第15話 平泉寺懐柔


     /色葉


 天正二年三月末。


 雪解けを待って、かねてからの計画通り、わたしは白川郷より出兵することになった。

 先鋒は尾上氏綱に率いられた内ヶ島勢、その数五十余り。


 本隊はわたし自身が率いる亡者勢で、その数百五十。

 百五十の内、五十ずつを直隆、隆基、貞宗に任せていた。


 ちなみに向牧戸城には直澄と、百の骸骨兵を残して白川郷の守りとしている。

 侵攻ルートは白川郷から加賀国白峰に入り、そこから谷峠を越えて越前国に入り、大野郡北袋へと入るものだ。


 もう一つ、美濃白鳥から油坂峠を越えて越前大野郡南袋へと至るルートもあるが、白鳥一帯は郡上八幡城の支配下にあり、当然織田方であるために、軍の移動といった目立つ行動はとれるはずもなかった。


 今回越前国に入るために利用した谷峠越えの道は、北陸道が表街道とするならば裏街道と呼ぶべきもので、加賀国と越前国を繋ぐ重要な街道である。


 ここはかつて加賀一向一揆が越前に侵攻した際にも使用されており、途中の白峰は白川郷と越前を繋ぐ重要な要所であり、絶対に確保しなければならない拠点であった。


 この白峰からやや海よりに進んだ地に、一向一揆の拠点となっていた鳥越城がある。

 わたしはこれを奇襲して城主であった鈴木出羽守を殺し、鈴木一族に率いられていた山内衆を撫で斬りにして壊滅させ、支城であった二曲城と共に占拠して、白峰一帯を支配下に置いた。


 一向宗門徒を従えることは難しく、歴史において織田信長らがやったように、基本的には門徒に対しては一方的な殺戮で臨むことをわたしも決めている。


 また手っ取り早く、兵を増やすためにも皆殺しは有効だった。

 戦場で溢れた魂を貪りつつ、わたしの妖気に充てられた死体は亡者となって蘇る。


 この地で三百以上の亡者を得たわたしは、鳥越城を隆基に任せて守備させつつ、氏綱と内ヶ島勢を二曲城に入れて、実質白峰の地は氏綱に統治させた。亡者では生者を統治できないからだ。


 落ち着いたところでわたしは直隆と貞宗、そして手勢として亡者勢二百五十のみを率い、越前へと入ったのである。


「貞宗、お前は事前に平泉寺の背後に控えて、一揆どもが逆落としを仕掛けたら、その上から逆落としを仕掛け、皆殺しにしろ」


 一揆勢が平泉寺を奇襲する顛末を知り得ていたわたしは事前に手を打っておき、百五十を貞宗に与え、わたしは直隆をつれて一揆の拠点の一つである檀ヶ城へと向かい、遊軍として出陣した一揆勢を見送りつつ、空っぽになった檀ヶ城を壊滅させ、密かにその後を追ったのである。


 果たして歴史通り、平泉寺勢は挟撃の憂き目にあって潰走。

 その瞬間を狙い、わたしは横槍を入れて一揆勢をまず恐慌させると、手薄になった村岡山城を一気に攻略。


 そして平泉寺の奇襲を狙った一揆を壊滅させた貞宗が援軍として駆け付け、村岡山から出陣していた一揆勢を挟撃すると、ほどなくして一揆勢は算を乱して逃げ出していった。


 敵将である島田将監とやらは、檀ヶ城がすでに落ちていることを知ると、敗残兵をまとめて隣の吉田郡へと落ちていくことになる。


 これにより、平泉寺はその滅亡から一旦逃れることができたのだった。


     ◇


「土橋殿! これは如何なることか説明を!」


 平泉寺へと戻った信鏡の元へと、宝光院が血相を変えて詰め寄ってきた。

 滅亡の危機にあったこともさることながら、信鏡が連れ帰ってきたわたしや、亡者の兵――一部の兵と直隆は、そのまま村岡山城に置いてきたが――を見て、冷静である方が難しいだろう。


「落ち着かれよ宝光院殿。なかなか危うかったが、我が策が功を奏したまでのこと。それに事ここに至っては隠し事もなかろう。全てつまびらかにするゆえ、しかしその前に態勢を立て直すのが先だ。怪我人を助け、防備を万全にした後、今後について話そうではないか」

「し、しかし――」

「……ここはわしを信じて預けてくれ。一刻を争うぞ?」

「……相分かった」


 もの言いたげではあったものの、先にやるべきことを諭された宝光院は、持ち前の指導力を発揮して寺内の立て直しを図っていく。

 色々思うこともあるのだろうが、信鏡の物言いからこの局面を救ったのは彼であろうと推察し、いったんは呑み込んだのだろう。


 ……なるほど、こいつがこの寺を支配している坊主というわけか。

 一応覚えておくことにする。


「こちらへ」


 信鏡が案内したのは、平泉寺における自身の館だった。

 途中、寺内を歩いたのであるが、戦火のせいで荒れており、所々では未だに放火された火がくすぶる気配もあったものの、どうにか鎮火へと向かっているようだった。


 それにしても、と思う。

 ここは噂通りの宗教都市というべき街で、全山が全て石畳で舗装され、石垣や築地塀が整然と都市を区画していた。


 こんな山奥にどうして、と思うような一大都市だったのである。

 一乗谷も京の都に匹敵する栄華を誇っていたというし、よほどこの国は豊であったのだろう。


 幸いにして信鏡の館は火の手から逃れており、そのままの姿を残していた。

 わたしと貞宗が中に案内され、落ち着くこと半日。


 準備が整ったという信鏡に再び案内されて、今度は境内の中心部にあるもっとも広い建築物であった、三十三間拝殿へと向かったのだった。


 そこにはすでに、寺の主だった人物達が複数、集められていた。

 わたしはすでに血糊を落としており、着替えもすませていたので、そんなわたしの姿を見た平泉寺衆の反応は、まあ予想通りだった。


「信じられん。あんな娘が……?」

「しかし見ろ。本当に尻尾があるぞ? 狐憑きというのは確かか――」

「この神聖なる境内にあのような妖を招き入れるなど、言語道断ではないのか」

「あのおぞましい死者どもを支配しているとも聞くぞ」

「しかし救われたのは事実――」

「ありえぬ、このようなことは前代未聞――」

「あの容貌、もはやひとの美とはかけ離れているな。妖とは確かか――」

「あれは狐などではなく鬼の類だ。拙僧は見たぞ――」

「わしもこの目で見た。あの怪力無双ぶりは、鬼以外の何物でも――」


 口々に、坊主どもの口からわたしへの感想が上がっていた。

 わたしは上座に座り、やや寛ぐように姿勢を崩し、近くにあったひじ掛けに持たれつつ、坊主どもを睥睨してやったのである。


 その不遜な態度に反感の声が上がったものの、やがてそれも消え、場内は静かになっていった。

 単純に、わたしの放つ得も言われぬ気配に気後れしていったのだろう。

 まあ実際には軽く妖気を放っただけなのだが。


「土橋殿、みなが揃っておる。ご説明願えるか」


 宝光院の言葉に、信鏡は重々しく頷いた。


「皆も承知の通り、この度の戦は痛み分け……いや、敗北であったといえるだろう。わしの言うことを聞かず、血気に逸って兵を動かしたところで、勝てる戦も勝てぬ結果に終わることは、身をもって知ったはず」

「そうは言うが戦奉行殿。一揆どもは撃退し、村岡山城も奪取したと聞いておるぞ? これは勝ち戦ではないのか?」

「それを言うのならば我々の勝利ではなく、この色葉様の勝ち戦であったというべきだろう」


 ここで信鏡はわたしを指し示す。

 坊主どもも先ほどからわたしのことが気になって仕方が無かったはずで、自然、その視線がわたしへと集まった。


「それだ戦奉行殿。その方は何者か? 戦場にて我らに加勢したことは聞き及んでいるが、どこの手の者なのか」

「この方の名は朝倉色葉。義景様の忘れ形見である」


 その言葉に一瞬理解が及ばなかったのか、場が静まり返ったのも一瞬で、やがて喧噪に包まれることとなった。


「そのようなご息女がいるとは聞いたことが無いぞ?」

「左様、まことなのか土橋殿」

「それにその容姿、そもそもにしてひとではあるまい。妖が何故――」


 再び口々に坊主どもが口を開き始める。

 先ほどよりもうるさいほどだった。


「皆の者、静まれ! ……土橋殿、詳しい話をしていただきたいが」


 場を収めた宝光院の言葉に、信鏡は先を続ける。


「皆の申す通り、この方を知らぬは至極当然のこと。義景様より託されてより、これまでわしの娘として密かに育ててきたからだ。その理由は……このお姿を見れば分かるな?」


 信鏡の説明に、視線がわたしの尻尾やら耳に集まるのが分かった。

 以前はむず痒いものだったというのに、今や見られることに慣れてしまったようで、特に何も思わなくなってしまっている。

 とはいえ無遠慮に眺められるのは、愉快ではないが。


「つまり……義景殿のお子はひとの子では無かったため、貴殿に預けられ、貴殿はそれを養女として育てたと……そういうことであるか」

「その通りだ」


 宝光院の確認に信鏡が同意したことで、再び場はざわついた。

 しかし今度は反感というよりも、面妖なと言いつつも、納得する雰囲気も混じっている。


 現代ならば眉唾ものの説明にも、この時代では案外普通に通るらしい。

 それを見越していたとはいえ、拍子抜けするほどだった。


 しかし問題はこれからだろう。

 信鏡が説明を続ける。


「織田との戦により、この越前国にも戦乱が及んだため、わしはかねてから誼のあった白川郷の内ヶ島氏理殿に色葉様を預けていたのだが、このわしの窮地を知り、このたびは駆け付けてくれたという次第である」


 もちろん嘘八百である。


「また義景様からも後事を託されたことをここに明言しておこう。主君殺しの汚名を被ってもなお、朝倉の血を残すために必要なことであり、義景様も承知されていた」

「なんと! では裏切りというのは偽りであったと言われるか」


 坊主の一人が驚いたように口を開く。


「そうは言わぬ。後事を託されたとはいえ、このまま織田に仕えて静かに暮らすことを考えなかったわけではないからな。色葉様のお命を守ることこそが、至上の命題であると考えたからだ。しかし今の乱世にそのようなことは世迷言に過ぎぬと気づかされた。力こそ正義。このまま滅ぼされるくらいならば、例え妖の力を用いることになったとしても、それで良いではないか」

「し、しかし……」


 言い淀みつつも何か言おうとした坊主の隣にいた坊主が、許容できぬとばかりに発言する。


「――妖の力と仰せられるが、その者が扱うは死者の法ではないのか? あのおそましき亡者の群れを操るなど、正気の沙汰とは思えぬ。我らも死したらあの仲間になるということではないのか!」


 そうだそうだと声が上がる。

 とても受け入れられないと。


 それを聞き、わたしは初めて表情をみせた。

 うっすらと、笑みを浮かべてみせたのだ。


「その通りだ。死ねばお前達はわたしのものとなる。それが嫌ならば、ひたすらに足掻き、生き抜くことだな」


 軽く妖気を混ぜて少し挑発してみる。

 騒然となるかとも思ったのに、場は静まり返ってしまった。

 よく見ると大半の者が震え、中には緊張からか大量の汗をかいている者もいる。


「く……何という鬼気か……!」

「お、恐ろしい……」


 どうやら少し妖気が強すぎたようだ。

 坊主どもはすっかり威圧されてしまって、平伏してしまっている。

 ……やり過ぎたかとも思ったが、まあいい。


「何にしろ、お前達に選択肢は無い。ただわたしに従え。死んでから従うと言うのならば、それもまた良しだがな」


 どうでもよさげに言ってやったら、それがまた余計に恐怖を助長してしまったらしい。

 よほど胆力のある者でない限り、まともにわたしを見れなくなっているようだった。


 これまでにせっせと魂を食べてきたせいか、白川郷にいた時よりも遥かに力が増してしまっているようで、加減の仕方が甘いと効果が出過ぎてしまうらしい。


 とはいえあの鈴鹿とかいう鬼女に比べたら、わたしなんてまだまだ可愛いものだ。


「一同聞け。事ここに至った以上、わしはもはや迷わぬ。再び朝倉を名乗り、まずはこの越前を取り戻す。平泉寺衆よ、力を貸してはくれぬか。色葉様もそなたらのことを、決して悪いようにはせぬ」


 信鏡の言葉に、しばし返答は無かった。

 重々しい空気の中、やがて口を開いたのは宝光院であった。


「このまま座していれば、確かに滅びは避けられぬ……か。しかし、色葉殿に従えば本当に生き残れるのか? このまま織田の援軍を待った方が良いのではないのか」

「織田の援軍は来ない」


 わたしははっきりと明言してやった。


「なぜそう言い切れる?」

「信長は今、長島一向一揆を相手に手いっぱいだからだ。とても軍勢を動かせる余裕はない」


 わたしが学んだ歴史ならば、長島一向一揆を平定した後の織田は、次は武田と対峙することとなり、越前一向一揆平定に向かうのはその後である。


「島田将監は確かに撃退したが、まだ杉浦玄任率いる一揆勢がいる。万余の大軍であり、多勢に無勢であろう。いかに妖しき力を用いたとしても、勝利は至難と思うが」

「なら……証明すればいいわけだな?」


 身を起こしたわたしは、宝光院へとそう問いかける。


「証明……とは?」

「鈍いな。わたしがその杉浦何とかの軍を壊滅させれば、お前達はわたしに従う――それでいいのかと聞いている」

「なんと……」

「どちらにせよ、決戦は避けられぬ。ならば賭けてみては如何か」


 絶句する宝光院へと、今度は信鏡がそう言った。

 織田の援軍が間に合わない以上、戦うか降伏しかない。

 降伏すれば、仮に命は助かったとしても、これまで平泉寺が有していた既得権益は全て失うことになるだろう。


 また平泉寺は元々血気盛んな僧兵集団だ。

 降伏自体、受け入れがたいものがある。


「……良かろう」

「宝光院殿!」


 頷く宝光院へと、坊主の誰かが批判的な声を上げたが、宝光院は首を振ってそれを黙らせた。


「まずは生き残ることが先決! そして一度は捨てかかった命である。これも何かの縁である以上、受け入れぬはむしろ道に反しよう。生き残りたき者は拙僧に従え。同意できぬ者は去るが良い。しかし我らが勝ち残った後に、居場所は無いと知れ」


 その宝光院の言葉は決定的だったようで、誰もが黙し、結果的に同意が決定される。

 戦時ということが幸いしてか、割にうまくいったようだ。


 あとは一揆勢を蹴散らすのみ。

 もちろんこれは簡単なことではない。

 わたしにとっても伸るか反るかの賭けのようなものだ。


「では皆の了承を得たということで、続けて軍議に入りたい。異存は無いか」


 信鏡――いや、もう景鏡か――の朗々たる声を耳にしつつ、場がいっそう慌ただしくなるのを眺め、わたしは静かに決意を新たにするのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る