閑話 背後には……

 ここは、ミーテレーノ伯爵領の町にある一軒の家。

その家の中では、一人の女性が苛立たしげに鍋をかき混ぜていた。


 「ほんっとに嫌になるっ!ただでさえカンムッシェルが封鎖されて北へと迂回しなけりゃならないってのに、市場からシットリラディースがごっそり無くなってるなんて!!」


 そこへ、一人の男性が小さくだが怒気を含んだ声で「カンムッシェルという名を口にするなっ!」と話し掛けてきた。


 「ミースムシェルという名に変わったんだぞ。いつまでも前の名前を使って怪しまれることになったらどうするつもりなんだ。気をつけろ!」

「……悪かったに。だけど、別に誰も聞いちゃいないさ」

「それでもだ。田舎の町中だとはいえ、外患誘致で潰された話は皆知ってるんだぞ。……俺たちの仕事はシットリラディースのジャムを届けることなんだ。代わりの人員を追加するには状況が悪過ぎるんだから、下手なことは出来ない」

「分かってるに……」


 彼らは随分と前からここで暮らし始めた帝国の間諜なのだが、怪しまれないように夫婦を装い、子供まで作っているのだが、その子供たちは既に成人して家を出ているため、ここには夫婦二人しか住んでいない。


 今までは、元カンムッシェル辺境伯領から帝国へ秘密裏に入れたため、他の間諜がここまで取りに来て運んでいたのだが、外患誘致がバレて取り潰しになり完全に封鎖されてしまったので、帝国と国交がある北西に位置するエントーマ王国を経由して、遠回りをしなければならなくなったのだ。


 帝国側から王都に潜ませていた他の間諜がほとんど捕縛されたことを受けて、しばらくは人員を送れないという連絡があったのだが、今までと同じようにジャムは送れと指示されている。


 「エントーマを経由しなきゃなんないから、陛下の御膳に並ぶ頃には随分と日が経ってしまってるに」

「仕方がない。ミースムシェルには王弟がいるんだ。それをかいくぐって帝国へ入るなど危険すぎる」

「何で急にこんなことになっちまったのかねぇ。今までは上手く行っていたのに」

「軟禁していた預言者とやらも忽然と姿を消したらしいからな。はぁ……、やはり先代のアラム殿がいなくなったのが痛かったな……」

「あんたこそ、滅多なことを言うもんじゃないにっ。聞かれたらどうするんだよ……」

「すまん……」


 先代のアラムとは、シルトクレーテ伯爵領の「藪の中ダンジョン」の入り口を封印するために人柱となった歴代屈指の間諜である。


 衰退したダンジョンを封印するだけならばそれほどの労力は必要ないのだが、出来たての入り口を封印するためにはにえが必要だった。

それを先代アラムは、自身の肉体と魂を使って施したのだ。どれだけの執念がそこにあったのかが窺えるというものである。


 「でも、仕方がなかったに。人柱になれるほどの忠誠と信念と、執念を持っていたのは、あの人だけだったんだから……」

「まあな。……あのときのアラム殿の絶望と憎悪を忘れられねぇって、先輩が言ってたもんな」


 間諜となるために帝国が全てだと教えられ、余計な感情を持たないように育てられる帝国の犬。


 しかし、それでは社会にとけ込めないため、当たり障りのない社会性を持った性格を上書きされ、問題がなければ間諜として世に放たれるのだが、いつしか上書きされた性格が馴染んでしまうことがある。

それが忠誠心の薄れや愛国心離れに繋がることになるのだが、そういった間諜はアラムによって排除されてきた。


 帝国の間諜のトップに与えられる名が"アラム"であり、下に行くにつれて、イラム、ウラム、エラム、オラムとなり、先代アラムが人柱となったためにイラムが繰り上がりで当代アラムとなっている。


 何故、トップ直々に人柱になったのかというと、その時任務についていたメンバーは当時のイラム派が多く、アラムがいなくなればイラムが当代アラムになれると考え、人柱になることを拒否したのだ。


 帝国のためではなく自分たちのことを優先した間諜に絶望し、そんな考えを蔓延させた当時のイラムに憎悪を募らせた先代アラム。

その絶望と憎悪に染まった肉体と魂は、ダンジョンが美味しく頂いた結果、あの難易度とアイテムになったのだ。


 つまり、化粧品が出てくるのは先代アラムのせいである。


 小さく溜め息を吐くと鍋をかき混ぜていた女性は、「国のために動く者が少なくなったのが、今のこの状況に繋がってるんだろうけど」と言って、火から鍋を下ろし、後ろを振り向くと、そこには見知らぬ女性が佇んでおり、床には長年連れ添った相棒が転がされていた。


 帝国に情報とジャムを送るという仕事しかしていないとはいえ、彼らは訓練を受けた帝国の犬である。

気配を感じ取ることも出来ずに後ろを取られ、意識を刈り取られることなどありえない話だった。


 先程までのどこにでもいる中年の奥さんといった雰囲気を即座に取っぱらい、剣呑な目付きで目の前の女性を睨めつけた。


 「あんた、何者だに」

「うふふ、ピート……と言えば分かるかしら?」

「ピー、……ト?それが何だっていうんだ?」

「あらあら、動揺を隠せていませんよ?そこは、『それが何だっていうんだ?』でしょう?ねぇ、シャルドン?」

「なっ……、何故……」

「はぁ……、この程度の揺さぶりで取り繕えなくなるとは……。時の流れというものは残酷なものですねぇ?」

「そっ、ま、まさかっ、お、おおおお父ちゃんっ!?」

「私は今、あなたより若い女性です。お父ちゃんは止めなさい」


 お父ちゃんと呼ばれた女性はレベッカであり、目の前のジャムを作っていた中年の女性はピートに捕まった元帝国の仔犬で、彼によって二重スパイに仕立てあげられた過去を持つ。


 子供とはいえ、あまりにも不出来な間諜であったため、愛情たっぷりに接してやればコロりとピートに懐いてしまった残念な子であった。

この子が間諜として長く生きるには上を目指すのではなく、「誰にでも出来そうなことを一つだけ極める」ことであると判断したピートは、彼女にシャルドンという呼び名を与え、料理を教え、町中にとけ込む技術を叩き込んで、それほど重要ではないが手柄と言えなくもない情報を持たせて帝国へと戻らせた。


 涙を滲ませたシャルドンは、「お父ちゃんっ、お父ちゃんが死んだって。だから、だからっ、あたい、誰に報告していいか分かんなくてっ」と、レベッカピートに抱きついた。


 「さすがの私でも寿命には勝てませんからね。病だったとはいえ長く生きた方ですよ。シャルドン、私の死を誰から聞きました?」

「相棒……じゃなくて、そこで転がってる旦那だよ。彼の先輩は先代アラムが仲間に裏切られて人柱になったとき一緒にいて、『ピートが死んだ今、我がいなくとも陛下の願いは叶うだろう』って、それで自ら人柱になったんだけど、その時の先代アラムの絶望と憎悪が忘れられないとも言ってたね」

「なるほど。『お前のやり方では誰もついて来なくなる。いずれ独りになる』と言ったのですがねぇ。それも憎悪に拍車をかけたのでしょう」

「さすがお父ちゃんだね!お父ちゃんが戻ってきたから事態が好転したんだろう?」

「私の今の名はレベッカです。自身より年下の若い女性をお父ちゃんと呼ぶんじゃありません!フフフ……。柱や屋根の裏にピートありと言われた私ですが、今世ではなぁーんにもしていませんよ?」

「えっ、お父ちゃ、じゃなかった、レベッカは何もしてないの?」

「ええ、私も拾われただけですからねぇ。先代アラムの誤算は未来を軽視したことです。ピートがいないのであれば余裕だと思ったのでしょうが、何故、私以上が現れないと思ったのか……」


 過ぎたことを考えても仕方がないとレベッカは、シャルドンに荷物をまとめるように指示した。

やれと言われたことに疑問を持たないのが間諜なので、シャルドンもさっさと荷物をまとめだしたのだが、「おと……、レベッカ、旦那はどうしたらいい?」と困った顔で首を傾げた。


 「ふむ。消していくことが安全なのだが、とりあえず意見を聞こう」

「旦那は先代アラム派寄りの中立なんだけど、それは生き残るためであって、国に、帝国に忠誠を誓っているわけじゃないんだよ。まあ、だからこそジャム要員としてここにいるんだけど。命と生活の保証があれば寝返るよ?まあ、陛下の口に入るジャムを作る人員に忠誠のないのを使ってる時点で内情はお察しだけどさ」

「ならば連れて行くか。ここに置いておいても始末されるだけですからね」

「……何かあったの?」


 不安そうな顔をするシャルドンにレベッカは清々しい顔で、「帝国でクーデターが起こりましたよ」と宣ったのだった。



 


 






 

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