第210話 箕輪会談(中編)

 信吉は元北条家臣である。

 それが翻って武田についたのには理由がある。


「は……。氏邦めは兄の仇なれば」

「そうだったな」


 北条氏邦は、今は藤田氏邦と称す方が正しい。

 というのも信吉の父・藤田康邦はかつて北条氏康に敗れ、これに臣従。当時まだ幼少であった氏康の四男・氏邦を養子として迎えて教育し、自身の娘を正室として、藤田家の家督を継がせたのである。


 ここまではこの戦国時代にはよくある話だろう。

 例えば先日戦死した北条氏照なども、武蔵守護代を任されてきた大石氏に養子に入り、大石定久の娘を娶って大石家の家督を継承している。

 ただ氏照は大石家の一族を取り立てて用いたのだが、氏邦は対照的にこれを粛清したのだ。


 藤田康邦には実子が二人おり、その長男は用土重連といった。

 これは氏邦が藤田家の家督を継いだため、用土氏を名乗ったためでる。

 重連は氏邦の臣として武功を挙げるも、次第に両者に確執が生じ、ついには謀殺されることになったのだった。


 つまりその弟である信吉にとって、氏邦は実兄の仇に当たるわけである。

 そのため武田家の誘いに乗り、北条家から離反したのだ。

 氏邦に対する敵愾心は並々ならぬものがある、ということである。


「鉢形城への攻勢は如何なされるおつもりなのですか」


 わたしに対して緊張しているにも関わらず、そんなことを尋ねてくるのはその復讐心ゆえだろう。

 それはそれで、心地よくはある、が……。


「鉢形城、か」


 この城は氏邦の居城で、北関東支配の拠点である。

 また信濃や甲斐方面からの侵攻に備えるための、重要拠点でもあった。

 確かにこれを落としておきたくは思うが、この城もまた例に及ばず、堅城である。


 わたしが事前に調べた限りでは、鉢形城は荒川と深沢川に挟まれた断崖絶壁上に築かれており、いわゆる天然の要害に立地する。

 これには武田信玄や上杉謙信も攻めあぐね、その攻撃に耐えたという。


 また史実における小田原征伐の際には、前田利家率いる北国軍数万の包囲に耐え、落城ではなく開城という形で城を明け渡している。

 つまり、力攻めではなかなか難儀する城である、ということだ。

 とはいえ、ここで時間をかけるわけにもいかなかった。


「今は見送る」


 結論は初めから決まっていたので、答えは早かった。


「お前も分かっているだろうが、信濃方面も織田や北条の侵攻を受けていて危うい。恐らく北条は甲斐に追い返すことはできるだろうが、織田が厄介だ。こちらが落ち着くまで、景勝殿にはこの上野にとどまり、北条に対する抑止力になって欲しいがどうか?」


 朝倉が少なくとも信濃一帯を抑えることができれば、上野方面の援軍も容易に出せるようになる。

 北条もおいそれと上野に手は出せなくなるだろう。

 それに一門である氏照が死んだ以上、これに激怒して更なる大軍を甲斐方面に投入してくる可能性の方が高い。


「……必要な措置であろう」


 寡黙な景勝は相変わらず言葉少なげに、頷いてみせた。

 上杉にとっても上野国を失うことは、自身の滅亡に直結する。

 これを座視はできないだろう。


 そう思ったところで、


「いや、お待ちを」


 不意に待ったが入った。


 見れば、景勝の後ろに控えている家臣が口を挟んだものである。

 信吉同様、若い。

 しかし信吉とは対照的に、違った意味でのわたしへの警戒心が見て取れた。


「お前は?」

「上杉家臣、樋口兼続と申します。朝倉様に敢えて物申したく」

「ほう?」


 こいつが樋口兼続か。

 今この場にいる信吉とは、史実において因縁の間柄になる人物である。


 兼続がわたしに対して警戒していることは雪葉から聞いて耳にしていたので、ならばと信吉を抱き込んで対抗する腹積もりだったのだが……こんな所で両者がまみえることになるとはな。


「兼続、控えよ」

「いや、いい。言わせてみせろ」


 面白がって、わたしは顎でしゃくってみせる。


「新発田重家謀反の件です」


 やはりそれか。


「それについてはすでに了承したと聞いているが」


 重家を朝倉家に取り込み、これを越後国内で事実上の独立を認めることで、乱の仲裁を図ったのである。

 景勝は了承したが、家中に反対の者が出るであろうことは容易に想像のついたことだった。

 そしてその急先鋒が樋口兼続、といったところか。


「確かに当家はそれを受けましたが、その真意を伺いたいのです」

「真意?」

「朝倉様は、この上杉を乗っ取るおつもりなのですか」


 その発言に、さすがに場が動揺した。

 主である景勝も驚いているし、昌豊や信吉、それに随行していた真田昌輝や武藤昌幸なども、唖然としてわたしたちを見返している。


 今この場において、もっとも力関係が強いのはわたしだ。

 内藤や真田などは武田の一家臣に過ぎぬし、立場的に対等である景勝も、所詮は越後一国を有す大名に過ぎない。

 朝倉家とは国力がまるで違うのである。


 その朝倉家の当主は夫である晴景であるが、実際に動かしているのはわたしであることなど、武田や上杉の者なら先刻承知のはずだ。

 にもかかわらず、こうも憚らずにそんな発言をしてくるとは……。


「そうだ、と言ったら?」


 わたしは態度を傲慢にすると、それこそ見下すようにして兼続へと挑発してみる。


「ならば朝倉家との関係はこれまで。我らは田舎者なれど、武士としての意地はございます。ただ黙って国土が侵されるのを見るつもりはありません。この上杉を侵そうとお考えならば、朝倉様もお覚悟されるがよろしいでしょう」


 その返答に、場は静まり返った。

 事実上の宣戦布告に等しかったからである。

 それこそわたしの気分次第では両家は戦に突入し、その存亡をかけて争うことになりかねない。


「……ふふ。よく言った」


 ぞっとするような沈黙を破ったのは、わたしの笑声だった。

 ここまで明確に喧嘩を売られると、買いたくなるのが人情というものである。


「今のは景勝殿も同じ考えか?」


 水を向けられて、景勝は苦慮したように眉間に皺を寄せた。

 まだ若いのにこれではあっという間に老けてしまうな。


「……必ずしもそうでは無いとお答えする。が、これは私が信を置く臣の一人。その発言はこの私や上杉家のことを思ってのことゆえ、いよいよとなれば責任をとるのはやはり私以外にありえぬだろう」

「……ふん。大した信頼関係だな」


 もし景勝がここで責任を回避するようであったら、この場を借りて兼続を手打ちにしてやろうかとも考えたのだけど、それをすれば上杉家との関係は終わるだろう。

 いや、そうされてもなお、朝倉家に追従するかもしれないが、遺恨は残る。

 それに織田や北条に加えて上杉までを敵にしてしまうのは、やはり分が悪い。


「無礼は許そう。だが兼続よ、一つだけ忠告しておいてやる。お前のその忠心は本物だが、視野が狭い。裏目に出ることを、少しは恐れておくんだな」


 樋口兼続といえば、後の直江兼続である。

 そしてこの人物は、史実において会津征伐のきっかけを作ったことでも知られている。


 結果、上杉家は改易こそ免れたものの、大幅に厳封されることになった。

 一方でその能力は高く、お家の為に尽くしたことは紛れも無い事実である。


 名臣というべきか、奸臣というべきか、難しい人物であるといえるだろう。


「――先ほどの問いだが、お前たちがわたしに刃を向けない限り、その主権を脅かすつもりはない。新発田重家の乱については、お前達自身が招いたこと。結果がどうあれ、わたしを責めるのは筋違いというものだ」


 こちらの都合の良いように利用はさせてもらったが、元はと言えばちゃんと重家を飼いならさなかった上杉家が悪い。

 わたしは特段、反乱を煽ったわけではないのだ。


「とはいえ、お前たちの窮乏を見捨てるほどわたしは不義理でも無いぞ?」

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