第133話 二俣城の戦い(前編)


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「如何でしたか」

「まずまずか」


 早朝、人目を忍ぶようにして亀山の地を離れた黒田孝高へと、同行していた井上之房が首尾の程を尋ねてくる。


「予想通り、かの姫は話に乗ってきた。我が殿の御運が開けてきたのは間違いないだろう」

「それは祝着至極ではありますが。されど羽柴様は……」

「必ず説得してみせる」


 孝高が色葉に語った秀吉の独立は、その実秀吉自身がすでに決意していたものではない。

 むしろそうなることを見越し、孝高が事前に動いているに過ぎないのだ。


 これまでに宇喜多、毛利、山名、そして朝倉と、孝高は密かに接触を持って下準備を周到に進めている。

 どこの者も曲者ぞろいで油断などできないが、やはり今回の朝倉色葉との密会は、先に縁があったとはいえ胃の痛くなる思いを経験せざるを得なかった。

 改めて面と向かって話をし、その威圧感に潰されないように必死に耐えなければならなかったからだ。


「しかし、確かにあれはひとではないな」

「尻尾と耳のことをおっしゃっているのですか?」

「それもあるが、雰囲気が、な……」


 狐憑きの朝倉の姫。

 話してみて再確認できたが、今敵対するにはあまりに危険な相手である。

 先に交渉した宇喜多直家なども危うい人物であったが、恐らくそれを凌ぐだろう。


「だが、対等に渡り合ってみせる」


 孝高にとって、色葉は命の恩人である。

 それにどうやら自分のことを買ってくれているのは間違いない。

 態度はぞんざいであったが、それでも話を聞く姿勢からも、こちらを過小評価していないことは知れた。

 できれば争いたくない相手では、ある。


「いずれ、朝倉とも、とお考えなのですか?」


 主の心境を悟ってか、之房に聞かれ、孝高は首を振った。


「わからない。そうならない未来があるのであれば、それに越したことはない。されど、秀吉様の天下統一の障害となるのであれば、私は迷わん」


 竹中重治より後事を託されていた孝高は、すでに決意している。

 何としても羽柴秀吉その人を天下人にしてみせると。

 そのためならば、例え命の恩人であろうと利用するまでだ。


「しかしその前に、荒木殿だ。これを御せずして、朝倉の姫君と対等であるとはいえぬだろうからな」


 新たな覚悟と共に、孝高は再度有岡城に向かった。

 荒木村重。

 その帰趨が、現在の戦局に大きな影響を与えるであろうことは、もはや間違いなかった。


     ◇


 天正七年九月二十日。

 遠江二俣城。


 二俣城は天竜川と二俣川に挟まれた要害にある山城で、その堅固さに武田信玄ですらこれを落とすのに手こずったものである。

 その防衛力は高く、力攻めでは容易に落とせるものではなかった。


 だがその弱点は以前から知られてもいた。

 城は岩盤上に立地しているため、井戸を掘ることができず、水の確保が至難なことである。


 そこで天竜川に井楼を設置して、取水することで水を得ていたのだった。

 勝頼は以前、この城を攻めた際に城に井戸が無いことを知って井楼を破壊し、水の手を断って二俣城を陥落させている。


 当然の流れとして、今回は早くから井楼の破壊を勝頼は命じた。

 が、それは城将である大久保忠世も当然心得ている。

 事前に城内にできる限りの水の貯えをすると同時に、生命線となる井楼をより強固にすることで対抗した。


 前回は大量の筏を作らせた上で天竜川の上流から流させ、筏を井楼の柱に激突させて破壊するという策を用い、見事にこれは成功している。

 しかし忠世は石垣を用いて足場を固め、容易に打ち砕かれないように工夫したことで、前回のようにはいかなかった。


「同じ轍は踏まんか」


 勝頼は感心しつつ、しかし思惑が外れたことに苛立ったような素振りを周囲に見せ、二俣城への正面攻撃を命じたのである。


 二俣城は天嶮を巧みに利用しているため、とにかく攻めにくい。

 大軍であったとしても攻め切れないことは、前回で実証されている。

 そして今回もそれは証明された。

 寄せ手の武田勢はことごとく撃退されたのである。


 しかし勝利したとはいえ、城兵は小勢。

 常に必死で余裕は無い。

 そして武田勢の無謀とも思える突撃は連日続き、三日目の夜に異変は起こった。


「一大事にてございます!」


 城兵の報告に、忠世はしてやられたことに気づいた。

 見れば井楼が天竜川に崩れ落ちていたのである。


「おのれ、連日の猛攻は陽動であったか」


 勝頼は力攻めに切り替えたようにみせて、水の手を断つことを全く諦めていなかった。

 それが城を落とす最善の策であると分かっていたからである。


 そのため城攻めを命じて城兵を疲弊させる一方、その夜のうちに密かに天竜川に人を入れさせ少しずつであるが、石垣を崩しにかかっていたのである。


 そして三日をかけて石垣の一部を破壊し、井楼を崩壊せしめたのだった。


「だが、時は稼げる」


 忠世とて、井楼がいつまでも健在であると信じて疑っていなかったわけではない。

 むしろ状況次第では、自らこれを破壊することすら考えていたほどだった。


 そして案の定、井楼の崩壊と共に武田方の攻撃は止まり、すぐにも降伏勧告の使者が差し向けられてきた。


「我ら最後の一兵まで戦う所存なり」


 しかし忠世はこれを拒否。


「後詰を信じておられるのか」


 使者に立った大熊朝秀に、


「そのようなものがあろうとなかろうと関係ござらぬ。我ら三河武士に降伏はありえぬ」


 堂々と、そう言い放ったのである。


「されど渇きは飢えよりもなお恐ろしきもの。水が尽きれば数日と持ちませぬぞ」

「さもありなん。が、答えは変わらぬ」


 これにより武田方は説得を諦め、包囲を継続。

 だが包囲するだけで十分と判断した勝頼は、これまでと打って変わって無理な城攻めを命じなかった。

 しかしこれこそ忠世の狙い通りであったのである。


 武田方は二俣城の戦力を千から二千と見積もっていた。

 ある程度の水の蓄えはあろうが、しかしそれだけの人数の喉を満たそうとすれば、あっという間に尽きるはずである。


 ところが三日がたち、七日がたち、十日を越えても城内の士気が下がった様子は無い。

 これはおかしいと、武田の諸将は訝し始める。

 よもや城内に水源があるのではないかと疑い始めたのだ。


 だがもしそうであったとすると、かなり由々しきことになる。

 力攻めを再開したところで、落とすことは難しい。

 仮にできたとしても、犠牲も膨大となるだろう。

 果たしてどうすべきか。

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