第224話 遠照寺の会見②

「ありがたく。では早速交渉に入るとしよう。これまでの間にこちらの意向はすでに十分伝わっているかと思うのだが、その点について確認したい」

「朝倉家、織田家との間の和睦であるな。貴殿の意向は斎藤殿より再三に渡って説明を受け、理解しているつもりだ」

「それは何より」


 信忠は頷く。


「されどその答えについて、利堯は持ち帰ることが叶わなかった。私が直接参ったのは、それを今日この場で確認する為である」

「受ける」


 短く、しかしはっきりと、淀みなく晴景は答えた。

 あまりに明快であった為、むしろ信忠は面食らったような顔をみせた。

 これまで答えを明示するのに晴景は引き延ばして来たのだから、こうもあっさりと承知するとは思っていなかったのだろう。


「そして同時にこちらも確認したい。我らの交渉相手は織田信忠殿であって、織田信長殿ではない――相違ないか?」


 これも核心をついた問いだった。

 そして重要な確認でもある。


「……そのつもりで、私はこの場に臨んでいる」


 信忠の答えに、わたしは織田家の内情を改めて察して、思考をまとめる。

 やはり信長と信忠の間には、確実に溝がある。

 しかも大きな溝だ。


 それはいい。

 敵の足並みが揃わないことは、大歓迎であるからである。


 とはいえ問題もあった。

 それが目の前にいる鈴鹿だ。

 今の信忠の発言は、鈴鹿にとって看過できないはずのものである。


 しかし分からないのはそこだ。

 何故信忠は鈴鹿を同行させたのか。


 もちろん、鈴鹿のことを信忠が知らず、信長の間諜の意味合いで同行したかもしれない事実を単に認識していないだけかもしれない。

 もしそうであれば、信忠はすでに終わっている。


 この女はわたし以上に冷酷非情で、そして残酷だ。愉悦の為には手段を選ばない嫌いがあるし、他人など例え兄弟であっても見下す対象でしかない。

 わたしですら、最初は玩具のように扱われたのだから。


 しかしもしそうでなかったのなら?

 信忠が全て承知して鈴鹿を同行させたのなら?

 話は随分変わってくることになるが……。


 やはりこれだけは確認しなければならないか。


「口を挟むぞ」


 わたしがそう発言すれば、視線が集中する。

 愉しそうにこちらを見ている鈴鹿の視線が、一番鬱陶しい。


「その女のことを、お前は承知しているのか?」


 回りくどい言い回しは面倒なので、単刀直入に聞いてやった。

 この問いの意味が分かるか分からないかで、信忠が鈴鹿のことを知っているか知らないかが分かるというものである。


 そんな信忠はしばしじっとわたしを見返していたが、ややして頷いたのだった。


「無論。姉上がひとで無いことは、先刻承知だ」

「ほう……?」


 やはりか。

 だとしたらますます分からなくなる。


「い、色葉よ? どういう意味だ……?」


 分からないのは晴景だけだ。

 どうしようかと思ったが、無視するのも悪いと思って説明する。


「その鈴鹿とやらが、信長の娘であるらしいことは、まあそうなんだろう。だがまともな娘などではない。どこぞの鬼が娘の姿に化けた物の怪の類だ」

「鬼、だと……?」


 さすがに晴景は驚いたようだった。

 鈴鹿を見返して、とてもそんな風には見えんが……などと呻いている。


「ふむ……。ということは、色葉と同じというわけか」

「む?」


 妙に納得するのが早い晴景に、むしろ戸惑ったのはわたしの方である。


「そうであろう? そなたとて半ばひとではないのだろうし、そういう姿をしておる」

「それは……そうだが。あんな鬼と一緒にして欲しくはないぞ? こちらは愛くるしい小動物なんだ」


 鬼なんぞと一緒にされてはたまらないので、ついそんな言い回しをしてしまったら、晴景に呵々大笑されてしまった。


「そなたが自身をそのように表現するとはな」

「……悪いか?」

「いやいや。言い得て妙であるぞ」


 耳を力強く撫でられて、わたしは尻尾で顔を隠してしまう。

 まったく晴景はこういうことを、憚りなくするものだから、家臣どもに冷やかされるのである。


「ふふ。仲睦まじいことですわね」


 羨望も露わに鈴鹿はそんな感想を漏らすが、こちらははしたなくも舌を出して応じてやった。


「ともあれ、俺も信忠殿の姉君のことは承知した。我が妻とてひとと何ら変わらず俺を助けてくれている。そういう不思議も、ある時はあるのだろう」


 わたしと一緒にいたせいか、こういう不可思議なことにも耐性ができていたのかもしれない。

 これはまあ……朝倉家全体に言えることかもしれないが。


「他愛無い話はここまでだ」


 和んだ雰囲気になりかけたが、わたしはそれを引き戻す。


「織田信忠よ。承知していながらどうして随行させた? それは信長のことしか考えていない輩だぞ?」


 下手をすれば自身の命取りになりかねないことを分かっているのか、とわたしは言外に告げてやる。

 それに答えたのは信忠でなく、鈴鹿本人であった。


「色葉様は少し勘違いをされておいでですね?」

「勘違い?」


 何が勘違いだというのか。


「わたくしはわたくしの思うように生きているのです。もちろん、殿は素敵なお方ですわよ? その殿に頼まれれば、如何様なことでも致しましょう。ですが、殿はもはやわたくしに望まれませぬ。そしてわたくしも、不必要な肩入れはせぬことを申し上げたはずですわね?」

「……ああ。そういえばそうだったな」


 鈴鹿の基本的な目的は、誰の風下に立つことなく君臨することである。

 ただし自分自身がそれを行うのではなく、それが為せる人物の傍にあって、という但し書きがつくのだ。


 今生では織田信長がそれに選ばれた、というだけに過ぎない。

 もちろん、それだけに鈴鹿の好意を一身に受けているともいえるが、しかし不本意なことに、それに比肩する形でわたしにも興味が向けられているらしいのである。


 信長自身が何も命じない限り、鈴鹿は静観する。

 わたしか、信長か。


 鈴鹿としてはどちらでもいいのだろう。

 そしてこの状況を愉しんでもいるはずだ。


 事実、以前この女は一乗谷に堂々と乗り込んできたことがあったが、その際に仮に信長がわたしに殺されたとしても構わない、という認識を示している。

 その折にはわたしが鈴鹿の面倒をみる条件になっており、それを許容することを伝えもした。


 そして実際に、そういう流れになりつつある。

 如何にも鈴鹿らしい行動ではあるが、それがわたしにとって幸いだとしても、愉快な話では無かった。


 こういう時に、自身の無力が憎たらしくなるな……。


「……まあいい。話を続けてくれ」


 完全に鈴鹿の話を信じたわけでもないが、とりあえずこの現状に至ったであろう鈴鹿の心理を再確認することができたわたしは、いったん口を閉ざすことにした。


「……奥方殿。姉上をこの場に連れて参ったのは、何も物見遊山のついで、というわけではない」


 黙るつもりでいたわたしへと、先の問いの返答という形で信忠は語り始める。


「私はこの場を和睦交渉の場のみにするつもりはない。両家の間で新たな盟約を結びたく、参った次第である」

「……盟約?」


 わたしもそうだが、晴景も訝しそうに眉を寄せた。


「然様。織田と朝倉の間で、同盟を結びたい」

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