第153話 越前帰国
そう告げれば、周囲の者が驚いたようにざわついた。
正吉もぽかんとしている。
「――姫、長浜は今や最前線。これを任せるには信の置ける者でなければ務まらぬと考えますが」
北条高広の言に、わたしは苦笑する。
「その通りだ。だから正吉に任すわけだが」
「されど……」
「お前の息子に大溝城を任せたように、正吉にも期待しているということだ。忘れたのか? お前たち親子のことも、わたしがわざわざ足を運んで口説いたんだ。見込んだ分の知行と責任はくれてやる」
北条父子はどちらかといえば外様の家臣であるが、その知行は譜代の家臣に比べても少なくない。
まあわたしの場合、譜代の家臣というものはあって無いようなものであるけれど。
「先の長浜城攻略の際に、山本山城の阿閉貞征がこちらに寝返っている。これを与力として与えるから、うまく使え」
阿閉貞征は浅井旧臣であるが、主家滅亡後織田家に仕え、羽柴秀吉の与力となっていた人物である。
人たらしとして有名な秀吉ではあるが、全てにそうだったわけでもない。
この阿閉貞征とはうまくいっていなかったようで、秀吉の播州征伐には参加していなかった。
これは秀吉が貞征の所領の横領を行うなどした領地問題が原因で、その亀裂と溝が決定的だったからだといえる。
史実においても本能寺の変後、貞征は上司であった秀吉につかずに明智光秀についたのだから、余程だったのだろう。
今回あっさりと寝返ってきたことも、まあ自然といえば自然の流れだと言えるわけだ。
「あと正信」
「は」
「若狭は落ち着いただろうから、次は正吉について長浜に同行し、これを補佐しろ。そのうち沙汰を出すからその時に一乗谷に帰って来い」
「……相変わらず人使いが荒いですな」
「誉め言葉として受け取っておこう」
本音を言えば、相談役として正信には傍にいて欲しかったが、領地が広がれば全てに目が行き届かなくなるため、信頼できて内政手腕に長けた者を派遣するしか無く、それに正信は打って付けだったのである。
まあ仕方が無い。
しばらくは戦も起きないだろうと踏んでいるので、まずは領内の安定が急務である。
こうして若狭に二日滞在したわたしは、次に北近江の朽木谷に入って朽木元網と会い、改めて本領安堵を約束。
武田元明の与力とし、それに属することとした。
その後わたしは大溝城へと入り、琵琶湖を船で渡って長浜城に入城。
ここは景建に任せていたこともあり、その城代として暫定的にその嫡男であった朝倉景道が入っており、景道がわたしを出迎えてくれた。
長浜城開城の際に朝倉に従った浅井旧臣らは少なくなく、それらと面会した上で領地を視察。
ついでにこっそりと足を伸ばして安土城を見てきてやった。
なるほど山一つを石垣によって城と化した壮大なもので、北ノ庄城とは違った威容がある。
城下も整備され、発展していた。
織田信長が優れた政治家であることを、この町一つ見るだけでも分かるというものだ。
「姉様、そのうち攻め落とすんでしょ?」
「ん、そうだな」
同行していた乙葉が尋ねてくるので頷いておく。
「全部燃やしたら壮大よね」
それはそうだろう。
とはいえそんなことをしたら、これだけの規模である。再建は難しいだろうが。
「そういえばこれの普請に携わっていたんだったな」
思い出したのは丹羽長秀だ。
長秀は総奉行として安土城の普請を信長に任され、これを為している。
「まったく惜しいな」
素直にそう思ったものである。
長浜に戻ったわたしはここで二日滞在し、そしてようやく越前を目指すことになった。
激戦となった疋壇城の城壁は最優先で修復したようで、戦いの爪痕はそこまで残ってはいない。
この疋壇城では朝倉景建と磯野員昌が出迎えてくれた。
「ご無事で何より」
「お前達もな」
まずは先の防衛戦について、これを労ってやる。
「危なかったようだが、織田はどうだった?」
「やはり強うございますな。その兵力や装備は侮れませぬ」
「なんの。せめて半数以上の兵力がこちらにもあれば、一気に打ち破ってやったものを」
控え目な景建に比べ、員昌は対照的だった。
「わたしも織田を侮っていた節がある。今回の上洛やら何やらは、いい勉強になった」
「ご謙遜を。領地を拡大して戻られたのです。何を省みる必要がありましょうか」
「まあ、そうだがな」
戦略的には成功した今回の上洛戦であるが、局地的な戦術では一進一退だったともいえる。
京を手に入れるなり破壊するなりできなかったことが、その証拠だ。
何だかんだいって、信長は京を守り抜いたのである。
「ところで預けてある二人は元気か?」
「おお、そうでした。実に可愛らしいお子であらせられる。領土も拡大し、世継ぎも生まれ、朝倉家は実に目出度いですな」
わたしの産んだ双子は、雪葉と華渓に任せて北近江を経由せずに若狭から直接敦賀に入り、金ヶ崎城の景建に預けておいたのだ。
ちなみに同行していた景鏡も、同じく先に敦賀に入っていた。
長旅を極力避けさせる配慮でもある。
今では乳母となっている乙葉も雪葉に同行させようと思ったが、絶対にわたしから離れないと言って護衛を強く望んだこともあり、わたしもそれを許した。
ともあれ金ヶ崎城に入った一行は、ささやかながら景建のもてなしを受けることになる。
その席で、景鏡と景建の二人が何やら言い出したのだった。
「色葉よ。わしはそろそろ隠居しようと考えておる」
「隠居、だと?」
「うむ。晴景ももはや立派に朝倉の当主としてやっていけるであろうことは、先の戦でも証明されたと言える。わしももういい歳ゆえ、そろそろな」
これに同調したのが景建で、家督を景道に譲りたいと願い出てきたのである。
晴景に子ができたこともあり、ちょうどいい機会とでも考えたのだろう。
いずれそのうち、とは思っていたけれど、しっかりと考えていたことでもなかった。
晴景は元々甲斐武田氏一門であり、朝倉家とは縁が無い。
だからこそ家臣らとの信頼構築には時がかかるかと思っていたが、しかし晴景はわたしの予想以上に早く、朝倉家に溶け込むことができていたようだった。
そして子が生まれたことが、何より大きい。
「……してもいいが、楽はさせんぞ?」
「それは覚悟しておる」
苦く笑う景鏡。
「わかった。戻り次第、晴景に告げる。今月中には家督の継承を内外に知らしめよう」
「それは良い」
「だが景建、お前は少し待て」
「駄目でございますか」
「そうは言っていない」
景建は景鏡よりも十程は若い。
「早く息子に家督を譲って次代の体制作りをしておきたいのだろうが、お前は朝倉一門筆頭という立場もある。加えて任せてある敦賀は重要な地。更に言えば、北近江は得たばかりで安定とは程遠い。変事があった際、この敦賀が対応の要になる。わたしは景道に塩津を任せるつもりでいる。あれが成長するまでもうしばらく待て」
そう諭せば、仕方ありませぬなと景建は頷いた。
その隣では、拙者はまだまだ隠居などせぬわと息巻く員昌がいたりする。
生涯現役とか頑張られるのも困るが、景建のように身を引くのが早すぎるのも困りものか。
「景建殿、此度の働きで加増されたのだ。まだまだ働かねばならんようだぞ」
「ありがたき幸せにて」
景鏡にも諭されて、景建は頷いた。
そして翌日。
敦賀を発ち、いよいよ木の芽峠を越えて府中に入り、そして北ノ庄へと向かうことになった。
その府中で待ち構えていたのが晴景だった。
どうやら北ノ庄で待っていられなかったらしい。
「色葉よ。でかしたぞ!」
会うなりまずそう労ってくれた。
「でも京は取り損なったぞ?」
「そのようなことはどうでも良い! 俺に世継ぎを与えてくれたことこそが何よりであろう!」
なるほど。
そっちの方が嬉しいのか。
ならばと早速二人に会わせてやった。
「おお……。い、色葉よ。どうやってさわれば良いのだ……?」
妙なことを聞いてくる。
「どうって、手で掴む以外にどうやって抱くんだ?」
首を傾げつつわたしがぞんざいに抱き上げると、火がついたように泣き始めてしまう。
「む?」
「姉様! せっかく寝かしつけたのに!」
「……姫様は若を抱いてはなりません。朱葉様の方のみにしておいて下さい」
乙葉には怒られるし、雪葉にも何やら言われてしまった。
「朱葉ならいいのか?」
「構いません」
『あまりな扱いは抗議したいところですが……』
朱葉までそんなことを言ってくる。
「姉様、貸して!」
「むぅ……」
もはや奪い取られるかのように乙葉に手渡すと、乙葉は一生懸命これをあやし始め、落ち着き泣き止んだところでそっと晴景に手渡していた。
「晴景様、そっと受け取って」
「う、うむ」
緊張したように受け取る晴景。
すぐに泣き始めるんだろうなと思って見ていたら、赤子は少しも泣く様子もなく、晴景はうまくあやしているようだった。
「……どうして初めて抱く晴景は泣かれないんだ?」
「それは姫様のように適当ではないからです」
「適当なのか? わたしは」
「かなり、適当です」
雪葉に断言されては返す言葉も無い。
何だか釈然とはしないが……。
「色葉よ、名はつけたのか?」
「ん、ああ……娘の方はな。朱葉とつけた」
「ふむ。朱葉か。自身の名にちなんだわけだな」
そこまで深く考えてつけたわけでもないが、一応自分の名から連想してつけたことは間違いではない。
「息子の方は晴景様に任せるつもりでつけていない。好きにつけてくれ」
「そうか。では小太郎でいいだろう」
「小太郎? ……ああ、そうか」
小太郎とは朝倉家の重鎮であった朝倉宗滴の幼名でもあり、朝倉氏を戦国大名化させた朝倉孝景の幼名でもある。
「元服したら教景と名付けようと思っている」
「いいじゃないか。わたしは構わない」
わたしが了承したことに、晴景は嬉しそうに小太郎を抱きしめた。
……けっこう荒っぽそうに見えるのに、泣き出す気配はない。
やはり釈然としない。
「あは。姉様が仏頂面になってる」
こちらの心境を見て取ったように、乙葉が笑う。
「うるさい」
わたしは尻尾で顔を隠すと、そっぽを向いたのだった。
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