第233話 小田原の変
◇
天正十年三月三日。
二ヵ月に渡って続けられてきた北条家との和睦交渉が、ついに本日で決着する運びとなっていた。
北条方の交渉全権は大道寺政繁。
朝倉方は武藤昌幸である。
今年の正月から始められた交渉に二ヶ月も時を要したのは、とにかく交渉が難航したからだった。
正確には難航させた、が正しいが。
そもそもの交渉役は徳川家康であり、表面上、交渉は順調に進んだ。
すぐにも和睦交渉は成立するかにみえたのだが、ここで家康が病に倒れ、急遽江戸に引き揚げてしまったのである。
当然、これは仮病で家康と昌幸の策の一環であった。
ともあれ北条方は交渉を再開すべく、板部岡江雪斎を派遣してきたが、その交渉にわたしは難色を示し、本気で交渉する気があるのなら家康か、もしくはもっと重臣を出してこいとごねたのだ。
そこで派遣されたのが松田憲秀である。
これは紛れもない北条家の宿老であった。
わたしは憲秀が派遣されてくると手のひらを返し、懇ろに扱って、もてなしてやった。
交渉も前向きに検討してみせた。
ついでにかつて武田家に寝返っていた憲秀の子である笠原政尭を使い、懐柔工作を行ったのである。
結果として憲秀の篭絡に成功した。
これが二月二十一日のことで、織田家の内乱の情報を意図的に流し、北条家の不利を悟らせた結果であったといえる。
しかし松田憲秀の内応は、即座に甲府にあった北条氏直の知るところとなった。
これは憲秀の次男・直秀が氏直へと密告したためである。
そのため憲秀は監禁され、交渉も決裂するかにみえたが、事態を知った家康が北条氏政に注進し、それでも交渉は続けるべきとして、新たな交渉役に大道寺政繁が選ばれたのだった。
「もはや交渉はこれまで。後は武をもって答えを出すのみ」
「ならば一戦に及ぶまで」
三月三日、わたしの代理として交渉を担った昌幸は、首尾一貫して強気で交渉に臨み、北条方もこれを受け入れることは叶わずに決裂。
甲府の北条勢はにわかに臨戦態勢となって、新府再攻撃の気運を高めることになる。
この事態を重く見た氏政は、病床にあった徳川家康へと再度交渉に臨むよう使者を出し、家康はこれを受諾。
しかし甲斐ではすでに一触即発の状態となっており、あまりに危険な交渉役であったため、家康は江戸衆を率いて万が一の場合は援軍となることを提案し、氏政はこれを承知した。
三月十日。
手勢を搔き集めた徳川勢が、小田原城に入城する。
そして事は勃発した。
世にいう、小田原の変である。
/
その夜、小田原城は騒然となった。
各所で火の手が上がり、けたたましい喧噪に包まれたからである。
「何事か!」
寝所より飛び出した氏政の元に、当初、確かな情報は伝えられなかった。
あまりにも城内が混乱していたため、情報が錯綜し、その精査に時を要してしまったからである。
だがそれも、やがて一つの結論に達した。
すなわち、徳川家康の逆心である。
小田原城は難攻不落とされた城の中でも随一といっていい。
基本的に関東の城は土塁によるものが多い中で、石垣をふんだんに用いており、また広大な外郭をもった総構えの城である。
大軍をもってこれに篭れば、容易に落とすことが叶わないことは明白で、かつて上杉謙信や武田信玄も攻略し得なかった鉄壁の城であった。
だがそんな城であったとしても、内部から攻められてはひとたまりもない。
またこの時、小田原城に多くの将兵はおらず、主に甲斐に振り分けられていたことも仇となった。
家康の手勢は僅か二千であったが、これを落城せしめるに十分であったのである。
「おのれ家康、血迷ったか」
氏政は自ら槍を引っ提げるとただちに応戦を指示。
殺到する徳川勢を相手に、孤軍奮闘した。
しかし突然の急襲に迎撃態勢もままならず、次第に追い詰められていった氏政はついに城に火を放ち、近臣が敵を防ぐ中、一室に篭って腹を掻っ捌き、自害して果てたのである。
享年四十四であった。
◇
小田原の変事はすぐにも各方面に伝わった。
真っ先に同調したのが、駿河の穴山梅雪である。
梅雪は即座に軍勢を繰り出して、伊豆方面に侵攻。
家康が小田原城を抑え、相模一帯を掌握するのを助けるために、氏政の弟である北条氏規の守る伊豆韮山城へと兵を進めた。
一方、甲斐国府中にあった北条氏直の陣営にも、この悲報はもたらされていたのである。
「ただちに取って返して逆賊徳川家康を討つべし!」
氏直はいきり立ったが、これが容易ではないことは明白であった。
今、前面の新府には朝倉勢二万がいる。
これをどうにかしない限り、撤退などままならない。
しかも悪いことは重なるもので、駿河の穴山梅雪が伊豆方面に目掛けて進軍を開始したという。
明らかに行動が早く、事前に準備をすませていたことは明らかである。
これでは南下して相模に戻るのは如何にも危うい。
途中で退路を断たれれば、北条勢四万といえど壊滅してしまう。
ならば郡内方面を抜け、八王子に出でて撤退に及ぶしかない。
しかし氏直がそう判断する可能性が高いことは、当然色葉もわきまえている。
変事を想定していた色葉はこの日に備え、高遠城の朝倉晴景の別動隊以外の全ての兵力を結集し、各方面から関東平野に雪崩れ込ませた。
そして自身は朝倉の主力を率い、撤退準備にかかる北条勢に対し、大規模な追撃戦を敢行したのである。
氏直は三万の兵を率いて撤退すると同時に、一万の兵を大道寺政繁に任せて殿とし、追撃の備えとした。
これに襲い掛かったのが、色葉が指揮する朝倉本隊二万。
すでに士気が低下し始めていた北条勢は及び腰になっており、劣勢な戦いを余儀無くされたが、しかし率いるはこれまで北条家にて文武両道の働きをみせてきた大道寺政繁である。
「ほう。よく守る」
政繁の働きは色葉をして感心するほどで、北条勢もまずはその面目を保てたといえるだろう。
しかし多勢に無勢。
更に色葉直属の隊は士気が異様に高く、猛烈果敢の勢いでもってこれを崩しにかかった。
ついには政繁も支えきれずに総崩れとなり、降伏。
自身の命と引き換えに将兵の助命を請うと、色葉は意外にも政繁を処断せず、戦功次第では家臣に取り立てることもやぶさかではないとして、これを戦列に加えたのである。
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