悪徳魔女から転生した俺はイモでこの国を滅亡に導きます

あめみや飴

第1話 異世界トリップ

 俺の母は料理上手で、おやつはいつも手作りだった。

 小学五年のある日、友だちの家で食べたポテチのうまさに、雷に打たれたような衝撃を受けた。それ以来、三食ポテチを食べることが、人生のすべてを投げうってでも成し遂げたい目標となった。

 それまで世界征服を目標にしていた俺は、自ら進んで学習塾に通う子どもだったが、労力の全てをポテチに向けるようになったのだ。


 ……話は逸れるが、世界征服をしたがっていたのは俺ではない。俺の前世だと言い張って、俺の頭の中であれこれ騒いでいる女の希望だった。

 女いわく、自分は悪行の限りを尽くして神に放逐された大悪徳魔女サラマンディアであり、魔法のないこの世界に転生してしまったのは神からの罰なのだという。

 俺の人格の一部にこの魔女がいるような感覚で、この魔女がやりたいことは、俺も同じようにやる気になった。

 世界征服するならば資本は必要だ。がっつり金を稼げた方がいい。そのためにこの世界の勉強をしたいと魔女が願えば、俺も学習意欲が湧いた。


 俺はとても善良な両親に恵まれていた。

 ひとりきりで頭の中の『まじょのおともだち』と物騒な話題で盛り上がり、あげくに自分の前世は悪徳魔女で、将来的に世界征服をしたいと目を輝かせる俺を邪険にすることなく、

「周りの人が怖がるといけないから、それはお家の中だけの秘密にしようね」

と生きる知恵を授け、大事に育ててくれた。

 結果的に、俺は大人顔負けの本を読み、己から勉強をするよい子になっていた。

 小池さんちの未央(みお)くんは末は博士か大臣だと、ご近所でも神童の誉れをうけていたのだ――ポテチを一口食べるまでは。



 話を戻そう。ポテチが重要だ。

 パリパリの軽やかな音とクリスピーな触感、あの薄さにも関わらず感じるイモの甘さと塩っ気の絶妙さ。

 塩だけで既にレジェンドレベルの旨さにもかかわらず、チョコレートであろうと焼きまんじゅうだろうと、いかなる味付けも受け入れる無限大の可能性。

 驕りを知らない、ガンジー並みに寛容な姿勢には、感激しかない。

 衝撃を受けた俺は、小遣いもお年玉もすべてポテチに変えた。


 常識的だった両親から、すぐに一日一袋という制限がかかった。

 世界征服を目指していた俺が、そんな『お約束』に縛られるわけがない。

 同じ一袋ならば徳用大袋、一袋にまとめられている五パックセットもカウントは一だと主張し、異常なほどの情熱と蛇のような執拗さで説得し続けた。疲労した両親が良識を手放すまで。


 食べに食べた。もはや世界征服どころではない。

 頭の中の魔女も、俺同様ポテチに酔いしれた。

 『ポテチうまい』という意識以外、何も示さなくなり、いつしかその意識すら俺のポテチへの情熱に埋もれた。

 俺は女の存在を忘れ、日々はポテチで埋め尽くされた。

 善良な両親は、勉強も読書もしなくなったが、おかしな独り言も壮大すぎる夢も語らなくなった俺に心底安心したようで、よりいっそう愛情を持って育ててくれた。


 ポテチに恋焦がれて十年、俺は高卒フリーターという自由を手に入れ、ポテチ三昧の日々を満喫していた。

 両親は、まともに育った俺に大変満足したようで、夢だった田舎暮らしをするために、長野の田舎へ二人で引っ越していった。

 バイト代から電気ガス水道代と固定資産税及び自治会費を支払い、あとはこころゆくまでポテチを味わう最高の日々だ。


 スーパーのバイトが終わると、じゃがいもを買って家路を急ぐ。新ジャガの季節がきたので、今日は手づくりポテチを作るつもりだ。

 ちなみに日本のじゃがいもの八割を産み出す母なる大地(北海道)にはポテチ用の品種がある。

 加工専用の品種は、皮が剥きやすく薄くスライスしやすく、なおかつこげにくい。

 このイモの生産を巡っては、種イモを牛耳る農業協同〇合とスナック菓子会社との激しい攻防と驚愕和解の歴史があるのだが――

 え? 興味がない? 

 仕方ない。また今度にしよう。

 さて、今夜は男爵を岩塩でシンプルに、味や見た目の差も含め味わうつもりだ。新ジャガを味わえる喜びに、期待で胸を弾ませながら歩いている途中、不意にめまいに襲われた。

 よろけてもつれた足が車道へはみ出る。クラクションと同時に、目の前にトラックの鼻先が迫った。

 これってもしや死ぬパターン? ――と思ったところで目が覚めた。



 満月の明かりが眩しい。ぼんやりまぶたを開けているうちに、月は大きな窓越しに見えていたものだと分かった。

――どこだ、ここ? 俺、どうなった?

 手のひらを握る。手はある。足の感覚もある。身体も痛くないし、どうやら助かったらしいと胸をなでおろす。

 周囲を確認しようと、仰向けに横たわったまま首を回す。

 どっと周囲からどよめきが起こる。

 人の気配に驚き身を起こすと、薄暗がりの奥でうごめくいくつもの人影が見えた。

 俺の顔を照らすように、ランプを手にした男たちにぐるりと囲まれる。彼らは一様に白いローブを羽織っている。

 おかしな宗教の集いに紛れ込んでしまったのだろうか。


 異様な雰囲気に身を竦ませていると、ランプがずいとこちらへ押し出された。

 眩しさに俯けば、尻の下はアスファルトではなく黒い大理石が敷き詰められ、白で魔法陣のような模様が書かれていた。

 俺を囲むランプの輪が切れ、間から誰かが進み出る。


「お前が私の妃となる救国の乙女か?」


 落ち着きと張りのある女性の声が響く。

 彼女の声とともに人々は口をつぐみ、緊張を漂わせた。

 彼女が手を軽く上げたと同時に、俺を照らしていたランプが高い位置に掲げられる。俺を照らしていた明かりが広がり、周囲が見渡せるようになった。

 見上げると、不思議な銀色の髪を腰まで伸ばした美女が立っていた。薄紫の瞳が俺を無表情に見下ろす。


 たくさんあるボタンでぴっちりと纏った白いロングドレスは、チャイナ服に似たシルエットで、裾が狭い。

 彼女が大きく一歩進み出ると、大きく張り出た胸がふるりと揺れ、太ももまで入ったスリットから白い脚が見えた。

 肩に羽織った深い青の上着にはピカピカした勲章みたいなものがたくさん並んでいる。青い布地へ細やかな蔦の刺繍が金糸で縫われ、布地全体を上品に飾っている。

 王様みたいに偉そうな女性は俺より10歳ぐらい年上に見える。初々しいとは真逆の手練れ感がある。

 視線を集めることに慣れているのか、俺からまじまじと見られようと平然としている。見下ろす目には自信がうかがえ、うっすらと笑みを浮かべる姿は神々しい。

 まったく親しみを感じないタイプの美人というか、棘だらけの高嶺の花という言葉がぴったりだ。

 一瞬、黒のボンデージで男を踏みつける姿を想像してしまった。

 なぜだろう……俺にマゾっ気はないはずなのだが。

 いまムチで打たれたら、ありがとうございます女王様と叫んでしまいそうだ。マゾっ気はないのに、考えただけでぞくぞくしてしまった。


「お前……ふむ。そうか、面白いな」

 何か言いかけた彼女は、尊大そうな瞳をすがめ、片頬で笑う。

 シニカルな仕草も絵になる。やはり、誰かを踏みつけるのが似合いそうだ。

 俺と彼女の間へ、腰の曲がった老人がよろよろと進み出る。白いローブを着たお爺さんは口元を抑え、声を震わせる。

「このお方が救国の乙女……? よく見れば乳があるように見えるが、よくよく見れば顎にうっすら髭が生えているではないか……わしは失敗してしまったのか……」

 嘆きとともに、老人が膝から崩れ落ちる。

 周囲を囲むように立ち並ぶ、ランプを掲げていた人々が魔術師長様と叫び、その老人を支えた。

 その集団の中でひとりだけ、長老に駆け寄らず、小さく咳込んでいる女がいた。青白い顔をしている。

 その女は顔を上げると、静かな怒りをたぎらせた眼で俺を睨んだ。失望ではなく、はっきりとした怒りが窺えた。


 タイミングをはかっていたかのように、一斉に壁際にかけられていたらしいランプが点けられる。どうやらここは聖堂のような広い建物らしい。

 明かりとともに、どよめく声が一気に耳に入ってくる。

「なんてことだ。もうだめだ」

「この国はおしまいだ」

「どうみても乙女じゃないだろアレ」

 観客のように暗がりの奥に立っていた人々が、一気に嘆きだす。

 皆、やたら渋い顔をしているのが分かる。

 主要キャラ感出しまくりの銀髪美女だけが余裕たっぷりにニヤリと笑っていた。


 俺を指さす人々はほとんど男性で、インドやパキスタンの民族衣装に似たものを着ている。女性も少しいたが、彼女たちの服装は中華とヨーロッパをミックスさせたようなワンピースで、どの国のコスプレをしたいのか分からない。


――なんの撮影だ? 金を持て余す誰かが一般人をだまして遊んでるのか?

 立ち上がり、ふらふらと歩きだす。

 人々は逃げるように下がり、俺へ道を譲った。

 月が見えた大きな窓の下には、庭へ面した窓が並び、そのまま外へ出られるようだ。

 窓は見慣れたアルミサッシではなく、木枠だ。

 自らノブに手をかけて推し開く。

 夜風が吹きこむ。嗅ぎなれた排気ガスではなく、高原に旅行へ来たかのような冷涼で心地よい空気だ。

 誰の悪ふざけか知らないが、勝手にずいぶんな距離を運ばれてしまったらしい。外へ出ると、美しい星空と満月が目に入った。


「……月、デカすぎない?」

 俺の知っている月より二倍は大きい。

 明るい月に照らされた地上には、レンガ作りの街並みがずらりと並んでいた。

 ここは高台にあるらしく、街並みがどこまでも続く景色が見渡せた。

「本物? ウソなら金かかりすぎだし、まさか……」

 背後では囁く声の合間にすすり泣きが聞こえる。

「長老さまの召喚魔法が失敗するなんて……うぅ……」

「救国の乙女がいなければこの世界は破滅だ」

「乙女どころか、そもそも我らと同じ人間なのか?」


 振り返ると、人々が困惑した顔で俺を見つめていた。

 その顔つきはアーリア系のような彫りの深い顔立ちもあれば、東洋人っぽいあっさりした顔もある。それでいて、統一感があるのは、誰もが細身の身体つきなせいかもしれない。

 日本の中じゃ、すぐに埋没してしまう地味な俺だけが馴染めていない。

 ここで一番立場が高いらしい銀髪美女が庭へ降り立ち、俺へ向かって言い放つ。

「我らの都合でお前を召喚してしまい、すまない。元の世界に返してやれない代わりに、王たるこの私がお前の一生を面倒みよう」


「……マジかよ」

 トラックにひかれなかったのはありがたいが、代わりに異世界トリップしてしまったらしい。

 ショックのあまりめまいがした。その場に膝をつくと、たぷんと腹が波打つ。

 冷や汗なのか、十メートルちょっと歩いたせいなのか分からないが、額に汗が浮かんだ。

 常人の数倍もの腹回りを持つ身体全体が汗ばんでいるから、歩いたせいかもしれない。こめかみを伝う汗を、首に掛けたタオルで拭う。

 百七十センチ、百二十キロ。

 現代社会でとことん育てた肥満体は、この世界では浮きまくっていた。

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