第9話  終りと始まり


 敵と認識したロキは即座に行動に移す。

 白鷺に背を向け、影たちに号令を出そうと、言葉を発しようとした。

 それは紙一重の差であった。

 ロキの言葉が出るよりも先に、閉じていた九条の瞳が開く。

 次に目にしたのは、鞘から抜き放たれた刀であった。


 それは神の為せる業であった。


 音もなく、目で追う事も許されなかった九条の一閃。鞘から抜き放つ過程を全て省略したかのように、鞘から抜かれた刀という結果だけがそこに存在した。

 それはロキですら何時抜いたのか分からなかった。そして、自分の身体に目をやると、そこには上半身を左のわき腹から右肩に向けられ、身体を斜めに跨いだ一本の直線の痕が残っていた。

 髪の毛ほど薄く、細い痕跡。それはロキの身体だけではなく、周囲の空間にも青い光を放ちながらその場に残っていた。



「何だ、これは?」



 不可解な「それ」に触ろうとした時、ロキは自分の身体がピクリとも動かない事に気づく。まるで、その場所に固定されてしまったかのように、指一本動かすことが出来なかった。



「九条一心抜刀術。その真髄は文字通り一心にあたる」


抜き放った刀を下ろし、静かに鞘に納めながら九条はそれを口にした。


「貴様……何をした」

「一心抜刀術の一心には様々な意味がある。一意専心、一心不乱。一の心に宿す様々なモノはあるが、その極意は「一心同体」だ。お前の言う通り、私の力は非力だ。私程度では抜刀の速さはせいぜい音速。それ以上は超えられぬ壁。しかし、この刀である羽々斬の力を借りる事が出来れば話は別。音は光を超えて、神の領域に達する。ロキ、貴様が受けたそれは『神域』の抜刀術によって作られたものだ」

「下らんな。それがどうしたというのだ?」

「神の領域に至るその一撃は次元をも超越する。分かるか? それは貴様を斬るために放たれたものではないという事に」

「どういう意味だ?」

「直ぐに分かる」



 九条の言った通り、それは直ぐに変化が現れた。

 青白い傷を境に、ロキの身体が少しずつズレていく。だが、不思議な事にロキには斬られた痛みがない。



「これは……!」

「この一撃は貴様を斬るためではなく、貴様を含めた一帯の空間を斬るもの。切り裂いた空間はそこに居た全てを巻き込んで斬られたようにズレていく。物質の硬さなどまるで意味を為さない。文字通り必殺だ」



 上半身がずるずると滑るように落ちていくそれを止められないロキ。だが、悲鳴を上げるどころか、死期を悟ったように九条の方を見て達観したような表情を見せる。



「驚いたぞ。まさか、餓鬼にやられるとはな……」

「侮っていた貴様の負けだ」

「返す言葉もない。認めよう、私の負けだ」

「散り際は潔いな。それで、最期に言い残す言葉はあるか?」

「そうだな……また会おう」

「ああ。今度は地獄でな」



 上半身が完全に分離され、それは力なく地面に倒れる。宙に残っていた青い残光は光を失い、消える。光を失うと、残っていた下半身も続けて地面に倒れこんだ。

 暫くの間観察し続けるが、ロキは一度も動く事は無かった。



「やった……やったでー!」



 深夜に響き渡る白鷺の歓喜の雄叫び。誰も成しえなかったロキ討伐を、たったの二人で成功させた。それは夢では無いかと、錯覚してもおかしくない程の偉業であった。

 白鷺は疲れきった体というのに、九条の方に駆け寄り、勢いよく抱き着いた。九条は不意をつかれたせいか、それを避ける事をせず勢い余って地面に白鷺と一緒に倒れ込んだ。



「流石、流石九条ちゃんや! うちが我慢して面倒見たかいがあったわ!」

「ええい、離れろ! 何が我慢して見たかいがあった、だ!」



 余程嬉しかったのか、九条の罵倒を聞かず、白鷺はその頬に自分の頬を合わせてこすりつける。九条の表情は嫌悪感を露骨に示していた。抱きつく白鷺を強引に引き剥がし、立ち上がる九条。



「全く……大袈裟すぎる」

「大袈裟ちゃうで。ロキを倒すのに、今までどれだけの人間が向かおうと、その身体に傷一ついれることすら困難やった。けど、それをいとも容易くやってのけた……なんや、あれ? 凄い居合い斬り?」

「九条一心流の奥義で『次元斬』という」

「その、次元斬という奴はどういう理屈なんや? あれの硬さはうちでも傷一ついれることができんレベルなのに」

「さっきも言ったが、あれはロキを斬る為の技ではない。空間を斬る技だ」

「うーん? なんかいまいちわからんなぁ」

「例えるなら、絵を描いた紙を想像するといい。紙にはロキの絵が描かれており、私はその紙をハサミで斜めに切り裂いた。紙はどうなる?」

「そりゃ紙が分かれるわ」

「そうだ。その紙の部分が空間なんだ。紙が切れれば、その中に描かれている絵も一緒にズレるだろ? それを行った」

「……へー」

「絶対わかってないだろ詐欺師」

「まぁ、ええやん。あんたは歴史を変えた人間や。うちも鼻が高いで」

「……詐欺師」

「なんや?」

「すまなかった。お前がいなければ、奴を倒すことは不可能だった、その……か、感謝する」


 ボソボソっと聞き取りにくいほどの小さな声であった。それを口にすることが九条にとって照れ臭くて、恥ずかしいのだ。だが、実際それだけの功績をやってのけた白鷺に何の礼も言わないという選択肢は出来なかった。

 見れば耳まで赤く染まっている九条。できる事なら今の言葉を聞いていて欲しくないと願ってまでいた。

 だが、それを聞き逃す白鷺ではなかった。

 肩を小刻みに震わせ、照れる九条に悪戯心が触発される。



「うーん? 何々? よー、聞き取れへんかったわ。もう一度言ってみてくれへんかなぁ、もっと大きな声で」



 ニタニタしながら耳に手を当て、九条の方に向ける白鷺。当然、九条がもう一度言うはずもなく、それどころか「やっぱり言うんじゃなかった」という後悔の念に駆られていた。



「五月蠅い! もう終わった事だ、さっさと帰るぞ!」

「えー、そう言わんと」



 ロキとの戦闘という、極度の緊張感から解放されたせいか、二人は何時にも増してそのやり取りは大袈裟で微笑ましいものであった。

 そんな二人の耳に、何かの音が聞こえてくる。

 ぱち、ぱち。短く、等間隔で刻まれるリズムの音。それは手と手を合わせて鳴らす柏手であった。


 二人はやり取りを止める。そして、お互い顔を見合わせ、自分達が鳴らしているものではないと確認する。

 音の出所は二人の背後、それも直ぐ近く。

 弛緩していた緊張を一瞬にして高め、二人は振り返った。

 そこにが立っていた。



「素晴らしい。まさか、が負けるとは思ってもみなかったぞ」



 余裕の笑みを浮かべて二人に賛辞の拍手を贈る人物。それは、紛れもなく先程倒した筈のロキであった。










   

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