第135話 徳川滅亡(前編)


     ◇


 二俣城陥落に報せに、家康は歯噛みした。

 家康はぎりぎりまで織田の援軍到着を待っていたのだが、その報は未だ無く、ついには耐えきれずに出陣に至ったのである。


 ここで万が一、後詰を送らず二俣城が落ちれば徳川の遠江における威信は失墜する。

 例えば掛川城での士気も下がり、開城もあり得るかもしれない。

 石川家成に限ってあり得ないとは思うが、しかし全ての兵卒はその限りではないだろう。


「忠世は討死したか」

「分かりませぬ。ただ某に殿にお伝えせよ、と」


 涙ながらに訴える忠教を見て、家康は決意を新たにする。


「このまま二俣城に向かう!」

「なりませぬ、なりませぬぞ!」


 それを諫めたのが石川数正である。


「二俣城が落ちた以上、ここで決戦を挑むはあまりに危険ですぞ!」

「だが城兵の死を無駄にはできん」

「無駄というならば決戦こそ無駄というもの。かの者たちが稼いだこの時間、無駄になさいますな!」


 数正を始めとする各将に諫められた家康は、進軍を停止。

 ただちに浜松城への撤退が開始された。


「織田殿は何をやっているのか」


 未だ何の報せもない織田方の援軍に、家康としては地団駄を踏む思いではあった。

 かつて高天神城を勝頼に攻められた際も、織田の援軍が間に合わなかったことで失陥している。


「そう申されますな。長篠の時のように援軍は必ず参りまするぞ」


 数正の励ましにも、家康は素直に頷けるものではなかった。

 そもそもにして武田の別動隊である山県勢の跳梁を許してしまっていることで、三河との連絡がつきづらくなっている。


 山県昌景はその勇猛振りを如何なく発揮し、新城城、野田城はすでに攻略され、吉田城も包囲されて落城間近、もしくはすでに落ちているかもしれない。

 遠江と三河が分断されるのも時間の問題であろう。


「ともあれ今は耐えるしかありませぬ」


 その通りであると、家康も頷かざるを得なかった。

 今は後詰を期待して、耐え忍ぶしかないと。


     ◇


 二俣城を攻め落とした勝頼は、家康が浜松城を出陣していた報せを聞いて、時を置かずに天竜川を渡り、迎撃すべく軍勢を整えた。

 勝頼が願っていた決戦の場が与えられたと意気を新たにし、万全の体勢でもって軍を展開させて待ち構えたのである。


 ところが徳川勢は転進。

 浜松城へと撤退したという報せに、勝頼は落胆した。


 が、ここで山県昌景より吉田城を攻め落とした旨の報告が届く。

 これにて遠江と三河は事実上分断されたことになる。


「織田の増援はどうなっているか」


 勝頼は即座にそのことを確認させた。

 織田の援軍こそもっとも憂慮すべき事態である。

 勝頼は遠江と三河間の徹底した情報封鎖を命じる一方で微速にて西進し、情報を待った。


 織田信忠による二万の軍勢が岐阜城を発ったことは、かなり以前から分かっている。

 これが来援した場合、勝頼は選択を迫られることになるだろう。


 織田の援軍と岡崎の信康勢、浜松の家康勢が合流を果たせば、四万近くの大軍になる。

 これに対抗するには山県勢を引き揚げさせて合流せざるを得ないが、馬場勢は恐らく間に合わない。

 つまり兵力において武田方が劣勢になる。


 この状態で決戦を挑むのは無謀であろうが、その選択を勝頼はしなくてはいけなくなるのだ。

 やはり援軍到着前に浜松城の徳川勢を壊滅させておくことは、必要不可欠であろう。

 となれば時間の勝負となるし、当然織田方の動向は正確に把握しなければならないだろう。


 馬場信春からの報せによれば、信忠勢はいったん美濃岩村城に援軍として駆け付け、いくらか対峙した後、馬場勢の城攻めに戦意無しと判断した信忠は進軍を再開し、三河を目指したということまでは分かっている。


 問題はその後の動向だ。

 そして待ちに待った情報が、勝頼の元に届けられる。


「織田信忠勢は転進。岐阜城に撤退したと思われます!」


 伝令の報せに、勝頼は当初耳を疑った。

 状況が即座に理解できなかったからである。


 詳しく仔細を聞き出せば、信忠はいったん三河に入り、岡崎まであと少しというところまで迫っていたという。

 ところがそこで急報がもたらされた。

 郡上八幡城が朝倉方の将・島左近の急襲を受け、落城の危機にあるという。


 ここは越前から美濃に至る美濃街道沿いにあり、飛騨の白川郷や松倉城から美濃に向かう際にも必ず通る場所であるため、織田方としては朝倉方に備える最重要の防衛拠点であったといえる。


 一方の朝倉にしてみれば美濃侵攻の橋頭保になり得る一方、防御の要ともなるため、絶対に確保しておきたい拠点であった。

 特にこの美濃街道は奥越前であり色葉個人のお膝元でもある大野郡に直結しているため、色葉は常に警戒を怠らず、逆に虎視眈々としてその奪取を狙っていたのだった。


 つまり当然のごとく、今回の郡上八幡城への侵攻は色葉の命によるものである。

 勝頼による西上作戦を知った色葉は、その成否が織田の援軍如何によるであろうことも正確に判断し、恐らく濃尾を任せられている織田信忠が派遣されるであろうことを見越し、その援軍を翻弄しつつ時間を稼がせ、更にはその隙に郡上八幡城を突かせたのだった。


 これは丹波にいる色葉の元から雪葉が越前へと戻った際に晴景に伝えられ、奥越前を任されている大日方貞宗に命じられた。


 貞宗はただちに飛騨松倉城の武藤昌幸と連携。

 情報収集を徹底させ、昌幸は馬場信春とも連絡を密にし、信忠勢の動きを正確に把握しつつ、援軍が三河へと入ったその時に情報が伝わるように郡上八幡城への急襲が決行されたのだった。


 貞宗の家臣である島左近を先鋒とし、色葉直属の精鋭である平泉寺衆を従えた大日方勢八千と、武藤勢二千の連合軍は郡上八幡城へと殺到。

 平泉寺衆は色葉によってかの雑賀衆にも劣らぬ精鋭鉄砲衆と化しており、更には国崩しと称された大筒も使用するなどして、電撃的な攻城を行った。


 これにより郡上八幡城は瞬く間に陥落。

 大日方勢は更に南進して関に入り、今や岐阜を伺う勢いとなっていたのである。


 ともあれ織田の援軍撤退の報は、武田にとっては天祐であった。

 この機を逃す手はないだろう。

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