朝倉天正色葉鏡
たれたれを
序章
第0話 慶長八年越前一乗谷
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朝廷より六種八通の
まあ正式には征夷大将軍以外にも、右大臣やら
徳川氏が源氏だったという話は寡聞にして知らないが、まあうまくやったのだろう。
あの
ちなみに狸爺こと徳川家康は、わたしの祖父の名である。
ともあれこれでは、いよいよ天下は徳川家に傾いていくというものだ。
豊臣家危うし、である。
とはいえこういう状況に備えてか、今は亡き
豊臣家と徳川家の婚姻による、関係強化である。
実際には徳川家から豊臣家へと嫁を出すのだから、人質ともいえなくはないが。
具体的には遺児である豊臣
婚約自体は以前から決まっていたが、ここにきてようやくというか、とうとうというか、それともまだ早いというか、ともあれ正式に祝言を挙げることが取り決められたのだった。
記憶の中での政略結婚はこれで二度目だけど、やれやれ、である。
今のわたしはまだ七歳にもなっていないんだがな……。
そして同年四月十一日。
七歳になったわたしは江戸から
わたしの伯父である
「これは姫。よくぞお越し下さいましたな」
半ばお忍びだったのにも関わらず、出迎えたのは結城秀康そのひとだった。
これまで何度か会っているが、噂に違わない武人であり、わたしの父親とは大違いである。
「伯父上こそ、お元気そうで何よりです」
わたしはしおらしく答えてやる。
ついでに微笑を添えて。
そんなわたしの表情に、普段は剛毅な雰囲気の秀康の顔もつい綻んだようだった。
つくづくこの可憐な姿は便利なものである。
「それにしても姫。そのお歳で北ノ庄までの旅路はご苦労されたことでしょう。にもかかわらず、どうして越前までお越しいただけたのです?」
「少し、我がままを聞いてもらったのです」
「我がまま、ですか」
わたしは小さく頷く。
「この地は母上に縁の地でありますれば、大坂に参る前に一度、どうしても訪れたかったのです」
「なるほど……。然様でしたか」
すぐにも秀康は得心がいったようだった。
この越前国は現在でこそ徳川家が領しているものの、今から二十年ほど前までは朝倉家の本拠地であった。
今、わたしがいる北ノ庄城の威容はなかなかのものであるが、以前あった朝倉家による北ノ庄城はそれを上回る規模であり、今思い出しても銭の大盤振る舞いをしたものだと思ってしまう。
あれに匹敵する城と城下町といえば、この日ノ本を見回しても、秀吉の残した大坂城か、今まさに家康が天下普請により拡張を始めた江戸城くらいのものだろう。
ともあれこの北ノ庄城は、残念ながらわたしにとって懐かしい類のものではなくなっていた。
まあそれはいい。
「姫のお母上殿は朝倉
「乱世なればこそ、ですね」
今は平和になったと言外に告げれば、その通りです、と秀康は意を酌んで首肯する。
この人物は武勇だけでなく、聡明でもあるのだ。
やや凡庸な嫌いのあるわたしの父親とは、やはり話していても違う。
「そのお歳で親元を離れ、大坂に向かわれるはいささかならず不憫なことであるとは思いますが、これも天下安寧のため。姫には是非とも両家の橋渡しになっていただきたいものです」
「そうなれば、と思っております」
秀康はその名前からも分かるように、豊臣家と縁がある。
そのため豊臣家と徳川家の関係が良好であることを、比較的望む節があった。
「立派なお覚悟です。ですが……もう少し我がままをされてもよろしかったのでは?」
「それはいけません」
わたしはそれらく、苦笑してみせる。
「父上は此度のわたしの大坂行き、ずいぶんごねられてそれはもう説得するのが大変だったのです。そこでわたしまで嫌がってみせては……お爺様も翻意されてしまうかもしれませんから」
これは本当の話で、父にしろ祖父にしろ、わたしのことを溺愛し過ぎてやや辟易するくらいだったのだ。
ここでわたしが嫌だと言ったら、本当に婚約破棄になっていたかもしれないくらいだったのである。
ちょっと猫を被り過ぎてしまった結果だ。
やや反省するところではある。
「なるほど。しかし姫は本当に聡明であられますな。このような時世でなければ、我が愚息である長吉丸に嫁いでもらいたいものですよ」
半ば冗談を交えて、秀康はそんなことを言った。
長吉丸というのは秀康の長男で、史実でいうところの松平忠直だ。
色々と功罪を残すことになる人物である。
父親に劣らず才能のあった人物なのだろうが、性格には少々問題があったらしい。それも秀康が早死にしてしまうからなのかもしれない。
もし秀康の望み通りになったのであれば、今のうちから徹底的に調教……ではなく、教育してやるところなのだが。
まあこの世界ではどうなるか知れないが、そういう未来は無いだろう。
「……大坂に行かずにすむとあらば、父上などは喜ぶかもしれませんが」
「ははは。
こうして和やかに挨拶を終えたわたしは、北ノ庄城にしばし滞在することになった。
とはいえ大人しくしていたわけでもない。
わたしが越前にわざわざやってきた理由は、秀康に語ったこととは別にあったからである。
◇
その日の夜。
わたしは早速、城を抜け出していた。
僅かな供を連れて、一路東を目指していたのである。
供の者といってもわたし以外に二人しかおらず、しかもどちらも女だ。
見た目、護衛としてはいかにも心もとない。
「……姫様。足元にお気をつけ下さい」
そのうちの一人が、とてとてと先頭を歩くわたしへと、気遣うような声をかけてきた。
比較的背の高い、どこか氷を思わせる冷たい雰囲気の持ち主である。
その怜悧な容貌は美しく、わたしの母親としては申し分が無い存在だろう。
「心配無い。慣れた道だぞ?」
身内の前ということもあって、秀康の前にいた時とは打って変わり、ぞんざいな口調に戻ってわたしは自信満々にそう言い放ち、先を進んだ。
とはいえ今のわたしの見た目は七歳児。
わたし自身は問題無いとばかりに闊歩しているのだが、左右から見れば実に覚束ない足取りに見えたことだろう。
「あ」
事実、蔦に引っかかってひっくり返ってしまった。
地面にぶつかる寸前に、もう一人の付き添いの女がさっと腕を伸ばして抱き留めてくれていなかったら、ちょっと怪我でもしていたことだろう。
「主様。道は荒れていますから、何も直接歩かずとも……」
やや表情を曇らせて、そんな風に言われてしまう。
こっちは何かの人形かと思わせるような、そんな作り物めいた美貌の女だ。
ちなみにわたしの乳母である。
「うるさい。久しぶりなんだから歩かせろ」
早くも転んでしまい、気恥ずかしくなったのを隠しつつ、わたしは手を振り解くと懲りずに前進を続けた。
しかし……夜道とはいえ、確かに歩きにくい街道である。
以前はこんなことも無かったんだがな……。
「……この街道は現在、ほとんど使われていないとのことです。地元の者ですら、谷には近寄らないとのことですから」
さもありなん、といったところか。
わたしがいた時ですら、必要な者が必要な時すら訪れないような、そんな静かな場所だったのだ。
まさに引きこもるには最適な所だったといえるだろう。
ともあれわたしたち三人は、目的地に向かって道中を歩んだ。
月明かりすら無い真っ暗な道を、灯りすらなく進むのである。
見ようによっては幽鬼の類に見えなくもない。
まあ当たらずも遠からず、ではあるかな。
そうしてようやっと、わたしたちは目的の地にたどり着いていた。
一乗谷、と呼ばれる地である。
「――お待ちいたしておりました」
そこには
その開かずの門の前に、二人の人物が膝を折って待ち構えていたのである。
「ん、久しいな。
「ははっ! お懐かしゅうございます!」
鷹揚にわたしがそう口を開くと、二人は感極まったようにそんな挨拶を寄越してくれた。
どちらも屈強な若武者、といった感じの出で立ちである。
「ん……? 直澄もこっちにいるのか。てっきり大坂だと思っていたぞ?」
「この谷を守るよう、
「そうか」
あれも律儀だな、本当に。
「どうせこれから大坂に行くのだから、その際に労ってやるか。それよりも例のものはあるのか?」
「もちろんでございます」
答えるのは隆基。
わたしがあれを託したのは隆基なのだから、様子からして強く責任を感じていたのだろう。
「では返してもらおうか」
「はっ! ではこちらへ」
開門され、わたしたち一行は一乗谷へと入っていく。
入ってすぐに気づいたが、なかなかの霊気だった。
「……これは、ひどいな?」
素直な感想である。
「只人が入ったら、すぐにもあの世行きじゃないのか?」
それくらい濃厚な霊気というか、妖気だ。
「この地に迷い込む愚か者が、ちょうど主様の糧となることができて、むしろ好都合かと」
などと血も涙も無いことを平然と言う我が乳母は、まあいつものことだ。
さほど気にせずに、てくてくと歩いていく。
「むぅ……」
しばらく川沿いに歩んだわたしは、あるべきものが無くなっていて、少し仏頂面になってしまった。
「わたしの屋敷が無くなっている……」
「も、申し訳ありません!」
わたしの不機嫌を感じた隆基と直澄が、反射的に平服してしまう。
「天正十三年の大地震で損壊し、その後倒壊してしまったのです……。それを放置し、まことに申し訳ございませぬ!」
天正十三年?
小首を傾げたわたしは、すぐに思い至った。
「ああ。天正地震のことか」
これは史実において、歴史上、例の無い大地震であったという。
わたしが本拠としていた越前や加賀、越中といった北陸はもちろんのこと、飛騨や美濃、尾張、伊勢、近江、さらには山城や大和といった畿内の一部まで甚大な被害を及ぼした地震だったとか。
これの発生は予見していたので、北ノ庄城などは地震対策万全で普請させたのだけど、その前に燃えてしまったらしいからな。
世の中そんなものである。
「ならば仕方ないな」
「姫様が支配されていた領域の大半が壊滅しましたからね。秀吉様などは、姫様の祟りではないかと大層恐れたそうですよ」
「祟り?」
母親の言葉に何を馬鹿な、と言い返そうとしたところで、ふと気になって乳母の方をつい見返してしまう。
「まさかとは思うが。何かしたんじゃないだろうな?」
「何のことでしょう」
どこかそらとぼけているような雰囲気に、わたしの疑惑は増したものの、だからといってどうというものでもない。
まあいいか、と思考を切り替えることにした。
「それよりも」
「はっ!」
かつてわたしの屋敷があった場所には小さな祠があって、隆基がそこから何やら恭しく取り出し、眼前へと運んでくる。
それはしゃれこうべ。
いわゆる頭蓋骨、である。
「ふうん……。こんなものか」
それをまじまじと見返したわたしは、大した感慨も覚えることなく、そんな風に洩らした。
もちろん見覚えなどないが、これがかつてのわたしの髑髏であるらしい。
見事に白骨化したものだ。
ただし、これが妖気の発生源であることには違い無い。
またずいぶん溜め込んだものだ。
「寄越せ」
髑髏を受け取ったわたしは、妙に手に馴染む感触に苦く笑う。
自身の頭蓋骨を抱きかかえる経験など、普通は無いのだろうけど。
「ああ……。なるほど。これはいい、な」
流れ込んでくる膨大な妖気に、わたしはどこか恍惚とした表情を浮かべた。
実に気持ちいい。
これは魂を食べている時の感覚に似ているだろうか。
しばらく愉悦に浸っていると、不意に不穏な音が響いた。
わたしのしゃれこうべが安置されていた祠のすぐ傍にあった五輪塔が、突然崩れ落ちたのである。
そしてその地面から、何かが這い出してきた。
一言で言えば骸骨武者。
甲冑を纏った骸が、それはもう多大な妖気を漂わせて現れた様は、おぞましいとしか表現できない類のものだっただろう。
子供ならずとも泣くな。
こんなものを目の当りにしたら。
「兄者!」
「父上!」
感極まったように声を上げる二人を見て、やっぱりそうかとわたしも確信に至る。
さすがのわたしも、髑髏だけで個体の区別がつくわけでもない。
とはいえ、この甲冑には見覚えがあったが。
「
「……はは!」
現れた骸骨武者は、ややぎこちない動きをしつつも畏まり、わたしの足元に跪いた。
見た目七歳児の小娘にひれ伏す骸骨、というのも、まあなかなかの光景だろう。
とはいえそんなものが、いきなり這い出してきた理由は察しがつく。
わたしに本来の――いやそれ以上の力が戻ったからだろう。
「骨は京からこっちへ運んだのか」
「後日、ではありましたが」
そう答えるのは隆基である。
なるほど、とわたしは頷いておいた。
「わたしのせいで直隆も共に滅びることになったからな。改めて、許せ」
「――そのようなことは決して!」
相変わらず仰々しいやつである。
「まあいい。その詫びというか、礼をくれてやる。いつぞやのように、最初にわたしを抱きかかえる栄誉をやろう」
「は? い、いや、されど……?」
髑髏の顔に表情もくそもないのだろうけど、とにかく直隆が戸惑ったことだけはすぐに分かった。
分かったので、じろりと見返してやる。
「なんだ。不服か?」
「そ、そうではなく、我が身は汚れておりますれば、せっかくの毛並みを損なわせてしまうのではと……」
毛並み?
恐縮する直隆の言葉に、わたしは小首を傾げた。
何となく髪の毛に手を伸ばして――ようやく気付く。
「あ」
ふさふさの何かが手に当たった。
感触には覚えがある。
慌てて自身の腰のあたりにも目を向けてみれば――案の定、それはあった。
「生えてる……」
金色の尻尾。
しかも特上のふさふさ感。
そしてよく確認してみたら、髪の色まで黒から狐色に変じていた。
つまり、なんだ。
あれだ。
「元の姿に戻ったのか」
そういうことである。
「おお。これは……懐かしいな。うん。無いなら無いで構わないと思っていたけど、あったらあったでいいな」
わたしは自分自身を確認するように、その場でくるくると回ってみせた。
そんな何気ない動作ですら、周囲の連中にはちょっとした舞踊にでも思えたのだろう。
特にわたしの外見に特段のこだわりを持っているらしい乳母などは、目を輝かせてしまっている。
「本来あるべき姫様の妖気を取り戻したことで、仮初の姿から脱却できたのかと思います」
やはりそういうことか。
母親の言葉に、わたしはふんふんと頷く。
「しかし脱却とはいうが、尻尾をはやしたまま大坂に乗り込むのか?」
「……今のお姿は、主様の妖気に反応して目に見えるほどの密度となった妖気の塊でありますから、これを抑えることで、只人に目に映らぬようにすることは容易です」
とは、乳母の言。
「普段は霊体化しているとか、そういうことなのか」
「はい」
要は霊感の強い者が見れば見えてしまうとか、そんな感じなのかな。
まあそれもどれだけわたしが自身の妖気を抑えられるか、で変わってくるのだろうけど。
それに今のように妖気がだだ洩れでは、尻尾云々の前に常人ならば中てられて死んでしまうだろう。
妖気が戻ったのはめでたいが、とりあえず喜んでそのまま帰る、というわけにはいかないというわけだ。
面倒なことである。
「まあそれはそれとして、だ」
わたしは改めて平服する直隆を見返した。
「何をやっている。早く抱き上げろ」
「で、ですが……?」
「この姿に戻ったわたしに触れることができるのは、これで本当にお前が初めてなんだぞ?」
ほれほれ、と手を伸ばす。
ついでに尻尾で土に汚れた直隆の身体に触れてやれば、ようやく観念したようだった。
覚悟を決めて、その腕を伸ばしてくる。
「では、失礼を」
「ん、優しくするんだぞ」
わたしの身体など軽いもので、骨だけとはいえ屈強な直隆にしてみれば、造作も無く持ち上げることができただろう。
しかし慎重に、細心の注意を払って抱き上げてくれる。
いわゆるお姫様抱っこ、というやつだ。
実に懐かしい。
「やはり上背があるというのはいいな。景色が違う」
普段は見下ろされる身の上ということもあって、こうして周囲を睥睨する様は実に気分が良かった。
そんなわたしの意に気づいてか、いつのまにか周囲の者どもも膝を折っている。
「そろそろ夜明けか」
東の空が白んできたのを見て、わたしは直隆に命じる。
「このまま山頂までわたしを運べ。他の者もついて来い。ただし、日の出に間に合わせるんだぞ?」
「ははっ!」
かつて一乗谷にあったわたしの館の背後には一乗城山がそびえ立っており、そこには一乗谷城があった。
今では廃城になって久しいだろうが。
わたしの命を受けて、直隆は常人離れした脚力で山を登った。
それについて来る他の四人も、もちろん只人のはずもない。
山頂に至り、西に広がる越前の平野を一望しつつ、反対側の東に目を向ければ、ちょうど日の出を目の当たりにすることができた。
ご来光、というには大した山ではないけれど、気分はまあそんな感じだ。
「ん、これも懐かしいな」
色々と、かつてのことが思い出される。
わたしがこの世界におちてから、滅びるまでのことを。
数奇といえば、そんな人生。
うん……そうだな。
それをここで、少し振り返ってみようか。
◆あとがき◆
どうも初めまして。
作者のたれたれをです。
転生もの、ということもあり、次話はそれに至る経緯の書かれた現代編で、本編開始はその次の話から、となります。
まずは当作品をお読みいただき、ありがとうございました。
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