第150話 有岡城の会談(後編)

「ほう?」


 色葉の尻尾がまた動く。


「此度の会談はまさにそのため。朝倉殿が我らに合力下さるのであれば、事は成ったも同じ。違うまいか?」

「理屈ではな」


 色葉は用意されていた肘置きもたれかかり、頬杖をつきつつ、もはやこの場の主のような雰囲気を出して、物憂げに尋ねてきた。


「主を裏切ることに関してはどう考えている?」


 すでに謀反を起こしている村重の前でそのような問いをするのだから、小手先の言葉では通用しない相手であることは、もはや明白だった。

 秀吉は意を決し、答える。


「遺憾であると」

「ふふ、あはは。そうか、遺憾か。昔はよく政治家が口にしていたが、まさか目の前で聞くことになるとは思わなかった」


 何が可笑しいのか、色葉は笑ってみせた。

 が、場が和んだわけでもない。


「いずれわたしのことを裏切る者も出て来るかもしれない。そういう者の心境がどんなものなのか、少し興味があっただけだ。つまらないことを聞いた。許せ」

「はあ……」


 色葉の反応に、秀吉は判断に窮した。

 今回、秀吉の謀反を唆しているのは色葉ではない。

 孝高に煽られた面も多々あるが、実のところ秀吉本人の意思も大いにあったのである。

 それは今のところ明確に言葉にできる類のもではなかったが、確かに抱いていたと言っていい。


「さて、お前の謀反はわたし次第、ということであるが、わたしがお前に協力するか否かはお前次第、と思っている」

「と言うと?」

「わたしにしてみれば、お前が信長に対して謀反するだけで、利があるということだ。信長はお前を許さず、軍勢を送るだろう。どちらが勝つにせよ、疲弊する。わたしは成り行きを見て、漁夫の利を得る、というわけだ。如何にも愉快な話だろう?」


 くく、と色葉は笑みをこぼす。

 それは世にも恐ろしき微笑であった。

 その雰囲気を感じ取ったらしい護衛の若武者が、何とも言えない表情を浮かべていたが、それは秀吉自身も同じである。


「……つまり、朝倉殿は一度我らに勝利してみせよ、と仰せられるわけか」

「いかにも」


 なるほど実に厄介な相手だ、と秀吉は思った。

 ここまで打算を憚りなく言われては、返す言葉も無い。

 謀反なんぞやめようか、と本気で思い始めてしまったくらいである。


「が、それでは今後の貸しにはならないからな」


 恐ろしい微笑を引っ込めて、見た目通りの麗しい表情に戻った色葉は、ついと村重の方に視線を送った。


「村重、やはりお前は秀吉につけ」

「……それでよろしいので?」

「ふん。少しもったいないが、お前だと後でわたしを裏切りそうな気がするからな。まあ裏切るのは構わんし、討伐の愉しみが増えるだけだが、別の機会もあるだろう」


 何やら恐ろし気なことを、色葉はさらっと言う。

 というよりも、この突然の話の流れについて、秀吉は必死で思考を巡らせた。

 そして結論は一つしかなく。


「……村重殿は、朝倉殿に臣従するおつもりだったのか」

「本領安堵を約束してくれていたのでな。いよいよとなったらそうなるはずだった」


 悪びれることなく、村重は告白する。


「しかし官兵衛より誘いがあり、迷ったのも事実。で、色葉殿に相談したのだ」


 そして今回、色葉は自分にではなく、秀吉につくように言った。


「羽柴秀吉、これは貸しだ。無駄にするようならば、即座に切って捨てる。それでもいいのならば、信長に対して謀反するがいい。もっとも、このような話をここまで進めている時点で弱みを握られたも等しいか」


 どこまでも上から目線の姫であったが、それをするだけの貫禄がある。

 見た目は年下の女子に過ぎぬというのに、なるほどこれは確かにひとではないのかもしれない。


 その後会談は進み、詳細な打ち合わせへと入った。

 主に孝高の詳細な説明と段取りが中心となったが、朝倉側からは武田の動静などといった、東国の情勢が伝えられる。


 これを報告したのが護衛として従っていた、山崎景成という名の色葉の臣で、若いがその側近であるという。


 大方の話が終了した時点で、村重より食事が饗された。

 戦時中の城内であり、大したものではなかったが、色葉は不快な表情をみせずに全て食してみせる。


 そんな中、機をうかがっていた秀吉は、思い切って気になっていたことを尋ねたのだった。


「失礼ながら朝倉殿、一つお伺いしてよろしいか」

「ん、なんだ?」

「お側におられる侍女殿……とてもただの侍女とも思えぬのだが、如何なる出自の方かと思ってな」


 その問いに、色葉はきょとん、となった。

 そんな表情もできるのか、というような年相応な反応である。


「ああ……これが気になるのか?」


 色葉はやや意図を誤解したようで、隣の者のその尻尾を撫でて掴んでみせた。


「っ……。ね、姉様、ここでは……」

「この者はわたしの妹だ。挨拶しろ」


 色葉の言葉に頷いて、五つの尻尾を広げてその者は頭を下げた。


「朝倉乙葉と申します。以後、お見知り置きを」


 その貞淑な一礼に、秀吉は思わず見入ってしまう。

 そのどこか貴族的な振る舞いは、色葉には無い洗練されたものがある。

 気品という点においては、隣に座す色葉を上回るだろう。


「な、なんと、朝倉殿の妹君であられたのか。となると、義景殿の……」

「いや、そうじゃない」


 色葉は苦笑して、また乙葉の尻尾を撫でる。

 乙葉はくすぐったそうにしながらも、嬉しそうに頬を緩めていた。


「これは義理の妹だ。わたしの兄弟はことごとく信長に殺された上に、残った者も他家に嫁いでいるからな。この者は今やわたしの頼れる身内の一人である」

「さ、さようか」


 確かに二人の容姿は似ていない。

 しかし同じく尻尾があることから、その繋がりでの何か特別な関係かとも思ったが、それも正直どうでもいい。


「じ、実にお美しくあられる」

「ん、そうか。妹に代わり礼を言おう」


 乙葉なる妹を褒められたことに、色葉の機嫌は目に見えて良くなる。

 そして当人である乙葉は何も口にせず、頭を下げるだけに留めるあたりがまたいじらしかった。


 少なくとも秀吉はそう思ったのである。


     ◇


 その日の会談はこれにて終了となったが、有岡城を出た秀吉は何とも複雑な気分であった。


「あれはまことに恐ろしき女子だ」


 色葉に対する感想である。


「ですからそう申し上げたはずです」

「うむ。睨まれた時なぞ、危うく小便を洩らすところであったわ」


 別に色葉は一度たりとも睨んでなどいなかったが、秀吉からすれば視線を向けられただけで同じことであったのだ。


「はあ」


 情けない告白ではあるが、いかにも秀吉らしくもある。

 孝高としては気の抜けた返事をし、正勝などは苦笑するだけだ。


「ところで官兵衛」

「はっ」

「あの色葉姫に随行していた妹君……名を乙葉殿と申したか。あれは何者か?」


 秀吉としては素直に色葉のことを恐ろしいと感じていたが、それ以上に気になったのが乙葉の存在だったのである。


「朝倉家中において、乙葉という者はかなり名が知られています」

「ほう」

「出自は知れませぬが、あの色葉姫の側近の一人であり、武勇に優れ、各地を転戦して功を立てているとか」

「なに、戦に出るのか」


 秀吉は驚いた。


「はい。朝倉が越中に進出した際にはこれに従い、かの上杉謙信と戦ったとか。最近では若狭平定戦、丹後平定戦……疋田防衛戦にも参加し、あの柴田様と一騎打ちに及んだとも耳にしております」

「それはまた……何というお転婆な娘であるか」

「とはいえあの姫の側近であるのならば、さほど不思議でもありますまい」


 確かに、と秀吉は頷く。

 気品があり、お淑やかに見えはしたが、あの色葉に仕えているのだ。

 ただびとのはずがないという孝高の意見には、賛同できるものがあった。


「大将はついに狐にまで手を出すようになったんですかい?」


 茶化して言う正勝に、秀吉はううむ、と唸る。


「ああいう見てくれの者はわしも初めて目にしたが、しかし何というか、様になっているではないか」


 などと言う秀吉に、正勝と孝高は顔を見合わせる。

 そして小声で話し合った。


「おい官兵衛。うちの大将はどうしちまったんだ?」

「……恐らくは、見初められたのではないかと」

「いや、相手は狐だぞ?」

「私に言われましても……」


 それもそうか、と正勝は頭をわしわしと掻いた。


「まあ、なんだ。あのおっとろしい姫さんを前にしながら、そのお隣さんに懸想できるんだから、うちの大将もさすがと言うべきなのかね」

「そうかもしれませんな」


 やれやれ、と肩をすくめる正勝に、孝高は苦笑を返す。

 確かにこの小心者のようでその実図太い所が、秀吉の魅力なのかもしれない。


 ちなみに余談ではあるがこの年、秀吉の命により正勝の娘・糸姫と、孝高の嫡男・松寿丸との間に婚約が成立することになる。

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