第242話 越前帰国


     ◇


 天正十年六月二日。


 越前へと帰国したわたしは、一乗谷に入る前に、貞宗の居城である勝山城に滞在することになった。

 ここには面倒な相手がおり、これの処遇を定めなければならなかったからでもある。


「まさかこの日にこんなものと対面する羽目になるとはな」


 勝山城にて城主のごとくふんぞり返るわたしの前には、男女がそれぞれ控えている。

 一人は織田鈴鹿。

 もう一人は明智光秀である。


 そしてその鈴鹿の手の内には、髑髏がそっと抱かれていた。

 信長の首である。


 そして奇しくも今日は六月二日。

 この世界では微妙にずれたが、史実で言うところの信長の命日である。


 つまり今日こそが、いわゆる本能寺の変が起こった日なのだ。

 そしてそれに深く関わった光秀まで、わたしの前にいる始末である。


 しかも聞くところによれば、最後まで信長に付き従い、その自害を見届けた上で鈴鹿と信長の首を守り、貞宗の朝倉の陣まで駆けこんで、降伏を申し出たとか。

 大した忠臣ぶりだった。

 史実の光秀はどこへ行った、である。


「もっとお近くでご覧になります?」


 傍目には美しい姿の鈴鹿が、おぞましいしゃれこうべを抱えてほほ笑む姿は、かなり引いてしまう光景である。

 が、この女の場合はよく似合っていた。

 とはいえ、まったくどういう心境でいるのやら、と思ってしまうが。


「髑髏など見飽きている。それにそうなったら元の顔も判別できないしな?」


 骸骨などむしろわたしには身近な存在である。

 今でこそ大半が消えてしまったが、今でも直隆や直澄、隆基らは、化けの皮を剥がせば動く骸骨でしかない。


「色葉様にお会いできるのに、かなり時間がたってしまいましたので……。殿のお顔も崩れてしまい、やむなく綺麗にして差し上げたのですわ」

「にこにこ笑顔で言うな。それこそ嫁の貰い手がなくなるぞ」

「あら。わたくしは色葉様に嫁ぐものばかりと思っておりましたが」


 何を言っているんだこの女は。


「お断りだ。あと、晴景様の側室になる件も保留になった。こちらから信忠に送れるものが、今は見当たらなくてな。そういうわけだ」


 それでも鈴鹿がこちらに滞在することに関しては、信忠も了承済である。

 とりあえず先に人質を送って低姿勢でいることに関しては評価するが、しかし人質がこの女では、鬼を放り込まれたようなもので素直に喜べない。

 というか鬼そのものだったか。


「あら……。それは残念」

「残念なものか」


 まったく、本当に扱いの困る女である。


「ただまあ……約束は約束だ。面倒は見てやる。ただし、勝手なことはするなよ?」

「ふふ……。それはもちろん」


 鈴鹿が政治に口出ししないことは、信長の時で分かっている。

 それはいいのだが……やれやれ、である。


「その首はお前の好きにしろ。かといって、あまり見せ歩くな」


 一乗谷などでは、髑髏や骸骨は見慣れた存在ではあったものの、今は昔、である。

 それにやはり人の世である以上、それらしくないものは、排斥の対象となりかねない。


 朝倉家が小さかった頃はそれでも良かったが、今ではずいぶん大きくなり、そういった要素は少しでも見えないようしておいた方がいいだろう。

 ならわたしの尻尾やら耳やらはどうなんだ、ということになるが、これこそどうしようもないので放っておくしかないのだが。


「あらあら。わたくしはてっきり、この髑髏で杯をお取りになるのかと思っておりましたのに」

「……お前なあ」


 さすがに呆れてしまう。


「殿のことを語るに、髑髏杯を片手にすれば、お話も弾むものかと思っておりましたのに……ね」

「そんなところまで信長の真似をしなくてもいいだろうに」


 信長がかつて、朝倉義景の髑髏を薄濃にして髑髏杯を作ったことは知られているが、この時代の風習もあったとはいえ、場合によっては好意的に解釈できないこともないらしいが、それでも趣味の悪いことである。

 以前、骸骨兵を大量生産していたわたしが言うことではないのかもしれないけれど。


「とにかくどこかにしまっておけ。あと、お前には一乗谷の中に新たに屋敷を作ってやるから、そこに住め。それまではここにいろ」

「色葉様と同じお屋敷では住めませんの?」

「わたしが嫌だし、乙葉あたりが騒ぐだろうから却下だ」


 本当は一乗谷にすら住まわせたくないが、もっともわたしの目が届き、逆にもっとも外からの目が届かないのが一乗谷である。

 これ以上、打って付けの場所などないだろう。


「お嫌とか、おっしゃらないで下さいな。哀しくなります」

「わたしは正直者なんでな」


 手を振って鈴鹿を黙らせると、わたしはやや疲れた気分を振り払いつつ、隅に控えるもう一人の人物へと視線を送った。

 明智光秀である。


「朝倉に仕えたいそうだな?」

「……は。叶いますならば」

「織田家に戻ることだってできただろうに、どうしてだ?」


 光秀は確かに最後まで信長に従ったが、その最期を見届けたことで忠誠は尽くしたはずである。

 そして光秀は織田家の重臣だったのであるし、その手腕は家中に知られており、帰参を願えば信忠も受け入れたことは想像に難くない。

 それがどうして朝倉を選んだのか、だ。


「元より討死を覚悟しておりましたが、殿に……朝倉に行くように命じられました」

「ああ、鈴鹿を連れて来たんだったな。しかしそれなら目的は果たしたんじゃないのか? わざわざ仕える必要もないだろうに」


 信長がどこまで知り得ていたかは知らないが、鈴鹿は信忠と通じていた。

 であれば、その鈴鹿の口添えで光秀の帰参などどうにでもなったはずである。

 だからこそ、ただただなりゆきで、とは思えないである。


「朝倉家への仕官は、殿の命なれば」

「信長が、ね」


 これはどういうことなのだろう、とわたしは考え込む。

 明智光秀のことは、以前から目をつけてはいた。

 そのため調略と言うほどではないが、それなりに接触を重ねてはいたのである。


 しかしこれは朝倉に引き込むという意味ではなく、信長に対する切り札として、だ。

 ところが今回、信長に対して謀反したのは光秀でなく、信忠であった。


 光秀などは最後まで信長に忠節を尽くす始末である。

 となると、どうしたものかと思ってしまうのだ。


 そもそも史実においても、光秀が信長に対して謀反した理由は不明であり、その動機がよく分からない。

 実際にこの世界においては、思わぬ結果になっている。

 だからこそ、さてどうしたものかと思うのだ。


「正直なところを言えば、朝倉家では人材が払底している。お前の能力は確かであるから、召し抱えるのもやぶさかではない」


 今回、光秀個人だけでなく、その明智一党が全てこちらに仕えたい、と言っているのである。

 これはなかなかにおいしい。


「確か近江坂本が、お前の居城だったな?」

「は」

「あれはわたしが大砲で吹き飛ばしてやったせいもあって、今は放棄されている。あれを修復することを許そう。所領も当時のものと同程度を宛がう。それでお前の家臣どもは養えるだろう」

「ありがたき幸せにて」


 今後、西に目を向けるとなれば、近江や京方面に人材等を多めに配置しておくことは、布石としては悪くないだろう。

 特に畿内には秀吉がいるし、油断はできないからな。


「京は今、久秀に任せてあるが、あれももう歳だ」

「ご壮健である、とは伺っていますが」

「若い孫娘のようなものを連れ歩いてあちこちに出没しているようだから、元気といえば元気なのかもしれないが」


 放っておいたらそれこそいつまでも生きていそうな雰囲気ではあるが、それでもいい歳である。


「お前も京のことは詳しいだろう? 領分を侵さない程度に久秀に協力して、京の面倒を見ろ。いずればお前に京を任せてもいい」


 公家どもの相手は基本、頼綱に任せてあるが、越中という領国経営もあるし、あれもなかなかに忙しい男である。

 なので頼綱ばかりに任せておくのもどうかと思っていたが、光秀がいるのならばある意味打って付けだろう。


「落ち着くまでは北ノ庄に滞在して、晴景様に気に入られるように努力しておけ」

「承知致しました」


 首肯する光秀。

 やはり貞宗に似ていて、真面目な奴である。


 ともあれこれで、諸事は片付いたといえるか。

 考えなければならないことはたくさんあるが、とりあえずは後にしたい。


 明日には亥山城に入り、景鏡に挨拶をした上で、明後日には一乗谷に向かう手筈になっている。

 早朝には出発する予定だったから、今日のところは早くに休みたかった。


 もっとも鈴鹿がずっとわたしを拘束して放さなかったことで、ややげんなりしながら翌朝を迎えることになったのではあるが。


     ◇


 六月三日。

 亥山城へと入ったわたしを待ち受けていたのは、景鏡だけではなかった。


「お帰りなさい! 姉様!」


 勢いよく飛びついてきたのは誰であろう、乙葉である。

 当然わたしにそれを支える力などもうない。

 横手から割って入った雪葉が乙葉を受け止めてくれなかったら、わたしは見事に吹き飛んでいたことだろう。


「……乙葉様? 相変わらずのようですね」

「うあんっ。雪葉、放してよう!」


 じたばた暴れる乙葉に、しかし雪葉は冷たい視線のまま放そうとはしない。


「大人しくしないと尻尾を引き千切りますよ?」

「仮にも姉に対する態度がそれ? 姉様、雪葉がいじめる!」


 なるほど。

 曖昧ではあったけれど、乙葉の方が雪葉より姉になるのか。

 まあ実年齢では確かに乙葉の方が上らしいが、見た目や落ち着きようでは雪葉の方がどう見ても姉である。


「姫様はお疲れなのです。だというのにあなたはまったく……」

「だ、だって嬉しかったんだもの! 一年振りなのよ? そりゃあ雪葉はずっと一緒だったから良かったのだろうけど、妾の気持ちはどうなるの?」

「だからといって、姫様を傷つけていい道理はないでしょう」

「それは……そうだけど」


 しゅん、となる乙葉。

 まあいかにも乙葉らしくはあるが。


「放してやれ、雪葉」

「はい」

「乙葉、長らく留守にして悪かったな」


 そう労って、わたしは乙葉の耳を撫でてやった。

 これをされると気持ちがいいのは、わたし自身がよく知っている。


「えへへ」


 案の定、人目もはばからずに相好を崩す乙葉。

 ちなみに乙葉は一乗谷とこの亥山城を、行ったり来たりしていたらしい。

 景鏡がいるから、というのもあるが、少しでもわたしに近いところにいたかったから、という理由の方が大きかったのだろう。


「小太郎は?」

「元気だよ!」

「そうか。それならいい」


 小太郎とも一年は会っていないわけで、だいぶ大きくなったことだろう。


「あ、あと朱葉がうるさいから早く会ってあげて」

「……あっちもだいぶ育ったんだろう?」

「育ち過ぎ」


 小太郎や朱葉のことは乙葉が文に書いていたからよく知っているが、やはり朱葉の成長が著しいらしい。

 とても人の子とは思えないとか何とか。

 まあ人の子ではないのだろうけど。


「たぶん、今日は姉様にくっついて離れないと思うよ? まだかまだかってうるさかったし」

「それは……やれやれ、だな」


 まあ一年も留守にしていたのだから、多少は付き合ってあげてもいいかとは思うが、それでも多少はげんなりしてしまう自分がいた。

 とはいえ仕方ないか。

 乙葉などは一年も付き合ってくれたのだ。

 長旅で疲れたとはいえ、泣き言など言っていられない。

 それにあと少し、なのだから。


「母様!」


 などと思っていたら、幼女がとてとてと覚束ない足取りで駆け寄ってくる。

 その後ろには景鏡と、その景鏡に先に会っていた晴景が小太郎を抱えてこちらに歩んでいるところだった。


「……母様?」


 聞き慣れない呼びかけに小首を傾げると、乙葉が笑う。


「人前ではそう呼べって躾けたの」

「なるほど」


 朱葉は普段、わたしのことを主様と呼ぶ。

 乙葉や雪葉の前ではそれでもいいが、確かに余人の前では違和感しか無いだろう。


「……しかし大きくなったな?」

「本当に……そうですね」


 あれはもう、五~六歳くらいの背丈だろうか。

 どうも倍くらいの速度で成長しているらしく、隣で雪葉も少し呆れているようだった。

 まあ、晴景に抱えられている小太郎もずいぶん大きくはなっているけれど。


 そんなことを思っているうちに、足元へとたどり着く朱葉を抱きかかえてやろうとしゃがみ込んではみたものの、力が入らずに断念する。


「ん、無理だなもう」

「いえ、ぎゅっとしていただけるだけで私は幸せです」


 また流暢にしゃべるようになったし。


「あー、朱葉ばっかりずるい!」


 乙葉が何やら抗議の声を上げる。

 わたしが要望通り朱葉を抱きしめてやると、さらに文句を言おうとして――雪葉に耳を引っ張られていた。


 しかしわたしの家……大きな意味ではなく、小さな意味での朝倉家も、賑やかになったものである。

 昔はわたし一人だけのようなものだったからな……。


 何となく、何となくではあるが、その時はそんな風に思ったものであった。

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