ワタシと助手君とお菓子の昼下がり。

夜長月

ワタシと助手君とお菓子の昼下がり。

 ぽりぽりぽり。

 こりこりこり。

 瓶詰されたお菓子を取り出して咀嚼する。歯ごたえ、噛みしめるたびにあふれ出す甘い汁、そのすべてを堪能する。少々値が張るものの購入して正解だった。加工品とは異なり、個々で味が均一でないところも評価点だ。開封直後のひとつはやや苦く、先ほどのひとつは甘く、それぞれから個性を感じる点もすばらしい。モノが届いたときは加工品との違いに食指が動かなかったものの今となってはすっかりこのお菓子の虜になってしまった。まったく出費がかさむというのにどうしてくれるのだ。

 どれ、もうひとつ。

「センセー、お菓子をつまみすぎですよー。お仕事の手が止まってるじゃないですかー」

 一声。

 つまみあげたお菓子を取り落としてしまう。瓶の中でそれは少々一部が欠けてしまったようであった。もったいない!

 惨事の下手人には一言告げなければなるまい。

「うむ。いや、これはちょっとした小休憩でね」

「私の知っている小休憩はお仕事メインのお菓子サブです。センセーのはお菓子メインのお仕事サブですよ」

 ワタシのささやかな抵抗はあっさりと跳ねのけられてしまった。

 向かいの席に腰掛ける助手君の笑顔は人を食った時特有のものだ。ワタシがお菓子にばかり意識を飛ばしていることを見かねて咎めたのだろう。それも瓶から取り出そうとした瞬間狙って。質の悪い助手君だ。

 センセー、と呼ぶからには尊敬の念があってしかるべきだろうに、助手君の言の葉からその情念を感じたことはない。いや確かにやや仕事の手は止まっていたことは認めよう、普段も止まりがちなのも認めよう、認めたうえで一つだけわかってもらいたいことがあるとすれば、ワタシの仕事は頭脳労働であるからして、思考を回転させるためにお菓子の補給が不可欠なのである。研究を進めるためには糧が必要というだろう? その糧がワタシにとってはこのお菓子というわけなのだ。

「センセー、どうでもいいことに思考領域使ってないで、お持ちの資料を読み進めたらどうです?」

「……ふむ。君はゆるゆると会話するのに内容が正論ばかりでいけない。もっとアソビも持つべきだぞ」

「アソビは確かに私たちにとって重要な要素のひとつではありますけれどね。時間は誰にとっても何にとっても有限なのですよ。それは私たちだって変わらない。せっかくの活動時間を無為にしたくないだけですよ」

「とは言ってもこの研究はなぁ。未踏の領域過ぎるのだ。なんせ西暦の時代の概念について調査しているのだぞ。しかも現代の生物から失われた『シ』の概念。感覚からして理解できないものをどう論文にまとめろと?」

 二か月ほど前に遺跡から発掘された消費文明時代の『カミ』媒体の情報伝達資料をひらひらと振りながら反駁する。現代の復旧技術をもってして時代を逆行したかのような耐久度の『カミ』はワタシの動作に合わせてたなびくばかりで崩れ去ることはない。……いっそ崩れ去ってしまえば穏やかな午後が取り戻せるというのに憎たらしいことこのうえない。

「センセーが『なに失われた概念の研究だとおもしろそうじゃないか』とか言って題材を他のお歴々から奪い取ってきたんじゃないですか。なに音を上げてるんです?」

「……ふむ。君は穏やかな口調の割に飛び出す言の葉に面白みがないものばかりでいけない。もっと余裕をもちたまえ」

「さっきと話されてる内容が寸分違っていませんよ」

 ため息でもつきそうな雰囲気で助手君が席からぬるりと立ちあがると台所に向かっていく。

「とりあえずセンセーが行き詰っていることだけは理解できました。なにか飲むものを用意しますよ」

「ほう、ワタシの主張が受け入れられたようで何よりだよ」

「センセーはもう少し感謝の念がボクにあってもいいと思うんですよね」

 助手君が戸棚を開く様子を視界に収めながら嘆息する。行き詰っていたことは事実だ。助手君の申し出は大変ありがたいものである。準備をするめる助手君を傍目に手持無沙汰になったワタシは『カミ』に再び目を通した。

 そこに記されているのは、いわゆる『シセイカン』というものだ。西暦時代に活動停止・動作停止となることを『シ』という言葉で表していた頃の物質的な意味にとらわれない概念論。奇しくもワタシの普段の研究の枠内にあるように見えるが、しかしそこは失われた概念だ。既知の概念を掘り進めて意味を見出す楽しみとは異なり、知られざる概念を紐解く作業が必要となる。

 これは正直なところ専門外であったかもしれない。

 投了してしまいたいところだが、おもしろい内容であることには違いないのだ。違いないのだ。違いないのだが、こうも概念が多岐に渡っておりそのすべての意味がワタシたち現代の生物にとってつかみかねるものであるとなると話は別だ。

 ことり、と机にマグカップが置かれ、固まった思考を弛緩させる柔らかな甘さが鼻腔をくすぐった。

「ココアにしておきました。センセー甘いものお好きでしたよね」

「君も助手として成長してきたな。すばらしい。糖分はワタシがまさに求めていたものだよ。褒めてつかわす」

「やっぱり感謝の念が足りてないと思うんですよ、ボク」

 助手君謹製のココアを冷ましながら一口啜る。ふわりと微笑みが広がる風味を甘受する。うむ、なにかうまいことを言った気がする。私には詩人の才能もあるのでは?

「で、センセー。その『シ』ってやつはどういうものなんです?」

「……休憩をさせてくれるのではなかったのかね」

「一言も『休憩しましょう』なんて言ってませんよ、ボクは」

「……ふむ。君は」

「アソビも余裕もなくていいから、ほらご高説お願いしますよセンセー」

 ふむ。……ふむ。話しながら、というもの一つの突破口か。どれ、助手君にこの難所を理解してもらおうではないか。

「では、聞いてもらおうか。ディスカッションといこう」

「いつの間にディスカッションになったんですかね……」

 ふふふ、君のその呆れが無理解に歪むのが楽しみだ。


* * *


「まあ、まずは『シ』というものがなんだかわかるかね。助手君」

 正面のものぐさ助手君に水を向ける。

 語れ、と言われたことに疑問で返すこの手法は、その実、談義の際に実に有用な手段である。問いかけに対し窮し、そして自らの内から知識を紐づけ知恵とし、回答とする。そのプロセスは考察力を鍛えるばかりか、問いかけ側にとっては説明のとっかかりになる。彼我の理解の差を測り、正しい前提のもと話を始めることができるのだ。実に冴えた手段である。

「わかるわけないじゃないですか、失われている概念なんでしょう?」

 ただし、それは生徒が積極的、もしくは従順である場合に限るのだが。

「ふむ、ディスカッションなのだから見当違いでも意見を出すことがマナーではないかな」

「ディスカッションなんてただの口実で、何から話し始めればいいかセンセーが決め切れてないだけでしょう?」

「……ふむ」

 容赦のないことである。

「で、センセー、その資料には具体的になにが書いてあるんです?」

 助手君はワタシの傍らに投げ出された資料をつつく。別に助手君が触ったからと言って簡単に崩れ去ったり破れたりするようなモノではないのだが、いやに慎重だ。

「そうだな、『尊厳のシ』というものについて記載されているな」

「尊厳?」

 助手君がずりずりと身を乗り出し資料を覗き込む。

「助手君、西暦の言語はまだ勉強中ではなかったかね」

「読める読めないでは好奇心は抑えられないもので。残念ながらその好奇心は満たせませんでしたけど」

 元の位置におさまりつつ助手君が不満げに表情を歪ませた。

「で、その『尊厳のシ』とはどういったものなのです?」

「そうだなぁ」

 瓶からお菓子を一つ取り出す。

 それを、ぐぎゃり、握りつぶした。

 そして残ったのは、粉々になった『元お菓子』だ。

「これが、『シ』だ」

「いえ、まったくわかりませんが」

 一つ助手君の声の温度が下がる。いやはや、こちらは真面目にやっているのだが抽象的すぎたか?

「少し、言葉を尽くそうか。このお菓子は形状・味・風味・歯ごたえそのすべてが完璧であり、これの楽しみ方は一息に食してしまうことにある。それはわかるね?」

「センセーの嗜好語りを聞きたいわけではないのですが、一応同意はしておきますね」

 もう一段低温の度合いを強めた声色での同意を聞き流す。

「が、ワタシが粉々にしたことでその完璧性は崩れ去ったのだよ。つまりこのお菓子がお菓子たる存在意義を崩されてしまった。存在への侮辱・否定・意味消失、そういったものを『尊厳のシ』と呼んでいたのだ」

 語る時はまるで第一人者のように。

 ワタシの恩師からの受け売りだが、説得力をもたせるには必要な在り様だ。故に一時、ワタシ自身の疑問を投げ捨てる。

「『シ』って物体の活動停止、ではありませんでしたっけ?」

「物理的、後は医学的かな、そういった分野においてはそういうことだな。だが、この資料における『シ』は社会的な意味合いになる」

「社会的な『シ』ですか」

 助手君がオウム返しに放った言葉を自分自身で噛み砕こうとしているようだが、いまいちうまくいかないようだ。

「西暦以前では社会活動・感情制御が未完成だったんだろうな。

 集団の規律から外れた行動や失敗、恥、そういったものにより集団から排他されてしまう。排他され少数派になるだけならばよい。それならばその集団における活動方針も立つだろう。だが、徹底的に排他されたものは存在を否定されてしまう」

「それが存在の意味消失ってことですか」

「どうかね、飲み込めたかい」

 予定調和だ。

 無理解に苦しむ助手君を視界から外し、再び資料を右手にとり眺める。

 存在の在り方を歪められ、否定され、意味を奪われた結果、その存在はどうなってしまうのか。答えは単純で明快で明瞭だ。


 


 そうなってしまった存在はどのように感じるのだろう。

 屈辱か?

 絶望か?

 それとも……。

「正直、『シ』に関して理解できたかどうかは怪しいのですが、センセーの気持ちは理解できましたよ」

 一声。

 思索の旅路を中断され助手君に顔を向ける。

「こんなどうでもいいことを考えるくらいなら美味しいもの食べたほうが万倍マシってことですねー」

「いやまったくその通り」

 助手君もいつのまにやら成長していたらしい。面白そう、と奪い取った題材ではあるが、まるで役に立たない考え方だ。未知の概念が面白いことには違いないが、『シ』の概念がないワタシたちに、このテーマは余剰で余分だ。何かしら得るものがあるか、と思えば失うことばかり。ならば、お菓子でも食べて穏やかに午後を堪能したほうが有意義というものだろう。

 どれ、許しも得たところでもう一つ。

 瓶の中に手を伸ばし、お菓子をつまみ上げる。

 と、つかみ方が甘かったのか、

「おっと、相変わらず活きがいいことだ」

 だからこそいいのだが。

 とはいえ、左の手から反対にお菓子は逃げてしまったし、右の手は資料を持っているせいでふさがってしまっている。

 仕方あるまい。

 背中から三本目を生やし、逃げ惑うお菓子へと腕を伸ばす。

 ほどなくつかみ上げたお菓子を口腔へ近づける。


「いやだ、やめてくれ、喰うな、オレを喰うな、放してくれたのむなんでもするからだからころさないで食べないでいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくないっ」


「センセー、本当にそれのどこが好きなんですかー。生のままとか悪趣味にもほどがありますよー」

「ふむ、ワタシも多少は怯んだのだがね。加工されて均一化されたお菓子よりも味わいが異なっていていいのだよ」

 悪趣味、と言いつつも助手君は瓶の中にひとつお菓子を取り出す。

「ボクも別に嫌いではないんですけどね?」

 それを助手君はぽいっと口腔に投げ込む。助手君の人を喰ったとき特有の笑みが、口角を吊り上げる笑顔が再び現れる。

「ふむ。なら文句を言わず食べたまえよ助手君。せっかくおいしいお菓子なのだから」



 ぽりぽりぽり。

 こりこりこり。

 ぷちっ。

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