甲州征伐編
第181話 諏訪衆
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天正八年六月三日。
第二次三増峠の戦いにおいて、甲斐武田家当主であった武田勝頼は討死した。
この報せは衝撃をもって新府にもたらされ、領国は一時的な混乱に陥ることになる。
甲斐新府城には勝頼の嫡男・武田信勝が健在であったが、この時弱冠十二歳。
勝頼の従兄弟で一門の重鎮である武田信豊や、勝頼の叔父にあたる武田信廉らが信勝の速やかな家督継承を推し進め、家中や領国の混乱を収めようとしたものの、そう簡単にはいかなかったのである。
「これは頼忠殿。よくぞ参られた」
諏訪高島城を預かる城代・今福昌和は、急ぎ登城した諏訪頼忠を出迎え、城内へと招き入れる。
「馬場殿は?」
「すでにお越しいただいている」
昌和の言葉通り、頼忠が通された座敷にはすでに一人の老臣が居住まいを正して座していた。
馬場信春。
武田家の重臣中の重臣であり、かつて深志城代を務めた功臣である。
しかしつい最近隠居し、その家督を嫡男に譲った後は、高遠城に入って諏訪氏当主となった、諏訪景頼の後見を専ら務めていた。
「これは馬場殿。よくぞ参られた」
「実に物々しい雰囲気じゃな」
老いたとはいえ歴戦の猛将であり、鬼美濃と呼ばれた信春の気迫や未だ衰えず、自然、相対した頼忠も改めて気を引き締める。
「当然でござろう。これは武田の危機である」
「危機とは如何に」
「すでにご存じのはず。殿が亡くなられたことは」
「それは耳にしておる」
「であれば話は早い」
人払いはすでにすませてあると承知していたが、頼忠は自然、声を潜めて口を開いた。
「武田家の、家督についてでござる」
「……次の当主は殿のお子であられる、信勝様と決まっていよう」
「それは承知。されど未だ幼少なれば、この武田家の危機を乗り越えることは難しいかと愚考致す所存」
今回の武田勝頼の死に伴い、諏訪衆が不穏な動きを見せていたことは、信春も把握はしていた。
そんな折、今福昌和を通して諏訪頼忠より、会談の申し込みがあったのである。
信春にしてみれば不幸にも懸念が的中したような思いであり、さりとて無視するわけにもいかず、こうして諏訪高島城へと赴いていたのだった。
そもそも諏訪氏と武田氏の間には因縁がある。
諏訪氏は元々、諏訪大社上社の大祝を務めてきた一族だ。
その家祖は諏訪大社の祭神でもある建御名方神としており、いわゆる日本神話の神である。
それが真実であるかどうかはさておいて、祭神の末裔を称した極めて尊貴な血筋だったといえるだろう。
そんな諏訪氏であるが、一方で武士としての側面も持ち合わせていた。
鎌倉幕府の時代には、執権北条氏に御内人として仕えており、その後の南北朝時代には南朝方として、また室町幕府が開かれると足利将軍家の奉公衆を務めていたという。
いわゆる国人領主であったといってもいい。
そして戦国時代に入ると、隣国の甲斐国守護であった武田氏との争いが活発化した。
しかし天文四年、信玄の父である武田信虎の代に、婚姻関係を結んだことで両家は和睦。
ただそれも信玄の代には破綻して、信虎三女である禰々が嫁いだ諏訪頼重と信玄は争い、信玄が勝利を収めて頼重は自害に及んでいる。
頼重には遺児であった諏訪寅王丸がいたものの、戦国大名家としての諏訪氏はここで滅亡した。
信玄は諏訪氏を懐柔するにあたって、寅王丸の姉である諏訪御料人を側室に迎え、その間に生まれた勝頼に諏訪氏の名跡を継がせることになる。
諏訪頼重の死後は、諏訪氏一族であった諏訪満隣の子・頼豊が諏訪衆の筆頭となり、その弟である頼忠が諏訪大祝を継承していた。
信玄の死後、勝頼は廃嫡されその後死去した異母兄・義信に代わり、甲斐武田家を継承。
そして朝倉家と同盟し、景頼を迎えてこれに諏訪氏を名跡を継がせ、今に至っていたのである。
「……頼忠殿は、諏訪家再興をお望みか」
率直に、信春は尋ねた。
武田家を継いだ勝頼は、しかし諏訪一族を優遇しなかったのである。
これを不満に思う一族の者が多いことは、信春もわきまえてはいた。
だからこその問いかけでもある。
「そうは申してはおらぬ。されど己が身は己で守るべきであろう」
「頼豊殿も同じご所存か」
「……兄は武田家に義理を通すおつもりだ」
「さもありなん」
現在、実質的に諏訪一族を率いている諏訪頼豊もまた、勝頼には優遇されることはなかった。
しかしそれでもなお、頼豊は武田家を主家として仰ぎ、忠義を尽くすであろうことは、信春も想像に難くなかったのである。
つまりそういう人物だった、ということだ。
だからこそここで、弟の頼忠が出張ってきたのだろう。
「されどそれは、諏訪一族の総意ではござらん。このままでは主家と共に、我ら諏訪一族も滅ぶことになる。それだけは避けねばならん。そこで、だ」
「……景頼様も武田家に忠誠を誓っておられるはずだが」
「百も承知。だが、その血筋は武田家とは縁無く、しかしかの朝倉の姫君の弟殿であらせられる。となればかの姫君も、この諏訪を無下にはいたすまい」
「それを言うならば、景頼様は諏訪家との縁も無かろう。それを頼るはいかにも危なくは無いか」
「景頼様には諏訪一族の中から、新たに側室を迎えていただく」
信春は溜息をついた。
景頼の為人は、姉である色葉と違い、実に誠実で横暴さなどは微塵も無い。
武田家や朝倉家といった巨大な後ろ盾があるとはいえ、諏訪一族とはまずまずの関係である。
また色葉も存外に弟想いのようで、これを気遣ってあれこれと支援を惜しまなかった。
その最大のものが、諏訪大社の再興である。
これは信玄の代にも図られたことであったが、色葉はその時を上回る規模で出資し、これを大いに再興させたのだった。
当然これは、諏訪一族の中での景頼の地位を確固たるものにするためである。
それ以外にも毎年のように浄財と称して多額の寄付を行っており、今となっては主家である武田家よりも、景頼の実家である朝倉家の方にこそ好意的な面々が増え、またその影響力も無視できないものになっていたのだった。
信春もそのことは把握しており、一時は調略の類かと疑ったこともあったのだが、あの色葉にしては珍しく他意は無く、純粋に弟のことを想っての行為だったのだ。
が、それが武田家の窮地という局面で、図らずも内部分裂の要因になってしまったことは、まさに皮肉としか言いようがない。
ともあれ諏訪一族はこの機に武田家を離反し、朝倉氏に臣従して景頼を立て、諏訪氏の再興を目論んでいることはもはや疑いようは無かった。
「馬場殿はかの姫君とも親しいと聞く。また景頼様の後見人でもあられる。是非とも口添えを願いたい」
「待て、待て」
ゆっくりと、信春は頼忠を押しとどめた。
「これでは謀反の相談ではないか。わしを誰だと心得ている」
「謀反に非ず。武田家と敵対する気は毛頭無し。ただ諏訪家は自らを守り得た上で、武田家に協力することも当然やぶさかではない」
「しかし色葉殿は武田家の二分を望んではおらん。むしろそのような行為こそが、滅亡に急ぐことになるのではないかと危惧しておられるのだぞ」
「されどこの期に及び、座しているだけではどうにもならぬ!」
最後は語気も強く、頼忠は断言した。
「兄上はそれがしが説得いたす。また景頼様はお優しい上、恐らく諏訪衆の総意に耳を傾けて下さる。朝倉の姫君へは景頼様に働きかけていただく。そして朝倉家の協力を得るには、やはり馬場殿のご意思が不可欠なのだ」
現在、武田領と朝倉領は飛騨国を通じて繋がっている。
飛騨を治めているのは武田家臣の武藤昌幸であるが、その領地はあくまで朝倉家のものだ。
これは両家の緩衝地帯としての役割を担っているため、そのような複雑な仕儀となっているのである。
そしてこの飛騨と諏訪の間には、信春の馬場氏が預かる深志城があった。
つまるところ、諏訪氏が朝倉氏の助力を得るには、信春の協力が不可欠だったといえるだろう。
「考え直せ。それよりもまずは、武田家一丸となって、現状を打破する方策を考えるべきだ」
「今の武田家にもはやその力無し」
あくまで説得を試みる信春に対し、頼忠も頑として譲らず、議論は平行線となった。
結局この日は両者共に説得を一時保留し、再度の会談に向けて互いに準備をすることになる。
信春は急ぎこのことを色葉へと伝え、その動向を探る一方で、しかし甲斐に報告することはできなかった。
下手をすればそのまま謀反の密告となり、そのまま武田家が瓦解する結果になりかねないからである。
結局色葉に相談するしかなく、後手に回るしかない自分を歯がゆく思うしかなかった。
「戦場で暴れられるだけならば、実に楽なのだがな」
一方で頼忠は諏訪衆への根回しや、兄・頼豊や景頼への説得を試み、諏訪一族として総意を固めにかかった。
こうしている間にも武田家の所領は徐々に侵食されつつあり、その崩壊の足音が迫りつつあったことは、もはや言うまでもなかったのである。
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