第46話 評定-外交

「織田の動きはどうなっている?」

「噂ですが、近江安土に新たな城を築く計画があるようで、にわかに周辺が活気だっている様子です」


 そう答えるのは大日方貞宗。

 わたしの側近の一人であるが、最近では外交……というよりも、諜報関係の任全般を担うようになっていた。


 そのための忍びを多数養成しつつ、また乙葉がこれまでに生きてきた間に得た、妖の配下なるものが各地に複数いたようで、これを集めて貞宗に貸し出し、情報収集に当たっている。


 情報とは最も重要な要素であり、それをわたしに近い貞宗に統括させることで、いち早く伝わるようになっていた。

 別にこんな評定を開かなくてもすぐに耳にしていたが、今回の情報は初耳である。

 最新情報、というやつか。


「安土といえば、六角氏が居城としていた観音寺城にほど近い場所であるな。あそこは琵琶湖に近く、交通の要衝。岐阜に比べて京にも近いから……悪い立地ではない」


 そう言う景鏡の言葉に、わたしは頷いた。


「敦賀に近いな。……ますます敦賀の防備を固める必要があるか」


 信長にとっても、すぐ北にある敦賀が敵の領地とあっては、まさに目の上のたん瘤であり、鬱陶しいことこの上ないだろう。


 それに敦賀には重要な港である敦賀湊がある。

 琵琶湖から日本海へ通じる物流の拠点であり、ここを手に入れないことにはいくら琵琶湖を抑えても、日本海沿岸の物流は制限されることになってしまう。


 もっとも朝倉にとって、逆もしかり、であるが。


「その織田であるが、いよいよわしを敵として認めたようだ」


 やれやれといった感じで苦笑いをしつつ、景鏡は言った。

 景鏡は一度信長に降った経緯がある。


 その後一向一揆を平定し、越前を取り戻したわけであるが、織田にとっては景鏡が織田家臣として越前を回復したのか、それとも翻って越前を手に入れ、独立したのか、判然としていなかったようだ。


 これは織田が他で手いっぱいで越前に割く余裕が無かったことと、景鏡が織田からの使者をのらりくらりとかわしていたからでもある。


 しかし前年の長篠の戦いで密かに朝倉が武田を支援していたことや、その後の婚姻同盟などにより、明確に敵として認めたようだった。


 史実では長篠の戦いの後の天正三年のうちに、内部分裂した一向一揆の越前の動静をみて、信長は一気に平定に討って出、これを撃滅している。

 一応警戒はしていたものの、昨年中に織田からの侵攻は無かった。


 これは長篠の戦いが武田の一方的大敗に至らなかったこと。

 同盟国徳川の痛手が大きく、東国の情勢が不安定なこと。

 武田と朝倉が強固な同盟を結んだこと。

 朝倉によって再統治された越前国が、以前よりも軍事的緊張をもって備えていることなど、即座に信長が越前侵攻に踏み切れなかった要因が多々あったからだろう。


 つまり、昨年わたしがわざわざ武田まで出向いて暗躍――というか、奮戦したことは大いに意味があったというわけだ。

 とはいうものの、信長が越前をこのまま放っておくはずもなく、侵攻は遅かれ早かれのはずである。

 それを阻止するためにも、外交は必要だった。


 ちなみに外交に関しては、朝倉の顔である景鏡が中心になって担っている。


「若狭の情勢は?」

「織田の重臣・丹羽長秀が支配しているようです」

「武田元明は?」

「若狭の国主に返り咲けず、意気消沈しているようですな」


 貞宗の説明に、朝倉の旧臣から口々に嘲笑が漏れ聞こえた。

 武田元明というのは若狭を支配していた武田氏の当主だった人物の名前だ。


 ちなみにこの若狭武田氏は、同盟を結んだ甲斐武田氏と同じ一族であるが、庶流に当たる。

 この若狭武田氏は、朝倉義景による若狭侵攻を受けて領国を失い、当主の元明が一乗谷に軟禁されていた経緯があった。


 しかし朝倉氏が滅んだことで若狭への帰国が叶ったものの、信長は若狭に配下の丹羽長秀を置いて、元明を国主としては認めずにいる。

 信長による越前侵攻の際、若狭衆は率先して越前に攻め入ったらしいが、結果はこの有様であり、家臣どもはそれを笑うのだろう。

 どちらにせよ、滅ぶ運命にあったのだと。


「敦賀を固める意味でも、いずれ若狭は奪還しておきたいところだな。しかし……丹羽長秀か」


 この人物は織田家中でも優秀な家臣として名が通っている。

 その証拠に織田の家臣の中では初めて、国持の大名となったのだから。


「搦手でいった方が良さそう相手かもしれないな。もしくは好機を待つか。……周辺の丹後国や丹波国についてはどうだ?」


 ちなみに丹後国は一色氏、丹波国は主に波多野氏が治めている領国である。


「まず丹後の一色氏ですが、元々若狭武田氏と丹後守護職の座を争ってきた経緯があり、現状ではそこまでの国力は無いと思われます。一時期織田と結んで丹後国を安堵されていましたが、比叡山の焼き討ち以降反目し、国内は非常に不安定な状況になっているようです」


 侵攻するにはいいが、味方としての尽力を期待するには、あまりに力不足といったところだろうか。


「丹波国は?」


 確か波多野も織田に従っていたはずだったと思うけど。


「こちらですが……どうもきな臭いですな」

「どういうことだ?」

「丹波の赤井直正討伐のため、織田の明智光秀が討伐に向かったのが昨年十月のことですが、直正は徹底抗戦の構えをみせております。また、丹波の国人筆頭である波多野氏ですが、現状では織田に臣従している一方で国内の国人らとの連絡を密にしているようで、どうも不穏な動きが見受けられます」

「反旗を翻すということか」

「恐らくは」


 なるほど、とわたしは頷く。

 越前や武田の情勢がさほど影響していない土地では、史実通りに事が進んでいるらしい。


 史実において丹波の波多野氏は、この一月中に織田に対して反旗を翻し、赤井直正と連携して明智光秀と戦うことになる。


「では丹波に使者を使わせて、密かに同盟を結ぶように交渉に入れ。武田のような強固なものである必要は無いが、状況に応じて連携できる程度のものにはしろ」

「ただちに人選し、派遣しよう」


 景鏡が頷く。


「さてもう一つだが……乙葉」


 わたしが改まってそう言うと、普段の調子など微塵もみせず、淑やかな態度で乙葉が一通の書面を手にし、恭しく差し出してきた。


「こんなものが来ている。足利義昭からの御内書だ」


 ひらひらと振ってやると、家臣どもがみな驚いたように、軽く声を上げた。

 足利義昭というのは、室町幕府の征夷大将軍である。


 といっても室町幕府自体はすでに信長によって事実上滅んでおり、しかし義昭は将軍の地位から降りたわけでもないので、そのまま将軍であり続けている、というわけだ。


「京を追放された後は、各地に御内書を送って色々と画策していたらしい。前年の武田と上杉の和睦もその一つの成果だろう」



 もちろん義昭が画策しているのは、反信長である。


「というわけで、朝倉にも届いたというわけだ。まあ、わたしにではなく、父上宛てにはなっているがな」


 義昭が呼びかけているのは、周辺諸国との反信長連合である。

 そのために諸国同士の争いをやめさせ、和睦させて力を合わせた上で信長に対抗しようと、外交的に信長と戦っているわけである。


 ちなみに義昭としては、武田、上杉、北条の三ヶ国の間での和睦と連携にもっていきたかったようであるが、上杉と北条の仲は非常に悪く、結局武田と上杉の間での和睦に留まったらしい。


「これによると、今年中に義昭は中国へと居を移し、毛利を頼るらしい。つまり、どういうことだと思う?」

「お待ち下され……。確か織田と毛利は同盟中であったはず。まさか、それを破ると……?」


 そう言うのは府中城の向久家である。


「毛利がそのつもりになったということだろう」


 わたしが頷けば、おお、と場がどよめいた。


 毛利氏は中国地方一帯を勢力下に置いており、やや衰退してしまった武田氏を除いて、現在において織田氏に正面から対抗できそうな唯一の勢力である。


「義昭は朝倉も連合に入ることを望んでいる。まあこれを受け入れることはやぶさかではないが、そこで問題となってくるのは上杉や石山本願寺の連中だ」

「……なるほど。ここで一向一揆と和睦してしまうと、加賀への侵攻ができなくなる……というわけですな」


 景忠の言う通りである。


「そうだ。だからこれは先延ばしにする。連合に入るのはいいが、北陸を平定した後のことだ」

「しかし……うまくいきますかな? 加賀の一向一揆どもはなかなかの強敵でありますし、平定して越中に進出できたとしても、恐らく上杉が出張ってくるでしょう。かの上杉は武田も難儀した相手。難しいと思われますが」

「上杉に関しては一応の対策は考えてある。一戦するのはやむを得ないが、その後の和睦や関係改善についても見通しはある。ただそのためにも、西側との関係は疎かにできない。先も言った丹波の波多野や、中国の毛利などとは、義昭に言われるまでもなく、個々で同盟を結んでいく。特に毛利とは昨年から通商で良好な関係ができつつあることだし、伝手もあるからな」

「なるほど。またしても色葉様の手腕次第ということになりそうですな」


 武田でのこともあって、家臣の中にわたしの力を疑う者はもはや存在しない。

 そのためわたしの意見はほぼ反論無く通ることが多いが、正直それでは困るのである。


 組織の草創期には、指導者の実力で引っ張っていった方が成長も早いだろうが、ある程度熟成されてきたならば、頭にだけ頼る組織運営は非常に危なっかしいことになりかねない。

 わたしの不在時など、的確な判断を下せる者がいなくなるからだ。


 そのためには今のうちから家臣どもへの教育を施すことに限る。

 今目の前にいる重臣どもは、誰もがそれなりの年齢だ。今から教育といっても、成長はたかが知れている。


 となると、その子弟どもを教育した方が将来性があるし、親の後を継ぐ際にも才を発揮できるはずだ。

 やはり学校のようなものを設立すべきか……。


 しかしわたしも忙しいから、そんな時間もあまりないし、難しいところか。

 まあこれについては後で考えよう。


「そういうわけだから父上、基本的には義昭の意向に則った上で、各国と連携はする。ただ北陸平定に支障がないようにうまくやって欲しい。特に丹波の波多野がもし信長の敵となるのなら、支援を惜しむな。ここが平定されない限り、信長は越前に派兵できる余裕が無くなるからな」


 実際には織田の兵力は膨大であり、二正面同時作戦など平気でやってのけるだろう。それどころか三方面すらやりかねない。

 それでも一正面に集中されるよりは、捌きようがあるというものだ。


「心得た」


 よし。

 大雑把ではあるが、外交に関してはこんなところだろう。

 次が最大の議題である軍事についてである。

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