第4話十夜と十花
十夜さんの部屋へ戻ると、確かにいつもと雰囲気が違った。
いつもはしっかりと閉じられているタンスに所々隙間がある。机の上の雑貨の位置が違う。でも、貴重品は盗られていない。ベッドのシーツから香水の匂いがする。それは嗅いだことのある嫌いな匂い。あの、女の香水だった。
この部屋に、あの、女が入った。
その痕跡が残ることに、その事実に酷く嫌悪した。
でも、あの女が仕出かしたのはそれだけじゃなかった。
隣を見ると、十夜さんの顔は真っ青だった。私は彼の手を握る。俯いていた顔をあげると、彼はゆっくりと言った。
「十花の部屋が」
十夜さんの自室の隣にある十花ちゃんの自室。私たちはそこへ向かった。
いつもはきれいにされている彼女の部屋。物が増えることも減ることもないその部屋は、その時ぐちゃぐちゃにされていた。ベッドのシーツはズタズタに裂かれて、彼女のお気に入りだったぬいぐるみからは綿が飛び出していた。毎日、兄であって恋人である十夜さんが丁寧に生ける花は床に散乱していた。私が選んでプレゼントした花瓶も同じように床の上に横たわっていた。
そしてなにより、花に囲まれて飾られていたはずの十花ちゃんの写真が、
遺影が、
割られていた。
死者を愚弄することまかりならん。
死んでしまった人を、生きている人がバカにすることはしてはいけない。それはなぜか。死んでしまいこの世にいない人は、いくらバカにされても反論できる口を持たないから。死者はいくら悪く言われても、言った生者に届く声を持たない。
それ故に、死者はこの世では愚弄されやすいのだ。まだ生きて、この世を謳歌できる人に言いたい放題勝手なことを言われるのだ。何故なら、真実を知る本人は既に墓の中なのだから。
さて、それは一欠片の理由なのだろう。
生と死の境界に限りなく近い『桜ヶ原』という町がある。
そこでは、七不思議を始めとした様々な怪奇現象に出会うことが日常となる。
ねえ、そうでしょ?みんな。
隣の家の、亡くなったお爺さんに気に入られていた君。最期に素直になったお爺さんは死んだ後も君の横にいて、護ってくれてたね。
危険な危険な桜の根が眠る場所でコンビニを経営した後輩たちを持つ君たち。選んだ選択は満足できるものだったよね。
こびとが住む置き傘を持つ男の子に恋をした君。失恋したけど、今じゃ素敵なこいびと持ちね。
時間を越えてアイディアをやり取りした君。二人分の想いが込められた作品を完成させた作者は、もう立派な物書きね。
友人と廃病院へ肝試しに行った君。その後、ストーカーさんからはラブレターが届いたのかな? なんてね。
遠い遠い町での赤く染まった思い出を持つ君。思い出は、赤くて冷たくて悲しいものばかりじゃなかったはずだよね。
河童と酒盛りをする君。胡瓜とお酒を手にして彼らに会いに行く次の子どもは、きっと絶えることはないよね。
可愛い可愛いにゃんこの君。一緒の教室で学んでくれて、ありがとね。
桜ヶ原の七不思議。すべては七つ目「同窓会」が開かれる為の通過儀礼。
今年、同窓会の案内が私に届いた。
ちゃんと届いたよ、みんな。桜の木の下で同窓会が開かれるの、本当に楽しみにしてたんだ。
いつかくる、同窓会のこと。私はなんにも隠さないで大切な二人に話したの。
私は十三番。
出席番号十三番。
人よりちょっとだけ、死んだ人が見えやすい、桜ヶ原小学校の卒業生。
死んだ人をバカにしちゃいけない理由はね。
死んだ人より何倍も何倍も、生きてる人がバカだから。生きた時間を終えて死んだこともない人に、死者を愚弄するなんてもってのほか。死んだらなんにもできないなんて、誰が言ったの? いる世界が違うから、死者から声が届かないんだよ。遠すぎて聞こえないの。
だからね。
すぐ近くにいる死者をバカにしちゃいけないよ。ちゃぁんと、聞こえてるからね。そして、生きてる人なんかよりこわぁい報復を仕掛けるんだ。
だって彼ら、「死ぬほどこわい」のその上。「死んでもこわい」を知ってるんだもん。
死んだ人からこわい報復を受けない為に、死者を愚弄しちゃいけないの。
ああ、こわいこわい。
ねえ、そうでしょ?
十花ちゃん。
荒らされた十花ちゃんの部屋に私は言葉を失った。
『よくもやってくれたな、あの女』
ショックを受けてる十夜さんに、私の部屋のベッドで今夜は寝てと言った。私は、十花ちゃんの部屋をきれいにしてからここで寝ると言った。十花ちゃんと一緒に寝ると言った。幸いにも、次の日の日曜日は私も彼も休日だった。
『昨日も今日も一緒に寝れるなんて、ちょっとラッキーかも』
十夜さんを私の部屋に送って、まずは十花ちゃんと話をした。
「ほんと最低、あのキモババア」
「信じらんない。こんなことするなんて」
「あいつ、女の気配がする物に八つ当たりしてったの」
「八つ当たりって?」
「勝手な嫉妬」
「十夜さんとあいつは赤の他人でしょ」
「向こうが妄想しちゃって、自分が彼女って設定みたい」
「マジで?」
「大マジ。合鍵作って入ってきて、あたしの部屋見たとたん叫び出した」
「管理人さんは?」
「出掛けてたから、多分その時間狙ったんだと思う」
「何か持ってかれた?」
「お兄ちゃんのは大丈夫。でも、五花お姉ちゃんがくれたのと私のは全部ダメ」
「全部?」
「全部だよ。昔のは残ってない」
手を動かしながら話を聞いた。ある程度片付けが終わったところで、隣の十夜さんの部屋から予備のシーツを借りてきた。あの女の匂いがするベッドで寝るなんて絶対に嫌。十花ちゃんのベッドにシーツを広げて、そこに横になった。
ああ、十夜さんの匂いだ。
そこへ、十花ちゃんが潜り込んできた。私たちは、笑いあって目を閉じた。
ああ、十花ちゃんの香りだ。十花ちゃんの遺影に飾られていた献花の香りだ。
私は眠った。
今日は、キクの香りだった。きっと白いキクなんだろう。
腕の中から十花ちゃんの声が聞こえた。
「おやすみ、いい夢を」
十夜さんからスマホに一通のメールが届いた。
『おやすみ、いい夢を』
私は、眠った。
『五花ちゃんはみえないものが見えちゃう』
私は、昔から人によくそういう風に言われた。実際、他の人よりも『ちがう』ものが見えていた。伸びた尻尾の影が途中で二股になる昔から神社に住む猫。線路に座る両足のない女の子。暴走族のお兄さんの横にいる黒いフードを被った死神。首から上のない美容師さん。
桜の木の下で誰かを待ち続ける着物を着たお姫様。
どれも、普通の人には見えない『モノ』たち。見えてはいけない『モノ』たち。
小学生の頃、私は彼らが他の人には見えないのだと知らなかった。たまに見える人はいた。でも、いつも見える人は本当にごくわずかだった。同級生たちは信じてくれた。見えなくても、信じてくれた。彼らはそこにいるんだって。そして、教えてくれた。彼らを見ないことが、見えないことが幸せなんだって。
中学生になって、私は彼らの話をするのをやめた。それでも、確かに見えていた。
高校生になって、見えない振りをすることを覚えた。時折、小学生の頃の同級生に
「彼らは見えなくなったの?」
と聞かれることがあった。私は自分を指差して答えた。
「見えてるように見える?」
同級生たちは首を横に振った。私は、見えない振りをすることが上手くなった。
大学生になって、見えていることを忘れかけた。私は目の前のことから目を背けて、なおかつ目を閉じようとした。
これでいいんだ。そう思っていた。
でも、あのアパートで私は出会った。
十夜さんと十花ちゃんに。
十花ちゃんと初めて会ったとき、私たちはとても驚いた。私は、彼女がまるで生きているかのように『そこ』にいることに。十花ちゃんは、死んだ自分のことを私が見えていることに。
「はじめまして。私、五花っていうの。今日、隣の部屋に引っ越してきたんだ。よろしくね」
これが、私と十花ちゃんの出会いだった。
十夜さんの口から直接十花ちゃんのことが出たのは、意外と時間が経ってから。
ある日の朝、挨拶のついでに十夜さんが、妹のこと見えてるのか? って聞いてきたんだ。もちろん、私は見えてますよって答えた。まだ、私たちが付き合ってない時の話。
詳しいことを知ったのはそれから更に一年近く経ってから。
十花ちゃんの年齢はね、私と同じなんだ。でも、それにしては体が小さいの。身長は確かに私と同じ。でも、体が薄いっていうか細いっていうか。痩せてるとは違うんだ。それは、成長途中の未発達な体つきって言うのがしっくりくる見た目だと思う。
なんでだろうってずっと思っててね、十夜さんに聞いてみたんだ。そうしたら、十花ちゃんが亡くなったのは高校二年生の桜が咲く日。十夜さんの卒業式の日だったんだって。いつも自分の好きな花をくれる十夜さんに今日だけは絶対に自分から花を贈ろうって張り切って、当日までバレないようにって家から遠く離れた場所の花屋に通って、特別な花束を注文して、さあ受け取りに行くぞって時に。
トラックにはねられた。
その花屋は車通りの多い道の横にあったんだって。運が悪かったんだって、十花ちゃんはその時のことを笑って話してたよ。たまたまだったんだって。
そうだよ。たまたまで命は簡単に刈り取られて枯れていくの。だから、彼女は自分の命を奪ったトラックの運転手を恨んでいない。
でも私は釈然としないんだ。だって、本当に楽しみにしてたんだよ。花を贈ることも、贈られることも。
結局、十花ちゃんはその手で十夜さんに花を贈れなかった。それに、彼女自身が花を贈られるはずだった卒業式すら迎えることもできなかった。
贈られなかった花束はね。今でもちゃんと、十夜さんの部屋にあったんだ。ブリザードフラワーとして、彼の部屋の壁に大事に大事に飾られていたの。私は何度も何度も見てる。
もう、ないけれど。
よくもやってくれたな、あの女。
今回、あの女が仕出かしたことに対して一番怒っているのは十花ちゃん。呆れているのがこの私。じゃあ、十夜さんは?
十夜さんは哀しんでいる。
私と同じように、みえるはずのないものが見える十夜さん。私には受け入れてくれる友人たちがいた。でも、彼にはいなかった。彼はずっと受け入れてくれる人がいなかった。
唯一信じた妹はもうこの世にはいない。「死んだ妹が見える」と言う十夜さんに対して、周りはどんな視線を浴びせたんだろう。周囲は彼の個性を拒絶した。だからきっと、彼も周囲の視線を拒絶した。
そして、彼は十花ちゃんと二人きりの同居を選んだ。
普通の人から見れば一人暮らし。でもね。私から見たら幸せそうな二人暮らしだったんだ。
十花ちゃんから花の香りがする度に、今日も十花ちゃんは愛されてるなって感じるの。毎日忘れられることなく花が生けられているなって。
二人は本当に幸せそうなの。それを言ったらね、彼ら何て言ったと思う?
「五花(お姉ちゃん)がいるからもっと幸せになれたよ」
だって。
自分たちのことを理解してくれて、好きになってくれて、幸せだって。
ねえ、みんな。
私、本当に幸せなんだ。そんな二人と一緒にいられて、本当に幸せなの。
今までも、これからも、ずっとずっと、ずぅっと、一緒にいたいんだ。
だからね。
この同窓会が終わったら、二人をみんなに紹介したいんだ。
いいでしょ?
いいよね。
よかった。
大丈夫だよ。二人とも、ずっと一緒だって約束したんだもん。
三人で、ずっとずっと一緒だって、約束したんだもん。
こっちにくれば、ずっと一緒にいられるでしょ?
私は眠った。そして、次の日ちゃんといつも通り起きた。
十花ちゃんは、まだ私の横で目を閉じていた。ほんと、可愛い私の恋人。少しだけ、花の香りが薄らいでいた。私はもう一人の恋人に会うために、ベッドを降りた。
自室に戻ると、十夜さんはまだ眠っていた。相変わらず朝が弱いお寝坊さんだね。ちょっとした悪戯心から、彼が眠るシーツの中に潜り込んだ。あったかいなぁ。私はそのまま、彼が起きるまで二度寝をすることにした。こういうのも同居の醍醐味だよね。結局、起きた彼に怒られるんだけど。
起きた彼と朝食を食べながらどうするのか話し合った。警察に届けるか、ネットに晒すか。よし、ネットに晒すか。とりあえず、前日に撮影した荒らされた部屋の写真を一部ネットに載せた。もちろん身バレ防止はしっかりして、キモババアの罪をしっかり不特定多数の人に見てもらう。でもきっと、あの女はこんなことじゃ悔い改めない。こんなんじゃ罰にはならない。
「罰」は罪を自覚しないと罰にならない。
私たちは管理人さんに連絡しながら、これからどうするか考えていた。このままじゃ、あの女は同じことを繰り返す。そう思ったの。それだけあの女の日頃の行いが悪かったってこと。
十夜さんは警察に任せることを提案した。彼はおそれていたの。
仮にあの女を問い詰めたとして、何であんな女の子の部屋なんてあるのかと言われるのが関の山なんだよね。その時、何て答えればいいの? 妹の部屋だって? じゃあ、あの遺影は? 花は? 肝心の、その「妹」はどこにいるって? 正直に言ったところで誰も信じてくれないよ。数年前に死んだ妹がまだそこにいて、その妹の為に部屋を使っているなんて、私みたいに見えていない限り誰も信じない。
彼がおそれているのは信じてもらえないことと、自分が見ているものを否定されること。自分はおかしいんだって、言われること。
報告だけして、もう少し様子を見よう。そうなったの。
少なくても、彼の中ではそのつもりだったんだ。
でもね、私の中ではそうじゃなかった。十夜さんと十花ちゃんを傷付けた、哀しませた、バカにした。私の、私たちの大事なものに土足で踏み込んで荒らした挙げ句に、あの女は、あの女は!
十夜さんが自分のものだってアピールしてきたんだ。
なんという勘違い女。
十夜さんは私のものだ!私たちのものだ!
『十夜お兄ちゃんも五花お姉ちゃんもあたしのものだ!』
私は。
私たちは。
ほんの少しだけ他の人たちと見える世界が違った。愛した人が兄妹であったり、同姓であったり、他の人と違うものが見えたり。
死んでいたり。
死ぬ運命がすぐそこまで見えていたり。
もういない人と一緒に居続けたり。
ただ、見えている世界をわかりあいたくて、隣にいたくて。受け入れてもらいたかったの。自分の世界を。
だから私たちは同居しようと決めた。一緒にいることで、一緒に生きることで
私たちは互いに依存していこう
そう、言ったの。
ごめんね、十夜さん。
私、あの女を我慢できなかったの。
十夜さんが十花ちゃんの部屋に生ける為の花を用意すると言って部屋を出ていった。彼が忘れないで花を供えればね、不思議と亡くなった人も生前の様に生き生きとした姿になるの。だから、十花ちゃんもずっとあの部屋にいられたんだよ。
残った私は机に向かった。
さいごの言葉を書き残そうと、レターセットとペンを取り出した。
三枚の手紙を書き終わると、封をし宛名をそれぞれ書いてポストへ投函した。
そして、私はあの女の部屋の扉の前に立った。
さいごにどうなるのかは、なんとなくわかっていた。
私は
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます