天才鍵職人・錠吉の金庫破り

真白涙

第1話 天才鍵職人は温厚で冷静である。

 日本の中心、江戸。華やかな大通りから一本それた脇道にある長屋の屋敷はひっそりとした佇まいだ。看板には松本庵と記されている。

素材に拘った確かな味と丁寧な工程で作られた、けれど手ごろな値段の松本庵の和菓子はこの地域では知らない人はいないほどに有名で馴染みのある店だ。


「どうでしょう……開きますかね」


 松本庵の第七代目当主である松本宋庵は、険しい表情で尋ねた。

 声を掛けられた人物、上品で落ち着いた色合いの着物を身に纏っているのは天才鍵師と名高い鍵野錠吉は柔らかな笑みを浮かべたまま、


「大丈夫、開きますよ。開いてこその鍵ですから」


 とだけ言うと左手はダイアルに、右手は細長い金属を鍵穴に挿し込み開錠を試みる作業に戻ってしまった。


「こちら、よかったら」

「あ、ありがとうございます。いただきます」


 お師匠の作業の邪魔にならないように静かに手を合わせる。お茶で口を潤してから、繊細な桜の練り切りを小さく切ってから口に運ぶ。


「美味しいです」


 僕の言葉に宋庵さんは一瞬だけ喜びの色を見せたけれど、忽ち表情は曇ってしまった。


「この味を守り抜くためにも、あの金庫を開けてもらいたいんです。五代目の祖父から『金に困ったらこれを開けろ』と託されたのはいいものの、いざ開けようとしたら鍵が錆びきっていて」


 松本庵の和菓子はなんでも美味しいが、看板商品のおはぎは特に絶品だ。その他、道明寺などお米を生かした和菓子が特に美味しい。けれど、今年の米は不作で思うようにおはぎを作れなかったらしい。作れなければ、売れない。売れなければ金に困る。


「せめて、冬を越す分の金品があればなんとか稼業を、家族を守れる」


 宋庵さんは膝の上に置いた拳を硬く握りしめる。


「大丈夫ですよ、師匠は天才鍵師ですから」


 少しでも景気づけようとしたその時、それまで背中を丸めていたお師匠の方向からガチャリと金属が噛み合う音がした。


「おっ、開きましたな。開きましたよ、宋庵殿」


 宋庵さんが勢いよく金庫に飛びつく。恐る恐る、といった動作で扉を引くとギィイと重い金属音とともに金庫が開いた。


「……こ、これは」


 金庫は二段に分かれていた。上段には桐の箱、下段には巻物がぎっしりと詰められている。


「金貨だ。こっちは銀だっ!」


 宋庵さんは興奮しきった様子で箱を開けて巻物を解いていく。素人の僕でもわかる、これは相当なお宝に違いない。


「金庫、開いたんですか?」

「中身なに?なに入ってたの~?」

「これで来年もおはぎ作れるの?」


 騒ぎを聞きつけた松本家の奥さんやお子さんが駆け込んでくる。これまで静まり返っていた離れは急に明るく騒がしくなった。硬く冷えていた空気が柔らかく、温かいものになっていくので僕も思わず肩の力が抜けていく。

 まぁ、今日も師匠の仕事姿を見ていただけなんだけれど。鍵職人として半人前の僕なんかじゃ、鍵の知識も技術も未熟だから師匠みたいに開かずの金庫を開けるだなんて未知の世界の話だ。


「本当にありがとうございます。せめてもの気持ちです、この中からお好きなものを持って行ってください」


 宋庵さんが師匠と僕に向かって頭を下げた。


「いえ、お代は結構ですよ。僕は鍵職人で金庫破りをしているのは趣味の延長みたいなものですから」

「そんな、これほどの御恩、一体どうお返しすれば」


 額を畳みすれすれまで近づけている四人の顔を上げさせてから、師匠は優しい口調でこう言った。


「また、美味しいおはぎを食べさせて下さい。楽しみにしています」

「あ、ありがとうございます……ありがとうございますっ!」


 宋庵さんは額に畳みの痕がつくほど深く頭を下げていた。顔を上げてからも何度も「ありがとうございます」を繰り返して、家の外まで家族揃って師匠と僕を見送ってくれた。

 


 数日後、僕はいつも通りの時間に起きて師匠の作業部屋で鍵を作っていた。


「あっ、も~~、また失敗だ」


 寸分の狂いも許されない、そう考えると指先が震えることも少なくない。僕はいつになったら師匠のような鍵職人になれるのだろうか。

 畳の上にごろんと寝転がって両手を伸ばしてみる。師匠の背中が遠く感じる。

 鍵、それは唯一無二の存在でなければならない。機能的に同じものが二つとあることは許されない上、簡単に破られないように複雑なものでなければならい。僕もいつか、作れるようになるのだろうか。


「開之助、どうしたんですか寝転がったりして」

「師匠?わっ、すみません!」


 慌てて身を起こす。すごい技術を持った人なのに師匠は気配が薄い。鍵を作ったり、この前みたいに金庫を開けようとしている時とはまるで別人、どこにでもいるちょっといい身なりのおじさんだ。


「開之助、慌てない。寝転がっているくらいじゃ怒らないですから」


 師匠は僕の正面に正座で腰を降ろす。弟子である僕の前でも胡坐をかかない人だ。


「短気は損気ですよ。気の遠くなるような作業でも、地味な工程でも、一つひとつ丁寧に取り組めば必ず成果は出ます。肝心なのは冷静であることです」

「冷静であること」

「そうです。どんな時でも冷静であれば必ず活路は見えてきます」


 確かに師匠はいつも冷静だ。冷たい、というのとはまた訳が違う。いつでも物事を客観的に捉えて、感情的になることなく正しい選択を的確に行っている。


「まぁ、僕が偉そうに言えたことではないのですが」

「そんな、ご謙遜を」


 緻密極まりない作業を何十時間と続けられる人が短気なわけないじゃないか。こういう風に、圧倒的な実力がありながらも決して驕ったり威張ったりしないところも師匠の尊敬できるところの一つだ。


「錠吉先生ッ!いるか?」

 慌てた様子で大工の蓮さんが駆け込んできた。日々の労働で鍛えられた筋肉と豪快な性格で初めて会った頃はこの人のことが怖かったっけ。今ではすっかり、頼れる兄貴のような人だ。


「ここに居ますよ。どうかしましたか?」

「おう先生、それに開之助も元気か?って、呑気に挨拶してる場合じゃなかった、嫌三郎のやつが先生連れて来いって喚いててよ」

「ほう、金持さんが。一体何のご用事で」

「どうもこうも開かねぇ金庫があるとか言ってるんだよ」


 蓮さんも状況を把握できていない様子だった。なんだか、とても嫌な予感がする。金持嫌三郎といえば、この町一番の嫌われ者だ。


「なるほど。いまいち要領は得ませんが、百聞は一見に如かず。行きましょうか開之助」

「はいっ。荷物をまとめてきます」


 道具一式を持って、師匠とともに蓮さんの後をついていく。

金持の稼業は金貸しを営んでいる。元々、この辺りを収めていた大名の側近だったらしくその頃からお家柄は裕福だったらしい。大名はもちろん、辺りの住人からも信頼が厚く慕われていた家だった、とのことだけど今の金持嫌三郎はそうじゃない。

 自分が稼業を継いでからというもの、金利は上げるわ町内会費の値上げはするわとにかく金に目がない。その上、かなり嫌味な人物で威張り散らすわなんでも金で解決しようとするわで好感度のこの字もないような人物だ。

 到着したのは更地の広場だった。夏祭りや年末年始の催しものをなどをしているここは、何もない平日には大きな櫓があるのみだ。


「おお、来たか鍵屋」


 下卑た笑みを浮かべる金持は櫓の上に仁王立ちをしていた。普段ならこの時間帯に人はいないが、金持の奇行が人目を惹いたのかちらほらと通行人こちらを眺めたり、人が集りだしたりしていた。


「お前に一つ、頼みたい仕事があってなぁ」

「でしたら直接ご予約を」

「いやなに、先日の松本庵の件聞いたぞ。随分な働きぶりだったじゃないか。俺にも開けてもらいたい金庫があってな。おい、持ってこい」


 蓮さんに負けず劣らずの屈強な男が櫓の上に木箱を担ぎあげてきた。大きい人の腰の高さほどある。


「この金庫の中身を出せ」

「ですからご予約を頂かないと。それに本職は鍵を作る側でございます」

「言い訳かぁ?逃げるのかお前。江戸の天才鍵職人が聞いて呆れる」

「逃げるだなんて言ってないでしょう?」

「そうか、ならこの金庫の中身を出してみろ、今からここで、だ」


 ここでって、屋外の人目に着くところで鍵を開けなければいけないなんて。そしてなにより、


「あの金庫、木製じゃないですか」


 木製の金庫を騒々しい上、集中力の削がれる環境で開けるなんてそんなの無茶だ。


「木の金庫だと何かいけねぇのか?」


 蓮さんが不思議そうに首を傾げた。


「木の金庫は金属と違って鍵の内部の音が聞き取りにくいんです。特にダイヤル錠の場合、中のダイヤルが噛み合う時の音が命ですから」

「なんだ錠吉、怖気づいたか?」


 金持は僕たちの会話を無視して唾とともに声を飛ばす。師匠は短く溜息をついた。


「……仕方ありませんね。開之助、道具を」

「あっ、はい。頑張って下さい」


 仕事道具を師匠に渡す。僕も櫓に上がろうとしたら、金持の側近をしているやつらに止められた。ここから見ているしかないというのか。

 師匠は櫓の上に到着するといつもと変わらぬ落ち着きのまま道具箱を開けて金庫に手を伸ばした。

 何か見世物をしている、と勘違いした人たちが櫓の周りにちらほらと集まってくる。

 「何やってるんだ」「錠吉先生が金庫を開けるそうだよ」「なんだってそんなことを」「まぁまぁ、先生の仕事を観れるなんて貴重じゃないか」「金持がいるってことは、仕組まれたな」


 祭りでもないのに櫓の周りにどんどん人が集まってくる。


「どうして、どうしてこんなことに」

「あのジジイ、松本庵に金貸しつける予定だったらしいがそれを先生に台無しにされたって腹立ててるらしいんだ」

「そんな!完全に逆恨みじゃないですかっ」


 怒りとほんの少しの悔しさで体が震える。だけど、非力な僕は櫓の下から師匠の姿を眺めているだけだ。どうか上手くいきますように。心の中で何度もそう唱える。そうだ、それに師匠は天才だ。今まで、師匠が金庫破りで諦めたところなんて見たことない。だからきっと大丈夫だ。

 一刻が過ぎて、また一刻が過ぎた。太陽が真上を通って、ゆっくりと西へ傾いていく。

 僕の顔色と反比例するように金持は饒舌になっていく。その度に師匠は「お静かに」と言うけれど、それは金持の舌に油を差すだけのようだった。

 江戸の町を照らす日は橙色に変わり、人だかりの輪がまた一つ大きくなっていく。


「すみません、ちょっと用を足してきます」


 師匠の戦いから目を逸らすことはしたくなかったけど、どこかで呼吸を整えたかった。そろりと踵を返して厠へ向かう。


「おっ、弟子ももう見てられねぇってか?」


 そんな冷やかしが聞こえてきたけど、反応したら負けな気がして無視を決め込んで速足で通り過ぎる。用を済まして戻ろうとしたところで人気のないはずの奥から話声が聞こえてきた。

 人目を避けるようにして抑えられたその声が何だか気になって足音を殺して声の方へ近づく。そこにいたのは金持の取り巻きをしているヤツらだった。あいつら、こんな物陰で一体に何を。


「それよりもちゃんとしてあるんだろうな、細工」


 細工?今、細工って言わなかったか?息を潜めてにじり寄る。


「あぁ、一滴で金属を溶かしすぐに固まるという酸を鍵穴の奥に垂らしてある。外から見ればただの鍵穴だが中は溶解した金属の塊、とてもじゃねぇが鍵穴とは呼べねぇよ。天才鍵職人だろうと開けられる訳がねぇ」

「何せ鍵と呼べる代物じゃねぇから、ってか。ぎゃはははっ」

「おいうるせぇぞ、気づかれるだろうが……。そこに誰かいるのか?」


 そう声が掛けられるのが早かったか、僕が駆け出すのが早かったか。とにかく一目散に走り出した。今すぐ師匠に伝えないと。


「すみません、通してっ、通してください」

「おい待て餓鬼!!」


 厠に行っていた数分の内に、櫓の周りには人だかりができていた。仕事を終えた人たちが帰路の途中で人だかりに気づいて、それが更に人を呼んだというところだろうか。


「師匠、お師匠、その金庫はっ」

「おい、そのガキを近づかせるなッ」


 金持の側近に追いつかれて首根っこを掴まれる。


「ここで騒ぎを立てれば分が悪くなるのは錠吉の方かも知れんぞ」

「くっ、クソっ」


 諦めて体の力を抜けばボトリと地面に落とされた。どうしよう、どうすれば僕は師匠の役に立てるだろうか。


「どうだ錠吉!どれほど天才のお前であろうと開けられないだろうっ」

「お静かにしていただけますかな?鍵というのは音が肝心な故」

「負け惜しみか、開けられない負け惜しみかぁ?さっさと降参した方が身のためなんじゃないのかぁ?」


 僕の一部始終を見ていて調子づいた金持は身振り手振りを大きくして師匠の周りをぐるぐると回る。


「今なら恥をかかずに済むぞ?俺へ楯突いた謝罪で許してやらなくもないぞ?どうする?」

「……うるせぇ」

「は?今なんと?」

「うるせぇっつてんだよ!!」


 真っ赤な夕日が燃え盛る中、そう叫ぶと師匠は金庫を高らかに持ち上げた。


「おいっ、貴様何を!?」

「師匠!?一体どうしたのですか!?」

「うるせ~~!!知らね~~!!」


 ドン!ドン!!バリーン!!!!!!!!!!!!!!!!!


 櫓に叩きつけられた金庫は二度目で木っ端みじんにぶっ壊れた。中身の巻物が木の破片とともに地上にバラバラと降ってくる。

 僕も蓮さんも金持もその側近も、そして囃し立てていた見物人もみんな師匠の豹変っぷりに息を飲んで固まっていた。


「はい、お望み通り金庫の中身を出しましたよ」


 師匠はすっかりいつもの落ち着いた物言いに戻っていた。


「……き、貴様、自分が何をしたのか分かっているのか?」


 わなわなと震える金持に、師匠は至極冷静な口調で続けた。


「貴方さまは『この金庫の中身を出してみろ』と仰っていました。鍵を開錠し、中身を取り出せ、との命令は受けておりません」


 師匠、そりゃないよぉ!?一休さんもびっくりなバイオレンス頓智だよっ。声にならない僕のツッコミに構う様子などなく師匠はぶっ壊した金庫、もうただの木くずとなった残骸から鍵部分だけを取り出した。


「これは錆、ではありませんな。微かだが湿っているし酸っぱい匂いがすることから強力な酸かとお見受けします」


 ほんの一分前まで五歳児の語彙力で叫んでいたとは思えないほど的確かつ端的な説明だった。


「おい見ろよ、この巻物ッ」

 蓮さんの言葉にそこら中の人が落ちた巻物を解いて開く。

「うわっ、こりゃひでぇ」「なんつー利率だ」「こんなの聞いたことねぇよ」そこかしこでそんな声が響く。

 その巻物には金持家が代々重ねてきた金貸の悪行帳簿がみっちりと書き連ねられていた。


 この一件と金持家の悪行の詳細はすぐに江戸の町中に広まった。仏と錠吉師匠だけは怒らせてはいけない、という噂とともに。

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天才鍵職人・錠吉の金庫破り 真白涙 @rui_masiro

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