第211話 箕輪会談(後編)
「……と、言われると?」
景勝の疑問に、わたしは改めて上野の諸将を見やった。
先ほどまでのわたしの雰囲気に、歴戦の将である昌豊ですら、やや緊張した面持ちをみせる。
……やはり雪葉が傍にいないと、そのまま感情が顔に出て、知らず周囲を威圧してしまうらしい。
今更、ではあるけど。
「すでに承知しているとは思うが、武田信勝は死んだ」
「は……。それは確かに」
昌豊が頷く。
「血縁の近い武田信豊も小諸城で謀反にあい、家族もろとも自害している」
情報によると、城代であった下曾根浄喜に叛かれた信豊は、その嫡男であった武田次郎や生母、そして家臣ともども自害に及んだという。
「一門の者で新府に残った者も多いだろうが、すでに北条に捕らえられ、虜囚となっているか、すでに処刑されたかのどちらかだろうな」
「……つまり、武田家はすでに滅亡したと、そうおっしゃりたいわけですな」
昌豊の言に、わたしは頷く。
「朝倉と武田には縁故があり、我が夫の晴景様も武田一門だった身の上。このまま武田遺領が食い荒らされるのを黙って見ているつもりもない。少なくとも信濃、そして甲斐は必ず奪還する。だが上野までは手が回らない、というのが実情だ」
今回はこうしてここまで遠征したが、朝倉の本拠である北陸からはやはり遠い。
信濃が安定すれば話は別だが、それまではなかなか面倒をみられないというのが本音である。
しかし下手にここを領有してしまえば、今後、北条からの攻勢に度々対処しなくてはならなくなり、色々と滞ることになってしまうだろう。
「そこで、上野の諸将に尋ねたい。今後の身の振り方だ」
無論、そんなことは諸将も考えなかったことはないはずである。
今は北条の侵攻に対抗するためにそれどころではなかっただろうが、これが撤退したとなれば、やはり考えていかねばならない事柄だ。
「この機に独立し、上野にて割拠するというのならばそれでもいい。例えば内藤氏を盟主と仰いで国衆を糾合し、一国の主として名を馳せるのもいいだろう。あるいはそれぞれの領主がそれぞれに判断したとしても、それはそれでいい、が」
そこまで言って、わたしは改めて景勝を見返した。
「わたしとしては、この際に上杉の傘下に入ってはどうかと考えている」
意外な言葉だったのだろう。
景勝はもちろん、あの兼続まで耳を疑うかのような表情になった。
「重家のせいで下越地方を失うとはいえ、その代替に上野一国ならば悪くない話だとも思うが?」
「ま、まことにこの上野を譲ると仰せなのですか……?」
「端からそのつもりだったが?」
確認してくる兼続に、わたしは予定通りとばかりに頷いてやる。
「上杉家にあまり弱体化されてもお守りが面倒だ。新発田重家はお前達にとって敵性の存在とはなるが、朝倉家に臣従する以上、勝手はさせん。現状の領分を侵すようならば、わたしが手ずから滅ぼしてやる」
つい皮肉を付け加えてしまうのは、わたしの性分である。
「逆にいえば、奥州の田舎大名どもの干渉を、重家が防いでくれることになる。お前達はこの機に関東方面に傾注し、北条を北から脅かせ。そうすればわたしも少しは楽になるというものだ」
恩着せがましくそうは言ったものの、当初からこのことを予定していたわけでもない。
方策の一つとして考えてはいた、という程度だ。
新発田重家の件でこちらの想定以上に上杉が反発するようならば、乗っ取りどころか攻め滅ぼすことも考えていたくらいである。
しかし景勝は律儀であるし、戦略的な視野も持ち合わせていて、馬鹿ではない。
あと、晴景との関係もある。
重家の件を受け入れるのなら、それらを考慮するにもやぶさかではなかった、ということだ。
そして上野一国であるが、これを渡すのは惜しいといえば惜しいが、すでに口にしたように、これを領有したとしても、現時点では面倒ごとが増えるだけでさほど利点は無い。
欲張らず、間引き――などというと人聞きが悪いが――した方が、後々有利に働くだろう。
それに念のため、後に上杉の重臣となる兼続と対立するような人物――今回でいえば藤田信吉などを、事前に抱き込んでおくなど最低限の保険も用意しておいた。
簡単ではあるが、短い時間でできるかぎりのことはしておいた、というわけである。
「さて、あとは上野の諸将次第だ。身を守るためならば、上杉の傘下に入るのは得策だろう。朝倉家としては、それを認めるつもりでいる。もし上杉など御免被るというのであれば、朝倉家が召し抱えてもいい。上野の所領は失うが、信濃や甲斐でその功に見合った新たな所領を約束しよう」
切り取り次第、ということにはなるが、そこが覚悟してもらう。
「どちらにも臣従したくない、というのであれば、それならばそれでもいい。どちらにせよ上野は上杉に任すつもりであるから、後は勝手に話し合いなり戦なりして解決すればいいだろう」
結果、北条に通じる輩が出たとしても、その時はその時である。
上杉家がそれらに食いつぶされるというのであれば、その程度のものだったのだろうし、どちらにせよ朝倉にとっては時間が稼げるのだからそれでいい。
「……昌月よ」
「はっ」
わたしの提案に、まず昌豊は自身の子の名を呼んだ。
「危急の時ゆえこの歳まで出しゃばったが、これを機に隠居する。以降のことは昌月、そなたが決めよ」
格好いい風に言ってはいるが、丸投げするらしい。
昌豊め、逃げるのがうまいことだ。
それはともあれ、内藤昌月は昌豊の後継者ではあるが、実子ではなかったはず。
確か武田家臣であった保科正俊の子で、昌豊はこれを養子に迎えたのだ。
「……今の我らでは、とても上野一国は守り切れませぬ。であれば、朝倉様のおっしゃる通り、ここは上杉様に臣従するのが得策かと」
その昌月は、どうやら物分かりもいいらしい。
「では昌輝。お前はどうする?」
内藤はそれでいいとして、問題は真田だった。
真田氏は信濃から上野にかけて所領として持っているから、少々話がややこしくなる。
特に沼田領だ。
史実でも色々と問題を起こした地である。
「我らはすでに色葉様に帰属を誓っております」
「そうだったな」
弟である昌幸を通して、昌輝は朝倉家への臣従を誓っている。
そう仕向けたのだから当然だ。
ちなみにこれまで帰属が曖昧であった飛騨国は、武田の滅亡で完全に朝倉領となった。
つまり昌幸も、これで名実ともにわたしの家臣になったというわけである。
「ならば前言通り、代替地を宛がうから沼田は放棄しろ。異論は?」
「……やむを得ませぬ」
沼田は御館の乱の際に、景勝によって武田家の攻略が承認され、昌輝がこれを北条から奪い取ったという経緯があった。
それをわたしの一言で失う以上、思うところもあるだろう。
とはいえ沼田城は北関東の要衝の一つで、重要な軍事拠点である。
上野を上杉が支配する以上、この地の領有は必要不可欠だ。
となればごねてここだけ残したとしても、災いの種にしかならない。
「他にも詰めるべきことはあるが、上野に関しては景勝殿に任す。異存は?」
「……いや。まことにありがたき話。お受けいたす」
「よし。後ついでに、だが」
ここでふと、以前に晴景が何気なしにわたしに話していたことを思い出したので、ついでに聞いてみることにした。
「景勝殿は関東管領を名乗らないのか?」
これもまた、思わぬ言葉だったのだろう。
景勝はもちろん、兼続もまた驚いたようにわたしを見返してくる。
うん、これほど反応がいいと、なかなか面白い。
「晴景様が不思議がっていてな。謙信公の後を景勝殿が継いだのならば、その役職を引き継いでも問題なかろうに、とな」
今のところ、最後の関東管領は景勝の義父・上杉謙信である。
これはわたしが雪葉に暗殺させた、上杉光徹こと憲政から、上杉姓と共に引き継いだものだ。
もっとも関東管領というのは室町幕府の役職の一つで、鎌倉府の鎌倉公方を補佐するための職であり、上杉氏が世襲していた。
その大本である室町幕府はすでに滅亡しているので、その役職自体が消滅したと考えるのが普通である。
とはいえこの時代、官位やら何やらを自称するのはよくあることだ。
それに見合った力が備わっていれば、自称したところで文句も出ないのである。
景勝の場合はそれを世襲できる立場でもあるわけだし、権威付けにはちょうどいいはずなのだが、景勝はそれを名乗ってはいない。
「分不相応、なれば」
相変わらずの、言葉少なげな返答である。
「ふうん」
ま、興味本位で聞いただけではあるから、どうでもよいことであったが。
「官位や役職などわたしは興味無いが、他の者はそうでもないらしいからな。お前が関東管領を名乗れば晴景様も励みになると思ったんだが……。まあ好きにすればいい。その気があるのなら、朝倉家が追認してやるぞ?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます