第228話 天正十年元旦
/色葉
天正十年元旦。
年始ということもあって、新府城内は賑やかな雰囲気に包まれていた。
この日くらいはと、例の如く無礼講にしてどんちゃん騒ぎをさせていたからである。
「……姫様。今日はあまり飲み過ぎではいけません」
家臣どもが馬鹿をやっているのを眺めて、酒をどんどん喉に流し込んでいると、雪葉がそっと窘めてくる。
「ん、そうだったな」
頷きながらももう一杯、とあおり、ため息をつく雪葉にわたしは陽気に笑ってやった。
「お前も飲め。ザルなのは知っているぞ?」
「……姫様ほどではありません」
「なら乙葉には勝てるか? あれも強いぞ?」
そういえば乙葉ともずっと会っていない。
定期的に文を送っているから、とりあえず元気にやっているのは間違いない。
余談ではあるが、乙葉の文面は普段とはかけ離れた仰々しいもので、つい笑ってしまうほどである。
「乙葉様には負けませぬが、そのような勝負などどうでもよろしいのです」
あ、少し怒っているな、これは。
「わかった、わかった。あまりうるさく言うな」
「如何にお酔いにならないとはいえ、そのように召し上がられてはお身体に障ります」
「はいはい」
仕方が無い。
ここらで杯を置くとするか。
杯を手放した代わりにわたしはごろんと横にになると、雪葉に膝枕をさせた。
こうなったらわたしの耳を撫でるのは、もはやお約束である。
普段ならば家臣の目の前ではしたない、と怒られるのだが、今日は小さくため息をついて何も言わずにそっと撫でてくれた。
うん……気持ちいい。
そのまま家臣の馬鹿騒ぎを眺めつつ、時折無理難題を家臣どもに押し付けて愉しんでいると、まったく酔った様子も無い場違いな奴がやってきたのである。
「色葉様」
「ん、貞宗か。お前も飲んでいるのか?」
「全ての者が酔いつぶれては話にならぬでしょう」
「つまらん奴め」
もっともな貞宗の言に、しかし暴言を吐くのがわたしである。
「姫様、お口をお塞ぎ下さい。貞宗様に失礼です」
「む。雪葉、やっぱりお前は貞宗の味方をするな? 千代女の時だって……」
などと愚痴をこぼしていたが、雪葉はそれを無視してお勤めご苦労様です、などと貞宗に頭を下げていた。
「元よりこのような席は得意ではなくてな。ちょうどいいとも言える。雪葉殿こそ色葉様の面倒に骨が折れることだろう」
「……今はお酒の方が優勢のようで、やや難儀しております」
「困った主であるな」
あ、こいつら何分かり合っているんだ。
別にわたしは酔っぱらっていないというのに。
「というかお前、何しに来たんだ?」
半眼になって改めて問い質すと、貞宗は声を潜め、そっと耳打ちしてきたのである。
「……徳川家康殿が参っております」
「――――」
そう、か。
ちゃんと来たらしい。
「よし、会うぞ」
「お待ちを姫様。お会いになるのであれば、お召し物を整えてからにして下さい。かなり乱れておりますゆえ」
「いや、別に気にしないし?」
「して下さい。でなければこうして引き合わせたわたくしの面子に関わります」
「むぅ」
相変わらず体裁にこだわる奴だ。
「貞宗様。しばし徳川様のお相手をしていただけますか?」
「わかった。……では色葉様。しゃきっとなされてからお越し下され」
二人してわたしを子供扱いした挙句、貞宗はさっさと行ってしまうし、雪葉には急かされてしまう始末である。
まったく主を何だと思っているのだろう。
◇
徳川家康との会見は、実は事前に入念に準備されていたものだった。
事は昨年の十月に遡る。
この時点で甲斐での北条家との戦線は膠着しつつあり、事態の打開を図るべくわたしは雪葉を相模へと送り込んでいたのだった。
目的は北条を内部から切り崩すため、である。
これはもともと昌幸との間で練っていた策謀の一環であった。
徳川家康が北条氏照の勘気により手勢を引き揚げたことを知ったわたしは、これは使えると判断して色々と悪だくみをしていたのである。
まずは意図的に流言し、氏政と家康の関係を悪化させる。
悪化したところで家康に対して刺客を差し向け、窮地に陥れたところでこれを雪葉に救わせて、誼を結ばせた。
乱波の類である風魔を唆して家康を襲わせるまでが難しかったが、これは内部潜入させていた雪葉の手により、成功するに至っている。
どういう手段を用いたのかは知らないが、現状、風魔の半数は雪葉の手駒に成り果ててしまっているらしい。
襲撃前から北条に対し、異心を抱きつつあった家康である。
これを揺さぶるのは容易だった。
雪葉は家康と交渉を重ね、ついにはわたしと直接交渉する旨を了承。
どうやって直接会おうかと思っていたのだが、家康の奴、うまく氏政に調子を合わせて機嫌をとり、今回の和睦交渉の使者を志願したという。
大胆な密談もあったものである。
北条との和睦交渉は一月四日に予定されていたが、それに先立ってこの元旦に、家康は密かにこの新府を訪れた、というわけだ。
もちろんこれも、事前の予定通りである。
事を承知している昌幸や貞宗の手の者が事前に手筈を整えて、この城まで密かに導き入れたのだ。
というわけで、家康との会談である。
会うのは当然、初めてだ。
「お前が狸親父か」
開口一番がこれなものだから、家康も唖然としてわたしを見返していた。
「ひ、姫様……」
隅に控えている雪葉も、困ったようにこめかみを抑えているし、家康の護衛としてくっついてきた井伊直政も、呆気にとられたような顔をしている。
「狸と言われても、わしは貴殿のような耳や尻尾は生えておりませぬぞ?」
その中で一番に調子を取り戻したのは、やはりというか家康本人である。
「見えないからこそ性質が悪いというものだ。持ち前の腹黒さを隠せるからな?」
にやりと笑って言ってやる。
「……なるほど。聞きしに勝る姫君のようですな」
「ふん。交渉する前に、十分にわたしという存在を弁えておけ。でなくては話がまどろっこしくて叶わんからな」
極力横暴な態度でもって、わたしは家康に接した。
これは別に、意地悪しているわけではない。
単に家康のことを警戒しているだけである。
何といってもこの男は史実において、天下を取った人物だ。
侮っていい相手ではない。
「さて、徳川家康よ。わたしが朝倉色葉だ。三増峠の戦いのいきさつは聞いている。見事だったと褒めてやろう」
「……よろしいのか? あの戦で貴殿の義兄となる武田勝頼を、わしらは討ち取っておる。ある意味で仇であろうに」
「勝頼が不甲斐なかっただけだ。そう、思うことにしておく」
「つまり水に流す……と?」
「雪葉にはそう伝えるように申し付けたぞ?」
家康がここに来たということは、つまりわたしの話を受ける、という意思表示でもある。
雪葉曰く、最後まで明言はしなかったそうだが、そこは用心深い家康らしいというべきか。
「確かに」
家康は頷く。
「で、腹はくくったのか?」
雪葉が最後まで引き出せなかった言葉を聞くために、わたしは単刀直入に尋ねた。
つまり、朝倉家につくのかどうか、である。
「……お家再興の確約は」
「わたしが約束する。差し当たっては武蔵、相模は保証する。駿河に関しては思うところもあるが、穴山をうまく取り込めるというのならば、これもくれてやろう。ただし遠江はその限りではないと思え」
北条が支配しているのは遠江の半国であるが、これの領有を認めなかったのには理由がある。
織田家との分断のためだ。
織田と徳川は縁が深く、再びどこでどう繋がるか分かったものではない。
海路を含め、極力両者の間を割くための処置である。
「浜松は元はお前の居城であったのだから、これを思う気持ちは察するが、わたしとていらぬ心配はしたくないからな」
「……いや、十分であります」
今わたしが保証した国を合わせるだけでも、以前の徳川家の所領を大きく上回ることになるはずで、文句など許すはずもない。
「かくなる上は、朝倉殿のご協力をお願いしたく」
「いいだろう」
家康の決断に、わたしは満足げに頷いてやる。
わたしが雪葉を通して家康に持ち掛けたのは、徳川家の再興である。
つまり大名として、一国一城の主に返り咲くのを手伝ってやろう、ということだ。
今現在、家康は北条家の客分となっているが、まあ臣従しているに等しい。
要するに北条を裏切るように仕向けたというわけだ。
しかも最悪の形で。
「甲斐の北条どもは任せておけ。誰一人として相模には帰さん。家康、お前は小田原だ。分かっているな?」
「……は」
「よし」
北条の主力は間違いなく、この甲斐に集中している。
つまり、本拠地である相模は手薄な状態なのだ。
これを活かさない手は無い。
「小田原城は難攻不落と聞く。まともに落とすのは至難だろう」
「確かにそのように心得ますな。されど、どれほど強固な城も、内からは脆いもの」
「その通りだ」
家康もちゃんと分かっているらしい。
「命がけでやることだな? 例えお前が失敗したとしても、わたしとしては大して痛くもない。しかし成功したならば、その後の協力は惜しまん。徳川の独立を認め、その領分を侵さないことを約束する。他に質問は?」
「特にはござらん」
「いいだろう。ではお手並み拝見といこうか」
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