サンダーバード

円窓般若桜

サンダーバード

「サンダーバード」



Ok.さよならと呟く。


見上げるように臨んだその横顔には、太陽の光が降り注ぎ、降り注ぐとはこのようなことをいうのだと字義とその現象を得心した。

風の音が聞こえた。爆音かと思った。望んでいた音だった。空気中の炭素を切り裂いて轟くような音にルッポは笑った。飛行船は腹を見せてからから笑っている。何でもないと呟いてみる。みつせ鳥が歯茎を見せる。


エンドレスはいつまでも組み上げたジグゾーパズルを分解している。世界は優美を抱きしめてコールタールに可笑しいね、って声も立てずに厭(いや)に微笑む。ごちごちとした暗闇ばかりだ。じめじめとした湿気がすべてをなまの芳香で留める。吹き流れない粒子群はどこかうっとおしかった。やはり出てみようか。あいつに会いに行こう。忘れてなけりゃあいいが。忘れてなけりゃあいいがなあ。暗闇の中、ルッポはそう思った。


「サンダーバード」

雷を降らせるその巨大な鳥は、人間達にとっ捕まって黒褪せたその羽を無様に広げている。平均的な人間の幅の9倍のサイズを誇る黒翼(こくよく)を広げているが、叩き潰す気力はもうない。

「こいつは地底の煌(きら)めきを吐く石に当てられてこのような巨躯を得たのだろう。元はこ汚い烏さ。そのような石があるのだという証拠だよ!見たまえ!」

学者が傍らで声を挙げる。サンダーバードはどうでもいいと思う。俺は俺だし、何よりもう死んでしまいそうだ。お前らもただの人間だろう?

よだれが地に落ちる。

この地には花が咲くだろうか。滅んでもあの空はまだあるだろうか。無様ながらに考えるサンダーバードの瞳にはもう、世界の何も見えていない。ストレイナーの吸い口ではかべちょろが惹きつかれた羽虫を喰おうと待機している。「さよなら」と声を挙げる。暗闇の中でそう声を挙げる自身は美しいだろうとサンダーバードは思う。でもそれは、暗闇ではなかったのだとのちに思うのだが、でもそれは、嫌になるツンドラの栄えるような桃源でしか。ここは、ここで終わる。俺はこれで終わるのだ。吐き捨てる事はもうやめた。眼の前のオリオンが一粒一粒をあげ、美しく、うつくしく輝く。でもお前にももうなにも見出さない。


「サンダーバード」

雷鳥である。雷を呼ぶとされるその鳥は広く流布していた。ルッポは思う。彼らは美しいと。なによりまず巨大だ。空も海も、雷もオーロラも巨大であるから美しいのだ。巨大なものはただそれだけで美しい。でもそれは、尺度なんていう年齢にも似た使い勝手の良い概念ゆえの観想であり、シリウスなんかからしてみたらガラクタにしか見えないだろう。

ルッポは思う。とっ捕まったサンダーバードは涙は流していなかったんだろうと。

夢には虹が架かる。愛には色が沸く。

土気色しかない眼前を見渡し、この地には花は咲かないだろうことを想い、少し悲しく思った。

傍らには大きな牛の、おそらく肉牛であろう死骸が横たわっている。どこからか澄み切った花の匂いがする。横たわった牛は、すでに乾燥しきっていて風に吹かれようが何の芳香も腐敗臭すら醸さない。この澄んだ花のような匂いは、目に見えないどこか遠くの花畑から香ってきているんだろうなとルッポは思った。

眼前の死骸より強烈な香りに少しだけ嬉しくなってルッポは笑う。やはり世界は知らない所で輝いている。


一匹の黒猫が足元に静かに座っている。

「あなたの名前は?」

などと聞くのでセカンドネームだけを答えた。

干からびかけた自分はおそらくひどく年老いて見えるだろうなとルッポは思った。溶けるのではなく溶けて瞬時に乾燥し灰になるのだ。最期になるだろう言葉を黒猫に向かって絞り出す。

あいつの名前でもあるなとルッポは思い、穴グラから出てきて良かった、太陽の光はこんなにも眩しいのか、風はこんなにも活発なのか、花の匂いはあいつみたいな良い匂いだと初めて感じ、静かに静かに朽ち果てた。

「知ってるか?。昼間にも星は輝くんだ。俺はいつも見ていたよ」

黒猫は一瞥(いちべつ)して、尻尾を上げトコトコと歩いて行った。

乾燥した空風が、昼間の星と百合の香りを一瞬だけ運び、自分から連れ去って行った。



切れ目は綺麗にファインカットされて、輝度を揃えて色光は発射される。きら青、キラ黄、綺羅赤、綺羅綺羅スカイブルー。それから純度の高いモス・グリーン。この洞穴でリリースターは折り曲げた手のひらを唇にあてて笑う。綺羅色達は極太のレーザービームのように、ファンタジアを鳴らすかのように、カラフルなジュレの弾みを揺らめかせ辺りを照射する。

「綺麗だね」

ツバの広いハットを被ったドワーフは眼を弓のようにギギギとねじませ言う。

「これが俺達の世界さ」

カリンバと金でできた体鳴楽器の音色達に乗ってポコからポコと泉から偏間隔で色とりどりの光の玉が湧き出てくるような場景を眺めながらリリースターは、「綺麗だわ」と言った。

「バカみたいに綺麗だわ。ここはどこなの?」

ドワーフは首をギギギとねじまげ言う。

「地底さ」

「地底なのはわかるんだけどね、なぜこんなに光を発射しているの?」

青や黄、赤や緑の照射された光達は交り合い、反応し合いながら響を唄う。直線でなく揺らめくように唄う光達は滅(ほろ)美(び)の最終世界を思わせる。

ドワーフは一息ついて、モグラの穴掘りを眺めながら言う。モグラの掘削スピードはひどく遅い。

「光を発射しているんだ。受光はいらない。当然だろう。ここは地底さ。昼も夜もない。だから昼間でも星の様にこいつらは輝いてる」

「エネルギーは?」

「エネルギー?」

「エネルギーよ。これだけ発射するんならその動力源はどこにあるの?」

「変なこと言うなよ。・・・でも動力源っていうならこいつらの喰い物がそうなんだろうな」

「何を食べてるの?」

「大地だろう?それ以外にこいつらと繋がっているものはない」

「化学変化かしら。でも熱は発生していないね」

リリースターはレーヨンでできた赤いマントの袖口を細い指で握り、ドワーフの方は見やらずに言う。

「熱を吸収しているかもな。触ってみろ。ひんやりとしているぜ。女の肌みたいさ」

口をバナナのようにギギとねじませ笑い、ドワーフは綺羅赤に輝く岩石に近付きその切れ目にごつごつの手を当てる。ドワーフの大きな手に遮られた綺羅赤が行き場を求めて反射し、リリースターの頬を照らす。その赤はリリースターの頬を染め上げ、内部に浸透していく。

「不思議なもんだろ?光が自分の中に入ってくる感じがねえかい?」

リリースターは綺羅青に輝く岩石の前に座り、両ひざを抱える恰好で綺羅青の光を顔全体で受ける。

「ええ、とってもやさしいものが」

眼を弦の様にしならせリリースターは微笑みながら綺羅青を見つめる。その横顔は綺羅青の浸透も相まってひどく美しさを発揮している。横顔を眺めながらドワーフは言う。

「お前らは美しいな」

「お前ら?」

「ああ。お前ら人間さ。俺達にとって最上に美しいものはこの岩石、俺たちは宝石なんて呼んでいるけど、その宝石群よりお前の方が美しいって今思ったよ」

「あらやだ。告白?」

そう言って悪戯(いたずら)な笑顔で細く白い指を口元に当ててリリースターは笑う。

「いや、俺たちは醜いなって話だよ」

口をタエズユリカシの種のようにギッとねじまげ、諦めたようにドワーフは笑う。ツバの広い薄汚れたハットで隠れた表情は窺えない。

「確かに汚いね。泥があちこち付いてるし。ちゃんとお風呂入ってる?服洗ってる?」

赤いマントを脱ぎ綺羅青の宝石の照射上にひらめかせ、「ムラサキー」などと遊んでいたリリースターは、マントを綺羅青の宝石に被せドワーフの方に近付き言った。鋭く煌めく赤や黄達の中で紫だけが光(こう)貝(かい)虫(ちゅう)のようにぼげれんと浮かび、赤いレーヨンが浸透圧で青く染まっていく。

「でも醜くはないわ」

ドワーフのハットを剥ぎ取り両手でその顔に付いた泥を拭ってやりながらリリースターは言う。

「水は地底じゃ貴重だからな。洗濯なんかにゃ勿体なくて使えねえ。へえ、人間の女の肌ってほんと冷たいんだな」

赤い袖のないニットを着たリリースターの差しだされた左手の二の腕をぷにぷにと触りながらドワーフは続けて言う。

「俺たちは醜いさ。知ってるんだろう?俺達ドワーフは元々お前らと同じ人間さ。何千年か前に奇妙な皮膚病が蔓延した。太陽の光で溶けちまう病気さ。その病気は伝染病で人々はそいつらを洞窟に押し込めた。なかにはひとつの国の王様なんかもいたらしい。生き物の生命力は凄いよな、いや、女と男がいたから簡単だったのかもな。そいつらは洞窟を掘り進み水場を見つけ地底に集落を形成した。その生き残りの子孫が俺達さ。潔く絶滅すりゃいいのに、長い代をかけて暗闇に細胞を適応させてまでして、暗い暗い地底でモグラみてえにひっそりと生きてきたのさ」

瑪瑙(めのう)石を磨いて造られた様な鉄琴の音が聞こえる。宝石が音を奏で始めたのだろうかとリリースターは思い、石材だから鉄琴とは呼ばないかなと自問しながら、言う。

「あら。じゃああたしも太陽の下に出られないのかしら?」

とんぼ石を張り付けた木琴のような音が聞こえる。また宝石達が音楽を奏で始めたなと感知し、ドワーフは言う。

「いや、もうそれは体質に変わっちまってる。なんだあれ、そのなんか身体を形成する設計図あるだろ?」

「遺伝子?」

「そうそれ。その中に組み込まれちまってる。だから他にはうつらないから安心しろ」

そういってドワーフはぐいとリリースターを抱き寄せ、赤いニットの裾口から手を潜り込ませてリリースターの背中をさすりながら言う。

「ひんやりと冷たいし、ひどく滑らかだな。それに良い匂いがする。冷たいのになぜか温まる。俺たちは臭いだろう?」

「臭くなくはないけど、生物らしい良い匂い。男らしくて素敵よ。ねえ、あなた達は何千年も前から地底で暮らしているのよね?」

「ああ」

「遺伝子とかそういう近代の知識を持っているのはどうして?」

「お前みたいな人間が他にいないとでも?」

「なあんだ。ここに来たのはあたしが初めてじゃないのね」

「学者よろしくの人間はまあよく来るよ。たまに俺達をとっ捕まえようなんて奴もな。太陽の光で溶ける以外違いやしねえのに。でもこの宝石まで辿り着いたのはお前が初めてだ」

「辿り着いたっていうかあなたが案内してくれたんじゃない。そうじゃなきゃこんな所までは到底無理よ。まさかエレベーターがあるなんて誰も思わないもの。でもどうして?」

背中と髪を撫でられながらリリースターは漏れそうな声を押し殺して言う。宝石達の綺羅色は輝度を上げ、どこからか歌声が聞こえてきた。地底の岩石って歌うんだと思いリリースターは耳を澄ます。聖歌隊が歌う様な、アポカリプスの様な、あやし唄みたいな歌。

「お前が変人だからさ。女一人で地底への冒険なんて。しかも真っ赤なマント。くくく」

繁殖の衝動、簡単に言えば一目惚れとは言わずに、ドワーフは左手でリリースターの肩までの栗髪を撫でながら右手をリリースターの適度に膨らんだ胸の辺りに滑らせ手の甲でさする。宝石達は徐々にその綺羅色をマーブル模様に変化させ、歌を歌い始める。何年かに一度の、ドワーフ自身まだ一度しかお目にかかれていない宝石達の合唱よりも、目の前の冷たく暖かな生物のほうにドワーフは心惹かれた。

「あらー馬鹿にしたなあ!あなたも小汚いマント・・・」

さすると言葉に詰まり脱力し身体を預けてくるこのかわいらしい生物と自分の最も好む環境で触れあう現状をかえり見ながら、ドワーフは先祖達の言葉を思い出していた。言葉というか、もはや詩と化した伝承語り。「暗い暗い地底だよ。光なんてなありはしない。ずっとずっと暗闇を生きるのだ。モグラをご覧。楽しそうに穴を掘る。眼の無い魚をご覧。嫌なものが見えなくて悠々さ。歌を歌ってごらん。岩石が跳ね返して踊り出すよ。幸福だよ。幸福を探すのだ。どこかにきっとあるはずさ。あるいはそこにあるはずさ。暗い暗い地の底さ。幸福さ。幸福を探すのだ」。自虐みたいな馬鹿みたいな語りだけど、きっと幸福とはこれのことを言うのだとドワーフは思った。何千年間、こいつを見つけるために地底で愚か者のように泥を喰って生きてきたのだ。簡単だったのだな。マーブルの歌はリリースターの声と交り合い、螺旋を産み、泉の上で雲の様に舞踏を踊る。地底に出現した天上の中で、暗く暗く生きてきたドワーフはマーブル模様の空間に映し出された光景に見惚れた。


「なあ、人間の女。お前の名前は?」

「ん?リリースター。あなたは?」

「リリースターか。良い名前だ。百合星か?」

答えずにドワーフは重ねて尋ねる。

「そうよ。そんな星ないけどね。あなた星を見たことあるの?」

一度脱いだ衣服を着たリリースターは自身の両ひざを抱え込み、マーブルの終わった宝石を眺めながら言う。

「いや無いよ。お前が初めてだ」

そう言ったドワーフはクズシテリアの花びらのように眼をねじまげリリースターの横顔を眺める。

「あはは。あたしは星じゃないわよ。ねえ、地底にも花は咲くの?」

「咲くさ。あの青と黄色の間を見てみろよ」

リリースターは腰をあげて綺羅青と綺羅黄の間までテテテと小走りに移動する。黒耀(こくよう)の岩石の隙間には一輪の白い花が咲いている。

「ねえドワーフさん。これなんて花?見たことないわ」

花図鑑を2冊持っているリリースターは見たことのない花に少し悔しくなって尋ねる。

「俺たちはタエズユリカシと呼んでいる」

「百合?」

「ああ、百合の仲間かな」

「お花畑もある?」

「花畑?」

「そう。あたし好きなの」

「群生か?地底にはないよ。ぽつりぽつりと咲くだけさ」

「見たくない?」

綺羅黄を吸収したリリースターはドワーフのほうを向き直り言う。

「花畑か?そりゃ見てえさ。花畑だけじゃない。星も見たいし、海ってのもあるんだろ?見てみたいな」

「見に行こう?」

リリースターはドワーフの頬を持ち上げながら子供を諭すように優しく言う。

「お前なあ、俺達の先祖の話のくだり忘れてるだろ。溶けちまうんだよ」

「本当に?見たことあるの?溶けたドワーフ」

生まれた時から聞かされた呪いだ。立ち向かったヤツはいない。

「いないんでしょ?生物って抗体を生み出せるの。人間はその中でも最上種ね。あらゆるウイルスに勝ってきたんだから。長い年月をかけてあなた達の体に変化が起きているかも知れない。確かめたことないでしょ?」

暗闇で生まれて宝石だけを慰みに暗闇の中で死んでいくものだと思っていたドワーフは少し混乱して言う。

「でもなあ・・・」

「あら!恐いの?人間の女は簡単に抱くくせに」

悪戯そうに絹のように瞳を輝かせ言うリリースターにたじろぎ、ドワーフは腕を組み思案する。すっと目の前が暗くなり眼前に出現したリリースターの胸に顔をうずくめられたドワーフは、衣越しの柔らかさになんだか安心しなんでもできるような心地を得た。

「大丈夫。できるわ。世界はここじゃないところで輝いているの。世界の輝きを見せてあげたい。あなたが溶けて死んじゃったらあたしも一緒に死んであげるから、ねっ?」

か細い身体に包まれたドワーフは、暖かく柔らかで包み込む思いというものは、こんなにも心に響き揺り動かすのかと生まれて初めて感じ、少しだけ涙を流した。

一瞬、目の前が真っ白に爆発した。


立ち上がり、ドワーフは歩き出す。この洞窟の出口なら複数知っている。どこから出てみようかと考えているとリリースターが言った。

「どうせなら風が吹いている所に出たら良いと思うわ。風は一番世界の輝きを教えてくれるのよ。風の入り口に向かいましょう。出口だけどね、へへ」

格段上手くもないのだが、良い事言ったという風に嬉しそうに笑うリリースターの横顔を眺めるドワーフは俯きながらも眼は確かに前を見つめ笑った。ハットの広いツバに隠れきれない瞳が、泥まみれながらも希望を備えた光をもっているのをリリースターは見つけ、嬉しくて進める歩調にテンポをもたせる。「踊ってるみたいだな」。テンポよく歩くリリースターの姿にそう言ったドワーフに、「嬉しいのよ。表現ってやつね。あなたも少しは表現したら?」「しているつもりだけどな」「ふふっ、わかってるわよ」「ちっ」などとじゃれ合うように風の入り口へと向かう二人に、綺羅色の宝石達は不穏なのか共鳴なのか判別はできないが、常よりざわざわとその発射をばたつかせているが、テンポよくぐんぐんと進む二人にはもう、宝石達の光は届かない。



ぐんぐんと進み、ざくざくと地を蹴る。出口が近付く。近付くにつれてドワーフは、本能というか歴史の叫び声というか、確証はないが、確信はできるひとつの感覚が全身を支配するのを感じた。少し立ち止まりリリースターをぐいと引きよせ、その頭と腰を包み込む。「怖いの?」と言うリリースターの言葉には「大丈夫だ」と答え、また少し歩を進める。テンポはない。一筋の風が泥まみれの頬を撫でる。入り口はもうすぐだ。

「少し休もうか?」

落ち着かないドワーフを察しリリースターは傍らの岩石に腰を下ろし、「おいで」と赤いマントの下から直肌の両手を広げ言う。ドワーフはてこてこと倒れ込むようにその両手をくぐり地べたに膝をつきリリースターに潜り込む。二筋の風がリリースターの腕とドワーフの泥まみれの首筋を撫で、洞窟の奥へと遠ざかる。その奥の宝石達の綺羅色はアドリブを超えたクソやかましい雑音セッションを鳴らし、互いが互いを押し潰し、著しく共鳴し、ぶつかり合い、溶けあい新たな綺羅色を生成し、戦争の様な狂宴を見事に開催してはいるが風の入り口近くの二人には欠片も届かない。

「怖いのね」

「ああ」

「やめにする?」

「もう少し考えさせてくれ」

リリースターの胸の香りを吸い込みながらドワーフは百秒黙り込み言う。

「なあリリー」

「あら、そう呼ぶの初めてね。悪くないね」

リリースターは自分の胸に赤子のようにうずくまるドワーフのハットを脱がし、泥にまみれた髪を梳かしながら微笑む。

「俺はさ、ドワーフの王なんだ」

「そうなの?地下帝国って王政なのね」

「帝国どころか集落ですらないよ。でもどんな小さなものでも組織には長が必要だろ?」

「そうね。人間の世界もそうだわ」

「それはわかってるんだ。秩序は必要さ。混沌としていてはすぐに滅んじまう」

「そうね」

「でもな、ドワーフはもう俺だけだ。皆死んじまった。孤独なくせに王様なんて、なんとも頓狂な生き物だろう?」

「いつの話?」

自虐めいて呟くドワーフの疑問符には答えず、優しく髪を梳かしながら緩やかにリリースターは尋ねる。

「10年くらい前かな。昼も夜もないから時間はあやふやだけどな」

「じゃあ10年間もあなたは暗い地の底で一人で生きてきたの?」

「そうだな」

「辛かった?」

「いや、そういう感覚はもとから無かったから平然さ」

洞窟の奥の宝石達は諦めたように、或いは願いが届いたかのように照度を下げ、穏やかにたゆたう。けれど、その眩い光は出口から吹きこむ風に妨げられ、二人には届かない。

「なんの為に生きていたの?」

「それなんだよ。守るもんもないし、向かうところもない。なんのために生きてきたのか。出口に、いや入り口か。入り口に向かって歩きながら、お前の姿を眺めながら考えた」

「あたしに答えが?」

ふふふと理解出来ない言葉に微笑みながらリリースターは尋ねる。

「ああ、あった。リリースター、俺を忘れないでくれ。俺達を忘れないでくれ。忘れられるのは悲しいことだ。でも誰かが忘れないでいてくれたなら、それは永遠さ。この感情はなにかな」

暗い暗闇の中で、しかし孤高に世界を生きてきた生物が、哀願するように言葉を発する。唯一光を発する宝石群のお宮で、生命が詰まりそうな程の長い暗い時間の中を独り孤独にたたずんできた目の前の生物の姿を想像し、リリースターは言葉に詰まる。

「だからリリー、俺達の事を忘れないでくれ。泥まみれで汚い、光を失ったクソみたいな種族だけど、俺達のことをドワーフという存在がこの世界にはいたことを忘れないでくれ」

「ドワーフの事なんて知らないわよ。でもあたしはあなたを忘れないわ。あたしはあなたの事を決して忘れない。だから泣かないで」

「泣かないでってそりゃあお前だろう?俺は男でしかも王様だぜ?泣くわけがないだろう?」

「さっき泣いてたくせに」

「ははは、お前は本当賢いな。放つ言葉のタイミングが絶妙だよ」

「でもひとつ問題があるのドワーフさん」

「なんだ?」

「あなたの名前は?」

「ああ、言ってなかったな。ルッポだ。ルッポ・スプーキー」

「ルッポ。ふふっ火つけ石みたい」

風が3筋、ルッポの襟首とリリースターの左耳と左腋をさわさわと撫で上げ、奥には向かわず消え去った。

「じゃあルッポ。ここでお別れね」

「ああ。見送るよ」

風の入り口に向かい43m手を繋ぎ並んで歩いた。

「また会いにくるわ」

「また見つけるよ」

少し陽光が差し込む風の入り口手前でルッポは立ち止り、リリースターは上り坂になっている出口をゆっくりと進む。

出口間際で振り返り傾斜上で手を振るリリースターの姿に太陽の光が入り込み、その横顔は何かの中世の絵画かな、ひどく綺麗で、望んでいた光景を得たとルッポは思った。この感情は、この感情が、愛なのだろうか。美しい。美し過ぎて、自分すら好きになっちまいそうだ。


風が筋などわからないほどブワっと吹き抜け、リリースターの香りを運びながら洞窟の奥へと一直線に向かって行った。

初めて受けた地上世界の風に微笑みながら、ルッポは存在して初めて所作は知らないが無形物に祈りを捧げる。薄汚れた青いマントのポケットの中には砂利ばかりで、クロスもなにも入ってはいなかった。


風よ、どうかその香りを保ったまま、宝石達の場所まで届いてくれ。叶うなら、しずかに永久に。



                サンダーバード  

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サンダーバード 円窓般若桜 @ensouhannya

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