第226話 遠照寺の会見④
「い、色葉よ。どうするか……?」
「別に晴景様が側室を持つことに反対などしない。好きなだけ持てばいい」
これに関しては本音である。
わたしは別に、晴景を独占する気は毛頭無い。
とはいえ、だ。
「……証についてはひとまず保留として欲しい。信忠殿の誠意はわたしも理解した。が、こちらにも事情はある。ここでは即答しかねるぞ」
わたしにしては珍しく、どうするかの明言を避けて、保留などという曖昧な答えを返すことになってしまった。
こればかりは少し時をもらってでも考える必要がある。
「その前にもう一つの問題を明らかにし、どうするのかを聞きたい」
むしろそれの方が問題で、証など後で考えてもいいことだ。
「それは?」
「信長のことだ」
信忠は信長に内密に、事を進めている。
そして朝倉家も信長ではなく、信忠を交渉相手として認めた。
ということは、この交渉が成立するか否かは、信長という存在がどう影響するかで変わってくるということになる。
ありていに言えば、交渉を進めるにあたっての最大の障害になり得るだろう。
それをどうするのか、と聞いているのだ。
「父上には隠居をお奨めする」
「隠居……ねえ」
ちなみに史実だと、信忠はかなり早い段階で家督を信長に譲られている。
もっとも形だけで、実際には従来通り、織田家を統括する立場にあったようだが。
しかしこの世界では、どうも家督継承は行われていない。
尾張や美濃などは譲られていたようだが、相変わらず信長が織田家の当主としてある。
その原因は不明だが、恐らくわたしの存在に起因するのだろう。
史実と違い、武田家や朝倉家が未だ健在で、織田政権の完全安定には至っていないからである。
「あれがはいそうですかと受けるとでも思っているのか? 仮に受けたとしても、大人しくしていると思うのか」
わたしなどには想像もつかない。
「受けて下さらぬのならば、力づくでもこれを為す所存なれば。また、もし隠居なさるのであれば、その身柄を引き渡しても構わぬと考えている」
覚悟はご立派であるが、どうも信忠は越前国を廃棄物処理場が保管庫と勘違いしているらしい。
わたしとしてはそんな危険人物など、欲しくもない。
奴隷としてこき使ったり、いじめにいじめて嬲っていいのであれば、それこそ溜飲も下がろうが、同盟相手の父親にそんな無下なことはできようはずもない。
……何となく、今川義元の気持ちが分かったような気がしたぞ。
ちょっとだけだけど。
「身柄の処遇などどうでもいいが、それはさて置き父親と一戦交える覚悟、というわけだな?」
頷く信忠。
わたしの隣では晴景が唸っている。
鈴鹿は相変わらず澄ました様子で、信忠のこの考えは当然、事前に知り得ていたというわけか。
しかしそうなると、これは完全に謀反の相談だな。
「勝算は?」
「五分五分かと」
「なら三分七分でお前の方が不利だと思え」
いわゆる七分三分の兼ね合い、である。
七割方勝っていると思う時は実は互角であり、五分の戦いをしていると思っている時は、実は七割方負けていると思え、というものだ。
とはいえ、実際のところはどうなのか。
信忠は信長に尾張や美濃を譲られているため、その地盤は信忠のものとなって久しい。
その信長は近江を失って岐阜に戻っているが、軍団がどのように再編されているかで戦力比が変わってくる。
しかし信忠は今、信濃侵攻軍という三万の兵を手勢に持っているという、優位性がある。
これは大きい。
今すぐ取って返せば面白いことになるだろう。
とはいえそれも、配下の諸将が全面的に従って、という条件が付く。
今回の侵攻軍には、信長につけられた目付などもいるだろうから、簡単に事は進まない。まずそういった輩をどうにかする必要がある。
他にも周辺の織田家臣への根回しの必要だ。
不用意にすれば密告されておしまいであるし、かといって放置しておくと、後でどう牙を剥いてくるか分からない。
とはいえ戦前や戦後の処理を誤ると、史実の明智光秀のような運命が待っていることになるだろう。
それはそれで、漁夫の利を狙うに最高の場面かもしれないが、だからこそ信忠は事前に朝倉との盟約を望むのだろう。
これが成立しない限り、絶対に成功しないからである。
仮に成功したとしても、後が続かない。
信忠はその辺りをよく分かっているようだ。
その点に関しては、光秀よりも頭が回るのかもしれない。
「しかし……何だな? 他人事ながら、こういう密談は愉しいものだ」
久秀などもこの場にいたら、どんな意見をくれるのか興味深かったが……いないものは仕方が無い。
わたしは笑みを浮かべつつ、やや機嫌を直して尻尾を揺らめかせた。
こういう話に興が乗るのだから、わたしの非道ぶりが分かるというものである。
当然、目の前で涼しい顔をして耳を傾けている鈴鹿なども、十分に人でなしであるが。
逆にこういう話に向かないのは、晴景だろう。
難しい顔をして考え込んでいる。
「一つ、問題がある」
ここで信忠が不意にそんなことを言った。
「父上は此度の信濃攻めの総大将の任を解くと、仰せである」
「なに?」
いきなりよくない情報である。
「何だそれは? 気取られている、ということか?」
「それは無いが、私はこれまで幾度も朝倉家との和睦を父上に主張してきた。このような謀議に及んでいるのも、それらがことごとく退けられたため。また、任を解かれてはそれこそ何もできなくなる。機は今しか無いとも考えた」
「ふん……。では警戒されていると思った方がいいな。で、お前の後任は誰の予定だ?」
「父上だ」
なるほど。
信忠が動かず、うざうざと言ってくるものだから、業を煮やして自ら出る、といったところか。
もしここで信長自身に出張られては、確かに信濃情勢は面倒なことになっていただろう。
「いつ、信長は来る?」
「今年はすでに冬が近いため、来年になるだろうが」
「なるほど」
確かに今から動員をかけていては、冬になってしまうだろう。
それでは意味が無い。
「いいだろう。お前は梃子でもこの信濃から動くな。場合によっては高遠城を一時的にくれてやってもいい。とにかく来年までもたせろ。話はそれからだ」
詰めるべきことは多いが、とりあえずわたしは信忠の話に乗ることにした。
「その間に家臣の統制を明らかにしろ。粛清すべき輩は殺せ。仮に事前に事が漏れたとしても、その時はこの朝倉が全面的に支援を約束する。それまでは仮の盟約をわたしが確約しよう。事が成った後のことは、お前の手腕次第だと思え」
綺麗に事を収めてみせるのであれば、対等の相手として見てやってもいい。
わたしに頼り切る展開になるのであれば、そのまま従属の運命を辿ると覚悟してもらう。
つまり、そういうことなのだ。
「わたしはわたしでその間に、北条を捻り潰してやる。ふふ、あははは。終わってみれば、なかなか愉快な会談だったぞ?」
結局どこまでも高圧的に、わたしはそう言ってやったのである。
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