第30話 処遇


     /色葉


 あと数日で三月に差し掛かろうとする頃、貞宗が報告した内容に頭が沸騰しそうになったが、それも一瞬のことでしかなかった。


 曰く、信濃巫のあの女が一乗谷から姿をくらました、というのである。

 つまりは逃亡した、ということだろう。


 実のところ、そうなる可能性は予測していた。

 あるいは貞宗が故意に逃がす可能性も。

 どちらにしろ同罪であるが。


「ふん……合わす顔も無いか。それで貞宗? この始末はどうつけるつもりだ?」

「如何様にも。死を賜ると仰せられるのであれば、是非もありません」

「ふうん……いい覚悟だ」


 わたしは立ち上がると貞宗の元まで歩み寄り、そして向かいにしゃがみ込む。

 そしてふさふさの尻尾で、その頬を撫でてやった。


「ふふ……。簡単に死ねると思うなよ? どのような責め苦がいいか、色々考えてはいたんだ。時間はあったからな?」


 嗜虐的な笑みを浮かべつつ、じわじわと妖気を増していく。

 常人な発狂しかねない妖気の量まで増したところで――勢い良く隣部屋へ続く襖が開かれる。


「――なりません! 姫様! 貞宗様は姫様の股肱の臣でありましょう。それを殺すなど……!」


 ぷんぷんと肩を怒らせて、女がずかずかと無遠慮に入ってくる。

 げ、と思いながらわたしは思わず後退ってしまった。


「貞宗様も貞宗様ですよ! 姫様などいつものように論破してしまえば良いのに、何をしおらしくされているのですか」

「い、いやそれは……」


 その剣幕に、たじたじな貞宗。なかなか見られない光景である。


「それに色葉様もまたこんなに妖気をだだ洩れにして。おしめがとれていないと笑われますよ」

「……おい。また随分な暴言を……」

「知りません」


 知りませんって、なあ……。

 相変わらずの物言いに、わたしは顔を引きつらせる。

 そして現れた人物をまじまじと見返した。


 青みがかった黒髪を長く伸ばし、同色の打掛を気品良く着こなしている女。

 外見の年齢はわたしよりもほんの少し上くらいで、二十歳くらいだろうか。

 そしてその手には黒い装丁の本――アカシアが大切そうに握られていた。


「それにさっきのは別に本気じゃなかったぞ? ただの冗談の類だ。それくらいしたって罰は当たらないだろうが」

「姫様の場合は、冗談に見えないのです」


 ……まあ、よく言われるし。

 冗談が冗談でなくなることもよくあることだ。

 その場の勢いって大事だからな。


『――主様。ここは寛大なところを見せつける時です。そうすれば貞宗の忠誠をより強くできたでしょうに……』


 叱責するような、惜しむようなアカシアの声。

 それを抱えながら、その通りですと頷く女。


「お前ら、なあ……」


 二人そろってわたしを虐めるなんて。

 あの時アカシアに任せてしまったのは失敗だったかなと、つい思ってしまう。


「――雪葉、わかったから怒るな。お前が怒ると周囲が寒くなって仕方が無い。わたしはともかく貞宗は凍死するぞ?」

「あ……。こ、これは失礼しました貞宗様。お身体に大事はありませんか……?」


 途端におろおろとなる雪葉。

 この辺りは元々の年相応のような気もする。


「やれやれ……」


 溜息をつきつつ、わたしは元いた上座へと戻った。

 そっと寄り添ってきた雪葉が、普段は預けてあるアカシアを手渡してくる。

 受け取ると、アカシアから嬉しそうな雰囲気が伝わってきた。


 最近は終始わたしの元に在るわけではないこともあって、こうやって直接手で触れてやると喜ぶのである。

 アカシアを渡し終えた雪葉は、そのまますぐ傍に控えた。

 姿勢を崩して乱雑に座っているわたしとは違い、気品ある座り方はまるで公家の娘のようである。見たことはないけれど。


「わたしよりもずっと姫様らしいんだが」

「それは姫様がやればできるのに、おやりにならないからです」

「そういう問題か……?」


 敬意に満ち溢れている一方で、やけに口うるさい雪葉なる娘の正体は、あの時死にかけていた雪ん子である。


 いや、もはや雪ん子という表現は不適当かもしれない。

 彼女はアカシアに魔改造された挙句、色々あって、何故か上背も伸びてわたしより大きくなり、どう見ても年上になってしまったのだから。


 とはいえ雪女の妖であることには違いないらしい。

 その怜悧な美しさからも、それは分かる。


 問題はその妖気というか、存在力であり、これはまあ、わたしが景気よく持っていた魂を全て与えてしまったことが原因なのであるが、それをアカシアが最適化した結果、単純な妖気だけならばわたしに比肩する力を得てしまったらしいのだ。


 存在力、という一点でいえば、わたしの方が上らしいが、そのあたりの説明はアカシアに聞いてもよく理解できなかった。

 創造主の血を得ている分、雪葉よりも魂の強度が何たらかんたらと言っていたが、まあどうでもいい些細なことだろう、きっと。


 しかも与えた魂は未消化だったとはいえ、わたしの中に長くあったせいでその影響を強く受けており、ある意味でそれを元に生まれ変わった雪葉はわたしの分身に近い存在であるとか。


 これもよく分からないが、魂の繋がりがあるらしい。

 そしてこれが、雪葉がアカシアと交感できる最大の理由だとか言っていたような気がする。


 さらにもう一つ。

 初めて雪葉がやって来た時に名前を聞いたら、無いと答えられてしまった。

 産みの親も無く、名づけの親などあるはずもなく。


 たいていの妖は名など持たないらしいが、時折力ある妖は自ら名をつけたり、あるいは他者につけられたりするのだという。


 そういうわけで彼女も当然名無しだったわけで、それは不便ということで一考したわたしは、自分の名前から一字とって、雪ん子の雪と合わせ、「雪葉」と名乗らせたのである。


 いわゆる偏諱を与えるだとか、一字拝領とかいうものである。

 それになぞらえるなら、与えた一字である「葉」の方を名前の上にして「葉雪」とすべきなのだろうけど、単純に自分の好みで「雪葉」にしたというわけである。


 まあこの辺りは正直どうでもいい。

 問題は名づけをしたこと自体――これがいけなかったのだ。


 雪葉は感激感涙し、まあそれは良いのだけど、名づけたことで魂の繋がりが一段と強化されてしまい、力も増して、身体的にも色々と成長してしまったのだった。

 結果、わたしより大きくなる始末である。


 ただこの魂の繋がりの強化について、これはわたしにとっても利点があったらしく、今後雪葉が得た魂はその瞬間、わたしのものになってしまうとのこと。

 わたしが名づけ、雪葉がそれを受け入れたことで、明確な上下関係が成立したというわけだ。


 とはいえそんな縛りなどなくとも、雪葉は最初からわたしに懐いてきた。

 話を聞けば、生まれは越後国らしく、ずっと一人だった彼女は越中、加賀と放浪した挙句、白峰周辺に至った所でわたしの噂を耳にしたらしい。

 妖が、国を建てている、と。


 その噂を辿るうちに鳥越城に至り、真柄隆基と知り合ったという。

 そこでさらに詳しくわたしの話を聞いた雪葉は、憧れのようなものを抱いてわたしに会いたいと思うようになったとか。


 ところがそこで事件が起きた。

 あの信濃巫の女である。


 あれが突然現れ、鳥越城を壊滅させてしまったのだという。

 あそこは隆基率いる骸兵が守っていたはずであるが、確かにあの女が相手では数など問題ではないだろう。


 最後に残った隆基は奮戦して雪葉を逃がしたものの、恐らくは敗れたと思われる。

 そして雪葉はその後を追われ、一乗谷まで至り、先日の事件に至ったという経緯であった。


「あの女……望月千代女とかいったか。あれは隆基を滅ぼしたかもしれないんだぞ? それを許せ、とでも言うのか?」

「千代女様は何とかする、と仰っていました。今後についての協力も、遠回しではありましたが、約束をされています」

「何とかって……は? 何だそれは。どこからそういう話になっている……?」


 当然のように告げる雪葉へと、わたしは眉をひそめた。


「わたくしが一度お会いしたその時に、です」


 会った?

 雪葉が?

 どうして。


「お前、あの女に殺されかかったんじゃなかったのか……?」

「はい。ですから参りました。文句を言わねば気が済まなかったからです」

「それはそうかもしれないが……」


 散々追いかけられて、挙句の上には胸を刺してきたような相手である。

 しかもかなり物騒な女だった。

 それに会いに行くなど、ちょっと分からない。


「お話をお聞きして、あの方があの方の主人にとても忠義を感じていることがよくわかりました。不幸な誤解が始まりであったと、少なくともわたくしのことに関してはその場で許しています。そうこうしているうちに、多少打ち解けまして……姫様に会わせる顔は無いと仰るので、姫様にはうまく言いくるめておくから今の内に戻るようにと助言したのです。ですから罰ならば貞宗様ではなく、このわたくしにお与えを」


 そう言って、雪葉は頭を下げた。

 ついでにいえば、恐らくアカシアの入れ知恵もあったはずだ。

 つまりこいつらはよってたかってわたしを……。


 雪葉は雪葉でどちらが主か分からないような、器の広さであり、やや情けない気分になってしまう。

 ……ああ、なるほど。そういうことか……。


「……はあ。まるでわたしが悪者みたいじゃないか」

「そのようなことはありません。ただわたくしはアカシア様に、貞宗様の姿勢を見習うようにと教え込まれました。それゆえの諫言とお思い下さい」

「諫言、か」


 アカシアが貞宗を妙に評価しているのは知っている。

 わたし自身、貞宗のことはそれなりに気に入っていた。

 でなければこれほど重く用いたりはしない。

 ただの道案内ですますつもりだったのなら、とうに骸の仲間入りにさせていただろう。


 どうやらアカシアは外敵からわたしを守るためだけでなく、同等の存在でわたしを諫めることのできる存在を作りたかったのかもしれない。

 それが、わたしのためになると信じて。


 まったく……。

 これではわたしの方が子供で、雪葉の方が大人である。

 わたしが上背で負けるのも当然、か。


「よい。許す。みんな許す! あの千代女とかいう女のことも、お前と貞宗に任す。良きにしろ!」


 もう自棄で、半ば叫ぶようにそう言って、わたしはそっぽを向いた。

 そしてつい尻尾で顔を隠してしまう。

 ただその耳は元気なく垂れさがっており、わたしが意気消沈してしまったのは一目瞭然であったらしい。


 何も言わずに雪葉に抱き着かれて、いつもなら文句を言うところだったが、この時は何も言えなかった。


 ……ふう。

 ……こういうのも悪くない、か。

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