24/Sub:"ダイブ・イントゥ・スカイ"
「なら早速、支度いたしますわ!」
アンジェリカが着ていた服を脱ぎ捨ててベッドの上に放り投げた。下着姿になった彼女はつかつかとクローゼットに向かうと、勢いよく開け放って中から目当ての物を取り出した。
どさりと音を立ててベッドの上に投げ出されたそれは、グレーを基調として赤い模様がスタイリッシュに各所に入った、高級モデルのフライトスーツだった。流れるようにスーツ各所に走る筋組織サポーターや肩や肘などの関節を保護するプロテクターなど、空を飛ぶ上で必要な機能を盛り込んだ、見て分かるほどの高性能品だった。
アンジェリカは待ちきれないといった様子で、ダイビングスーツのように全身を覆うフライトスーツに足を通す。腕と両足を入れて、どこか慣れた様子でフライトスーツを身に着ける。フライトスーツの背中には、翼を出すためのスリットが入っていた。
こんこん、と具合を確かめるようにつま先を鳴らす。それから胴をひねってスーツがしっかりフィットしていることを彼女は確かめた。最後に彼女の航空免許端末を左腕に巻いて、起動を確かめる。すべて正常。
「お待たせしましたわ!」
アンジェリカが言う。待ちきれない、と言った表情で嬉しそうにユーリに微笑みかける。
「わかった。荷物は僕が持つよ」
ユーリは飛行用のキャリーバックを抱えるように取り付ける。荷物を前に抱え、腕を通して腰で固定する形だった。まるでウェポンベイだ。
「ふふ、ユーリとのダンス、楽しみですわ」
ダンスって。ユーリは苦笑いをしながら部屋を出る。二人で元来た道を戻って再び屋敷の外に。空は青く、やや傾いた太陽がまぶしい。フライト日和だ。
「よし、ランウェイはクリア」
ユーリが屋敷前の道路を見て言った。ユーリが再び竜人形態に。ぶわりと広がる霊力。翼が一瞬で、霊力で編まれた飛行術式の光に包まれていく。
すう、とアンジェリカが息を吸った。途端に彼女から赤い霊力が立ち上る。靄のように揺らめく霊力は一瞬で勢いを増し、彼女の肩甲骨の下ほど――ユーリの翼と同じ位置――から赤い輝きが吹き出して、形を成した。
現れたのは、一対の、巨大な赤く輝く霊力の翼。まるでコウモリのそれのように見える、飛行術式で編まれた翼をばさりと動かすと、周囲にまるで火の粉のように霊力が舞った。
「アンジー、離陸後は方位二―三―〇に旋回後、FL2まで上昇。風速はほぼ〇ノット、視程は三〇キロ。念話の周波域はリンク6・ヴァーミリオン。
「ラジャー、ですわ!」
アンジェリカが嬉しそうに答える。ばさりと翼をはためかせ、クラウチングスタートの姿勢に。離陸体勢。
アンジェリカが駆けだした。ユーリはそれに合わせて駆け出す。
V1、ぐんぐんと翼が風を受けて揚力を宿していく。
VR、彼女が地面を強く蹴った。ふわりと彼女を縛っていた重力の鎖がほどける。
V2、翼を大きくはためかせ、彼女はその身を大空に投げ出した。
ユーリも彼女を追って離陸する。一瞬で空にその身を投げ出す。白い翼をはためかせ、飛行術式の噴射光を煌めかせ、翼端から白いベイパートレイルを引きながら旋回を始めていたアンジェリカの右後ろにぴたりとつく。彼女は飛行術式に霊力を懸命に流し込み、翼をはためかせながら推力を維持する。高度がぐんぐんと上がり、当初の予定の五〇〇フィート付近に。ユーリは推力を小さく増やしてアンジェリカの右前に出る。翼から出る翼端渦で彼女を包み、抵抗からかばった。
『ふふ、ありがとう』
『もう少し低くした方がよかった?』
短距離念話通信でのアンジェリカからの問いかけに、そうユーリが言うと彼女はいいえと返す。
『せっかくですもの。ユーリが見ている景色を見たいですわ』
『わかった、あまり無理しないでね』
『ふふ。エスコート、お願いいたしますわ』
ユーリが作り出す見えない空気の通路に乗りながら、アンジェリカは翼をはためかせた。
真っすぐ目的の商店街に進路を取り、すぐに降下を開始した。もともとそこまで長距離じゃない。文字通り空を滑るように滑空しながら降下。アンジェリカもユーリの後に続く。
ユーリの目指す先。着陸場所として広く使われている公園の草地。人がいないことを確認してそこに進路をとる。いつもとは違う、緩やかな旋回。アンジェリカもそれに続いた。
風の影響はほぼない。ユーリは後方のアンジェリカの存在を意識しつつ、真っすぐに着陸地点へ向けて降下。彼女もそれに続いて着陸態勢をとる。
一〇フィートまで来たところで、
アンジェリカが、よろよろと水平速度を殺しきれずにタッチダウン。つんのめった。すかさずユーリが彼女の身体を抱きとめた。バランス感覚、翼の抵抗、腕の力でまるでクッションに突っ込んだかのように衝撃を和らげ、地面や空気に受け流す。数歩歩いて、二人は止まった。
「大丈夫?」
ユーリが腕の中のアンジェリカに問いかける。
「――ええ。大丈夫ですわ。ありがとう」
額に小さく汗を浮かべながらそう言ってにっこりと笑う彼女に、ユーリは小さく肩をすくめる。
「やっぱり、着陸は少し苦手だったりする?」
「ユーリが綺麗すぎるのですわ! 見事、という他ありません程ですわよ?」
アンジェリカが小さく皮肉ると、ユーリは苦笑いで返す。
日の傾いた公園。二人は商店街へ向かって歩き出した。買い物と言っても夕飯の買い物を少しだけだ。買わなければいけないものはそこまで多くない。実際買い物はすぐに終わり、再び離陸。しかしすぐに帰るというのも風情がない。彼女の体力が持つなら、もう少し飛んでみようとユーリは思った。荷物を屋敷の玄関に放り込むと、二人は再び空に舞い上がった。タッチアンドゴー。
白と赤、二つの光の翼が煌めいて、夕焼けの空を飛んでいく。
夕焼けに照らされる町並みは赤く、濃淡を伴って続いていた。雲の落とす影が斜めに空を貫き、細長い影を町並みに落としている。
そろそろ時間かな。ユーリはアンジェリカを先導しながらそう思った。
『アンジー、調子はどう?』
『……っ、さすがに、少し、きつくなってきましたわね』
小さく振り向くと、懸命に飛ぶアンジェリカの姿が目に入る。彼女は飛ぶことに関しては決して下手ではないが、上手でもない。そう考えると、そろそろ限界とみてもいいだろう。
なら。
『アンジー、姿勢と高度を維持。そのまま直線飛行』
『え? はい、わかりましたわ――』
そう言った次の瞬間、ユーリがふわりとアンジェリカの背面に移動し、両手を脇にくぐらせて彼女を後ろから抱きかかえた。まるでハードポイントにぶら下げられたような姿勢に。
『え、ユーリ?』
『術式は切らないで。だけどアイドリングにしてもいいよ』
言われたとおりに飛行術式をアイドリング状態に。一気にアンジーにかかる負荷が減る。
『どう?』
『だいぶ楽になりましたわ……ほんと、あなたはこういうことは気が利くんだから』
アンジェリカが小さく笑う。ユーリはそれに強く加速することで答えた。
アンジェリカをしっかりと、決して離さないように抱えながらユーリは上昇する。推力を増し、ズーム上昇へ。見る見るうちに高度が上がっていく。境界層を制御してアンジェリカの分の空気抵抗を考慮して最適化しつつ、速度をぐんぐんと上げていく。四千フィート、五千フィート。頭上に見えていた下層雲はいつしか眼下に広がり、夕焼けていた静寂に満ちた空の色は暗く夜の色を宿し始める。その中で、ひと際強く輝く、二人の翼の煌めき。
高度一万フィートで、彼は水平飛行に移る。対気速度を増しつつ、左に緩やかに旋回。翼が減圧雲のベールを纏い、空に白く弧を描きながら翼端雲の回廊を引いていく。ユーリは、フライトスーツを貫通して腕の中で彼女のぬくもりが確かな熱となって、伝わってくるのを意識した。そしてそれは冷たい気流の中で確かな徴となり、まるでどこまででも飛んでいけそうな錯覚に一瞬彼を陥らせた。
『すごい、ですわ』腕の中でアンジェリカがつぶやいた。『これが、あなたがいつも見ている光景』
ユーリは彼女を一瞬心の隅に追いやって、目当ての物を探す。太陽の方角と反対、夕焼けで赤く染まる空の反対側、夜が降りてきた暗い空に、その輝きが竜の瞳に映った。
『アンジー』
ユーリは旋回から直線飛行に移り、アンジェリカが見やすいように緩く左にエルロンロール。彼女の視界に空が混じる。彼女の、吸血鬼の紅い瞳にそれが映る。
暗い空の真ん中に、かすかに地上から空に向かって光の線が走っていく。小さな輝きはゆっくりと、だが確実に、まるで打ち上げ花火のように空へ向かって伸びていき、やがて、空の上の方で小さく花開いた。輝きが煌めきながら、花開いた場所から雪の結晶のように小さく、しかし確かに広がって咲いていく。
彼女は、それを知っていた。
『軌道エレベーター……』アンジェリカが小さくため息を漏らす。『まさか、こんな風に見えるなんて』
『丁度、この時間だと見えるんだ』ユーリが言った。『エレベーターケーブルと、静止軌道のテラソーラーが夕日の傾いた光を反射して、こんな風に』
『これを、見せたかったので?』
その問いに、ユーリは小さく肯定した。
『……ふふ、まったく』
アンジェリカはユーリの、自分に対する想い、そして、自分のユーリに対する想いを、再び意識する。
そうだ。わたくしの隣は、ユーリがいいのですわ。
『ねえ、ユーリ。わたくし、夢がありますの』
『……知ってるよ』
しばし、その光景に見とれていた二人だったが、アンジェリカが口を開く。二五〇ノットの気流の中で、その言葉は霊力を通して直接ユーリの中に響いた。
『いつか、人類はこの大地を離れて、あの無限の空へ旅立っていく。それは人も人外だとか関係ない。未来はいつだって、そこに広がっていますの。わたくしは、そのさきがけになりたい。あの無限の可能性に、飛び込んでみたい。その先の景色を見たい。容易だからではありませんわ、困難だからこそ、そこに飛んで行ってみたい』
だから。そう小さくつぶやいて。
『あなたに、ずっと隣にいて欲しいですわ。ユーリ。あの空の向こうまで、ずっと一緒に、飛んでいきたい』
ユーリは小さくアンジェリカを抱く力を強め、推力を増し、翼を翻して空へ駆け上る。
それが、返事だった。
それで、十分だった。
輝く二対の翼は、闇の降りてきた蒼穹の空を切り裂きながら、まるで今この瞬間この空は自分たちの物だと宣べるように飛び回ると、やがて西に傾いた日が地平線の向こうに消えるころ、静かに暗く夜の降りた大地へと、吸い込まれるようにして消えていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます