第64話 七尾城陥落


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 九月十三日。


 守山城から能登国へと入り、石動山の上杉方の包囲の陣へと戻った上杉謙信の元に、七尾城から密書が届けられていた。

 畠山家臣である遊佐続光、温井景隆、三宅長盛らの連名で、上杉への内応を了承する内容であった。


 折しもこの夜は中秋の名月であり、富山城奪還を果たしたことなど、戦勝の月見の宴を催して謙信はこの密書を受けて、


霜満軍営秋気清

数行過雁月三更

越山併得能州景

遮莫家郷憶遠征


 という、七言絶句を詠んだと云われる。

 いわゆる十三夜の詩と呼ばれるものだ。


 ともあれ翌々日の十五夜の夜。


 月光のもと、遊佐続光を初め、温井景隆、三宅長盛らが七尾城内で反乱を起こした。

 城門を開け、手筈通りに上杉勢を城内に招き入れ、七尾城があっけなく陥落。


 畠山勢を実質的に率いてきた畠山重臣・長続連を初めとして、子の長綱連、長則直といった長一族約百名がことごとく討たれ、能登畠山氏は事実上、滅亡したのである。


 七尾城の攻略をもって、謙信は能登の平定を一挙に進め、これを平定したのだった。


     /色葉


「七尾城陥落! 長続連殿お討死した由にございます!」


 身体の調子が戻ったことで、増山城において改めて家臣を集めて軍議を行っていた席に、その急報はもたらされた。


「なんと……!」


 列席する家臣の中で、唯一客将であった長連龍が力なく崩れ落ちた。

 報告によれば、続連の嫡男であった綱連も討ち取られ、長一族は連龍を残してほぼ全滅したというものだった。


「遊佐や温井が裏切ったんだろう」


 史実通りの展開に、わたしは舌打ちする。

 朝倉が越中に進出することは、史実ではない。

 そのため流れが変わるかとも思ったが、そうはいかなかったらしい。

 何にせよ、朝倉が神通川で大敗したことがきっかけになったことは、疑いようもないだろう。


「すまぬ、連龍殿」


 真っ先に頭を下げたのは晴景だった。

 神通川での敗戦依頼、毅然とした態度は崩さなかったものの、それでもまだ二十歳そこそこの若者でしかない晴景である。

 やはり十二分に気にしていたらしい。


「俺が迂闊にも城を出たせいで、このような結果になってしまった。援軍も間に合わず、言葉も無い」

「晴景様の失態は、わたしの失態でもある。七尾城は必ず奪取する。能登も含めてな。今は上杉に預けてあると思っておけばいい」

「……はっ。是非、よしなにお願い申し上げます」


 力無く、しかし一縷の希望を抱いてか、連龍はわたしを見て謝意を述べた。


「いいか。みんな暗い顔をするな。上杉には負けたが……まあ、見事なくらいな完敗であったが、連中の強さはよく分かっただろう。玄任や直保のことは痛恨ではあるが、以外の者は生き残ることができた。当然わたしもだ。これを僥倖と言わずして、何と言えばいい?」


 そう言ってやっても、皆の顔は一様に暗い。

 というのも、晴景が暗い顔になっているからだ。


「晴景様、名誉挽回の機会は必ずある」

「しかし……」

「しかし、じゃない。落ち込むのは結構だが、わたしの役に立たないのならば武田に送り返すぞ? 妻如きに追い出されて実家に戻るなど、上杉に敗れるよりも恥辱だとは思うがな」

「……むう」


 慰めてやろうかとも思ったが、やめだ。


「このわたしが命を懸けて助けに行ってやったというのに、その体たらくは見るに堪えん。あれではお前を守った乙葉も浮かばれないだろう」

「まさか、乙葉は――」


 わたしの言葉にぎょっとしたようになる晴景。


「ぴんぴんしているぞ?」

「いや、そうか。それならいいが……。相変わらず意地の悪い言い方を……」

「ふん。軟弱者には用は無いからな」


 その後もあれやこれやと文句を言ってやったら、堪りかねたように口を開いたのは晴景でなく、座していた家臣どもであった。


「お、お待ちを姫様!」

「若殿は十分に奮戦されたのですぞ! 富山城を落とすまでは姫様の仰せに従い、見事にこれを攻略してみせたのです。その手際の良さには皆、感服したのですから!」

「然様! 勝敗は兵家の常なれば、一度の敗北が何ほどのものでしょうか! 若殿はまだお若い。この敗戦は良き経験となるはずですぞ!」


 などと次々にわたしに食ってかかってきたのである。

 わたしが朝倉家にふんぞり返るようになってから初めて、だったかもしれない。

 このようにわたしに面と向かって家臣どもが反駁してきたのは。


 新鮮に感じる一方、晴景の存在がそれだけ朝倉家の中で重きを為してきた証左でもあるということか。


「い、いや、待て! 色葉を悪く言うでない! 俺が悪いのだ!」


 慌てたのは晴景である。

 まさか家臣に庇われるとは思わず、しかしそんな家臣達がわたしに文句らしきものを言うことに、まさに耐えられなくなったようだった。


「そう思うのなら、いい加減立ち直ってくれ、晴景様」


 静かに、わたしはそう言ってやる。


「でないとわたしが疲れる。これでも病み上がりなんだ。たまには気遣え」

「う、うむ……そうだな。その通りだ。もはや悔やまぬ。許してくれ」


 家臣の言もあってか、少しは前向きになってくれたようだった。

 もっともその家臣どもときたら、


「いや、若殿はいつもこれ以上ないくらい姫様を気遣っているかと思うが……」

「これ以上仲良くされたら、見ていられぬのではないか?」

「然様。しかし見てみたくもあるな」

「やはり羨ましいのう」

「しかし先ほど思わずあんなことを言ってしまったが、後で罰せられないだろうか」

「そういう不安がらせることを――」

「しかし相手は姫様であるからな。やや先走ってしまったか」

「今さら悔いても遅いが、やってしまったな、これは」

「それはそれで……」


 などと、好き勝手にほざいていた。

 当然よく聞こえているし、わたしに偉そうに意見した家臣どもの罪は、まあ重いだろう。

 もっとも晴景を立ち直らせるきっかけになったことに免じて、聞かなかったことにしてやるが。


 しかしこいつら、わたしに仕置きされるのを待っているんじゃなかろうな……?

 何だか最近、そんな気もしてきたのだが……まあ気のせいだろう。


「黙れ、うるさいぞ」


 頃合いを見計らってそう言えば、ぴたりと静かになる。


「……しかし姫、今後はどうするのです?」


 そう訪ねて来たのは正信だった。


「方針は変わらない。越中と能登は必ず手に入れる」

「なるほど。されど情勢はかなり厳しくありますが」


 神通川の戦いに敗れる前であれば、兵力的には互角であり、しかもそれまでの戦勝もあって朝倉優勢であった。

 しかし敗北したことで、しかもその被害が甚大だったこともあり、今決戦を挑むのはほぼ不可能に近い。

 どうにか上杉の侵攻を阻むくらいのことしかできないだろう。


「謙信は能登を平定次第、越中の平定に乗り出すのではないでしょうか」


 正信に同調するように、向久家が懸念を示してくる。


「可能性はあるが、低い、とわたしは踏んでいる」


 家臣を見返しながら、わたしはそう言ってやった。


「上杉に敗れはしたが、こちらが防御に徹すれば簡単にはここを抜くことはできない。例え謙信であっても、城を落とすことは容易ではないからだ。連中は朝倉に勝利はしたが、越後からの遠征軍であり、朝倉だけでなく、畠山と戦ったこともあって確実に疲弊している」


 謙信一人が元気だったとしても、一人では戦はできないという話だ。


「富山城を早々に奪還して退路を確保したことからも、いったん越後に帰る可能性は高いと見ている。朝倉に侵攻するとしても、来年になるだろう」


 史実においてもそうだった。

 謙信が七尾城を攻略した後、越前から侵攻してきた織田勢と一戦まみえることになるのだが、これが世にいう手取川の戦いであり、これに勝利しながらも謙信は進軍をやめ、いったん越後に引き返している。


 もちろんすぐにも大動員令を発し、翌年の遠征の準備を始めてはいるが。


「だが越後に帰すつもりはない。わたしとて敗れたまま見送るなど我慢できないからな。今回の汚名は必ず雪いでやる」

「しかし、どのようにしてこの強敵を破るつもりだ?」


 晴景の問いに、わたしは笑ってみせた。

 相変わらずの邪悪な笑みだったらしく、晴景はもちろん、みんなして引いてしまったが。


「搦手、搦手、搦手……。別に卑怯な手段をとるつもりもないが、まともに戦ってやる必要も無い。ほら、何だったか? 武者は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つことが本にて候……だったか」


 朝倉宗滴の言葉である。


「いい言葉じゃないか? 者ども、わたしを信じられるのならば、勝利をくれてやる」

「ははっ!」


 一同が、まるで練習したかのようにわたしに向かって頭を下げた。

 よしよし。

 いつもの調子が戻ってきたようだ。


「ああ、そうだ。頼綱、前に出ろ」

「は……はっ!」


 急に名を呼ばれてびくりとしたものの、慌てて頼綱が前へと進み出て居住まいを正し、改めて頭を下げる。


「忘れる前に言っておこう。頼綱にはわたしを助けた功がある。その褒美を前渡ししておく。越中をやろう」

「は、ありがたき幸せ…………なんですとぅ!?」


 素っ頓狂な声を頼綱が上げた。

 意味がわからない、と顔に書いてあり、頭が真っ白になっているのが一目瞭然であった。


「国持にしてやろうと言っているんだ。なんだ、越中では不満か?」

「い、いや、いやいやいや――」

「それは喜んでいるのか?」

「も、もちろんで――す、が、いや、しかし、されど……!?」


 面白い奴である。


「え、越中は未だ半分が上杉の領国ですぞ……? つまりは切り取り次第、ということでありますのか……?」

「そうなるな。ああ、心配するな。別に越中攻略をお前に押し付ける気はない。働いてはもらうがな。越中はわたしが責任をもって全て手に入れた上で、やる。まだ不満か?」

「滅相も無い! 元より不満などございませぬ!」

「そうか」


 わたしを助けた一番の功は杉浦玄任であるが、彼はもういない。

 報いることはできないので、子の杉浦又五郎を今後取り立てることで、玄任には許してもらうことにしよう。


「他にも功を立てた者は多いだろうが、恩賞は北陸を平定した後のことだ。そしてそれが欲しいのならば、生き残れ。死ぬことは許さん」


 最後にそう言って。

 その日の軍議は一旦、仕舞いとしたのだった。

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