第154話 江戸にて


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 天正八年三月二十五日。

 織田家中を震撼させる事件が起こった。


 すなわち織田家重臣である佐久間盛信・信栄父子が、信長によって十九ヶ条の折檻状を突き付けられて追放されたのである。


 佐久間盛信はおよそ三十年間に渡り、織田家中を率いた筆頭家老であった。

 盛信父子はこれを受け入れ、高野山に入ることになる。


 また両人だけでなく、重臣の林秀貞や安藤守就・定治父子、丹羽氏勝らも同様の憂き目にあった。

 功罪あれど、長年織田家に仕えた家臣らを情け容赦無く追放したことに、家臣の誰もが明日は己が身かと恐れたという。


 ともあれこれまで畿内方面軍は盛信によって統括されていたが、失脚によりその後を継いだのが石山本願寺を降し、摂津大坂を与えられた羽柴秀吉だったことは言うまでもない。


「殿。北条氏政が承知しましたぞ」


 安土城の信長の元に報せがもたらされたのは、まさに同日であった。


「まあ、当然だろうな」


 報告してきた明智光秀に、気の無い返事を返す。


「武田勝頼が東海道を制したとなると、関東がいよいよ危うい。となれば我らと組み、挟撃の構えでもみせねば落ち着かんだろう」


 とはいえそれは織田家とて同じである。

 北条の敵は武田だけでなく北の上杉もあることが厄介であるのだが、織田家とて北には上杉などよりも遥かに厄介な朝倉の存在があるのだ。


 少なくとも今の時点での両面作戦は避けるべきだろう。

 そのために身を削ってまでして朝倉と和睦したともいえる。


「光秀」

「は」

「お前は早々に京へと戻り、畿内の兵を統括した上で、未だ混乱している大和の平定と紀伊征伐を行え。ただし京は手薄にするな。村重に狙われる」


 朝倉家との和睦後、北近江を失った織田家は南近江の防衛の見直しを迫られていた。

 琵琶湖の東においては信長自身が安土城に入り防備を固め、また西においては光秀の坂本城を要として京の防衛が図られることになった。


 天正元年に朝倉・浅井家を滅ぼす以前の状況に戻ったとも言えるだろう。

 もちろん、かつての朝倉・浅井連合軍よりも、今の朝倉家単独の方がよほど強力で厄介な敵ではあったが。


「……畿内の兵権は羽柴殿の手にありますが」

「暫定措置に過ぎん。サルには播磨平定を急がせて、毛利に付け入る隙を与えぬように言い含めておけ」

「承知いたしました。……しかしこうなると、有岡城の荒木殿は厄介ですな」

「先に潰したいが下手に突けば朝倉が動く。面倒なことだ」


 中国遠征を行っている秀吉にしても、有岡城が敵地であるということは由々しきことである。

 とはいえ石山本願寺を降したことで、新たな補給線が開けたことは事実だった。


「とにかく片付けられるところから片付けていかねばならんだろう。俺は機を見て伊賀を平定する。光秀、お前もうまくやれ」

「はっ。では今日にも出立致します」


 そのまま退出しようとした光秀だったが、ふと思い出して一度下げた頭を戻した。


「どうした」

「お耳に入れるのを失念しておりました。徳川殿の動静です」

「家康は生きていたか」

「はい。どうやら北条家に身を置いているようです」


 これは北条との外交交渉の中で知れたことであった。

 徳川家康は難を逃れ、船にて関東に至り、北条家に庇護されたという。


「家康め、どうしてこちらに来なかった」

「怒涛の勢いに武田勢が、そのまま尾張を呑み込むかと思ったのかもしれませぬ」

「ふん。こちらに来れば一軍を与え、所領回復の先鋒を命じたものを」


 三河国の旧主である家康自らが攻め込めば、大義名分も立ち兵も集まるだろう。

 武田に降った元徳川家臣もいるだろうから、調略もし易くなる。


「とはいえ此度の同盟、家康殿の後押しもあってすんなりと決したことも確かです。関東に協力者がいることは、それはそれで利ありとも考えますが」

「家康とて無能者ではない。一度転んだとて、ただでは起き上がらんだろう。……しかし面倒なことになってきたものだ」


 東には武田。

 北には朝倉。


 しかし信長にはこの後、更なる難局が待ち受けることになっていたのである。


     ◇


 江戸城。

 この城の歴史は実に康正三年にまで遡る。


 もともとこの地には江戸氏が割拠し、館を置いていたものの、後に没落。

 代わって扇谷上杉氏である上杉持朝の家臣・太田道灌により、同地に築城されたのが江戸城の始まりとなった。


 それから実に百二十年。

 今よりやや時を遡り、天正七年十一月中旬。

 徳川家康の姿はまさにこの江戸の地にあった。


「またとんでもないところですな……」


 隣でそう言うのは井伊万千代。

 家康の小姓である。


「ははは。見事に何も無いか」


 城の大手門の北よりに、どうにか城下町らしきものが形成されてはいるが、わずか百件ばかり。


 東側は低地となっており、海水が侵入するような低湿地帯。

 西南はどこまでも続くすすきの野原。


 そして肝心の江戸城は小規模かつ荒廃が進み、居住するに堪えうるものではなくなっていたのである。


「北条氏政め、このような所に我らを追いやるとは……」


 家康の周囲では、その家臣らが次々に不満を口にしていた。

 それくらい、酷い土地であったのだ。


「まあそう言うな。領地を貸し与えられただけでも今は良しとせねばならん」


 家康が殊勝な言葉を口にすれば、家臣たちも口をつぐむしかない。


 甲斐の武田勝頼による侵攻を受けた家康は、抵抗虚しく敗北し、所領であった遠江と三河を失陥。戦国大名としての徳川家は滅亡した。


 しかし家康自身は生き延び、家臣らと共に船で脱出。

 一行は東を目指し関東の相模国に入ると、北条氏政に庇護を求めたのだった。


「しかし殿、何ゆえ織田殿をお頼りにならなかったので?」


 家臣の半数がそれを疑問に思ったことは、必然だったといえる。


 織田家は徳川家の同盟国。

 武田や朝倉の力が増したとはいえ、それでも日ノ本において随一の国力を有していることは変わらない。


 信長も協力してくれたであろうし、再起を図るならばこれ以上の所はないと考えるのが自然だろう。

 とはいえ、


「織田信長は援軍を寄越さなかった! そのような輩が何の役に立つか!」


 血気盛んな三河武士の中には、このように信長を頼ることを忌避する者も少なからずいたことは確かである。


 信長は援軍を送らなかったわけではない。

 大軍を派遣したものの、勝頼の足止めによって時間を奪われただけでなく、色葉の美濃侵攻により引き返さざるを得なかったのだ。


 しかし一部の徳川家臣からすれば、援軍が無かったことでこのような仕儀になったと考えている者も多い。

 つまり同盟国の責務を果たさなかったと。


 織田と徳川の同盟関係は、上下のある関係だったとも言えなくはない。

 当然国力の上の織田が上である。


 信長は家康に対し気を遣い、丁重には扱っていたものの、徳川家臣からすれば半ば臣従しているような関係に、不満があったことは事実だった。


 そして此度の戦により、家康は嫡男であった信康を失っている。

 信康の正室には信長の娘が嫁いでおり、これを信長が助けなかったと考える者も少なくなかった。


「わしは信長殿に恨みはない」


 肝心の家康自身はというと、そう家臣らに諭したのである。

 そしてそれは本音でもあった。


「援軍派遣の遅延はやむを得ない仕儀によるもの。朝倉や武田が一枚上手であったというだけであろう。何より自力で領地を守れなかったこの家康自身にこそ、責はある」

「なれば織田殿を頼っても良かったのでは……?」


 尋ねる家臣に家康は首を振る。

 それは否定の意。


「一度大きな失敗をした今、もう一度読み間違えてはそれこそ徳川は終わる。慎重に、しかし大胆に……あるいは賭けにも出ねばならんだろう」

「賭け、でございますか」

「うむ」


 北条家を頼った家康に対して当主であった氏政はこれを歓待し、客将として北条家に迎え入れた。

 そしてとりあえずはということで、この江戸の地を与えられたのである。


「では、織田ではなく北条を選んだことが賭け、ということでしょうか?」

「さにあらず。それは賭けでも何でもない。信長殿の治める地は、今に死地となる。そのような所に逃れるなど愚の骨頂ではないか」


 そんな家康の言葉に、一同は顔を見合わせた。


「今に、分かる」


 こうして家康一党は、しばし江戸にて雌伏することになったのである。

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