第248話 機縁の場


     ◇


「何としたことか。あまりに大人しすぎて、別人かと思ったぞ? しかし馬子にも衣裳とはよく言ったものであるな」


 そう言って豪快に笑うのは、織田家重臣・柴田勝家その人であった。


「……はあ」


 そんな風に突っ込まれ、それまで猫を被っていた狐である乙葉は、大袈裟にため息をついてみせたのである。


「せっかく再会できたのに、いきなりそれ? 本当に織田の連中ってば田舎武者ばかりね」


 乙葉はそれまで纏っていた貞淑な雰囲気を脱ぎ捨てると、普段そのままの口調に戻ってふん、と鼻をならしてやる。


「しかし貴殿自ら我らを出迎えてくれるとはな」


 やや意外そうに、勝家はもらした。

 織田家一行の接待役となったのは姉小路頼綱であったが、乙葉は色葉に願い出てその接待役の一人になることを望んだという経緯が、実はあったのである。


 それは北ノ庄を訪れる面々の中に、柴田勝家の名を見つけたからだった。

 色葉も意外そうにしていたが、乙葉が熱心に頼むので了承。

 こうして接待役の一人になった、という次第である。


「疋壇城でのこと、忘れたわけじゃないでしょ? こうして再会できたのだから、再戦よ、再戦!」


 握り拳を作って宣言する乙葉をまじまじと見返した勝家は、やがてからからと笑った。


「な、なによ?」

「先ほどの言は失言であった。その衣装、よく似合っておる。朝倉の姫は誰もが美しいとは聞くが、貴殿もまさに噂に違わぬ艶姿よ。甲冑を纏うより、断然良いぞ」

「――――」


 それは乙葉にとって、まさに思わぬ言葉だったのだろう。

 一瞬ぽかんとなり、その顔が茹蛸のようになるのにはさほど時はいらなかった。


「な、ななな、なに言ってるのよ!」

「ほう。初々しいのう。わしがもう三十も若ければ、放っておかぬのだが」

「ば、ばば、馬鹿! そんな白髪首の癖に、何言っているのよ! おまえなんて、首を洗って待っているがいいわ!」


 そのまま回れ右をしてどこかへ行こうとする乙葉へと、勝家はまたも苦笑して呼び止める。


「待て待て。貴殿は接待役であろうにどこへ行く? 爺の相手もたまには良かろう」

「か、勝手なこと言って……」


 狼狽える乙葉の姿は、もしこの場に色葉がいれば目を丸くして眺めたことであろうくらい、珍しいものだった。


「むぅ……」


 ふくれっ面になる乙葉ではあったものの、その経緯を考えれば勝家との再会は、彼女自身が望んだことでもある。

 疋壇城での防衛戦は朝倉方の辛勝であったが、その最後の局面で乙葉は勝家と一騎打ちを演じ、そして勝てなかった。


 朝倉家の中では随一の猛将としてしられている乙葉ではあるものの、案外黒星も多い。

 負けた相手に対しては敵愾心を持つのが常であった乙葉ではあったが、しかし勝家に対してはやや感情が異なっていたと言える。


 一騎打ちで完敗したのは上杉謙信と、そして勝てなかったのは柴田勝家、この二人であると乙葉は思っている。

 江口正吉や一色義定にも敗れはしたが、あれは戦術上の敗北であって、個人的武勇の負けとは思っていない。


 そして上杉謙信はすでにこの世のひとではなく。

 そうなると、自身を腕っぷしのみで敗北に至らしめたのは勝家のみとなり、乙葉としても思うところがあったのだった。


 それが何であるか、実のとこと本人も分かってはいなかったと言っていい。

 だからこそ、機会を得て接待役を望み、自身の興味や関心を優先させたのである。


「いいこと? 死にぞこないのじじいなんて興味無いけれど、姉様のご命令で仕方なく、よ。感謝するのね?」

「ふむ。では存分に接待してもらおうか」


 結局。

 勝家が北ノ庄に滞在している間、乙葉はそのほとんどの時間を勝家の為に費やすことになるのだが、それはまた別の話である。


     ◇


 重陽の節句を目前に控えたその日、北ノ庄城の一角で、意図せぬ小競り合いが発生していた。


「――実にたわけたことを申される。我らと朝倉殿の関係を考えれば、先に進むは我らであるが道理。そこで控えておられよ」

「何をふざけたことほざくか。大逆の臣のそのまた家臣の分際で、偉そうなことを抜かす。筋道を知らぬ輩に譲る道などない」


 往来で互いに一歩も譲らず険悪な雰囲気をみせるのは、どちらもようやく二十歳を越えたであろう若者であった。


 かたや羽柴秀吉家臣・石田三成。

 かたや徳川家康家臣・井伊直政。


 事の発端は、秀吉一行と家康一行が鉢合わせしたことに始まる。

 どちらが先に進むかで話がこじれ、いつの間にやら若き二人の家臣らの間で主たちの代理戦争の様相を呈してきたのだった。


 しばらくは秀吉や家康も苦笑いして見守っていたのであるが、やがて騒ぎは人を呼び、徐々に拡大していけば笑ってもいられない。

 そんな折、その騒ぎに気付いてやってきたのが、大日方貞宗その人であった。


「互いに若いですな。羨ましくも思いまする」


 そう洩らすのは、貞宗の側近である島左近である。


 左近の任された美濃国郡上は、近年まで織田家の最前線に一つであり、そこから城主が動くことなど考えられなかったが、現在では両家は同盟し、緊張も緩んだため、再び貞宗の近くで働くことが多くなっていたのである。


「どちらに分があると思う?」


 貞宗に尋ねられ、左近はふむ、とその口論に耳を傾ける。


「口上手なのは、羽柴殿のご家臣の方でしょう。ですが……」

「ですが、何だ?」

「いちいち話し方に棘があるようですな。頭は良いが、周囲に嫌われる類の者です」

「ふむ」

「されど主への忠誠は疑いようもありませぬ」


 そう答えて、左近はしばし三成の姿を眺めていた。


「ではもう一人の方はどうか?」

「あの若者は存じております。あの若さで徳川殿の側近をされている者といえば、井伊直政でしょう」

「あれがか」


 噂では三増峠の戦いで家康と共に奮戦し、武田勝頼の首級をあげて武名を高めた若武者だ。

 貞宗も噂程度には知っていることである。


「武勇に優れ、徳川殿は良い家臣をお持ちであられます。されど多少気性が激しすぎますな。あれでは時には周囲の者の反発を招くことでしょう」

「似た者同士、ということか」

「似て非なるものとは心得ますが、ともあれ将来が楽しみな若者らには違いありますまい。どれ、それがしがそろそろ仲裁をしてくるとしましょう」


 どこか楽しそうにしながら諍いの場に向かう左近を見て、貞宗は苦笑した。

 ああいう忠義溢れる若者のことが、左近は好きなのだろう。

 忠誠とは無縁であると自覚している貞宗自身にしてみても、ああいう気概は羨ましいものがある。


「……何の騒ぎですか?」


 そこで冷たい声が響いた。

 静かだが、騒がしいことに多少の不快を感じているような、そんな声音である。

 振り返れば色葉の妹である雪葉と、それに先導された一行の姿があった。


「これは失礼をした」


 貞宗はただちに脇へと寄って、道を譲る。

 その一行は上杉家のものだった。


 今回、その接待役は雪葉が命じられていたはずである。

 見れば上杉景勝を始め、その家臣らの姿があった。


「少し諍いがあったようでな。なに、すでに仲裁に入っている。じきに収まるだろう」

「そうですか」


 事情を把握した雪葉は、少し戻って景勝らに事情を説明していく。

 そこには雪葉が警戒していた樋口兼続改め直江兼続の姿もあったが、雪葉は普段の柔和な雰囲気を崩さず、丁寧に接していた。


 聞くところによれば前年、上杉家の重臣であった直江家当主であった直江信綱が、同じく上杉家臣・毛利秀広によって殺害されるという事件が起き、景勝の命によって兼続が直江家の名跡を継ぐことになったという。


 この事件は重臣であった河田長親の遺領問題に端を発するものであったらしく、新発田重家の乱といい、上杉家の内情は決して安定した状態とは言い難いのは間違いない。


 ともあれこれも余談ではあるが、この時兼続は初めて石田三成という人物を見、のちに友情で結ばれることになるのだった。

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