第51話 松任の戦い
「敵は松任城に籠る兵と合わせても、一万足らず。このまま勢いで一揆どもを押しつぶし、尾山御坊を破却しようではないか!」
陣中において、そう景気のいい発言をする堀江景実を一瞥したわたしは、すぐに冷たい声音で言ってやった。
「駄目だ」
「で、ですが……」
父である景忠と共に勇戦した景実であるが、わたしの前ではこんなものである。まあみんな似たり寄ったりではあるけど。
「晴景様はどう考える?」
「む……。俺も景実の意見に賛同しようかと思っていたのだが」
ややばつが悪そうに晴景は告げるので、わたしはたわけとばかりに鼻をならしてやる。
「兵数としてはほぼ互角。我らは今士気高く、正面からぶつかっても勝機はある」
「そうであろう? ならばなぜ――」
「互角の勝負となれば、例え勝てても必ずこちらにも犠牲が出るからだ。必要な犠牲ならば躊躇うところでもないが、不必要な犠牲などわたしは嫌だぞ」
基本的に、兵を無駄に消耗させる戦い方はわたしの好むところではない。
家臣どもそうだけど、晴景や今回連れてきた若い連中も、真正面からの一大決戦を臨むきらいがある。
圧倒的な戦力を揃えた上で、卓越した指揮で敵を包囲殲滅する――というのであれば、わたしもやり甲斐を感じないこともないが、当然相手にも指揮官がいるわけで、そう簡単にできるはずもない。
同じ包囲殲滅にしろ、予め各地に兵を伏せるなど、戦術の段階で配置するなどして戦う方が、わたしの好むところだ。
そういうわけでわたしが直接指揮した場合は、圧倒的に搦手で相手の裏をかくやり方が多い。
正々堂々とは言い難いが、そもそも戦に正々堂々などあるものか。
卑怯陋劣と罵られようと、勝たなくては何の意味もないからである。
もっとも卑怯陋劣な手段を用いたとしても、勝ってしまえば謀将として評価されるのだから、やはり世の中勝てば官軍、である。
第一敵に勝る兵力で戦う事自体、もはや正々堂々とは言えないと思うのはわたしだけだろうか。
搦手ばかり好むわたしのやり方は家臣どもにも不満はあるのかもしれないが、知ったことではない。
むしろ雑兵どもにすると、わたしが兵の損耗を避けるのを基本としていることを良い風に捉えているらしい。
そのため兵にとても優しい姫であるとか何とか、一兵卒の間では人気が高まっていると、貞宗がどうでもいい報告をしてきたこともあった。
いや、本当にどうでもいい。
「それにこれまで勝ってきたからと油断するのも、面白くない。しかも相手は名将として名の通った杉浦玄任だろう? 同じ兵数ならば、晴景様が負けるぞ」
「むう……」
諸将の前で屈辱的な言葉を受けて、晴景は唇を噛み締めた。
わたしの歯に衣着せぬ物言いは、別に相手が夫であろうと変わらない。
そのため諸将は総大将を嘲笑うようなことは決してなく、むしろ恐れた様子でわたしを見返している。
「確かに相手は老獪で知られる杉浦……。俺では勝てんか」
「今のままではな」
わたしは立ち上がると、そっと晴景の元に歩んでその頬を両手で包み、背伸びして顔を近づける。
そのまま頬を抱き寄せると、軽くその唇を当ててやった。
おお、と色めき立つ陣中は、先ほどまでの雰囲気が一変し、場違いな興奮に包まれる。
「い、色葉……?」
「しかし晴景様はわたしが認めた夫だろう? ならば勝てるはずだ。わたしを失望させないで欲しい」
「う、うむ。そうだな。その通りだ」
これはまあ、ちょっとしたフォローである。
晴景はあの程度の屈辱でどうにかなる精神の男ではないが、それでもまだ若い。指導のためとはいえ鞭だけでは不満も溜まるだろうから、時折こうやって皆の前でわたしの好意を見せつけて、飴を与えるのである。
しかも普段のわたしはいつも不機嫌そうにしているように見えるらしく、そんなわたしが微笑を浮かべ、甘ったるい声で好意をみせるような態度をとると、かなり効果があるらしい。
それにどういうわけか、わたしと晴景の仲睦まじい姿は、関係無い家臣どもの士気まで上げてしまうのだから、世の中ってよく分からない。
「……おい。あまりじろじろ見るな。殺すぞ?」
周囲で食い入るように見つめている家臣どもへと、冷たい声音で警告してやる。
慌てて席へと戻り、素知らぬ顔となる一同。
「……しかし、若いというのは良いことですな。羨ましい」
「然様。しかし若に対する態度と我らに対する態度のあの違い……若はさすがでいらっしゃる」
「お子の話などもそろそろ聞こえような」
「いや、さすがにまだお早いのでは?」
「そうでもないぞ。噂によると……」
どうして男どもはこういう話が好きなのだろうか。
いや、どちらかというと井戸端している女の方が好む話か?
まあどうでもいいけど、本人の目の前でしてくれるなというものである。
ちなみにわたしはこの身体になってしまってから、性欲というものがかなり抜け落ちてしまった。
おかげで男であった頃の感覚も、ほぼ忘れてしまっている。
一度アカシアに聞いてみたことがあったのだけど、恐らくそれは発情期がどうのこのと、わけのわからんことを言っていた。
性欲も動物並みになってしまったということなのか……今度乙葉に聞いてみるか。
「いい加減、鬱陶しいぞ」
ほんの少しだけ妖気をのせて威圧すれば、嘘のように場が静まり返る。
わたしは溜息をつきつつ上座へと戻り、再びふんぞり返ってやった。
「景忠、お前ならどうする?」
今回いる面々の中で、一番軍略に優れているのは景忠である。
「……そうですな。地の利は向こうにあるゆえ、同数といってもこちらが不利になる可能性は高いでしょうな。なれば、松任城の鏑木頼信を懐柔するのがよろしかろう。あれは真面目な男ゆえ、加賀の現状を良いとは思っていますまい。以前では無理であったかもしれぬが、今ならば、あるいは内応に応じるやもしれませぬな」
杉浦勢は松任城を背に全面に押し出て我らと対峙しており、万が一ここで松任城が反旗を翻し、杉浦勢の後背を突けば、兵数差もかなりのものとなって、朝倉の勝利は疑いようもない。
「鏑木とやらが、民を第一に考える男であるというのは聞いている。以前、この国で悪政した本願寺の大坊主どもにも意見していたというらしいからな」
「ほう……。色葉様がそれをご存知ということは、つまりすでに手を打たれている、ということですか」
さすがに景忠は話が早い。
「そういうことだ。景実ももっと父に学べ」
「はっ!」
つまり、松任城の鏑木頼信はすでに調略済なのである。
尾山御坊攻略のために事前に打っておいた布石であるが、ここで使ってしまって問題無いだろう。
「そして晴景様」
「うむ」
「全軍の指揮を晴景様に任す。このまま杉浦と会戦に及んでくれて構わない」
「しかし、良いのか? 俺では……」
「失望させるなと言ったぞ? 敵の後方は攪乱されて、当然本隊も混乱するはずだ。そんな敵など例えこちらが寡兵であっても勝てる。わたしが望むのはそんなことではない。この優勢な状況下で、どれだけうまく勝てるかを見せて欲しい」
采配次第ではこちらにも被害が出るだろう。
しかしうまくやれば、これといった被害も無く包囲殲滅できる可能性もある。
つまりこれは、晴景に経験を積ませるための一戦なのだ。
もともと晴景には軍事の才があるのはわたしも認めるところであるけど、なにぶん経験が足りない。
今後のためにも、一軍を率いる大将としての経験を積んで欲しいのだ。
「敵を殲滅する必要は無い。降伏に至らしめればそれでいい。わたしならばつい力が入って敵など皆殺しにしてしまうが、晴景様ならば加減もできるだろう? 杉浦の生死については……任せる。わたしが納得する結果をみせてくれ」
「何やら……とても緊張するな。しかしやろうではないか。家臣達の意見を取り入れることは、構わないのだろう?」
わたしは頷く。
家臣の力を含めて、それは指揮官の力だろう。
三人寄れば文殊の知恵、というやつである。
とはいえ船頭多くして船山に登る、ともいうから、結局は指揮官の判断こそが、最も重要になるのであるが。
「いいか、者ども。わたしを喜ばせてみせろ。それが今回の命令だ」
家臣一同が一斉に声を上げ、わたしへと頭を下げる。
こうして朝倉晴景率いる一万三千と、杉浦玄任率いる八千が松任で激突。
かねてからの予定通り、松任城主・鏑木頼信は突如朝倉に翻って杉浦勢を背後から襲い、その後背を討ったことで一揆勢は大混乱となった。
杉浦は必至に態勢を立て直すも尾山御坊への退路を断たれたことを悟って、前面に勝機を見出して突撃を敢行。
そこは名将らしく、よく立て直し、よく攻めたと評価すべきかもしれない。
これを鶴翼の陣で迎え撃った晴景は、いったん中央を引いて相手の力を受け流し、猛攻の勢いが弱まるのを見計らって、左翼の堀江勢、右翼の向勢で両翼を閉じさせ、見事な包囲を完成。
杉浦にもはや為すすべはなく、加賀一向一揆の主力はここに壊滅したのだった。
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