の力の波動というのか、なんとなく隣の部屋で超能力が使われているというのが感覚的にわかるのだ。きっと僕のように超能力で朝食を作っているに違いない。

　だが、彼女の姿を窓からのぞくのは、彼女が超能力であろうからというよりも、僕にとって朝の目安であるからだ。

　出勤するお隣さんがこの窓から見えた頃合いで、僕は準備を始めないと遅刻する。

　そうして僕はめんどくさいなと思いながらに準備を始めた。

　ぼんやりテレビを見ている姿勢のままに、クローゼットからワイシャツやスーツが飛んできて部屋着と入れ替わる。洗面所からは歯ブラシとシェーバーがやってきて手を使わずとも歯磨きとひげ剃りが済む。少し力むと超能力でスッと寝癖が直る。

　満員電車に乗りたくないから、超能力でテレポートして会社に行くことにしている。いきなりテレポートで会社に現れるとびっくりされるため、一応、駅のトイレにいつもテレポートする。おかげでよっぽど寝坊しなければ、遅刻もせずに済むし、出勤時間ギリギリまで家でぼうっとしてられる。

　超能力を得たときは、つまらない会社勤めもおさらばかと思ったが、けれど僕は毎日会社に通っている。超能力者だろうと仕事をしないと食っていけないの。

　――どうしてこうなっちゃったんだろう。

　超能力に目覚めれば、もっといろんなことが出来ると思っていた。けれど、超能力があるからと言って、何か事件は起きないし、全然お金も稼げない。

　刺激的な毎日もなければ、大金も稼げない。子どものころ、あんなに夢見た超能力は、持ったからと言って何にもならない。

　超能力に僕はがっかりしていたが、しかし、それ以上にがっかりしたのは僕自身の浅はかさだった。

　この超能力を持つ人が持てば、きっとヒーローのように世の中を変えたり、この能力を駆使して金を稼いだり、はたまた大胆な悪事に手を染めたり、それこそ何だって出来るに違いない。

　そうして彼らは刺激的で面白おかしい日常を送るのだ。

　だが、きっとそういう人間は、超能力なんてなくたって、その才覚で充実した毎日をきっと送っているに違いない。

　超能力者である僕が、つまらない日常を過ごしているのは、超能力とは関係なしに、僕自身がつまらない人間に過ぎないからだと嫌でも気づかされてしまうのだ。

　この超能力がある故に、僕は今までよりも僕の矮小さに嫌気がさしていた。

　こんなにも何も出来ない僕ならば、いっそ小説に出てくるような管理社会（ディストピア）にでも生まれて、全て機械か何かに管理されていた方が幸せに違いない。そうすれば無知蒙昧に与えられたものだけに満足をして、こんな悩みさえもなく、考えることもなく、幸福に暮らせるだろう。

　意味もない妄想をして、テレビに映った時刻表示を確認する。もう出かける時間だ。

　準備を終えると忘れないように靴を履く。テレポートで移動するときには靴を忘れがちだ。一度、雨の日に忘れて悲惨な目にあったことがある。

　最後に一つ、また大きなため息をついて、駅のトイレを念じて、テレポートをした。

　また“今日”という日が始まってしまった。

　いや、繰り返す“今朝”が消費され、また同じ“今朝”が来る。