第47話 評定-軍事①
「前々から周知してはあるが、今年は加賀へと侵攻する。それについて意見があれば、ここで述べろ」
「まずは俺からで良いか」
そう声を上げたのは晴景である。
「うん。構わない」
「まず、どの程度の兵力をもって、加賀へと攻め入るつもりか? 一向一揆の動員力は我らを遥かに凌ぐ。これに対抗するにはこちらもそれなりの兵力が必要となるかと思うのだが」
戦の基本は兵力というのは、もちろん大前提である。
圧倒的な兵力は、それだけで戦が有利となる。
戦術の幅も広がるし、敵より数で勝っているという事実は士気にも影響するからだ。
兵を集めるのには単純に銭がかかる。
つまりその国の経済力と軍事力は比例する、というわけだ。
もっとも単純に測れるのが石高だろう。
おおよそであるが、一万石あたりの動員兵力は二百五十人程度であると言われている。
検地したばかりのこの越前の石高は五十万石なので、単純計算で一万二千五百人の兵を集めることができることになる。
が、これはあくまで目安である。
石高以外に軍資金となる資金の調達元を確保していれば、この限りではない。
実際に繁栄を極めていた頃の朝倉氏において、その末期に対織田戦のために動員した兵力は、やや誇張されているような気もするが、四万八千余りであったという。
一向一揆によって荒廃したとはいえ、やはりこの越前は豊かな土地である。
石高も高く、海運にも恵まれているため、通商による収入も大きい。
畿内に近いことも有利だ。
朝倉義景は戦においては凡将の誹りを免れないとはいえ、こと治世においては卓越したとはいわないまでも、優れた手腕を発揮していたことは事実だろう。
ともあれ、復興中の越前に四万以上の兵力を動員する力はさすがに無い。資金源は色々とあるとはいえ、公共事業などにその多くを投資していることもあって、余剰の資金が無いからだ。
となるとせいぜい二万余り、といったところだろうか。もう少し集められるかもしれないが、下駄をはかしても意味がないので、ここは少なく見積もっておくべきだろう。
「国内の守備に八千は残すとして、約一万二千といったところだろうな」
「一万二千、か……」
唸る晴景。
「少なくはないが、相手はこれより多数を集めてくるだろう。果たしてうまくいくのか?」
晴景の懸念はその他の複数の家臣の心境を代弁したもののようで、頷いている者も何人か見て取ることができた。
まあ当然の心配ではある。
「一向一揆は烏合の衆ではあるが、確かにその数と士気は脅威だ。ならばその士気を挫き、そもそも動員に応じさせなければいい」
石山本願寺は織田軍に対して徹底抗戦し、信長を苦しめてきている実績がある。
そして信長自身、石山本願寺を落とすには至っていない。
これは石山本願寺自体が、寺とはいえ難攻不落の城に等しい存在であり、更に雑賀衆の伝手から大量の鉄砲を揃えることができたところが要因として大きい。
「確かにそれができようならば、戦わずに勝ったも同然であるが、いかなる手立てを考えてのことだ?」
素直に疑問を呈する晴景に、わたしはくすりと笑んでみせた。
「わたしがこの国で、徹底して善政を施しているのは何のためだったと思う?」
「いや……その明らかに邪悪な笑みで善政とか言われても、にわかに頷き難いが」
素直に思ったことを口にできるのはある種の美徳であるが、時と場合を考えて欲しいものだ。
相手が夫でなく、何の縁も無い赤の他人が同じことをほざいていたならば、わたしの尻尾が血に塗れることになっていたことだろう。
「晴景様。妻をそのように貶める発言は、いささか心外だぞ。しばらく口を利いてやらない」
ぴくぴくする尻尾を自制しつつ、そう言ってやれば、晴景はやれやれと首を振ってみせた。
「わかった。謝罪する。拗ねないでくれ。ここでそなたにそっぽを向かれると、話が進まん」
それもそうだ。
「ふん……。許す」
「そうか、そうか!」
嬉しそうに笑う晴景の表情は晴れやかで、見ているものを気持ちよくさせる類のものだ。
わたしのものとは正反対なのだろうけど……。
……何だろう、この変な気持ちは。
羨望、だろうか。
あんな風に笑える晴景に対しての。
裏表の無い晴景は確かに人望を集めやすい。
その分謀略には不向きのようではあるけど、わたしがすればいい。
役割分担としては申し分ないのだが、それでも多少は羨ましく思うのだ。
まあ、もしわたしがあんな風に笑ったら、逆に気味悪がられるのだろうけど。
「父上、説明してくれ」
「うむ」
景鏡には加賀侵攻について以前から話しており、そのために事前に打てる手は打っていることも知っている。
越前での善政がその一つであると、当然弁えているはずだ。
「我らはすでに加賀の一部を手に入れている。そこでも越前と同様の統治を行っており、その評判はまずまずだ。今では加賀国内の者より安定した生活が送れているといえるだろう」
これは加賀の大聖寺城を、朝倉が支配しているからである。
ここの制圧の際は徹底して弾圧したが、その後は一転、非常に優しく統治してやっている。
従えば衣食住に不自由しない生活、従わないのならば死。
分かり易くていい。
ともあれ越前国における善政の噂は、大聖寺城下を通じて加賀国にも流れていた。いや、意図的に流していたと言った方が正確だ。
これは流民を呼び込む一方で、加賀の民どもに朝倉による支配への期待を持たせる意味もある。
しかもここ近年の戦により、加賀一向一揆内も一枚岩ではなく、また大坂から派遣されてきた大坊主どもの悪政は、越前一向一揆が容易く崩壊したことからも、語るに及ばない。
つまり以前より加賀国全体に対し、調略を行っていたに等しいのだ。
「ここで我らが加賀の民を救うことを大義名分に攻め込めば、徹底抗戦、ということにはならない可能性が高い。例え戦となってもこれに一度勝利し、飴をちらつかせれば、心の折れる者も出てくるだろう」
「なるほどな。何事も先を見通して、ということか」
納得した様子の晴景に、わたしも頷いてみせた。
「そういうことだ。しかしまあ、中には狂信じみた輩もいることは事実。そういう聞く耳持たぬ者は殺せ。そうだな、実際に耳を切り取って喉を潰して念仏など唱えられないようにしてやってから、集めて焼き殺すとしようか。……ふふ、奴らが口にする無間地獄とやらを味合わせてから、本当の地獄に叩き落してやればいい」
つい本音が漏れてしまい、見れば場内は静まり返ってしまっていた。
というか出席者の中で、比較的気の弱い者などは、緊張だか恐怖で身体が震えている始末である。
少しだけ、妖気も漏れ出てしまっていたようだ。
しまったと思ってそっと後ろを振り返れば、笑顔の雪葉と目が合ってしまった。
あとでお説教ですね、と言わんばかりの顔に、大きくため息をつく。
雪葉もとことん冷酷なこともできるやつだけど、普段はわたしの立ち振る舞いに関してはとても厳しく、人心を失いそうな発言をするたびに怒られるのである。
きっとアカシアの入知恵のせいだろう。
「……今のは半分冗談だ。が、無駄に抵抗する狂信者を許しておくほど、わたしは優しくないと心得ておけ」
「ははっ!」
家臣どもがまるで練習でもしてきたかのように、ぴったりと息を合わせて声を上げ、頭を下げた。
もはやここは陣中か、という勢いですらある。
「頭を上げろ。鬱陶しい」
そう言ってやれば、家臣どもは慌てて面を上げた。
やれやれ……。
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