【本文サンプル】結び目ほどき

言端

移植と芽吹き

 秋霜、季節も紅から焦茶に枯れていく頃だ。僕はといえば高校生活にも慣れて、クラスや部活でも友人は少なくもなく日々楽しくもあり不自由を感じていなかった。唯一、不自由しているわけではないが心の中に蟠りを抱えることがある。それが、同じマンションに居を構えている美菜子という婦人のことだ。

 今でも明瞭に思い出してしまう。小学二年生の冬頃、鍵を忘れて自動ドアの前で頼る相手もおらずに膝を抱えて泣いていたところを、彼女が幼い僕を自宅に上げて両親が帰宅するまで面倒を見てくれたのだ。そこからというもの、幾度もお邪魔しては学校での出来事や日々の不満などを話し聞いてもらっていた。邪魔者扱いせずに親身に振る舞い、時には彼女の夫の拓真さんが共に休日には連れて行ってもらうこともあり、まるで二人目の母のような、姉のような存在でもあった。

 そんな彼女の顔が浮かぶ度に胸の中心が握られたように息苦しさを味わう。僕が子供だった頃は、風を切るように彫琢され象られたような目元と鼻が冷ややかに映るようでそれが子供ながらに綺麗だと印象に残っている。今は容貌は変わらずにどこか、この季節のように柔らかくも枯れ落ちそうな哀愁を漂わせている。未だに変わっていないのは肌色、四肢の肉付き、眼と口の動きだろう。季節に取り残された雪のような、光を避けている白い肌である。成長して大きくなった僕からすれば小柄になったように映るが、それと比較しても渾身の力を込めて握れば罅(ひび)が入りそうな手足である。目元や口を大きく開くことはなく、笑う時には顔を伏せて僅かに色素の薄い唇を開くのだ。僕はそんな微笑みに胸の奥を寂しく擽られていた。

 学校生活も勉学や部活、友人との交流共に修めていれば、必然と顔を合わせる時間も少なくなっていくものだが、一週間に二、三回程エントランスで挨拶をして互いに近況報告を交えてもいた。顔を合わせることに気恥ずかしさを覚えていた時期もあったが、今はその片意地も溶けていく途上にあった。変わっていく生活の中に延々と飾られた絵画の中の人物のような美菜子に、近寄りがたい歯痒さを募らせていた。

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