第234話 初陣


     /色葉


 甲府合戦にて勝利したわたしは、三月十三日、先行した北条氏直を追撃すべく速やかに郡内地方へ進出した。


「姫様。先の戦でお疲れのはず。この先は昌幸様にお任せになって、新府に戻られるべきです」


 戦場に出たがるわたしに難色を示したのが、雪葉である。

 一度倒れていることを鑑みれば、当然の反応といえた。


「たわけ。今こそ氏直を始末する好機なんだぞ? それを他人に任せてどうする」


 氏政の死は北条方に大きな動揺を与えたことは間違いない。

 本拠地である小田原城の陥落も、それを助長した。


 しかし氏政はすでに氏直に家督を譲った後であり、その氏直が健在ということもあって、比較的冷静に行動していたともいえる。

 案外有能なのかもしれなかった。


「ですが」

「そんな顔をするな。無理はしない。極力後方にいる。雪葉の傍を勝手に離れない。……これで妥協しろ」

「……はい」


 渋々といった感じで、雪葉は頷いた。

 よほどわたしのことを心配しているようで、当然その顔に納得の様子は無い。


 が、わたしの命にも逆らえない。

 難しいところである。

 他人事ながら、わたしはそう思うのだった。


「昌幸、手筈は?」

「すでに」

「ならば追いつけるな?」

「追いつけねば取り逃がしてしまいますな」

「取り逃がしたら折檻してやる」

「それは遠慮申し上げたいので、進軍を速めると致しましょう。もちろん、色葉様はゆるりとお越し下さいませ」


 わたしを急かすと隣の雪葉が怒り狂いかねないので、そう一言付け加えるあたりが昌幸の世渡り上手なところである。

 ともあれ昌幸はわたしに代わって本隊を率いると、強行軍で先行した。

 わたしは後詰である。


 氏直率いる北条の主力部隊は、郡内地方を通過してまず八王子城を目指しているはずである。

 が、ここを通過することは予め予想の範囲内であったため、わたしはこれを足止めする策を当然用意していたのだ。


 もともと郡内地方は武田家臣・小山田信茂の所領であった地だ。

 信茂はいったん北条家に降ったかに見せかけて、土壇場でこれを翻し、新府城にて玉砕して果てた。


 そのため信茂の居城であった谷村城に残されたその家族は時を稼ぐことができ、周辺に潜伏。

 わたしはこれを捜し出して小山田氏の再興を約束し、同時に郡内の国衆を懐柔し、北条勢の撤退に呼応して蜂起させたのだ。


 この一揆により、氏直の本隊は岩殿城周辺にて身動きが取れなくなっているはずである。


「そうしよう。……ああ、そういえば昌幸」

「は」

「信幸を初陣させたそうだな?」


 信幸、というのは昌幸の嫡男のことである。


「あれも十六でありますれば、早きことも無いかと」

「そうだな。で、だ。それを聞きつけた源二郎がうるさくてな。あれもつれていけ」

「は? いや、しかし……?」


 今回の遠征に、わたしの身の回りの世話ということで、小姓どもも連れてきている。

 その小姓もずいぶん増えたが、もともとは昌幸の次男である武藤源二郎一人だけであった。


 その源二郎が兄である源三郎こと武藤信幸が初陣すると聞き及び、わたしに自分もさせて欲しいとねだってきたのである。

 小姓どもの中では筆頭ということもあってか、何かしら気負うところもあったのだろう。


「源二郎も十五。別に早いというわけでもないだろう?」

「それはそうですが……。しかし初陣ならば我々とではなく、色葉様の元にてよろしいのでは?」


 昌幸の言いたいことは分かる。

 先ほども雪葉に言ったように、しばらくわたしは前線に出るつもりは無い。

 比較的安全な後方が中心となるからだ。


「気持ちは分かるが、それでは不満も残るのが目に見えている。足手まといかも知れんが兄弟共々連れていけ。命令だ」

「……色葉様がそうおっしゃるのなら」


 信幸や源二郎はまだまだ若いが、今後の朝倉家にとって必要な人材になるだろう。

 となれば、早くに経験を積ませておくべきである。

 こうして昌幸は本隊を率い、先行した。


「姫様は、このまま関東を席巻するおつもりなのですか?」


 雪葉に聞かれ、わたしは首を横に振る。


「武田の遺領から北条を駆逐し、関東の入口までは攻め入るが、深入りはしないつもりだ」


 ここで氏直を仕留めることができれば、相模北条家は滅ぶかもしれない。

 しかしだからといってその遺臣が即座にこちらにつくはずもなく、必ず残党による抵抗があるだろう。


 これらを制圧するには、まず兵力が足りないし、時もかかり過ぎてしまうだろう。

 美濃方面の変事もあることだし、あまり関東にばかりかまけていられないのである。


「関東までの交通路を朝倉が抑えることができれば、まずはそれで十分だ。後は徳川と上杉に任せる。もちろん、我々に靡く輩が出てくるのであればこれを糾合し、関東にも影響力を残しておく算段ではあるが、それは外交での話だな」


 上野を上杉に任せたのと同様、北条領は家康に任すつもりだった。

 いわゆる下克上にて小田原を奪取した以上、その北条の残党からの遺恨は家康に集中することになるだろう。

 これを排除しつつ関東を切り取っていくのは、なかなか難儀するはずである。


 が、それでいい。

 家康が手間取っている間に景勝へと南下を促し、領土を拡大させる。


 これは上杉と徳川が、お互いにお互いを牽制するような立ち位置にするためだ。

 そして北条の残党どもにとって、その二つは仇敵である。

 となれば、その遺臣は朝倉に流れてくる公算が高い。


「大道寺政繁を生かしておいたのも、関東を追われた残党どもが朝倉を頼り易くするための布石だったというわけだ」

「なるほど。姫様は全てをお滅ぼしになった上で、これらの上に君臨される……というわけではないのですね」

「それでもいいが、時がかかり過ぎるからな」


 従わない勢力は当然根絶やしにするが、臣従するような勢力に対しては本領安堵もやぶさかではない、ということだ。


 もちろん、野心家の家康などは如何にも危ないが、同時に長い物には巻かれろを実践できる狸でもある。

 早い話、家康よりもわたしが長生きすればすむ話なのだ。


「家康にしろ、景勝にしろ、これで関東には朝倉家に好意的な勢力が根を張ることになる。奥州の田舎大名どもは、これらに任す。その間に、改めて西だな」


 美濃で進行している織田信忠の下克上は、ほぼ成功で間違いない。

 その後の織田家をどうするかで、今後の朝倉家の存在が変わってくる。


 それはそれでややこしい仕儀にはなりそうだったから、早々に越前に帰還したいというのが本音だった。

 あと秀吉も動きも牽制しておく意味で、な。

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