第14話 村岡山城の戦い

 生暖かい液体が、全身を濡らす。

 信鏡の数歩前まで迫っていた一揆どもの首が一度に数個落ち、勢いよく血を噴出したからであった。


 そしてそれが続く。

 信鏡を囲んでいた一揆勢が、一人、また一人と討ち殺されていくのである。


「なん……だ?」


 理解し難い光景が、信鏡の眼前で行われていた。

 一人の人物が、薙刀のようなものを縦横無尽に振り回している。


 一体どんな剛力をしているのか、その薙刀自体も通常のものよりも大きく、重量のある作りとなっており、そんなものを振り回された一揆勢の方はたまったものではなく、次から次へと斬って捨てられていた。


 何よりそれを行っているのが、女子であったという点だ。

 この戦場の中にあって具足もつけず、全身を返り血で浴びながら一方的に殺戮を行っている。


 余裕があるのか、その口元は笑みの形に歪んでおり、歴戦の武将たる信鏡をもってしても、慄かされるに十分な鬼気があった。

 もはやあれは人でないと悟るに、大した時間もいらない始末である。


「ご無事であられたか。景鏡様」


 不意に声がして、我に返った信鏡が見たものは、大太刀を手にした鎧武者――しかしその顔は髑髏のままであり、まさに落ち武者の亡者、といった風体だったのである。

 悲鳴を上げなかったのは、疲労の極みで声も出なかっただけに過ぎない。


「き、貴様は……!? この世に迷って出てきたか……!?」


 いかに死体だらけの戦場とはいえ、これはあまりにあまりだ。

 むしろすでに死に、ここは地獄なのではないかとさえ思ってしまう。


「お待ちを。このような風貌にて分からぬも無理はありませぬが、拙者は真柄直隆にございまする」

「な、なんだと……?」


 そんなことを言われてもにわかに信じられるものではない。

 そもそも真柄直隆は織田との決戦で討死したと聞いている。

 北陸随一の猛将ではあったものの、今や土の下のはずで……。

 いや、だからなのかと思い知らされる。


「そのようなことが……いや、しかしその大太刀は……」


 直隆が振るったという大太刀――「太郎太刀」。

 五尺三寸ある大太刀で、信鏡自身、何度も直隆が振るっているのを目にしたことがあった。


「――お前が朝倉景鏡か?」


 半ば混乱しているところへ、冷水のような冷たい声がかけられる。

 振り返れば先ほどの女子――大薙刀を手にした少女がいた。

 周囲にはもはや生きた者は無く、生き残った者も恐慌して逃げ出してしまったらしい。


「そなたは……何だ……?」

「聞いているのはわたしなんだが」


 やや不機嫌そうに、少女が薙刀を振るう。

 べっとりとついた血糊が周囲に散る。

 その少女とは思えない威圧感を前に、信鏡は最低限毅然とした態度で頷いてみせた。


「わしは土橋信鏡だ。そなたの名は?」


 戦場で少女や骸骨と対峙しているという奇妙な混乱も、一度死を覚悟していたせいもあって、そこまで大きな動揺にならずに収まっていく。


「土橋? ああ、そういえば名を変えたんだったな。……日のもとに、かくれぬその名あらためて、果は大野の土橋となる――だったか?」


 それは主君を裏切った信鏡を揶揄して詠われていたものだ。


「そなたの名を聞いておらぬぞ」


 少女もまた、信鏡を嘲弄してみせたのだが、本人は表情も変えずに改めて名を問うてくる。


「ふうん。さすがに汚名を着る覚悟をしただけあって、骨はあるようだな。……ああ、わたしの名だったな。色葉という。一応、お前を助けた者だ」

「色葉と言ったか。わしを助けたと言ったが、そなたのような物の怪や亡者に助けられるいわれはないぞ」


 色葉の持つ尻尾は、どう見ても妖の証拠だ。

 少女はそれを隠そうともしておらず、信鏡の物言いに面白そうに笑ってみせた。


「そうか? しかしせっかく主君を裏切ってまで得た命にしては、呆気なさすぎるのではないか?」

「だとしても、そなたには関係なかろう。すでに死を覚悟した者をいたずらに引き留めるは、つまらぬことと知れ」

「……なるほど。意外に武人なんだな。わたしには理解できないが……。まあお前が死にたいと言うにならば、好きにすればいい。せっかくだから、お前の息子二人もあの世に送り届けてやろう」

「何だと?」


 いったんは思考の外に追いやっていた家族のことを持ち出され、信鏡が動揺する。


「気になるか? 別に大したことじゃない。ここに来る前に、平泉寺とやらを襲った一揆の連中は皆殺しにしておいたからな。まあ多少は被害も出たようだが、全山焼亡という有様には程遠いぞ」


 ついでにお前の息子は助けておいた、と何でもないことのように色葉は言う。


「無事……であったのか。左様か」


 やや力が抜けた感の信鏡を見て色葉は薄く笑うと、傍に控える直隆へと視線を移して新たな命を与えた。


「直隆、お前は手勢を率いてこのままあの山城を取れ。一揆の者どもは皆殺しと心得ろ」

「はっ」


 首肯し、重々しく敵中へと進んでいく直隆の元に、信じられない軍勢が集結していく。

 それは数百騎はいるであろう亡者の兵。


 そのどれもが落ちくぼんだ眼窩をみせており、死者の兵であることは疑いようもなかった。

 そのどれもが具足を纏い、太刀や槍を引っ提げて、一揆勢を蹴散らして村岡山城に肉薄していく。


 そのあまりの光景に、一揆勢の士気はもろくも崩れ去り、逆に恐慌状態となって追い立てられていく有様だった。


 戦場に死者は付き物であるが、これはあまりにあまりであろう。

 それを恐怖というよりは、呆れる思いで信鏡は見るしかなく。


 やがて冷静になると、自分は何かとんでもないものを呼び寄せてしまったのではないかという事実に、今更のように気づくのだった。


「……死は覚悟したが、まさか死そのものがやってくるとはな……」


 命は助かったのかもしれないが、これを奇跡と呼ぶにはあまりに穢れているような気がしてならない。

 そもそもにして本当に命は助かったのか、という疑念もある。


「なんだ、死ぬんじゃなかったのか?」


 その容姿とは裏腹に、色葉の言葉はどこまでも乱暴で温かみの欠片も無い。


「それも良かろうが、そなたが何を求めてここにやって来たのか知りたくもなったのでな。どうせこの命をただで助けるつもりなど無いのだろう? しかしこの身にはもはや何もない。にも拘わらずそなたが求めるもの……多少、興味もある」

「ふうん、なら話も早い」


 信鏡の言葉に、色葉は笑う。

 やはり容姿からはかけ離れた、邪悪な笑みだった。


「とはいえ大したものでもないぞ。お前が捨てたものを拾いに来ただけだからな」

「捨てたもの……だと? 異なことを」

「わたしが欲しいものは、名だ」

「名?」


 信鏡は眉をひそめ、やがてまさか、という思いに至る。


「朝倉の名を欲しているというのか」

「その通り」

「しかし何故」


 詩に詠われているように、朝倉の家名は確かに日ノ本に隠れ無き名家として、その名を響かせている。

 いや、いた、というべきか。


「朝倉はすでに滅んだ家。その名を手に入れて、何の利が?」


 むしろ名乗るには危険な名だった。

 信鏡も織田信長に臣従した際に、その名を改めているし、他の旧臣――例えばかの姉川の戦いで朝倉勢の総大将を務めた朝倉景建も、今では安居景健と名を改めている。


 朝倉の名を捨てることで、織田に忠誠を誓ったのだ。

 ここで下手に朝倉を名乗れば、朝倉の残党として討伐されかねないという、不利益しか無いのではないか。


「わたしはこの日ノ本を手に入れるつもりだ」

「っな……?」

「そのために、まずこの越前国を手中に収める。ちょうど国主不在な上に、今は乱れに乱れているからな。つけ入る隙もある。ただ……時間はあまりない。それを短縮するために、この地を治めていた朝倉の名を利用するというわけだ。大義名分は立つからな」


 大言壮語とはこのことだろう。

 信鏡はまじまじと色葉を見返した。


 この妖の少女はあろうことか、この地から天下を目指すと言っているのだ。

 馬鹿馬鹿しいとは思う。

 かつてはその名を轟かせていた朝倉でさえ、今や滅亡の憂き目にあっているというのに、今更何ができるというのだろうか。


 しかし荒唐無稽であると思いつつも、面白いとは感じてしまう。

 朝倉義景が当主であった頃には、まず考えもしなかった発想。


「ふふ……ははははは! 実に小気味よい戯言であるな! 面白い」


 信鏡が色葉の話に興味を示したことに、彼女は小さく笑みを浮かべた。予想通りの反応だったからである。


 この土橋信鏡――かつての朝倉景鏡は朝倉義景の従兄弟という立ち位置で、義景に兄弟がいなかったことから一門の中では最も義景に近い存在だった。


 しかし父・高景が謀反したために、一門の中でも低い地位に甘んじなければならなかった経緯がある。

 一門の朝倉景紀ら敦賀郡司家との政争に打ち勝ちつつ、さらには将軍・足利義昭が越前に入った際に気に入られ、式部大輔の官位を得た後は名実ともに一門筆頭の地位を固めたのが景鏡であり、決して逆境に負けず、上昇志向の強い――つまり野心のあることは、容易に色葉にも想像できていた。


 何しろ生き残るために、主君を手にかけた人物である。

 そこに望みがあるのであれば、徹底的に足掻くであろうことも、色葉の予想の範囲内だった。

 そしてその野心は、色葉にとっても都合が良かったのである。


「しかしわざわざわしの了解など不要であろうに。勝手に自称したところで、何の不都合がある?」

「大義名分、と言っただろう?」

「ほう……? ふむ、なるほど、そういうことか」


 少し考えれば分かることだ。

 ただ自称するのと、実際にその名を持っている者から認められることとは、かなり意味合いが違ってくる。

 ひとはやはり、筋の通った話を好む。


「仮にそなたをわしの養女とするのならば、朝倉を名乗ることはごく自然なこと。そしてそのためにはわしが生きておらねば不都合よな」


 信鏡の言葉は、色葉が考えていたことに非常に近いものだった。

 やはりこういう謀略的なことに手慣れている節がある。


「しかしそれでうまくいくかな? わしは主君殺しの裏切者。その縁者になっても大義名分はたつとは言えんと思うが」

「その通りだ。そのままでは逆賊汚名を着るだけのこと。しかし……仮にわたしが義景の娘であったならば、どうだ?」

「何だと?」


 どういう意味かと、信鏡は思考を巡らす。

 しかしすぐには答えはでない。


「それは……いや、しかし……」

「突飛な話すぎで、誰も信じないと思うのだろう? あまりに荒唐無稽では、それこそ戯言であると受け取られてしまうからな。しかしこれならばどうだ? わたしは義景の娘として生まれたが、生まれながらにこの姿だった。狐憑き……化け狐、まあ何でもいいが。そのため義景のもとで育てることはできず、家臣――つまりお前に預け、養女として密かに育てさせた。これまでわたしのことを誰も知らなかったことについても、この姿のせいにしておけば、それも道理となるだろう?」


 それはそれで突飛ではあったものの、一応の筋は通る。


「また面白いことを考えるものだ……」

「さらにこうすればいい。お前が主君を裏切ったのも、朝倉の家名を残すために義景に託されたことにすれば、お前への批判も減る。わたしがそれを証明すればいいわけだからな。もちろん信じない者もいるだろうが、今よりは遥かにましになる」

「なるほど……しかし随分とあくどい方便であるな」


 信鏡が清廉潔白な人物であったならば、色葉の提案など一笑に付したかもしれない。

 しかし実際には色葉の言葉は、信鏡の野心をくすぐるに打って付けだったのである。

 色葉の、狙い通りに。


「良かろう! 否やは無い。わしや、息子らの命を助けてくれた借りはある。これで返せるのならば安いものよ。されど」


 話としては面白いが、そう簡単にいかなことも分かっていた。

 今は直近の問題として、目の前の危機に対処しなければならないからだ。


「一揆どもとの戦に勝たねば、そもそも話にならぬ。手立てはあるのか?」

「もちろん」


 頷いて、色葉は笑う。


「わたしの手勢のみでは少し苦しいが、お前の手勢も合わせればそれなりの兵力となる。そのためにも平泉寺衆を手駒にする必要があるが、そこでお前に早速一役買ってもらうぞ?」

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