第10話 生か死か

 二人は度肝を抜かれる。倒した筈のロキが、平然とそこに立っているのだから。

 だが、目の前に居るロキは倒した時と違い、その身体には赤い外套を纏っていた。


「な! どういうこっちゃ! アンタは今さっき九条ちゃんに斬り殺されて……それに、アンタはそこに転がって――」



 白鷺が死体のある場所を見る。しかし、そこにはあるはずの死体が忽然と姿を消していた。



「ロキ……貴様、本当にロキなのか?」



 疑い。九条は間違いなくロキを斬り裂いた。ならば、ここに居るロキは先程のロキとは別人の可能性を考えた。



「……。時間にすれば数分前と言ったところかな?」



 おどけてみせるロキ。それは、先程死ぬ前に九条に対して告げた最後の言葉であった。それを聞いた九条は、目の前に居るロキが先程自分が斬り裂いたのと同一人物であると確信した。



「バケモノめ……! どうやって生き返ったかは知らないが、今度は復活できないようズタズタにして……!」



 刀の柄に手を掛けた直後、九条の身体が大きく揺れた。

 口元に手を当て、その顔色は一気に青ざめていく。自力で立っていられないのか、膝を突き、四つん這いになってその場でうずくまる。



「九条ちゃん! どうしたんや!」



 ただ事ではないと直ぐに察した白鷺はすぐさま九条の横に駆け寄る。九条の背中を擦ろうとする白鷺だが、その手を思いっきり振り払い、九条はふらつきながらも立ち上がる。

 その眼は死んでいなかった。だが、先程とは打って変わって、立っているのがやっとというのは、誰の目にも明らかであった。

 ふらり、とよろける九条を白鷺が何とか支える。



「やれやれ、そんな調子で戦えるのか?」

「人の心配よりも、自分の心配をしろ。今すぐもう一度あの世に送ってやる」

「いい度胸だ」



 ロキは外套にある衣嚢に手を入れ、そこから取り出したのは、煙草だった。

 煙草を口に咥え、取り出した金色のオイルライターに火を灯し、それに着火する。

 長い一服だった。

 その煙草を味わうように長く吸いこみ、白い煙を吐き出すと。



「これで決めるか」



 ロキの手にはいつの間にか一枚のコインが握られていた。それは、先程九条がロキから取り上げたはずのコインであった。咄嗟に九条は自分のポケットに手を入れるが、そこにはあるはずのコインが無くなっていた。



「コイン? そんなんで何を決めるんや?」

「今日お前達を殺すべきか、否かをだ」

「殺すべきかどうか、だと? ふざけたことを言ってくれる」

「ふざけた事と思っているのは貴様だけだ餓鬼。このまま戦えば私の勝ちは間違いなく揺るがない。だが、ここまで楽しませてもらえたのはお前達だけなのも確かだ。今すぐ殺すのは勿体ないような気がしてな」

「それを、コインなんかで決めようって言うんかいな?」

「そうだ。コインの絵柄が描かれている方が出れば、殺さない。絵柄が無ければその逆。言うなれば、お前達の運試しというわけだ」



 いくぞ、という声と共に親指でコインを上に弾く。一回、二回と宙で回転しながらそれは落ちてきたあと、ロキは手の甲で受け取り、逆の手でそれを覆う。

 ゆっくりと覆った手を外すと、そこには絵柄が描かれていたコインが現れた。



「ほぅ、命拾いしたな」

「ほざけ。見逃して後悔するぞ」

「むしろ、させて欲しいものだ。では、お前達の名前を聞いておこう」

「名前……だと?」

「ここ数百年、数千年の間でここまで心を躍らせる好敵手は久しい……いや、いなかったかもしれん。蟻の名前を覚える気は無かったが、お前達の名は覚えておこう」

「う、うちはええかな。覚えてもらわんで結構や」

「……九条だ。それと、こっちのは白鷺舞だ」

「何で何時も詐欺師言うてるのに、どうしてここでフルネームやねん!」

「クジョウに、シロサギ……か。次はもっと楽しませてもらいたいものだな」



 九条達に背を向け、公園から立ち去ろうとするロキ。その無防備に背中をさらけだすも、それを攻撃する気力は二人に残っていなかった。



「待て、ロキ」



 九条は呼び止める。ロキは足を止め、顔だけ九条の方に向ける。



「最近、悪鬼が増えている事件が起こっている。その首謀者はお前なのか?」

「……何の話だ?」

「とぼけるな。人間に薬を使用して作為的に悪鬼を増やしているのが、お前と同じ赤い外套を纏った男だという事は分かっている。お前だろ」

「ならば、逆に聞かせてもらおうか。そんな事をして何の意味がある?」

「意味だと?」

「そこの女が言ったように、その気になれば俺は貴様らを全員滅ぼすことは簡単だろう。だというのに、そんな回りくどい事をする意味は何だ?」

「そんなもの、行っている本人にしか分かるわけないだろ」

「ならば紛い物に興味は無いし、群れる気もない」

「待て、ロキ!」



 九条の声にロキが答える事もなく、その足を止めることも無かった。

 二人は立ち去っていくロキの背中をただ傍観する。その姿が見えなくなったところで、白鷺と九条はその場に腰を下ろした。



「はー、今回ばかりは死ぬかと思ったわ」

「…………」

「どうしたんや九条ちゃん? 難しい顔して」

「原因を作ったのがロキではない? ならば、一体誰が?」

「ああ、せやったな。てっきりうちはロキかと思うたけど、そういえば違うんか」

「ふりだしに戻る、か」

「ゼロに戻っただけマシや。本当ならマイナス以下やで? 今日ほど割に合わん仕事は初めてや。はよ、帰ってお風呂入って寝たいわ」

「同感だ。だが、その前にやる事がある」

「やる事?」

「死体の処理だ。私と一緒に来たモーガンとかいう老人が居たが、ロキに殺されてしまった。僅かな時間だけ一緒ではあったが、弔ってやるべきだろう」

「老人? 何処におるんや?」

「気づかなかったのか? ほら、あそこに――――」



 ロキが座っていたベンチの周辺の芝生を指さす九条。だが、そこにあったモーガンの遺体は影も形も無くなっていた。

 思わず九条は立ち上がり、おぼつかない足取りでモーガンの遺体があったと思われる場所へと近づいた。

 そこには遺体はおろか、血痕すら残されていなかった。



「どういう事だ……?」



 九条は狐につままれたような錯覚に陥る。

 確かに目撃した惨劇。だが、現実として残ったのは記憶と何の変哲もない公園の芝生だけであった。


 こうして、九条の長い一夜は幕を閉じた。




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