第149話 有岡城の会談(前編)
◇
摂津有岡城。
平城ではあるが総構えとなっており、その強固さは織田の大軍を前にこれを退け続けていることからも明らかである。
城主は荒木村重。
今回の畿内騒乱の発端となった人物だ。
天正八年二月七日。
羽柴秀吉は密かに有岡城に入っていた。
村重は未だに織田家に対して抵抗を続けており、いわば秀吉にとってここは敵地である。
しかしだからこそ、この場所が選ばれたともいえるだろう。
秀吉は家臣である蜂須賀正勝と黒田孝高を従え、まず荒木村重との会見に及んでいた。
当然ではあるが、村重もかつては織田家臣であったため、秀吉とは面識がある。
「――このように、すでに事は動き始めております。後は荒木殿の帰趨次第。ご決断を」
そう言う孝高に、村重は難しい顔のまま考え込んでいた。
村重は孝高にとって、かつて自身を幽閉した相手である。
思うところが無いはずもない、が、それをおくびにも出さずに孝高は交渉を続けていた。
実際今回の会談を調整したのは孝高である。
その前交渉にあたって孝高は有岡城に赴いており、秀吉など周囲の者は心配して止めたりもしたのだが、孝高は再び乗り込み会談を承知させたのだった。
「まあ、急ぐなかれ。色葉殿の到着を待ってからでも遅くはあるまい」
村重の言うように、この会談は秀吉と村重の間のみのものではない。
正確には秀吉と朝倉色葉との間の会談である。
それに村重が加わったのは、色葉からの提案だったからだ。
相変わらず恐ろしい相手、と孝高は思った。
しかしこれは試されているとも悟り、孝高は承諾。
苦心して、今回の三者会談を実現させたのである。
一月半ば過ぎには秀吉、村重の方はいつでも良いという運びになっていたが、しかし色葉の体調が未だ優れなかったこともあり、二月にまでずれ込んだのだった。
「朝倉様、ご到着にございます」
しばらく雑談などに興じていたところに、村重の家臣より報告が届く。
「おいでになったか」
襟を正す秀吉であったが、それは村重にしても同様だった。
話によると、村重は幾度か件の姫に会ったことがあるらしい。
村重はかつて、主君であった信長に饅頭を突き刺した刃を向けられ、それを恐れることなく食したことで知られている。
つまりその胆力は、織田家中にあっても目を見張るものがあったのだ。
そのような村重が緊張の色を見せている。
秀吉は村重の様子をさりげなく観察し、そのように判断していた。
「丁重にご案内せよ」
「はっ」
村重の命に、家臣が足早に戻っていく。
「……村重殿は、かの姫をご存知とか?」
「亀山城にて、二度ばかり」
「いかなる姫であろうか」
「…………」
即座に返答は無く、村重は黙する。
そして、
「あれは、ひとではあるまいな」
ぽつりと、独白するかのようにつぶやいた。
「官兵衛と同じことをおっしゃられますな」
「お会いすれば分かるだろう。……ほれ、いらしたぞ」
案内され、広場へと入って来たのは三名。
打掛を着こなした姫が、同じく打掛姿の従者に手を引かれ、しずしずと歩み寄ってきた。
その背後には護衛であろうか、一人の若武者が付き従っている。
これが朝倉色葉か、と秀吉はまじまじと見返していた。
(なるほど尻尾が生えておる……)
やはり最初に目につくのはそこだろう。
そして大きな耳。
年の頃は若い。
が、まこと妖であるのならば容姿は当てにならない。
とはいえ朝倉義景の落胤であるのならば、さほど見た目と乖離した年齢でもないのだろうが。
(む?)
そこで秀吉は目を見張る。
尻尾が生えているのは色葉だけではなかったからである。
侍女と思しき従者にも、同じように尻尾が生えていた。しかもその数は一本どころではない。
そしてその容姿や出で立ちからしても、単なる従者には思えなかった。
「お久しぶりでござるな」
そう言って、村重が頭を下げたことに秀吉は驚いた。
この場に揃った秀吉、村重、そして色葉は一応のところ、対等のはずである。
とはいえ格の違いはある。
織田家の一家臣に過ぎない秀吉と、小なりとはいえ独立し、一城の主となった村重。そして越前、加賀、能登、越中、若狭、丹波、丹後、飛騨の八ヶ国を手中に収めている色葉とでは、その実大きな差があったことは否めない。
秀吉は慌てて頭を下げようとして、すでに頭を下げていた孝高に嗜められ、思いとどまる。
事前に言い含められていたことを思い出したからだ。
相手に決して弱みをみせるな、と。
「ん、遅れたことは許せ。亀山から有岡までは、近いようで遠い」
「お迎えにあがるべきでしたかな?」
「無用だ。物見遊山をしていたから遅くなったまでのこと。迎えがあったとしても、結果は変わらんぞ」
有岡城は未だ戦時にある。
石山本願寺が開城したことや、共同戦線を張っていた三木城の別所長治が滅んだため、荒木方の情勢は悪くなったともいえる。
が、城内に悲壮感は無い。
これは朝倉家が徹底して村重を支援していたからでもあった。
兵糧などの食料を初め、武器や弾薬、銭に至るまで、色葉は村重に対して援助を行っている。
その太っ腹振りに村重も呆れるほどであったが、とにかくそういった支援のおかげで城内の士気は維持されていた。
また朝倉と織田は和睦したものの、信長は有岡城に対して兵を差し向けられずにいる。
当然これは、朝倉の存在があるからだ。
もっとも信長も指を加えて見ていたわけではない。
三木城を落とした秀吉に対し、大坂城を拠点として有岡城攻略の準備を整えさせていたからだ。
秀吉にしてみれば、渡りに船な命令ではあったのであるが。
ともあれ朝倉家の存在感は大きく、村重とて色葉は頭の上がらない存在だったのである。
「――姉様」
「ん、すまないな」
付き従う従者らしき者の手を借りて、色葉はその場に座す。
動きはややぎこちなく、孝高の言うように産後の調子が戻っていないというのは確かなようだった。
「で、お前が秀吉か」
その色葉の視線が秀吉を射抜いた。
何気なく向けられただけにも見えたが、秀吉にはそう感じたのである。
「い、如何にも。わしが羽柴秀吉である」
「わたしが朝倉色葉だ。ああ、先に言っておこう。わたしはこのような物言いであるが、他意はない。単にこういう性情なだけだ。不愉快に思うかもしれないが、我慢しろ」
声は可憐であったが、その内容は傲慢そのものである。
が、秀吉はこれについては何ほども感じなかった。
信長で慣れていたし、成り上がりで織田家中において出世したこともあり、嘲りは我慢できたからだ。
しかし今は平身低頭、というわけにはいかない。
対等の立場として、交渉しなければならないからだ。
秀吉は改めて気を引き締める。
そんな中、会談は開始された。
「まずは第一の前提条件ではあるが。羽柴秀吉、お前は本当に信長が生きているうちに反旗を翻すことができるのか?」
値踏みするように、色葉が尋ねてくる。
信長以上の圧力に、脂汗がだらだらと背に流れ落ちた。
「賢しい孝高のことだ。状況的にお前を追い詰めて謀反させようとしているのだろうが、肝心のお前にその気がなければどうにもならん」
「恐れながら――」
「黙っていろ。わたしは秀吉と話をしている」
色葉の尻尾が不穏に動き、孝高は頭を下げた。
声音は静かだったが、その圧力がおかしい。
「どうなんだ?」
これでは蛇に睨まれた蛙が如き有様だった。
視界の隅では村重が、同情するような視線を向けている。
どうやら以前に同じ洗礼を受けたのだろう。
「それは朝倉殿次第」
秀吉はどうにか返す言葉を見つけることができた。
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