ころされた私のキロク

アカツキユイ

ころされた私のキロク

「おや、アリスちゃん今日もかい? 忙しいねぇ〜」

「おじさん、お久しぶりです。最近はお父さんが忙しいから、私が手伝ってあげなきゃいけないの」

「そうかそうか。牛乳狩りも大変なもんだろう? 私だって昔は元気に配達をしていたもんだ。懐かしい思い出さ。子供時代で覚えている唯一の思い出かもしれんなぁ…………」

「…………。」

「————さて、せっかくだし、1本もらおうかな。いくらだい?」

「どうもありがとうございます!5フランちょうどです」


 誰もかも、大人は口を揃えてこう言う。子供時代の記憶なんぞ鮮明に覚えちゃいない、と。また、ある大人はこうも言う。子供時代の思い出なんてほぼ全部忘れてしまった、と。

 なんて悲しい発言なのだろう。子供の頃に過ごした時間は紛れもなく宝物なはずなのに、そんな思い出を台無しにしてしまうだなんて、私には想像もできなかった。


「アリスちゃんだってそのうち忘れてしまうさ。人間ってのは、全部の出来事を覚えていられる生き物じゃないんだよ」


 おじさんはそう言うと、農作業に戻るのか、ゆっくりと畑へ向かっていった。その背中に大人としての頼もしさは無く、明け方の澄んだ空気の中で太陽に照らされた、ただぼんやりと情けない後ろ姿が映った。



「マリーちゃんだってそう思うでしょう?」

「そうねぇ…… 今過ごしている時期が無駄みたいになっちゃう、ってのは確かに寂しいことかもしれないね」

「その通りよ! 私は絶対そんな大人にはならない。これからもずっと、今の思い出をはっきりと覚えていられる大人になるんだから」


 大親友のマリーちゃんは私の相談にいつも乗ってくれるとても優しい人。牛の乳搾りや牛乳配達・販売をする仕事を牛乳狩りと呼ぶようになったのも彼女が始まりだ。"この集落にとって牛乳とは必要不可欠なものであり、原始人の『狩り』と同じくらい生活に密着している"という思いを込めたんだそう。

 今日も牛乳狩りを終えた後、いつもの丘のてっぺんに座って一緒に話をしていた。


「そうは言ってもさぁ、全部の思い出を覚えておくだなんて、無理じゃないのかな」

「そんなことないわ! ……と言いたいけれども、それもそうかもしれないわね……」

「うん。アリスちゃんの言うことも分かるけども、おじさんの意見だってもっともだと思うの」

「思い出を忘れずに済む方法さえあれば、というわけよね」


 日記。その瞬間浮かんだアイデア。


「覚えていられない思い出も、こうして日記に書いておけば、いつでも思い出すことが出来るじゃない!」

「日記……なるほどねぇ」


 子供の頃の思い出を無駄にしない方法。それは日記に思い出を書き残しておくことだと思いついた。こうして楽しかったこと嬉しかったことを"キロク"していけば、その思い出は永遠に消えることはない。


「そうと決まれば早速今日から始めましょう! 私、お父さんから帳面を貰ってくるわ」


 私は立ち上がり、丘を駆け下ってお父さんの今の仕事場である工場へ向かった。距離は半リューほどしか無いので、往復するだけならどうってことはない。

 いつも忙しいと言っているお父さんを無理やり呼び出して、帳面が一冊欲しいと頼み込んでみた。お父さんはやれやれと言った表情で、工場の事務部屋にある手帳を一冊くれた。(後から考えると無謀なお願いだ。優しいお父さんで本当に良かった)


『5月20日。今日は牛乳がりをした後、マリーちゃんとおはなしをした。それからお父さんの工場へ行って、日記ちょうをもらってきた』


「まだお昼過ぎなのにもう今日の日記を書いちゃうなんて。よっぽど楽しみだったんだね」

「楽しみだったに決まってるじゃない! これで毎日の出来事がどんどん積み重なっていくのよ」

「日記に書かれるって、恥ずかしいもんだなぁ……」



 私はそれから毎日日記を書き続けた。その日の天気、出会った人、出来事、気持ちも隅から隅までとことん。キロクした日記が増えていく度に、思い出の積み重なりを感じた。


「おや? アリスちゃん、最近妙に元気じゃないか」

「おはようございます、おじさん。私、最近日記帳を書いているんです」

「日記か〜。さてはこの前の思い出の話に影響されたな……? ハッハッハ」

「ええ。まさに。日記があれば思い出はいつでも残りますもの」

「そうかいそうかい。それは結構なことだ。アリスちゃんは賢いなぁ」


 今日のおじさんは(今まで通り頼もしさこそ無かったが)とても温かい眼差しを向けてくれた。話を終えて畑仕事に戻るおじさんの後ろ姿は————今日はなんだか悪い気はしない。


「今日も牛乳、頂くよ。5フランかい?」

「今日は5と半フランなんです。ごめんなさい」



 いつか日記帳が全て日記で埋まったら、お父さんにまた新しいものをお願いしてみよう。そしてまた書き続ける。書き終えたらまた新しい日記帳に書く。そのうち帳面が積み上がるくらいになったら、本棚を作ってそこに飾ることにしよう。日記が増えれば、日記帳が増えていく。日記帳が増えていけば、本棚も増えていく。そして大人になる頃には、私の日記帳を集めた図書館を開くことにしよう。みんなに私の日記を読んでもらえば、私の思い出を分かち合うことだって出来る。あぁ、夢が膨らんでいくなぁ……



 ある日、私は窓際にいつもの日記帳を置いて眠っていた。月明かりに照らされて煌く表紙を見ると、今まで書いた私の思い出までもが光り輝いているような気がした。——少なくとも————確かにベッドに入るときは綺麗な月が出ていたはずだった。


 ————!!


 ……急な雷の音で目が覚めた。窓の方を見れば、月明かりに照らされていたはずの家の外は土砂降りになっていたのだった。


「私の日記帳が……!」


 思わず口に手を当てて窓のほうを見た。開けっ放しの窓から大雨が吹き込み、窓際に置いた日記帳は濡れてぐしゃぐしゃになっていたのだ!


「そんな…………今まで書いた日記帳が台無しに…………何もかもが…………ぐちゃぐちゃで…………私の…………キロクが…………」


 今思えば、このとき私が感情を取り乱さず冷静になっていれば、未来は変わっていたかもしれない。でも、……抑えきれなかった。今までワクワクして積み上げてきた物を一瞬で台無しにされた。生まれて初めて感じたショック、恨み……恨み。誰に向けたら良いのか分からない、恨み。

 ずいぶん長い間雨に濡れていたのだろう、今まで書いたページは滲んで読めなくなってしまうほどの酷さだった。インクは隣のページへ写り、雲がかったように灰色に染まっている。

 そしてこの時思った。私が日記帳に書いたキロクは必ずしも残るとは限らない。無くならないように守らなければ。私が書いたキロクは私自身で守るもの。いつまでも残るように、大切に、大切に守らなければ。


「私の思い出は、絶対に誰にも消させないんだからっ……」



 次の日、私は朝一でお父さんに頼み込んで新しい帳面を用意してもらった。お父さんはいつにも増してきょとんとした顔をしていたが、そんな事を気にしている暇は無い。

 その新しい日記帳に、昨日以前の出来事を思い出せる限り頑張って書こうとした。もちろん昨日の失敗も含めて。

 ————だが、日記を書くことはほとんど出来なかった。以前にどんな事が起こったのかが思い出せなかったのだ。私は確かに今まで毎日日記を書いてきたはず————それだけは間違いない。その日過ごした内容だけがすっぽり抜け落ちたかのように、私の毎日は空っぽの箱と化していた。今まで毎日のように積み上げてきたなんの面白味もない箱は、たった少しの衝撃を受けただけで、全て崩れて台無しになってしまう。これじゃダメだ。もっと、もっと重みのある何かを。


「日記の内容を、もっと細かく、鮮明に……」


 あぁ、なんて愚かなのだろう。


「今までの思い出が思い出せないのは、きっと日記をきちんと書いていなかったからだわ」


 選択を間違えていたあの時の自分を恨みたい。


「そうだわ。絵日記にすればいいのよ! そうすればもっと綺麗で楽しい思い出が書けるはず」


 なぜあの時に気づくことができなかったのか。本当に馬鹿馬鹿しい話だ。



 その日から始まった私の"強い"日記帳は、どんな事があっても無くならないように、丈夫な木の箱に入れて、必ずベッドの側に置いておくことにした。出かける時は必ず日記帳を持っていくことにした。朝から晩まで、日記帳は肌身離さず自分の側に置いておきたかった……


「アリスちゃん、最近あまり見かけなかったけれども、どうしたの……?」

「な、なんでもないの…………。 それよりマリーちゃん、見てよこの完璧な日記帳を!」

「日記帳……? うわぁ、毎日こんなにびっしり書いていたの!?」

「そうよ。私のキロクを本当にきちんと残しておくために、こうやって事細かく書いているの」

「『朝食はこんがり焼き上がったパンにフルーツ、そして牛乳』……。よほど細かく書いているね……。それに絵まで!」

「毎日描いていくとだんだん綺麗に描けるようになっていくものなのね。自分でもびっくりしちゃった」


「おや、アリスちゃんじゃないか。久しぶりだね」

「あっ、おじさん、おはようございます」

「最近は牛乳狩りの手伝いはしていないのかい?」

「い、いえ、それはその…………もっと大事な用事があるので!」

「大事な用事、か。そうかそうか、それは大いに結構! 牛乳狩りよりも優先するだなんて。よほど大事な用事なんだろうなぁ。ただし、お父さんやお母さんには迷惑をかけちゃ駄目だぞ? 牛乳配達だって大事な仕事だ。いくら担当の子がもう一人いるからって、いつも任せてちゃ仕事が回らなくなる。特にお前の家はお父さんお母さんで共働きだから、一人でいる時間も多いことだろう。その分、一人でもしっかり仕事をこなすようにならなきゃな」

「分かりました」


 この時の畑仕事に戻るおじさんの後ろ姿は、よく覚えていない。どうしてだろう。



 あれから一ヶ月。気がつけば1日のほとんどが、日記を書いて眺めての繰り返しになっていた。目的に執着しすぎて他の大事なことを疎かにしていようなんて事実には気づくこともなく、ただただ自分自身に起こった出来事を全て全て永遠に残しておくために、我も忘れて筆を動かす毎日。

 マリーちゃんはそんな私を心配してくれたのだろう、時折私の家に来てくれた。"日記に執着しすぎて、大切なことを忘れているんだよ!"そんな言葉もかけてくれた。私は聞かなかった。それでもなお家に篭り続けて私の"キロク"を作り続けたのだった。


「無理ね」


 マリーちゃんは何度も何度も来てくれたが、私は何度も何度も拒否し続けた。両親の心配すらも押し除けて引きこもってしまった。

 ……この時の私に、もはや理性なんてものは無かったのだと思う。キロクを残したいという目的に執着しすぎて————絶対化しすぎて、本来目指すべきものを見失っていた。抑えきれない感情に耐えきれなくて、自分勝手に作り出したルーペ越しにその感情を覗き込み、中身だけ見て、全てを解ったつもりでいたんだ。



 その日はついにやってきてしまった。

 

 あの日と同じような、雷の鳴る土砂降りの夜。


 家の窓はきっちり閉められている。打ち付けられる雨の音は少々鈍く、あまり気に障るような音ではない。


 そして、いつものように箱に入れてある日記帳。


 私にとっては何事もないとある日の夜のはずだった。




「!!」


 静けさの中に乾いた扉の音が響き渡る。その音を確かに聞いた。


 目が覚めた。足音を聞いた。相当な急ぎ足に聞こえた。


 脳裏に思い浮かんだ勘は鋭い。急いで日記を置いておいたベッドの下を覗いた。


「……………………無い!!」


 そこには中身の無い空の木箱だけが残っていた。

 目を擦る暇も惜しんで家を飛び出した。


 日記帳を盗られた。

 滝のような雨の中、丘の向こう側に見えたのは、誰かが全速力で逃げていく影。逃すまい。

 遠ざかろうとするその影を、私は無我夢中で追いかけた。何が起こったかも分からないままなのに、走らないといけないと心の中の誰かがそう叫んでいる。狂気に満ちた無感情の体。ただ自然に湧き起こる訳もわからぬ怒りだけを道しるべに、目の前の獲物を狩る。


「返せ………………返せ! 私のキロクを盗ろうだなんて事は何がなんでも許すわけにはいかない!!」


 限界も知らずにいつまでも追い続けると、標的はそのうち速度を落とし、ついには濡れた地面に足をすくわれて転倒した。木箱を持ったまま倒れ込んだその体は、もう立ち上がろうとはしなかった。

 獲物に飛びかかる勢いで近づくと、その手には確かに私の日記帳が握られていた。あの人同じように……いや、あの日よりも悲惨に、土砂降りに痛めつけられて濡れていた。それに加えてよほど強く握られていたのだろう、日記帳はくしゃくしゃになって原型をとどめていない。そのシワには何か強い思いが込められている気がした。


「アリスちゃん……! おかしいよ……! あなたはおかしくなっちゃってるの……まるで日記に取り憑かれちゃったみたいにさぁ!!…………ぁぁぁぁ…………」


 涙ぐんで訴えかけるその声は私が一番聞き覚えのある人のものだった。ずっと一緒にいた私でさえも、彼女の泣きべそは今まで一度も見たことがなかった。

 ————マリーちゃんだった。


「日記を台無しにしてくれた奴が、よくもそんな事を……!」


「アリスちゃん! お願いだから目を覚まして……お願い………… どうしてそんなに日記に執着しているの……っ!」


「私はキロクを残しておきたいだけなの! …………それが私の生き甲斐なの! 今までの私が生きてきたという事実をただただ無駄にしたくないだけなのに、したくないだけなのに…………したくないだけなのに!! それなのにマリーちゃんはそんな私の日記を全て台無しにして!」


「ねぇ、2人で一緒にタンポポを見に行った事……あったでしょ……? あの時アリスちゃんは悩んでいる私を見て相談に乗ってくれたり、励ましてくれたりした…… あの時のアリスちゃんはどこに行ってしまったの…………」


 すると自分は怒りに任せて叫んでいた形相を変え、酷薄で狂ったような笑いを見せる。


「ふふふ……その思い出もきちんと日記に書き残してあるんだから。この日記帳を見れば全て鮮明に思い出せるはずだったのよ」


「待って………………今、 思い出せるはずだったって、言ったよね………… ————まさか、覚えていないって言うの?!」


「日記があれば思い出せた……それだけのことよ…………こんな酷い姿になった今の日記じゃ、そんな事も出来ないけれども……ふふふ……」


「そんな…………」


 彼女は思わず泣き崩れた。まるで今までの彼女の全てを壊されたかのように。うずくまった彼女を、容赦ない大雨が打ち続けている。


「私がアリスちゃんに期待していたのはキロクなんかじゃない……私と一緒に過ごしてくれた、キオクが欲しかったのに…………」


「キオク? 何のことかしら?」


「思い出はキロクすることだけじゃない……自分で覚えているからこそ価値があるものなのよ…………ただ、ずっと昔の、曖昧だった記憶を思い出したいなんて思った時に、ふと開くものであって欲しかった…………」


 彼女の口から、それ以上は何も出て来なかった。

 言葉も声すらも出ないほど感情が喉の奥で詰まっていたらしい。それでもしばらくして、最後の力を振り絞って、涙を拭って、


「私はアリスちゃんを助けないといけないから…………!」


 ————自分の使命を果たしに行くかのように、日記を持って駆け出した。

 不意を突かれた私は、少し遅れてその後を追いかける。向かう先は大体分かっている。この丘を登った先に険しい崖があることを私たちはよく知っていたから。



 雨は依然として降り続き、地面のぬかるみはだんだんとひどくなっていった。なかなか獲物に近づけない。

 彼女にもうすぐ追いつく、そう思った頃、ちょうど崖の手前まで来ていた。彼女が何をしようとしているか分かっていたから、何としてでも捕まえたかった。例えボロボロになってしまった日記でも、取り戻したかった。でもあと一歩及ばなかった。

 いち早く崖の先に着いた彼女は、追ってくる私の姿など見向きすらせずに——————



 私の日記をその崖の下に向かって投げ捨てた。



 私もすぐに追いついたが、よほど険しい崖だったのは知っていた。日記は崖の下の暗闇に消え、もうその行方は分からない。

 彼女は私と日記の縁を完全に切りたかったのだろう。読めないほど台無しになっていた日記でさえも、こうしてきちんと私と切り離そうとした。中身はどうであれ、そのモノへの執着を無くして欲しかったのかもしれない。

 叫ぶ声すら出なかった。感情のコントロールなんて出来るはずが無かった。生き甲斐を失った私の怒りは既に最骨頂を超えてオーバーヒートしていた。


「もう……もうあなたとは友達なんかじゃないわ この、私の人生を台無しにしてくれた憎き獲物めが」


 その一瞬一目散に飛びかかって、勢い任せに体をどんと押した。バランスを崩した彼女はそのまま後ろへ倒れゆき、そのまま暗闇へ…………



 私は彼女を崖から突き落とした。



 落ちるその瞬間、何も報われなかったと悟った彼女の冷めきった表情は、生まれて初めて私に目に焼き付けられた。もはや魂すらもこもっていないような無表情。それを見て、やっとのことで目を覚ましたのだった。

 もう遅い。突き落とされた彼女は暗闇へと消えていった。崖の下は見えなかったが、大雨の音に紛れて鈍い音が聞こえた。全てが終わった。


 自分がやってきた数々の振る舞いは全て彼女を傷つけていたんだって、初めて気づいた。全て怒りで埋め尽くされていた心は全て剥がれ落ち、後に残った後悔と悲しみだけが溢れ出した。

 気づくことが出来なかった私は大馬鹿者だ。私は人殺しだ。私は極悪人だ。自分勝手な感情すら制御できなかったこの大馬鹿者めが……大馬鹿者めが……

 私の好きだったマリーちゃんはもうここには居ない。





 少し弱まった雨がしとしとと降り続く音が妙に寂しく降り続いていた。その場で膝から崩れ落ちた私はショックで何も出来ずにいたのだった。


「もう、誰にも顔向け出来ない……」


 私は心に決めた。このまま罪を背負って生きるなんて事は私には出来ないと思ったから。

 元々マリーちゃんの居た崖の端に立ち続けると、妙な悪寒が襲った。けれどもそんな悪寒を感じることすら、罪であるかのように思われた。この悪寒を感じる暇すら与えられずに、殺された仲間がいたのだから。


「マリーちゃん…… やっぱりずっと親友でいたいよ……」


 体を前に傾けて、倒れゆく。これで全て、終われる。体が空を切って回転するのが分かった。落ちていくのが分かった。

 皮肉にも、死に際だともいうこんな瞬間に、今まで忘れていたキオクが全てフラッシュバックした。一瞬の出来事だったけども、思わず涙が出た。マリーちゃんが見ていたのはこういう世界だったんだ。


 ————そして今に至る。今まで語ってきたものは、私が今思い出したキオクの数々だ。

 私はあと5秒と経たぬうちに死ぬ。こんなんになってからでないと私は普通に戻れなかった。私は醜い人間だ。こんな私でごめんなさい…………お父さんにお母さん、牛乳狩りを一緒に手伝ってくれた仲間、近所に住んでいたみんな、仲良くしてくれた友達、そして、マリーちゃん。

 "期待していたのはキロクなんかじゃない"…………か。日記を書いている私は一文字たりとも誤字を残すはずが無かったのになぁ…………。



 鈍い音は静かな雨の中に解き放たれた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ころされた私のキロク アカツキユイ @AKATSUKI_str

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ