第20話 天正二年越前一乗谷


     ◇


「色葉、まことに一乗谷で良いのか?」


 やや困惑したように、景鏡が何度も確認してくる。


 越前平定を為したわたしは、とりあえず家臣を各地に派遣してその地の安定に務めさせた。

 越前国は一向宗門徒が多いという土地柄ではあったが、少なくとも朝倉氏が治めていた間は非常に平和で文化も発展し、一揆を初めとする内乱は起こっていない。


 具体的には永正三年に起きた加賀一向一揆の侵攻による九頭竜川の戦い以降、永禄十年の堀江景忠謀反までの約六十年間、世間は戦国時代の真っただ中であったにも拘わらず、越前は完全な平和を享受していたのである。


 今回の越前一向一揆により民心は落ちるところまで落ちたが、一時期越前を支配した朝倉氏旧臣の前波吉継の暴政や、下間頼照らの悪政のおかげもあって、ここで善政を敷けば相対的にわたしの評価が上がりやすく、容易に民意を得ることができたのである。


 そんな中、かつて越前が栄え、朝倉氏が本拠としその文化の中心地であった一乗谷に、わたしは滞在していた。

 短い期間に二度の戦乱に巻き込まれ、灰塵と帰したかつての城下町の面影は、もはや何も残っていない。


 一乗谷は、九頭竜川の支流である足羽川のそのまた支流である一条谷川の沿いの谷あいにあった城下町である。

 谷という名がつくだけあって開けた場所ではなく、狭小な空間でしかない。


 しかし北陸道にほど近く、大野郡へと抜ける美濃街道上に位置しており、交通の要所である。

 また谷を見下ろす一条城山には城が築かれ、周囲の山峰には城砦が複数配置され、東西南には山が、北側には足羽川が流れているといった天然の要害であり、その防御力は非常に高い。


 そんな一乗谷も、わたしの知る史実においては信長による平定後、越前の本拠が北ノ庄に移ったこともあって、完全に忘れ去られ、土の下に埋もれていくことになるのである。


 朝倉氏が越前の覇権を競っていた時代ならばともかく、越前を平定した今となっては、陸運や水運が便利で開けた平野にある北ノ庄の方が遥かに利便性が高い。


 そのためわたしは北ノ庄を本拠と定め、北ノ庄城の築城を開始。それを景鏡に与えて朝倉氏の新たな当主とさせたのだ。

 景鏡が困惑したのは、まさにそこである。


「何度も言うが、この朝倉を表立って率いるのは父上であるべきだ。少なくとも対外的にはな。わたしはこの一乗谷をもらう。ちょうどうまい具合に完全に滅んでしまっているから、わたしの手勢にとっては都合がいい」


 一条谷は北ノ庄からほど近く、また大野郡へとつながる街道も抑えているため、どちらにも対応し易くて都合良く、また亡者の軍を置いておくにあたって、目立たないこの谷間は最適に思えたのだ。


 景鏡には北ノ庄を与えて足羽郡から吉田郡を統治させ、代わりに景鏡の居城であった亥山城には貞宗を入れて大野郡の代官とし、平泉寺衆を含めてわたしの直轄の支配下に置いた。


 また府中城には向久家を入れ、龍門寺城の朝倉景胤と共に南条郡を統治。


 敦賀郡には朝倉景建を新たな敦賀郡司として任じ、金ヶ崎城を与え、徹底した防衛体制を取らせた。

 将来、仮に織田勢が攻め寄せてくるならば、必ず通る道だからである。


 また堀江景忠には新たに丸岡城を築城させ、これを中心に坂井郡を支配させ、子の景実には大聖寺城を与えて加賀一向一揆に対する最前線の任とした。


 これで一応の配置はすませたことになり、しばらくは民心掌握に務めつつ、国力増強に精を出すことになる。


「北ノ庄には立派な城を立てろ。今後の朝倉の顔になるからな。一乗谷の方には、まあわたしが住める仮住まいがあればいい。金も人出もかかるからな。後回しで構わないぞ」

「そうもいかぬだろう」


 景鏡は苦笑して、首を横に振った。


「主君があばら家では、家臣の立つ瀬が無いというもの。一乗谷には義景様の住まわれた館よりも壮大なものを作ろうではないか。銭もかかるが、なに平泉寺どもから出させれば良い。強欲な金の亡者どもだ。たまには浄財させねばな」

「金貸しもやっていたらしいな。その生臭坊主どもは」


 ついわたしも苦笑してしまう。

 武装して金貸しまでして暴利をむさぼる僧兵集団である平泉寺だからこそ、一乗谷に引けをとらないあの宗教都市を築けたのだろうが、とても坊主とは思えない俗っぷりである。


 それはともかく、各地での築城に金はかかるが、これは一種の公共事業であり、しっかりと報酬を出すことができれば民の収入にもつながり、経済活動も活発化する。

 賦役として強制的に働かすこともできるが、ここでそれをすると再び一揆を誘発しかねない。そのため出し惜しみするつもりはなかった。


 もともと越前は豊かな国であるため、国内が安定すれば税収も増え、国力も増していくはずだ。

 とはいえ従来のままでは遅いということも分かってはいた。


 越前は平定したものの、時間は無い。

 富国強兵を推し進めるつもりでいるわたしにとっては、改革も必要だったのだ。

 でなくてはとても織田などに対抗はできないだろう。


「父上、落ち着いたら頼みたいことがある」

「うん? 何だ?」

「わたしは何かを支配し、統治した経験がほとんどない。助言できる者か、もしくは学べる者が欲しい」


 わたしの統治の経験は、せいぜい白川郷程度のものだ。

 さすがに越前一国の統治とでは、やり方も変わってくるだろう。


 一応アカシアに頼んでいろいろと勉強もしているが、やはり経験者の言葉に勝るものはないはずだ。

 だからこそ、景鏡を名目上の当主とすることにも意味があった。


「奉行衆で生き残りがいないか捜してみよう。他にも目ぼしい人材がいれば引き合わせるが」

「よろしく頼む」


 面倒くさいが、やはり勉学は必要だ。

 戦場でいくら個人的武勇に優れていようとも、統治できないようでは国など維持もできない。

 わたし一人で全てをこなすのは、国が大きくなればなるほど難しくなるはずだ。


 その時に助言してくれる者や、代わりとなってくれる者がいれば楽だろうが、今のところそんな人材は見当たらない。

 強いていうならばアカシアであるが、ひとではない以上、助言はしてくれても代わりは務まらないのだ。


「まあ、アカシアがひとの姿になっていたら、それはそれでうるさくてしょうがないかもな」

「ん? 何か言ったか?」


 小さくつぶやいたつもりが、景鏡に届いてしまっていたらしい。


「何でもない」


 益体も無いことを考えたなと自嘲しつつ、わたしは首を振る。


『…………』


 そしてその時、常に所持していたアカシアが何か言いたそうにしていたことには、結局気づけなかったのだった。


     /


 天正三年一月。


 越前国平定の報せが、近江長浜城の羽柴秀吉より、京の織田信長へと届けられた。


「さて、意味がわからんな」


 秀吉の使者としてやってきた羽柴秀長に、信長は首をひねる。


「兄が申すには、朝倉の残党が一揆に対して各地で蜂起し、これを鎮圧。昨年の十月から十一月頃までには一向一揆を瓦解させ、越前を平定した由にございます」


 羽柴秀吉は天正元年に浅井氏を滅ぼした功によって、近江今浜の地を与えられ、長浜城を新たに築城。

 その後越前で一向一揆が起こったことを受けて、対越前の最前線の任を任されることになっていた人物である。


 そのため秀吉は長浜を動くことができず、信長が発動した大動員令においても長島一向一揆鎮圧に出陣できなかったため、代わりに弟であった秀長が参陣するなど、秀吉の代行として動くことが多い。


 兄である秀吉とは違った意味で優秀な人物であり、信長もそのことは評価していた。

 その秀長が秀吉の書簡を携えやってきたわけであるが、その内容には信長もにわかに信じることができなかったのである。


「その残党をまとめたというのが、朝倉景鏡だとお前の兄は書いて寄越しているが……この男は義景を裏切った、あの男のことだろう?」

「はい。どうやら一揆勢に攻め込まれ、危機的状況であったようなのですが、これを迎撃して打ち負かし、各地の朝倉旧臣と連絡を取り合いこれらを蜂起させ、一揆勢の包囲殲滅を図ったとのこと」

「であれば、俺が出張るまでもなく、景鏡が一向一揆どもを駆逐したというわけか」


 信長は一度景鏡と面会したことがある。

 景鏡が主君であった義景を裏切り、その首級を持って持参し、降伏した時の話だ。


 更に言えば、信長が朝倉・浅井氏と戦っている間、義景の名代として朝倉の総大将をたびたび務めていたこともあり、戦場で対峙したこともあった。


「主を裏切ったこともそうだが、思っていたよりも大胆で優秀な男のようだな。家臣に迎えて正解であったか」

「それなのですが……」


 言いにくそうに、秀長は補足説明をした。


「この者は兄を通じて降伏した者であり、織田家に臣従した後は名を土橋信鏡と改めています」

「そういえば、俺の名の一字を与えたこともあったか」

「それがこのたび、その名ではなく朝倉景鏡と名乗っていることが解せません。何より何の連絡も寄越しておらず、兄が申すにはこれは……」

「この機に乗じて謀反したか」

「織田と敵対する姿勢はみせておりませぬゆえ、そこまでは言えませぬが、しかし独立し、朝倉再興を果たそうとしている可能性は高いかと」

「ふん。同じことであろう」


 この時代ではよくあることだ。

 景鏡もまた、この戦国の世の武将であった、ということだろう。


「まあ嫌いではないがな。義景などよりはよほど骨がありそうだが」

「それなのですが……」


 再び先ほどと同じように、秀長は続けた。


「まだ噂程度ではありますが、実際に朝倉の残党を指揮したのは景鏡ではなく、その娘……養女であり、これが朝倉義景の娘であるとか……。そのようなことも伝わっておるのです」

「娘、だと?」

「あくまで噂ですが」

「ふむ……義景の身内は五郎左に命じて全て殺させたはずだが」

「どうやら景鏡の養女として育てられていたようで、難を逃れたようですな」

「やはり、意味がわからんな」


 さてどうしたものかと信長は考える。

 朝倉を滅ぼして越前を手に入れたのも束の間で、一向一揆の蜂起により失陥してしまっていたわけだが、すぐに対応することはできなかった。


 近畿方面では四月に摂津国の池田勝正、讃岐国の十河一行、雑賀衆の鈴木孫一らが織田方の城を攻め、これに呼応するように高屋城の遊佐信教が阿波の三好康長と手を組んで、籠城。これに石山本願寺も挙兵するなどして、信長は討伐軍を送らざるを得なくなった。


 また一方で尾張にほど近い長島一向一揆を片付ける必要があり、これはすでに平定した。


 更にはここ最近甲斐の武田勝頼の動きが活発になっており、恐らく一度対峙しなくてはならなくなるとも信長は予想する。


 かつて信玄が侵攻してきた際は、未だ朝倉・浅井が健在だったこともあって信長は身動きとれず、窮地に陥ったこともあった。

 ここで一度、武田を叩いておく必要があったのである。


 また緊張が継続中の石山本願寺の動きも捨て置けなかった。


「サルに命じて景鏡の動向を探らせろ。そのまま俺に臣従する気ならそれはそれで構わんが、反旗を翻すつもりならば一向一揆よりもあるいは厄介な敵になるかもしれん。今は本願寺や武田の動きを警戒すべき時ゆえ、一度に相手するのはいささか面倒だ。時を稼がせろ」

「承知いたしました」


 この年の三月。

 信長は細川藤孝に命じて軍備を増強させていたが、石山本願寺勢が大和田にと大和田砦を構築して再び進軍。


 これに対し織田方の荒木村重が策によって両砦を奪うと、これを機とみた信長は四月に入り自ら出陣。

 いわゆる第二次石山合戦が本格的に勃発することになる。



◆あとがき◆

 朝倉継承編はこれにて終了です。

 次話より越甲同盟編となります。

 甲斐武田氏の命運を左右する長篠の戦いが迫っているのですが、朝倉を再興した色葉はこれに介入し、史実で起きた武田の大敗を阻止しようとしますが……果たしてどうなるか。

 そんなお話になる予定です。


 ここまで当作品をお読みいただき、ありがとうございました。

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