閑話 犬とケージ
アリエスたちがジオレリア王国へと向かっている頃、ハルルエスタート王国王都では継続して
カンムッシェル辺境伯が懇意にしている男爵家に養女として入り込ませた令嬢は、庇護欲をそそる愛らしい見た目をした少女で、養父となった当主からまともな教育を施されることなく、教えられたのは男を籠絡することだけだった。
下位の貴族家であれば礼儀作法があまり出来ていなくてもそれほど不審には思われず、ましてや養女なのだから無理もないと判断されるだろうということで、男爵家が選ばれたのだ。
成人を迎えていない貴族の少年たちにとって、目を潤ませて甘い声でそっと腕に触れてくるという行為は刺激が強かったようで、そこそこの人数が堕ちていった。
しかし、酸いも甘いも教育の一環として"おねえさま"方のところへ連れて行かれた子息たちだけは、それに嵌らなかった。
むしろ、婚約者や家族でもない異性の腕に触れたり、触れられる距離に近付くという行為に「はしたない」と眉を
最初は同じような爵位の下位貴族の子息ばかりを
養女だからと周囲の令嬢からイジメられているのだと涙ながらに語ると簡単に信じたのだが、「うちにも養女となった妹がいるが、君のような、アバ……なんだったっかな?アバタ?アバズレ?のような行動はしないぞ?それを止めれば仲良くしてくれる子も出てくるだろ」と、笑顔で教えてくれたのだった。
そのやり取りを後で聞いた公爵家子息の婚約者は、「
彼の義妹とは比べるのも
徐々に「おともだち」と言い張って
周囲は目を疑い、第一王子の頭を疑い、側近候補の子息たちには厳しい視線を向けた。「何故、お
甘い笑顔で男爵家令嬢に微笑み、高価なプレゼントを贈る第一王子に周囲は困惑と失望の目を向け、その婚約者には同情の目を向けた。
婚約者のいる異性との距離ではない、婚約者でもないのに身体に触れてはいけない、婚約者でもないのに愛称で呼ぶなんて、と、常識的なことを訴えかけているだけなのに、第一王子は婚約者のことを邪険にするようになった。
そのうち、第一王子と男爵家令嬢がいるのを見かけると淑女らしさもなくヒステリックに詰るようになっていき、取り巻きをしている令嬢たちも一緒になって男爵家令嬢を責め立てるようになったのだが、取り巻きをしている令嬢たちの婚約者が男爵家令嬢の毒牙にかかっていたのもあったからだろう。
そして、そんな日々が過ぎ、学園の卒業式がやって来た。
卒業式のあとには学園のダンスホールにてパーティーが開催され、婚約している女生徒は婚約者に、婚約者がいない女性徒は家族や親族にエスコートされて会場入りするため、エスコートする者に限り学園生でなくても出席することが可能であった。
その中に第一王子の婚約者はいなかった。
そのことに良識ある生徒たちは落胆し、令嬢をエスコートするために会場入りした大人たちは困惑していた。
そこへ、煌びやかでいて分不相応な装いをした男爵家令嬢が、異性を
あの中にもいないとなるとどこへ行ったのだろうか、婚約者も見当たらないし、と、落胆から困惑へと変わっていった頃に、会場の扉が
一体どういうことなのだろうかと思っていると、耳障りなキンキン声で男爵家令嬢が叫んだ。「どうして、そんな女をエスコートしてるの!?」と。
それに対して第一王子はエスコートしていた婚約者の腰を抱き寄せると、「あれだけ夢を見させてやったのに、まだ足りないのかい?なんと欲深いのだ」と、可哀想なものを見る目で男爵家令嬢を見たのだが、その瞳には侮蔑の色が滲んでおり、そこには愛しいものに向ける甘い笑顔など、一切なかった。
何が起こったのか分からず
「私が君のような品性の欠片もない令嬢に入れあげると本気で思っていたのかい?とても心外だよ。私には、素晴らしい婚約者がいるというのに。君にはね、一つ仕事をしてもらっただけさ」
「し……、仕事?」
「そう、仕事。娼婦にも劣るような品性のない令嬢に入れあげるようでは、この国の未来のためにはならないからね。君程度に引っかかるような者たちを
「あら?それでしたら、あなた様も掛かった一人でしてよ?」
「ふふ、私はわざとやっていたのだから、問題にはならないよ。それを言えば、あの淑女らしさもなくヒステリックに
「もうっ、あなたが見たいとおっしゃるから、してあげましたのに。ひどいわ」
ごめん、ごめんと、あやすように婚約者の頬を撫でる第一王子は、以前、男爵家令嬢に向けていた甘い笑顔なんて普通の顔に見えるほど
第一王子と婚約者とのやり取りで、学園内で起こっていた騒動が二人の茶番劇であったことが分かり、男爵家令嬢の周囲に
男爵家令嬢に入れあげていた生徒もいたが、第一王子の寵愛を得ている令嬢と懇意になろうと近寄って行った者たちもいたのだ。
そして、追い討ちをかけるように更なる言葉が発せられた。
「そうそう、イジメられていたと自作自演もしていたようだけど、中には本当にされていたものもあったね。それをしていた令嬢たちにもお引き取り願うよ。私の婚約者にそのような品性に欠ける友人は必要ないからね」
「わたくしの問題なのですから構わないで、とお願いしておりましたのにねぇ」
「だけど、不敬罪覚悟で私に
「まあ、そのようなことをしてくださった方がおりましたの?」
「そうだよ。知らなかったのかい?あちらのご令嬢だよ」
第一王子が指し示した先にいたのは、野生児が人間に進化したことで更に有名になったヤオツァーオ公爵家子息と婚約している令嬢だった。
振り回されることが多かったのだが、最近は
自分がいいように扱われ、裏で笑いものにされていたことを知った男爵家令嬢は、ひどく顔を歪めて第一王子を罵った。
そこには庇護欲をそそる愛らしい見た目はなく、性根の悪さが滲み出た醜悪な顔があった。
「ははは!正体を現したね」
「正体を現したって、あれは魔道具のせいでしょう?」
「そうとも。とあるダンジョンで発見された、『気分によって見た目が変わる』魔道具だよ。気分が良ければ良いほど愛らしく美しくなると聞いていたからね。どこまでになるのか試してみたが、元が元では、ね?」
「まあ、女性に対して、なんて酷いことをおっしゃるのかしら」
酷いことをと言っているが、広げた扇で隠した顔は嘲笑を顕にしていた。
魔道具の存在を言い当てられて驚いている男爵家令嬢に、第一王子は種明かしをした。
「ふふ、誰にそのことを聞いたのか気になるかい?ならば特別に教えてあげよう。君を送り込んできた犬のお仲間だよ」
「犬って……」
「しらを切るつもりかい?犬仲間は既に全員、いや、一人を除いてケージに入っているよ」
犬扱いとケージという言い方をしたことに男爵家令嬢は、第一王子を口汚く罵った。
そこへ、第一王子の側近の一人が駆けつけて耳打ちをしたことで、彼は楽しげに笑い、男爵家令嬢を更に追い詰めた。
「もう一匹の犬も先程、大人しくケージに入ったようだよ?名前はマイラと言ったかな?」
「う……そ。お姉ちゃん……?そんなわけない!!お姉ちゃんは大臣の息子の妻になってるはずなんだから!!子供だっているんだ!!」
「ああ、その子供だけど、彼の子ではないと判明しているし、血の繋がった本当の父親と一緒にいるよ。残念だったね?妊娠薬まで服用して頑張ったのにね?」
「うあああぁぁぁーーーーっ!!!」
綺麗に結われた髪を掻きむしり叫ぶ男爵家令嬢に周囲は厳しい視線を向けた。
第一王子は、側近が連れてきた兵士に男爵家令嬢を連行するように命じ、騒動に終止符を打ち、卒業パーティーの開催宣言をして、ファーストダンスを婚約者と華麗に踊った。
ロッシュがマイラという女性の行動を不審に思ったため、ジオレリア王国で得た情報は、ディメンションルームを介して速やかにウェルリアム君から王家へと伝わっていた。
キートが言っていた「水色の髪に緑の瞳をしたチェンという男」というのは、とある大臣の息子チェンバートで、身元がバレないようにいつも水色のカツラをかぶって遊び歩いているダメ息子であり、本来の髪色は赤である。
つまり、彼から水色を持つ子は出来ないのだ。
キート君の証言によって最後の犬をケージに入れられたので、その功績によって奴隷解放の権利が与えられることとなり、
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