猟犬

@magoichi-tsumugi

プロローグ

 くしゅん!…

 微風は爽やかに花粉症の鼻をなでる。

 陽春の四月だ。この季節、頭上に広がる空の青は常に控えめでありながら、ほどよく存在感がある。そんなふうに、雲と青とが黄金比で交わる清々しい空に反して、私の胸三寸はその三分のニを黒雲が占めていた。

「刑事生活の口火を切った途端だと云うのに、あの人とツーマンセルになるとは…」

 私は自らの星回りの悪さを呪わずにはいられなかった。

 間もなく、"あの人"との待ち合わせ時間だ。 私は開いていた夕刊を閉じおり、ゆっくりと立ち上がった。


 都を一望する山の手の界隈には、上品で垢抜けている邸宅や公館が数多く立ち並んでいる。その中でも牆壁がひときわ美しい建物が、内務省の第三庁舎であった。

 庁舎に入り、出入り口の立ち番をしている、うら若い婦警巡査に警部会室の場所を尋ねる。すると、彼女は怪訝な顔を見せてから答えた。

「警部会室は三階の西側廊下の三つ目の扉です。ですが、只今、警部会室は一切の入室を禁じております」

 私が頭をもたげるのを他所に彼女はこう続けた。

「なんでも、今日は警部会室に新たに挙用された方が着任されるそうなので締め切っているようです」

 私の他にも召集がかかった者がいるのか?などと考えているともう片方の立ち番の男が話しに割り込んできた。

「もしかして、貴方がドニーズ巡査長ですか?」

「え⁉︎」

 その質問に私よりも早く反応したのは彼女の方だった。

 泡を食う彼女に私がドニーズだとして何故驚くのかを尋ねると、どうやら"あの人"とツーマンセルを組むような人なのだから古株が来ると思っていたらしい。

 私はニ人に礼を告げた後、既知の情報やニ人との会話から"あの人"の人物像を想見しつつ警部会室へと向かった。


 三階、警部会室前。

 私はノックを三度ほどして一呼吸置いてから「失礼します」と言って入室した。


「馬鹿者が!」


 窓際に立つ黒い人影はそう言った。

 部屋の壁を切り取る窓はちょうど正面から西陽が差し込んでくる。

 突然の疾呼にたじろいながら目を細めているとふいに人影が窓から離れた。

 影は2人を隔てる大振りな机を回り込んで私の傍らへと移動した。

「今は幾人たりとも入室を許してはいないはずだが?何の用だ?」

「今日ここに着任となった、ドニーズ巡査長です。貴方とツーマンセルを組むよう達せられています」

「そうか」

 影が離れるのを感じながら、私は詰めていた息を吐き下した。

 薄らと影の中の"あの人"の像がみえてくる。

 肥満ぎみな大柄な体。

 かと言って上背などなく平均的な身長と比べると矮小の部類だろう。

 頭頂部の髪は余裕がなく、僅かに残った髪は頭皮に撫でつけ、地味な土色の背広を着ている。

 アデラール警部

 れっきとした共和国警察の幹部である。

アデラールはもとのように机を回り込むと、備え付けの椅子に座った。

「まったく、上はなにを考えているんだ。こんな事件のツーマンセルに貴様の様な青二才をよこしてくるとは…」

「こんな事件と言いますと?」

「四区で起こった殺人事件だ」

 四区といえばここに来る前に読んだ夕刊に、載っていた。

「ただの殺人事件なら、悩みはせんが。貴様、ラスティーユ監獄の件は知っているだろうな?」

 アデラールの今の発言で私は夕刊に掲載されていた事件を思い出した。

「はい、四区のラスティーユ監獄から捕虜が脱走したと云う事件ですね。しかし、その事件が我々の担当する事件と何の関係が?」

「殺されたのは脱走した捕虜だ」

「⁉︎」

 通常、捕虜などが関わっている事件は軍警察が担当するものだ。なぜなら、捕虜の持つ情報の漏洩を恐れた敵国がエージェントをもって救出や暗殺をしようとしてくる、そうした特殊に訓練を受けた人物を相手にしなければならないので当然、捜査をする側も危険に身を晒すことになるからだ。

「貴様が驚くのも無理はない、だが、命令は絶対だ。今日はもういい。帰って明日に備えろ」

 アデラールは此方に目を合わせずに吐き捨てる様に告げた。














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