第12話 朝倉滅亡
◇
騒乱は一夜にして終わったせいか、朝には白川郷もいつもの静けさを取り戻していた。
わたしは昼には向牧戸城に入り、出迎えた貞宗に仔細の報告を受けた。
負傷している上に敵兵の迎撃、更には城攻め、と連戦したためか、疲労困憊という有様であったが、そこは意地があったのだろう。
わたしの前では疲労をおくびにも出さず、きびきびと報告をこなしていた。
その後ぶっ倒れて二日間眠りっぱなしだったとのいうのだから、やせ我慢は身体に良くないとう反面教師にすべき事例だろう。
ちなみにわたしが蹴っ飛ばしたせいで、肋骨が折れていたらしい。
まあそんな貞宗をこき使ったのはわたしではあるのだが、それはそれ、だ。
ちなみに向牧戸城は直隆らの活躍でどうにか落城に至らしめたものの、こちらの被害も甚大だった。
この向牧戸城は小城ながら庄川と御手洗川が合流する河岸段丘上に築城されており、天然の要害だったことも、ここを落とすことが容易でなかった要因である。
直隆や隆基の個人的武勇がなければ、近づくことすら困難だったのは想像に難くない。
最後は直隆が決死の覚悟で城内に侵入を果たし、城主であった川尻氏信を降伏させたことで決着がついた。
しかしこちらの二十五体いた手勢のうち、実に二十一体が損壊を免れず、使い物にならなくなっている。
かなり際どい勝利だったと言えるだろう。
ともあれわたしは向牧戸城に入ったが、城内は当然荒れており、またかなりの狭小である。もっぱら街道の監視と物見のための城砦として、築城されたことが窺える。
つまりわたしの住居とするにはあまりにあまりなので、氏理の好意だか何だかで、すぐにも居住のための館が建設されることになった。
もともと廃寺に住み着いていたような生活を送っていた身である。特に文句も無い。
城の建つ同じ河岸段丘の敷地の上に作られた館は、どういうわけか城よりも遥かに立派だった。
全てお任せしていたのであるが、氏理はかなり気合を入れてくれたらしい。
こんな田舎の領主の割に、羽振りがいいなと思わないでもなかったが、よくよく聞くとこの内ヶ島氏、かなりの金持ちだったようだ。
石高は言うに及ばずすずめの涙であるが、代わりに鉱山経営を行っているようで、しかも金が採れるとか。
そもそも内ヶ島氏は代々この地を治めていただけあって、鉱山師としてそれなりの技術を有しているようだった。
そのせいか、氏理はわたしのご機嫌伺いによくやってきては、金を納めていくのである。
もちろん要求した覚えはないのだけど、くれるというのなら貰っておこう。
というかそもそも、この白川郷で採れるものは全て、わたしのものなんだろうけど。
時も経ち、少しずつであるがわたしがこの地の主であることは、受け入れられつつあるようだった。
恐怖とは慣れるもので、わたしが支配者として特段何もしなかったことも、良いように受け取られたらしい。
あと治安が格段に向上した。
これはこの地のことが他所に洩れることを防ぐために、新たに街道に関所を設けたり、山賊や野盗の類を根絶やしにしてやったことが大きい。
混乱しつつあった飛騨国の中で、この白川郷周辺だけは、変わらぬ平穏を保っていたのである。
もちろん、わたしに対する不満も出るには出たが、前言通り容赦はしなかった。
が、一度は許した。
これも効果があったようだ。
今では不満や不安を覚えつつも、表立って異を唱える者はいない。
ついでにこの容姿も大きく良い方向に作用した。
わたしが城で虐殺を行ったところを見ていない領民にしてみれば、わたしは尻尾が生えているだけの可愛らしい美少女なのである。
この姿になったことについては未だに忸怩たる想いも無きにしも非ずだったが、見た目が重要であることは嫌というほど実感できた。
美人や美男が得というのは、こういうことなのだろう。
かといってアカシアに感謝するつもりなど毛頭無い。
それはともかく、この白川郷はもともと小さな領地に僅かな領民が暮らしているだけなので、支配は容易だったともいえる。
そしてそうこうしているうちに時は流れて天正元年十月。
秋に入り、冬に差し掛かろうとしていた頃だった。
わたしの元に、一報が届けられたのである。
◇
「色葉様。尾上殿が参っております」
自分の部屋で暖を取りながら、アカシアの機能を活かして本を読んでいたわたしの所に、貞宗がそう伝えてきた。
ちなみに氏理が作ってくれたこの館には基本、わたしと貞宗と、あと数名の下人がいるのみで、わたしを除けば全て人間である。
向牧戸城の城主は直隆に任せてあり、数が増えてきた骸骨兵もそこに詰めている。
夜になると直隆か直澄、隆基が交代で館の警備を担ってくれていた。
ちなみに壊れて使い物にならなくなった骸骨どもは、当初住み着いていた廃寺に放り込んでおいたのだが、しばらくしたら綺麗に復活してしまった。
どうやらわたしの妖気次第でいくらでも復活できるらしい。さすがはアンデッド、といったところだろうか。
「ああ、通せ」
「は」
しばらくすると人影が現れ、部屋の外に座ると礼を取った。
「尾上でございます。お目通りが叶い、恐縮至――」
「いいから早く入って早く締めろ。寒い」
「は……ははっ」
慌てて入ってきたのは中年の域を脱しようとしている男だ。
名を尾上氏綱といい、内ヶ島氏の家老を務めている。
だいぶ齢を重ねてはいるが、なかなかの豪のもので、その胆力は確かだ。
そんな氏綱でも、わたしの主君らしくない態度には未だに戸惑うらしい。
「定時報告……にしては少し早いな。何かあったのか?」
本を置き、尋ねる。
氏綱はやや神妙な面持ちで話し始めた。
「どうやら越前の朝倉が滅ぼされたようです」
「そうか」
驚きは無かった。
そうなることは予め分かっていたからである。
情報がここに伝わるまでにかなり時間を要したようだが、史実通りならば八月には滅ぼされているはずだった。
直隆らには悪いが、この滅びを阻止することはできないと、わたしの中での決定事項になっていた。
さすがに行動に移すには時間が無さ過ぎたからである。
まずは拠点たるこの白川郷をしっかりと抑えること。
同時にこの白川郷の支配は領地経営の練習台でもあり、内ヶ島家の連中に色々学びながら新しいことなども実践してみたりしていた。
この尾上氏綱などは行政に関しても学ぶことは多く、よく講義を受けたりもしている。
何にせよ、時間は必要だった。
「近江の浅井も、共に滅ぼされたとか」
「相手は織田だろう?」
「御意」
氏理はわたしが越前国を指向していることを、当然知っている。
そのため情報は逐一回せと言ってあるのだから。
一方で越前国への侵攻は無謀であるとも進言されていた。
例え飛騨一国を支配できるようになったとしても、まるで国力が足りない。四万に満たない石高では、動員できる兵力はせいぜい千程度といったところだ。
それに比べて越前国は五十万石近くの石高を誇っているはず。単純に考えても、一万二千以上の兵力を動員できることになる。
もちろん石高だけが全てではないものの、単純に考えればそういうことだ。
「今越前に攻め込むは、朝倉ではなく織田を相手にすることとなります。とても勝ち目は……ありますまい」
氏綱の言うように、現在の織田家は信玄の死を契機に態勢を立て直し、越前の朝倉、近江の浅井を滅ぼして、その支配領域を急速に拡大させつつあった。
今現在、辛うじて対抗できそうなのは甲斐の武田氏か、中国の毛利氏かといったところだろう。
「織田が越前の支配を確立させてしまえば、そうだろう。手が出せなくなる。だが織田はすぐに越前を失陥することになる。勝機は恐らく、そこしか無いだろうな」
「勝機? 失陥……? 恐れながらどういうことでしょうか」
「来年に入ってすぐに、越前で一揆が起こる」
正確には朝倉氏の旧臣の間で土一揆を利用した仲違いが起きることになり、これが越前一向一揆に発展してしまうのである。
これは越前国全土に及び、織田氏は一時的に越前国の支配を失い、越前国は加賀国のように百姓の持ちたる国になってしまうのが史実の流れだ。
一応その流れに狂いが無いか確認するために、情報は常に集めている。今のところ、流れは変わっていない。
「どうせこれから冬で、進軍はできないだろう」
越前もそうだがこの飛騨も豪雪地帯であり、冬はまず通行が不可能になる。
「侵攻は雪解けを待って春になるな。あまり待ち過ぎると、朝倉の旧臣どもがことごとく滅んでしまう。そうなると都合が悪い。その前に……うん? どうした?」
見ればぽかんとして、氏綱がわたしを見ていた。
顔に何かついているのかと思って、つい尻尾で撫でてしまう。
「い、いえ……その。姫はどこまで見通されているのかと思いまして……」
ちなみに内ヶ島家臣の連中は、どういうわけかわたしのことを「姫」と呼ぶ。
最初は「殿」とも呼ばれていたはずなのだが、いつの間にか「姫」に統一されてしまっていた。
領民がわたしのことを「姫様」と呼んだことが、そもそもの原因らしいが……一度文句を言おうと思っていたのに、アカシアがこのままでいいとか何とか駄々をこねたせいで機を逸し、もはや「姫」と呼ばれるのが当たり前になってしまっていた次第である。
まあ内ヶ島家臣にとっての「殿」は氏理だろうから、わたしのことをそう呼ぶことには抵抗もあったんだろう。
「大したことじゃない。少しだけ、先のことを知っているだけだ」
「はあ……」
納得したわけでもないようだったが、あまり質問を重ねるのも無礼だと思ったのだろう。
氏綱はそれ以上は口にせず、神妙な顔つきになってしまう。
「氏綱」
わたしはアカシアを置いた机にしなだれかかりつつ、気だるげに命じる。
「とにかく春までに、できるだけ兵を集めろ。……分かるな? わたしが言っているのは生身の兵のことではないぞ」
その言葉に、ぞっとしたように氏綱は身を震わせた。
外気の寒さよりも、わたしの言葉にこそ、寒気を覚えたのだろう。
本格的に冬になり、雪が積もれば人の往来は極端に少なくなり、当然死体の調達も難しくなる。
その前に集めろと、つまりはそういうことだ。
「ぜ、善処いたします……」
「それでいい。他に報告は?」
二~三、残っていた報告をし終えた氏綱は、身を震わせながら退出した。
わたしと面と向かうと誰しも緊張し、固くなってしまう。
こんなに愛らしい姿なのに、だからこそ逆に怖いらしい。
氏綱はけっこう博識だからもっと話をしたかったが、これ以上は無理のようだ。
あまり長居させると胃に穴でも空きかねない。
いなくなって、はあとわたしは息をつく。
「少し、寂しいかな」
従う者は増えたが、正直孤独でもある。
孤独は嫌いでは無かったが、かといってそれが日常になってしまうとやはり寂しいものだった。
それが、少し気を重くする。
またこの先行きについても不安はあり、やや陰気な気分にしてくれる。
一応この先のことは考えてあるものの、正直自信があるわけでもない。
うまくいく保障も無いに等しく、出たとこ勝負の感も大きかった。
つまりわたしにとっての賭けは未だに続いている、というわけだ。
しかも、一人で。
「馬鹿なことしているのかもな。しかし――」
もう決めたことだ。
やってやる、と心に再度誓う。
目的が無いと挫けそうになる。
正直目的ならば、何でも良かったのかもしれないが。
少しだけ、身体が震えた。
それが武者震いであったかどうかは、わたしにも分からない。
そして年が明けた天正二年一月。
果たして越前国に再び動乱が巻き起こったのだった。
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