第7話 結末と後日談

 深い夜の高速道。そこに走る赤いスポーツカー。

 車内では鼓膜が破れそうなぐらい大音量のロックが鳴り響く。

 前に行く車はいない。まるで自分の為に用意されたかのような、無人の高速道路で快調に速度を飛ばす。

 気分を良くした若い男の運転手は歌を口ずさみながら、更に速度を上げる。

 速度の値は二桁から、三桁へ。メーターが振り切れそうなほどの勢い。

 視界は凄まじい勢いで流れていく。時間すら通り過ぎていく感覚。

 脳内物質が否が応でも分泌され、気分は少しづつ高揚していく。

 そんな男の気分が最高潮に達した時だった。


 ほんの一瞬の出来事。

 自分の横を何かが通り過ぎた。それは、紛れもなく”人”だった。

 険しい表情で、何か思いつめたような様子。

 そして、自分の車を抜き去り、影も形も無くなった。


 現実離れした出来事。

 確かに、見たはずなのだが、ここは高速道路。そして、到底人の足では追いつけないスピードを出している。

 男の高潮した気分は削がれ、ただ、唖然としていた。そんな男の気持ちを察することのできない音楽だけが車内に響いていた。


 その人影は紛れもなく本物である。

 体から青い稲光を時折放ち、風の守護を借りて彼の足は韋駄天と化していた。

 一刻も早く、彼は向かわなければならない場所があった。


 高速を降り、ビルの屋上を跳んで伝い、最速最短で自分の元居たビルへと戻ってきた。

 彼は一人だった。流石にそんな足の速さに白鷺が付いていける筈もない。

 ビルの入口に辿り着いた時、彼の身体に凄まじい負荷がかかる。

 思わず片膝を地面に付き、口から白い吐瀉物を吐き出す。

 長時間における唱換が原因。加えて、ここまで帰ってくるのに、能力を使い過ぎたためだ。

 今にもその場に倒れこみそうになる衣笠だったが、それを精神だけで持たせる。


「お嬢様……!」


 その足取りは枷をつけられたように重く、真っすぐ歩けないほど。

 それでも彼は向かった。

 衣笠の居た部屋の玄関は、真っ二つに切り裂かれており、それは九条の仕業だという事は理解できた。


「お嬢様! お嬢様!」


 部屋の中へ踏み込むと同時に荒げた声を上げる衣笠。奥へと進むと、そこに立っている九条の姿があり、もう一つ、その横には眼を背けたくなるような光景があった。

 それはソフィアの倒れている姿。

 首からおびただしい出血の後があり、その傍らには血のついた短刀が無造作に転がっており、床は大量の血を吸って既に黒く変色していた。

 西洋人形のように可愛らしいその姿は、見るも無残になっていた。


 そのソフィアに駆け寄り、衣笠は抱きかかえると、素早く脈をとる。だが、そこにあるはずのものは無かった。

 胸に耳を当て、命の音を確かめるが、それも既に失われてしまっていた。

 物言わぬソフィアを衣笠は嗚咽混じりに涙を流し、ただ抱きしめていた。

 その姿を、九条はいたたまれない気持ちで見ていた。


「何故……何故こんなことに?」

「結論から言えば、自殺だ」

「嘘だ! お嬢様が自殺などするはずがない! どうしてそんな事をする必要があるんですか!」


 物を言わず、九条はゆっくりと衣笠へ近づくと、既に破かれた一つの封筒を手渡した。それは「コウへ」と直筆で書かれたものだった。

 衣笠はそれを手に取り、中にある手紙を見る。


「悪いとは思ったが、読ませてもらったぞ。そこには、お前を苦しめる主人の苦労、悲しみ、が綴ってあった。そして、この先ずっとお前を苦しめる事に対する罪悪感から、命を絶つ覚悟をしたそうだ」


 淡々と内容を漏らす九条。衣笠はというと、手紙に書かれている、今まで衣笠に会っての思い出、感謝、そして人生の半ばで死を選ぶことに対する辛さ。文章は後半になるにつれて字が歪み、所々何かで滲んでしまっていた。そして、衣笠に対して最後の愛の言葉をつづって締められる。その手紙を見て、衣笠は泣き崩れていた。

 暫く泣いた後、転がっている短刀を衣笠は手に取った。


「お嬢様、おひとりで辛いでしょう。僕も一緒に御供します」


 手にした短刀を自分に向け、躊躇なく衣笠は喉元めがけて刺そうとする。だが、九条の平手が衣笠の顔面を捉え、その勢いで短刀を手から落とす。

 衣笠の胸倉をつかむと、九条は鬼の形相で睨みつける。


「この馬鹿! 何のためにこの子がここまでの事をした! そんな事をしてこのお嬢様とやらが喜ぶのか? 私が同じ立場なら決して喜ぶことなどしない」

「もう良いんです、行かせてください。僕には生きる意味がない」

「生きる意味だと? なら私が教えてやる。残された者はな、足掻くしかないんだよ。足掻いて、足掻いて、足掻いて! 生きる意味を見出して、生きていくんだよ」

「……何故あなたは生きているのですか?」

「私には仇がある不倶戴天の仇がな。その首を切り落とすまで、私は悪鬼を狩り続ける。人間に仇なす、敵を、この命が灰になるまでな」


 説得というより、それは決意表明だった。

 その眼に宿るのは黒い感情。だが、その輝きはどんな宝石よりも輝いて見えた。

 血の通ったその言葉に、衣笠の心は揺り動かされる。そして、同じ決意をした。


「貴女の言う通りですね……こんな所で死ぬわけにはいかなくなりました。私も、理由ができました。お嬢様をこんな目にあわせた医者を、必ず見つけ出し、罪を償わせる。それが僕のできる、せめてものこと」

「それでいい。死ぬなんて事は何時でもできるのだからな」


 物言わぬ亡骸に対し、衣笠はそっと手を合わせる。そんなタイミングで、息を切らせて白鷺がやってきた。


「ちょ……え? 今、どうなってるの? 説明」

「お嬢様は自殺だ。私たちが手を下すまでもなく、事件は終わってしまったという事だ」

「あ、なるほどね。ほな、これからどうするの九条ちゃん」

「私たちは一文字に報告するだけでいいだろう。後は、この亡骸をどうするかだ」

「僕が連れて帰ります」


 手をあわせたまま、衣笠は言う。それは両親の元に連れて帰るという事だろうと言う事は二人も分かる。だが。


「良いのか? お前は誘拐犯として両親から恨まれているはずだぞ」

「分かってます。けれど、お嬢様はきっと帰りたい筈ですから」

「……なら、一文字という探偵を当たれ。お前の事はこちらから話しておく。そうすれば、多少向こうの怒りも落ち着いてくれるかもしれない」


 九条はポケットから以前もらった名刺を衣笠に渡す。


「死ぬなよ?」

「分かってます。僕にはやる事があります、あの赤い外套を付けた医者を必ず捕まえてやります」

「…………赤い外套? ちょっと、衣笠君に聞きたいことあるんやけど、それは男かいな?」

「え? ええ。そうですが」

「髪はどうやった? もしかして、鬣みたいに結構長かったりせんかった?」

「それぐらいありましたね。あんなに髪を伸ばして、不潔極まりないから、本当に医者なのかって思ったのを覚えてます」

「何か心当たりがあるのか詐欺師」

「……うーん、ちょっとな。まぁ、きっと勘違いやろ」


 何処か歯切れの悪い白鷺。

 何時の間にか、夜が明け朝が来ていた。

 一晩とは思えぬ濃密な夜を過ごした三人。その朝日は全てを終えて新たな道を照らすように眩しいものになっていた。



 


 ★★



 衣笠との戦闘が終わって一週間が経過した。

 あの後、衣笠は九条の助言に従い、一文字を頼った。事情を全て知った一文字は、雇い主であるソフィアの親に、娘の亡骸と衣笠を連れて共に訪れた。

 当然、ソフィアの親は激怒した。

 最愛の娘を亡くしたショックは計り知れない。だが、一文字の必死の説得。衣笠の行動は全てお嬢さんの為にあった、と。全てを信じられるはずもない、が、娘の異変には多少知っていたこともあり、それを全て頭ごなしに否定するという事は無かった。そして、亡骸から娘の変異を知り、その原因が医者が行った薬物の投与であることも伝える。

 こうして、この一連の事件はようやく終息を迎えようとしていた。



 九条と白鷺は未だ一緒に居た。

 一文字の依頼を終え、依頼料を受け取った。それはクラウンの依頼とは別報酬だったので、予期しない嬉しい臨時収入となった。

 それから悪鬼の出現も無く、ただ日常を謳歌している真っ最中。

 やる事もなく、今は昼時になって近くのファミレスで向かい合う形で座る。

 二人のテーブルの上には、熱した鉄板の上に敷かれたハンバーグが音を立てている。それを九条はナイフとフォークを使い、丁寧に切り分けながら一口、また一口と運ぶ。

 ただ、九条の視線はハンバーグではなく、白鷺にあった。注文したハンバーグに手を付けず、頬杖をついて何処かうわのそら。


「どうした? 食べないのか?」

「あー、もうちょいしたら食べるわ」


 気の抜けた返事。

 その原因は何となく目処がついていた。


「気になるのか、衣笠とやらが言っていた医者の話が」


 ぴくり、と過敏に反応を示す。


「せやな。ちょーっと気になる程度やな」

「ちょっとどころではないだろ。何時までそんな気持ちでいるつもりだ、もう一週間が過ぎるぞ」

「悩める乙女は苦労がつきないってことやな」


 はは、と笑う白鷺。だが、その声には何時ものキレがない。

 余程の事だと九条は感じた。


「一文字から話を聞いた。医者の持っていた薬物を投与されたことにより、悪鬼になってしまったという話だ。近年の悪鬼増加はそいつが一枚噛んでいるにちがいないだろう。だから、次はソイツを探し出して――――」

「あかん!」


 テーブルを叩いて立ち上がる白鷺。

 大声に周囲の客が静まり返り、白鷺たちの方を向く。白鷺は怒っているのではなく、むしろ何か怯えている感じが九条には見て取れた。


「座れ、詐欺師。皆が見てる」


 すごすごと体を下ろす白鷺。何も無いと確認すると、周囲の視線も遠ざかる。


「随分と気にしているようだな。それだけの事なのか?」

「……せやな。そういえば、九条ちゃんは知らんのやな」

「何の話だ?」

「”――――決して触れてはならぬ、その逆鱗。彼の者は最古にして最悪の魔の王。この世は奴の掌。一度その気になれば、この地は阿鼻叫喚の地獄絵図と化すだろう”」


 詩を読むように言葉を連ねる白鷺。その詩のような言葉に九条は全く聞き覚えが無かった。


「何だそれは? 詩か?」

「偉人さんが残した言葉や。私たちよりもずっと古い能力者さんの言葉で、それは今から千年前にも遡る」

「ほぅ、そんな昔からあるのか。それがどうしたんだ」

「その謳われる化け物が今も存在してるっちゅう事。昔に一度だけ、討伐目的で徒党を組んで手合わせさせてもろたな」

「……その結末はどうなった」

「全滅。うちを皆殺し。あれと対峙した時、選択肢は二つ。逃げるか、殺されるかのどちらかやで」


 嘘をついている様子はない。

 白鷺の強さを九条はよく知っている。その白鷺に対して、ここまでの事を言わせる相手がこの世に存在しているとは到底信じられなかった。


「蒼い目は?」

「してない。よかったな、九条ちゃん。あれは触れてはならない禁忌やで」

「だが、どうする? もし、その化け物が悪鬼を増やしているとしたら、私たちは倒さなければならない相手だぞ」

「せやな、そこを一番危惧してる所や。あれは気分屋やからな。もし、万が一に悪鬼を増やしているのがその化け物……やとしたら」


 テーブルに置いてあるフォークを白鷺は手に取り、目の前にある肉の塊に思いっきり上から突きたてた。それが意味するものは墓標だった。



「――――死ぬで。この世界は終わる」

 

 





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