第126話 美濃岩村城


     ◇


 美濃岩村城。

 その歴史は鎌倉時代までさかのぼる。

 鎌倉幕府の征夷大将軍・源頼朝の重臣であった加藤景廉の長男・遠山景朝が築いたのが最初であるといわれ、その後は遠山氏によって守られてきた城である。


 そして戦国時代に入り、遠山景任の代になって織田家と縁戚関係になる。

 これは信長の叔母であった艶姫を、景任が妻に迎えたからであった。


 武田信玄による西上作戦の際、信玄は秋山虎繁に命じてこれを攻めさせたものの、堅城であった山城の岩村城は容易に落とせなかったという。

 しかし遠山景任の死後、女城主となって岩村城を支えていた艶姫を虎繁は説得し、これを開城させることに成功しており、以後岩村城は武田の支配するところになっていた。


 そして天正三年に長篠の戦いが勃発。

 武田方は大敗し、その流れで織田方は岩村城奪還を目論み、これを果たして再び織田の領するところとなっていた。


 この奪還戦の際に織田鈴鹿による殺戮が行われるという悲劇が起こったが、城兵は文字通り全滅したこともあって知られてはいない。

 捕らえられた虎繁や艶姫も、その後信長によって処刑されているため、その時の地獄を知る者は誰一人いなくなったからでもあった。


 そして今回。

 武田勝頼による第二次西上作戦発動により、馬場信春を主将とする五千余の軍勢は、一路岩村城を目指して進軍していた。


「はは、そのように固くならずとも良いぞ」


 馬上からそう声をかけるのは、馬場信春その人である。


「その様子では肩も凝ろうというもの」

「……いささか緊張しておりました」


 そう恥ずかしそうに答えるのは、まだ初々しさが残る若武者であった。

 名を諏訪景頼。

 幼名を朝倉孫八郎。

 朝倉景鏡の長子である。

 そして朝倉色葉の義弟でもあった。


 景頼は朝倉と武田の同盟の際に、勝頼の妹である松姫を正室に迎え、武田家を継いだ勝頼に代わって諏訪家の名跡を継ぎ、武田一門となった経緯がある。

 景頼は高遠城を任されたが、色葉の希望もあってその補佐を任されたのが、信春だったのである。


 これは色葉が武田家において、信春と親しかったことに起因する。

 また景頼の教育を信春に任せようという意図もそこにはあった。

 信春自身は高齢であったこともあって、朝倉との共同による飛騨平定以降、家督は嫡男であった馬場昌房に譲っていた。


 しかし昌房は牧之島城を任されたこともあって、信春は隠居後も変わらずに深志城に留まり、飛騨の武藤昌幸や朝倉家との橋渡しに一役買い続けていたのである。

 また弟であった馬場信頼に城を任せ、色葉の希望通りに景頼の後見人のような立場となって高遠城に在城することも多かった。


 一方の景頼は武田に入るまでに徹底的に色葉に教育、指導されていたこともあって、信春が預かった際にはすでに十分に気概のある少年だったといえる。

 自身の嫡男であった昌房が病弱で頼れなかったことも、信春の教育に熱を入れさせる要因になったといっていい。


 また景頼も、信春のことを馬場の小父様と呼んで慕っていた。

 そして今年十七となった景頼は、ついに初陣を果たすこととなったのである。


「岩村城は屈指の山城です。この攻略を義兄上に命じられたことは名誉ですが、如何にしたものかと考えてしまいます」

「もちろん、容易に落とすことは叶わぬだろうの」


 というより、この戦力で岩村城を落とすことは至難であると、信春は考えていた。

 岩村城の守りは固く、武田の猛牛とされた秋山虎繁でさえ力攻めを回避したほどである。


「しかし景頼様、此度はこれを落とす必要は無かろう」


 今回、馬場勢が東美濃に進出した目的は織田家への牽制であり、攻略自体が目的ではないのである。

 織田方の援軍が徳川に入るのを防ぐために、これを引き付けるのが狙いであった。

 そのためにわざわざ兵力を分散させてまで、織田領に侵攻してみせたのである。


 そして信春自身、織田方と実際の戦闘に及ばせるつもりは毛頭無かったと言っていい。

 だからこそ景頼の初陣に選んだ、ともいえるだろう。


「されど、それでは功をあげることができませぬ」


 どこか困ったように、景頼は言う。

 景頼とて今回の馬場勢の方針を知らないわけでもない。

 しかし機会あれば、と考えていたのも事実だった。


「功を焦ることもなかろうと思うが」

「……姉上に、何と文をしたためれば良いか」


 不死身の鬼美濃と称された信春にしても、景頼の姉である色葉のことはとんでもない猛将であると認めていた。

 あの戦場での暴れっぷりはなかなかのものであり、自身がもっと若ければ一度手合わせしてみたいと思ったほどである。


 そんな色葉は見た目とは裏腹に横暴な性格をしているが、意外に真面目で武田に送った弟のこともずっと気にかけていた。

 また筆まめで、景頼とはよく文のやり取りをしていると言う。


 そして武田と同盟後の色葉の武勇伝は事欠かない。

 飛騨を平定後は加賀を瞬く間に平定し、越中に入って上杉と対陣。

 緒戦では勝利して上杉の出鼻を挫くも、謙信を相手に大敗するという危機に陥ったという。


 しかし色葉自身、重傷を負いながらも死地から晴景を救い出し、謙信の侵攻をぎりぎりで防いでみせ、機を待ち反攻に及んで越中から上杉を駆逐し、これを平定した。

 一度上杉に平定された能登などは、その後あっという間に色葉の手に落ちている。


 また敵対した上杉とは即座に盟を結び、上杉景勝に与して越後に派兵。北条勢を相手に大いに暴れてこれを撃退し、その家督継承に尽力したという。

 そのため上杉家は謙信が健在だった頃に比べるとその勢力を弱め、相対的に朝倉家の影響力が増したことは疑いようも無い。

 上杉家中にも、多数の親朝倉の家臣がいるという。

 これはもはやある程度切り崩されているとみるべきだ。


 これらの事跡から色葉は勇猛さだけでなく、外交や謀略にも長けていることは間違いない。

 そんな人物を姉に持った景頼にしてみれば、これはもう意識せざるを得ない存在であったといえるだろう。


「初陣で武功を立てられねば色葉様が落胆されると?」

「そうではありませぬか?」

「はは、たわけ。まだまだ青いな」


 色葉は単なる猛将、というわけではない。

 敵将の首級をあげてこその手柄、とばかり考えるような輩ではないのだ。

 もちろんそういう一面も大いにあるが、戦略的に重要な局面を担い、それを成功させることも、功として十分に見做すだろう。


「良いか。何も徳川だけで終わりというわけでもあるまい。仮に徳川を滅ぼすことができたとしても、次は織田や北条がおる。特に織田は強敵……この先いくらでも機会はあろうて。まずは生き残ることを第一とせよ」

「はい」


 神妙に、景頼は頷いた。

 もっとも正直な心境を吐露するのならば。

 景頼は敬愛する姉に褒めてもらいたかった、ということに尽きるのかもしれない。

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