第204話 砥石城にて

 朝倉にとっても北条にとっても、この信濃は不慣れな地で互いに遠征軍である。

 兵数は今のところこちらがやや有利ではあるが、大した差でもない。


 この状況下で決戦になど及ぶと、勝てたとしても痛み分けになり、後が続かなくなる。

 敵がよほどまずい采配を振るうか、こちらが神懸かった運用でもしない限り、戦力が拮抗している以上、結果も自ずから定まるというものだ。


 そして佐久郡ではその拠点である小諸城が北条方の手に落ち、地の利ではこちらが不利である。

 となればそこで戦うのは如何にも面白くない。


 猛将の類ならば、そんなことなど気にせずに一気に踏み潰しにいったかもしれないが、戦力差が無い限りわたしはあまりそういう戦い方はしない。

 というか、正面からの一大決戦などしたことがなかった。


 奇襲や側面攻撃、もしくは会戦に及んでも必ず挟撃ができる体制を整えてから、合戦に及ぶ。

 まともに戦うよりも、遥かに効率がいいからである。


 とはいえこれは、軍勢の運用が難しい。

 また挟撃のための兵の分散は、敵にとっては各個撃破のまたとない好機になり得る。


 実際、上洛した際にわたしは京の織田信長を、三方向から包囲殲滅する策を立てたが、これは失敗はせずとも成功には至らなかった。

 朝倉主力がまず信長に狙われて、桂川の戦いで敗北を喫してしまったからである。


「今回はこの小県まで敵を引き込み、四方から包囲して一気に殲滅させる。そのためには北条に深入りさせる必要があるが、慎重に進軍されてはそうもいかないからな。敢えて敗戦を装い、その意気を高揚させてやったというわけだ」


 わたしはこの小県に入るなり、昌幸の引き合いで真田昌輝と会見。

 その支持を取り付け、あれやこれやと策を弄して北条を殲滅すべく、今回の作戦を実行に移したのである。


「今のところ、事はうまく運んでいる。北条の阿呆どもは明日にもこの砥石城目指して攻め込んでくることだろう」


 ついつい侮蔑語が混じってしまうのは、策のためとはいえ二度も敗戦に及んだことや、事前に少なからずの被害が出たことを、予め承知していたとはいえ愉快に思っていなかったからである。


 側面攻撃や包囲戦など、敵を死地に招き入れるためには、やはり囮が必要になってくる。

 わたしはこの手の戦術を多用するため、囮部隊の被害は大なることが多い。


 特に前年の近江侵攻において信長と戦った時などは、長浜城と朝倉景建らを囮としたことで大勝利を得たが、景建や磯野員昌、そして長浜城を失う羽目にもなった。

 必要な犠牲であったと今でも後悔は無いが、だからといって割り切れるものでもない。


 今回、軍全体を囮として引き込んだのは、極力被害が集中しないためのものであり、我ながら甘いとも思ったが、ここで将に被害でも出ようものならそれこそこちらの士気に関わってくる。

 不満も出てくることだろう。


 そのため殿軍は堀江景実に任せ、まあ苦労をかけることにはなってしまった。

 もっともその撤退戦は見事なもので、景実はわたしが予め指示した通りに動き、被害を極力抑えた上で、撤退に及ぶことができたのである。


「その前に景実」

「ははっ」

「先の撤退戦は見事だった。これからの北条との決戦の結果がどうあれ、第一の戦功はお前にやる」

「ありがたき幸せにて!」


 景実が撤退戦に強いのは周知の事実で、かつてわたしが神通川の戦いで大敗した際も殿となり、上杉の追撃を長時間阻んだ実績があった。


「さて、本題だ。敵はこの砥石城目指して進軍してくることだろう。そこまでは素通りだからな」


 この砥石城は東太郎山の尾根上に築かれた山城である。

 南は上田平、北東の真田郷を一望できる立地で、南東には北佐久を望むことも出来る。


 南西方面には千曲川が流れており、これを下れば善光寺へ、逆に上れば佐久へと至ることになる。

 上州街道を進み、鳥居峠を越えれば上野国吾妻郡に。

 また上田平から西に進み、和田峠を超えると筑摩郡――つまりわたしたちが進んできた深志城へと至る。


 つまりこの地は交通結節点とも言え、非常に重要な地であるのだ。

 元々この砥石城は、真田氏の外城として築城されたのだという。


 しかし天文十年に海野平の戦いが勃発。

 これは甲斐守護であった武田信虎と、村上義清や諏訪頼重といった信濃国人衆が武田家結び、小県へと侵攻したことによって発生した合戦である。


 これらを迎え撃ったのが、海野棟綱、海野氏、禰津氏、望月氏や真田氏といった国人領主らで、結果として武田方は勝利し、真田氏は関東管領であった上杉憲政を頼り、上野国へと逃れたという。

 ちなみにこの時の真田家の当主が、昌幸の実父である真田幸隆である。


 その後紆余曲折を経て、真田家は武田家に臣従し、砥石城を回復し、今に至ることになる。


「さて、ここにはわたしが籠って敵を引き付ける」


 何気ない一言に、家臣どもがざわついた。


「お、お待ちを。それでは色葉様が危のうございます!」


 まずそう言ったのは、わたしの計画を知っている景実だった。

 本来ならばこの役は、景実が受け持つはずだったのである。


「そうは言うが、先の撤退戦でお前の隊の損耗は少なくない。負傷者も多いだろう。城攻めには耐えんだろうに」

「それは……いや、しかし」


 景実が心配するのも道理で、今のわたしに往時の力は無い。

 以前ならば一騎当千でどうとでもしただろうが、今では城から逃れるだけでも精一杯だろう。


「別に槍を振るう気はないぞ? あれこれ口を出すだけだ」

「で、ですが、仮に攻め落とされるようなことになれば……!」


 その時は大した抵抗もできずに討ち取られるか、辱めを受けるかといったところだろうな。

 それを想像して、わたしは薄っすらと笑んだ。


「そうなったら化けて出てやるから、必死になってわたしを救いに来ることだな?」


 そんなわたしの言葉に、誰もがぞっとした気分を味わったらしい。

 うん、これも普段の教育の賜物だろう。


「今回の囮役はわたしだ。北条どもは殺到してくるだろう。その間に包囲を狭め、退路を断つ。一兵も生かして帰すな。皆殺しにしろ。わたしと戦うことがどういうことなのか、思い知らせてやれ」


 皆が神妙に首肯する様を見て、わたしは満足げに頷いてみせた。

 とは言うものの、自身が囮というのはやはり憂鬱なものである。


 もう少し身体が動いてくれれば、それなりに楽しめるのだけどな……。


「あと、千代女。上野方面への情報封鎖はできているな?」

「誰に物を言っているのですか」


 可愛くない返答ではあるが、できているらしい。

 今回の作戦にあたり、わたしは事前に上野に侵攻している北条氏邦と、氏照との連絡の遮断を徹底させていた。

 そのために会いたくもない千代女を呼び出して、その配下の信濃巫に協力させたのである。


 氏邦がこちらの情勢に気づき、軍勢を西進させると事が破れてしまうからだ。

 今回、敵には絶対に連携をさせてはいけないのである。


「ふん。信用してやる。だから褒美だ。この砥石城に残れ」


 そう言ってやれば、千代女は世にも奇妙なことを聞いたとばかりに、胡乱げな視線を寄越してきた。


「意味が、わかりませんが」

「わたしを守れと言っている」

「それのどこが褒美なのです」

「以前の借りを返す機会をやると言っているんだ。これを褒美と言わずして何と表現するんだ?」


 千代女は衆目も憚らずに嫌な顔をしてみせたが、断りはしなかった。


 この女は武田家に対する忠誠が高い。

 そしてその武田家に対し、わたしがどれほど貢献したかも知っている。

 過去の因縁はどうあれ、そんなわたしの要請を断ることなど、最初からできない女なのである。


「……嫌なひとですね」

「だからお前が言うな」


 結局最後は互いにそっぽを向いて、終わったのだった。

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