第132話 大坂と長浜と


     ◇


 その日の夜。

 こっそりと城を抜け出したわたしは華渓の案内の元、近くの寺に足を運んでいた。

 寺といってもぼろぼろで、どう見ても廃寺である。

 お化けでも出そうな雰囲気だ。

 まあこの場合、わたしがその化け狐になるのかもしれないが。


 などと益体も無いことを考えつつ、わたしは寺へと足を踏み入れる。

 華渓は当然、外に残してだ。

 中に入ればすでに一人の男が座し、待ち構えていた。


 わたしは遠慮なくずかずかと足を踏み入れ、その目の前に勢いよく腰をおろす。

 そして無遠慮に眺めてから言ってやった。


「ふん。本当に本物か」

「ご無沙汰しております」


 そう頭を下げるのは、間違いなく有岡城で助けた男だ。


「このわたしを呼びつけるとはいい度胸だな」


 尻尾を不穏に動かしつつ、剣呑に言ってやる。

 ……本能寺での会見の時もそうだが、どうもわたしは敵陣営との交渉となると必要以上に高圧的というか、挑戦的になってしまうらしい。

 が、どうにもならないのでどうにもしないけれど。


「恐縮です」


 孝高は動じない。

 ふん、まあ肝の据わった男であるのは知っていたが。


「で、何用だ? こんな夜分を選んだということは、仕官の申し出というわけでもないんだろう?」


 夜更けを選んだのはわたしの都合であるが、そんなことはお構いなしである。

 うん、横暴だな、わたしって。


「お察しの通りではりますが……」


 やっぱりわたしに仕える気になった、というわけじゃないのか。

 その可能性もゼロではないと思っていただけに、余計に孝高の思惑が分からなくて口調はぞんざいになっていく。

 相手に主導権をとられるのが嫌だからだ。


「では何だ?」

「かつての恩に報いたく」

「恩? 命を助けたことか?」

「はっ」

「どうやって報いると?」


 興味はあるが、やはり何を考えているのか読めない。

 わたしが孝高の才覚を警戒している、というのもあるのだろうが……。


「それにはまず、お願いしたき儀がございます」

「ん、何だと言うんだ?」

「石山本願寺。姫のお力にて、その法主たる顕如に大坂を明け渡すように、働きかけていただきたいのです」

「なんだと?」


 それは思わぬ言葉だった。

 顕如といえば、本名を光佐といい、本願寺光佐とも呼ばれる人物だ。

 顕如とは法名である。


「意味がわからんぞ? どうしてわたしがそんなことをする必要がある?」


 劣勢になったとはいえ、一向宗を率いる本願寺は今も変わらず織田の敵である。

 そして朝倉とも同盟しており、まあ協力し合う関係だ。

 顕如は今も石山本願寺で頑張っており、織田が摂津の支配を完成させられない要因の一つでもあった。


「ここで本願寺が降伏すれば、有岡城の荒木村重も困るだろう。紀伊の方もな。当然毛利や三木城の別所長治もか」

「然様ですな」

「当然わたしも困る。それを分かっていて言っているのか?」

「勿論です」


 まあ、そうだろう。

 分からないのはこいつの意図である。

 石山本願寺の降伏は、織田にとっては良きことだろうがわたしにとっては不利益しかない。

 畿内の情勢が一気に織田方に傾くからだ。

 そんなことをこいつが分からないはずもないだろうに……。


「その引き換えに、こちらは長浜城を譲渡する用意があります」

「なに?」


 意表を突かれてばかりで面白くなかったが、しかし孝高の言はこちらの想像しないものばかりだった。

 石山本願寺の次は長浜城だと……?


「長浜城といえば、お前の主の城だろう」

「そうですな」

「それを、こちらに寄越すだと?」

「此度の越前攻めが失敗すれば、姫はその余勢を駆って反撃に出、長浜まで進軍するおつもりでしょう。一方で我々もまた、何としても大坂を落とすつもりです。であれば、現時点でこの取引をすることは、双方にとって悪い話ではないと存じます」


 ……こいつ。

 孝高の言い様では、まるで織田方が敗れるのを疑っていないように聞こえる。

 その上で、わたしの目論見も正確に見抜いている。


 もちろん、わたしの最終的な目標は長浜ではなく、安土だ。

 しかし安土城を狙うにあたり、長浜城は橋頭保になり得る。

 ここを得て、次は佐和山城。

 そして安土だ。


 だがどうしてそんなことをこの男が考える?

 しかも長浜城を引き渡すなど、正気の沙汰とは思えない。

 これではまるで、信長に対する裏切りのようにも聞こえなくはないではないか。


「――――」


 そう、か。

 もしそれが正しかったとしたら……。


 わたしはここ最近鈍っていた頭を回転させ、目の前の男の思考に追いつくように努力した。

 黒田孝高は戦国屈指の知将。

 わたしも昌幸を通じて鍛えているつもりだったが、今更のように油断してはいけない人物だったと再認識する。

 油断すれば、足元をすくわれる。

 そしてこの男の野心は小さくない。


「ふうん……。そうか。狙いは秀吉の家族だな?」


 わたしは一つの結論に行き着いて、それを口にした。


「さすがは朝倉の姫」


 孝高がにやりと笑う。

 ……なんだろう。

 まるで鏡を見ているような気にさせる、そんな笑みだった。

 周囲によく言われる、邪悪な類のあれ、である。


「長浜には秀吉の身内がいるからな。譲渡するといえば聞こえはいいが、要は無血開城するから家族に手を出すな、ということだろう」

「その通りです。そしてそのお礼に石山本願寺に篭る者どもを、全て引き渡すことをお約束いたす所存にて」


 越前には吉崎御坊がある。

 顕如の所から引き抜いた下間頼純が心血を注いで復興させたのだ。

 ここに顕如を迎えて保護すれば、一向宗どもの支持を集めることが容易となるだろう。


 もっとも軍事力を与えるつもりはない。

 吉崎御坊に流れ込む財は全てこちらが管理しているので、これまでのような一向一揆の蜂起などは容易に成せるものではなくなるだろうが、それでいい。

 坊主など大人しく念仏でも唱えていればそれでいいのである。


「……面白いことを考えているみたいだな? わたしにはまるで、秀吉が謀反をする準備を整えているようにしか聞こえんぞ?」

「独立とおっしゃって欲しいものです」

「同じことだろう」


 認めたか。

 史実において、羽柴秀吉は織田信長の偉業を引き継いで、名実ともに天下人となる。

 しかし謀反は起こしてはいない。

 起こしたのは明智光秀だからだ。


「とはいえ、にわかには信じられないが」

「最初に申し上げたはずです。かつての恩に報いたい、と」

「ふん。確かに秀吉がここで謀反すれば、織田にとっては大打撃だろう。朝倉にとっても有利に働く」

「であれば」

「しかし首尾よく信長を滅ぼした後はどうなる?」


 信長は厄介な敵だが、秀吉とて同じである。


「朝倉殿は東を、我らは西を平定いたします。それにて天下二分で終わらせるも良し。それが不本意ならば、それはそれでその時に考えれば良いかと」

「天下二分、か」

「如何でしょう?」


 如何なものか。

 それで満足して終わるとも思えない。

 わたしにしろ、秀吉にしろ……恐らくこの目の前の男にしても、な。


「そんなにうまくいくと考えているのか?」

「我々と、姫が手を結べばあるいは、と」

「ふん。言ってくれる」


 しかし先を読んでいるのはこの男の方が上手かもしれない。

 首尾よく信長を倒したら、わたしの次の狙いは関東の北条である。

 西国に関しては後回しのつもりだった。


 となれば、独立した秀吉と盟を結ぶことは、戦略上の利があるといえるだろう。

 もっとも孝高がいる以上、少しも油断はできはしないだろうが。


「しかし、なんだな?」

「なんでしょう?」

「お前を助けたことは、間違いだったのかもしれないな」

「……それは誉め言葉として受け取っておきましょう」


 食えない奴だ。

 今回の秀吉謀反の件は、秀吉自身というよりも孝高が唆した可能性が高い。

 思わぬ展開というものは、いつでも起こり得る、ということか。


「では、詳細を聞こうか」

「はっ」


 各地に戦火が飛び火する中。

 新たな謀略戦が幕を開けようとしていたのである。

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