第11話 白川郷奪取
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内ヶ島氏の居城・帰雲城。
この城は帰雲山の麓に建てられた山城で、内ヶ島為氏によって築城。
その周囲には城下町が形成されており、内ヶ島氏の支配する白川郷の拠点である。
そして現在の城主は内ヶ島氏当主である、内ヶ島氏理という。
この戦乱の世にあって、氏理は所領拡大を狙い、他国に侵攻することなくこの地を守り続け、姉小路氏といった外敵の侵攻もこれまでことごとく防いできた。
白川郷は非常に峻嶮な地形であり、石高も高の知れた辺境であったものの、この地形を活かすことで、外敵の侵入を拒むことができていたのである。
しかし今夜、氏理は未曾有の危機に直面することとなっていた。
「あり得ぬぞ……このようなこと!」
賊に侵入を許してから僅か数刻で、氏理は本丸に追い詰められていたのである。
もはや退路は無い氏理の前には、血臭夥しい少女の妖がこちらを見つめ、薄く笑っていた。
そしてその隣には、控えるようにして鎧武者がいる。
しかしその顔は生身のものではなく、白い骨がむき出しになっていた。
骸骨が、そのまま具足を纏っているのだ。
隣の少女は一見ひとの子に見えるが、その特徴的な耳や尻尾が、それを否定していた。
狐憑きか、それとも妖狐がひとの形をとっているのか。
どちらにせよ、物の怪の類であることには違いない。
その二体は堂々と大手門から侵入すると、まさに人外の力で城を蹂躙していった。
しかも報告によれば、殺戮の大半を行ったのは骸骨武者ではなく、狐の妖だったという。
氏理の支配する白川郷は国と呼ぶのもおこがましいほどの小領地で、当然動員できる兵など僅か。
さらに城に常駐している兵となれば、数十人もいはしない。
その程度の小勢では、この化け物じみた二体をどうにかすることなど不可能だった。
「ふうん。お前がこの城の主か?」
容姿通りの可憐な声であったが、聞き惚れる余裕など当然無く。
突然の事態に恐怖を覚えつつも、しかしそこは戦国武将であるためか、それとも一国の主を誇ってか、怯えをみせることはなかった。
「その通りだ。貴殿は何だ? 妖の類に用など無いぞ!」
自身を守る家臣はもはや数名に討ち減らされており、すぐ傍にいる家老も、それなりの深手を負っていた。
もはや抵抗は不可能であり、これが最期となるのならば、威厳を保つこそこそ氏理の矜持だったのだろう。
「威勢がいいな。さすがは城を預かる身、といったところなのかな」
「御託はいい! いったい何が目的でこのような蛮行に及んだか!」
「うん……? 自業自得だぞ? 覚えがないとは言わさないが」
不機嫌そうに、少女の尻尾が揺れ動く。
その尻尾にはべっとりと血がついており、今ほど目の前で一人の家臣があれにはたかれて、血煙と化したのを見たばかりだった。
「自業自得、だと……?」
「不愉快だな。先にわたし達を襲ったのはお前達だろうが。向牧戸城から兵を動かさせたはずだろう?」
「――な、まさか、氏信から報告のあった……?」
向牧戸城の城主・川尻氏信から報告があったのは半日以上も前のことだ。
城下の荘川村からほど近い山林に、妖が巣食っているとの噂があり、これを討伐するために兵の派遣の裁可を求めてきたのである。
妖の噂は確かに多々あるが、実際には山賊や盗賊の類であることが多く、治安維持のためにも速やかな対応は城主に求められる仕事だ。
氏理はさほど考えることも無く許可し、その結果がこれ、というわけである。
「今夜のわたしは少し虫の居所が悪い。だから八つ当たりに付き合ってもらった」
何でもないことのように、少女の妖は言う。
「では目的は俺の命か」
「いや、そうわけでもない」
意外にも、少女はそんな返事を寄越した。
「別に殺戮が目的じゃなかったからな。それなりに殺したが、二人に一人は生かしておいたはずだぞ?」
そんなことを言われてもとても信じられるものでもなかったが、かといって反論して藪蛇になるものうまくないと氏理は考える。
「ならば何だと言うのだ。それとももうこれで勘弁してくれるとでも?」
「そうだな。考えてやってもいい」
そこで少女はにやりと笑う。
とても少女とは思えない、邪まな笑み。
「わたしの望みは、とりあえずはこの城だ。というより、お前が支配している地、全てかな」
「――馬鹿な! ならば力づくで奪うが良い! 俺は最後まで屈せぬぞ!」
「それもこの時代の流儀なのかもしれないが……本当にいいのかな?」
「何を――」
氏理が怒鳴り返そうとした、その時だった。
この本丸に続く二の丸の方から、何かがぞろぞろと近づいてくる音がする。
聞き慣れた具足の音。
しかし何かが変だった。
「こ、これは――……!」
声を上げたのは、家老の尾上氏綱だった。
この世とは思えない光景に、目を見開いている。
だが当然氏理とて、同じ心境だった。
本丸に入ってきたのは、死体だった。
恐らく少女に惨殺されたのであろう家臣達が、のそりのそりと動き、集まってきているのである。
少女の隣に控える骸骨武者を見れば、これが誰の仕業かは一目瞭然だった。
「な、何だというのだこれは!」
恐怖は大声で誤魔化すしかない。
それでも足が震えだす。
これはもはや、人の世の光景ではないのではないか。
「わたしに殺されたものが、わたしの妖気に触れるとこうなるらしい。お前が誇りのために死を望むというのなら、それも結構。この連中に加わる死体が一つ、増えるだけだからな」
「ま、待て! 待ってくれ!」
誇りある死ならば、あるいは耐えられるかもしれない。
それは戦国の世に生まれた以上、氏理も常に心構えとしていたことだからだ。
しかしこれはどうだ?
死して使役される亡者とされるのでは、あまりに不名誉ではないのか。
というよりこれは、すでにこの世の地獄ではないのか。
「望みは何なのだ!?」
すでに悲鳴に近い氏理の声に、少女は満足そうに、しかし不満そうに答えてみせた。
「さっき言ったぞ? お前が手にしているもの全てだと」
「く……し、しかし……!」
恐怖はある。
しかし矜持が頷くことを邪魔する。
何より相手は人間ですらない物の怪の類。
このような輩に屈するなど、末代までの恥とも思う。
「ああ、勘違いするな。お前の手から奪うとは言っていない。お前がそれを持ったまま、わたしに忠誠を尽くせば済むことだからな?」
「……? どういう……意味だ?」
「わたしに従うのならば、領地は安堵すると言っている。これまで通り、ここをこの城から支配すればいい」
「つ、つまり――貴様、い、いや、貴女を主として仰ぐのならば、それで良いと……そう言うのか?」
「そう聞こえなかったか?」
どういうことなのかと、氏理は混乱しつつも必至に頭を巡らした。
物の怪であるためか、ひとの世の統治にはそもそも興味が無いのか。
それとも他に何か目的があるのか。
ここで考えていても分からないが、それでも考えずにはおれない。
この選択で、全てが決まってしまう。
自身の人生も、この白川郷の運命も。
「そろそろ返事を言え。待つのも退屈だ」
「!」
いつの間にか、少女が目前にいた。
その整った容貌をやや不満そうにしながら、氏理を見上げてくる。
そして何かが氏理の頬に触れた。
少女の、尻尾だった。
――それで、心が決まる。
いや、折れたといった方が正しかったのかもしれないが。
「……忠誠を、誓おう。我が主君よ」
その言葉を聞いて、事の成り行きを恐怖をもって見守っていた、生き残り氏理の家臣達も、同様に膝をつく。
「ん……よし。受け入れよう」
当然とばかりに、傲然として頷く少女。
その日、内ヶ島氏が代々に渡って支配してきた白川郷は、一人の妖の手に落ちたのだった。
/色葉
終わってみれば簡単なもので、あっさりとこの帰雲城は落ち、その城主の内ヶ島氏理はわたしの軍門に下った。
それらしく振舞ったことも、直澄を連れてきたことも、それなりに効果があったらしい。
あの鈴鹿のせいでわたしの機嫌は落ちに落ちていたが、無事にこの城を落とすことができて、少しは上向きなっていた。
最後にはわたしに屈したものの、この氏理という当主は別に惰弱というわけでもないようで、骨もありそうだ。
もっとも猛将であった直隆らですらわたしには恐怖を覚えるというのだから、人間でしかない氏理にとってはあれでも天晴れと言うべきなのかもしれない。
それにしても、と思う。
この尻尾、意外に効果があるよな。貞宗の時もそうだったし、最後の一押しにとても有効のようなのだ。
こんなに愛らしいのにな……と、わたしは自分の尻尾を触りながら、そんなことを考えてしまう。
「面をあげろ。話しにくい」
平伏したままの氏理に対し、尊大に言い放つ。
「……は」
「お前にとっては悪い話かもしれないが、向牧戸城にはわたしの配下を送り込んで、攻めさせてる。まあ十中八九、落ちるだろう」
「そ、それは……致し方ありませぬ」
「すでに落城しているのならばそれで良し。まだ抵抗し続けているのならば、停戦させろ。こちらもこれ以上の殺生は望まない」
「ありがたき……お言葉。では、すぐにでも誰かを向かわせます」
「そうだな。ならこの者を連れていけ。なに、襲ったりはしないし、わたしの手勢に停戦させる旨、伝える必要もあるからな」
使者となる者は直澄と一緒では恐怖するのは間違いないが、だからといってわたしの知ったことではない。
「それから向牧戸城だが、しばらくわたしの住処として利用するから、明け渡してもらおう。この者どもを囲っておく場所も必要だからな」
ここにきてまた増えてしまった骸骨どもを、どこかに置いておく場所が必要だ。
そういう意味では城というのは最適だろう。
「……こ、この帰雲城でなくて良いので……?」
「ああ、構わない。この地はお前が引き続き治めるのだから、この城の城主にはお前が相応しいだろう。あくまでこの地の領主は内ヶ島氏として振る舞えばいいが、わたしがその主であることは徹底させろ。断っておくが、逆らう者には容赦しない。余計な死人を増やしたくなければ、事前にお前が根回ししておくんだな」
「……仰せのままに」
「よし。ならあとは……あとでいいか。向牧戸城の方が落ち着くまでは、ここに滞在する。とりあえずは湯浴みがしたい。血で汚れたからな」
「す、すぐに用意いたします。氏綱、用意せよ」
「は、ははっ」
氏理の家臣らしき人物が、慌ててかけていく。
負傷しているみたいだが、それどころではないらしい。
さて……問題はこれからだ。
まずはこの白川郷を掌握することが急務だが、同時に越前侵攻についても考えなくてはいけない。
この内ヶ島氏の領地は本当にささやかなもので、今回のことは戦と呼ぶものおこがましい程度のものだった。
しかしこれから向かう越前国は違う。
織田勢に対して旗色悪しとはいえ、越前を治める朝倉氏はこの白川郷はもちろん、飛騨を支配する姉小路氏の勢力の比ではないのだから。
『……感謝いたします』
と、さりげなくアカシアが口を開いてくる。
何がだ? と問いかけてみると、
『この国を手に入れられてはと提案したことを、受け入れて下さったことです』
嬉しそうにそんな風に答えるアカシア。
そういえばそんなことを言っていたような気もするな、この本。
別にアカシアとの会話を覚えていて、これまで吟味していたわけでもなく、ただあの鬼女にむかっとなってつい口にしてしまったというのが、正しかったりもするのであるが。
「なら、手伝えよ? この国を手に入れるなんて……少し荷が勝ちすぎているからな」
『そのようなことはありません。主様ならば容易かと』
「世辞を言う前に、今後のことを考えてくれ」
ふああと欠伸を交えつつ、伸びする。
そんな子供じみた仕草も、生き残った連中にとっては恐怖でしかないらしく、びくりと身体を震わせていた。
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