浩史と浩子

@ns_ky_20151225

浩史と浩子

「準備いい?」

 浩史は着替えなどの入った大きなバッグを持って浩子に声をかけた。

「できた。今行く」

 奥から浩子が現れ、二人は出かけた。病院からの指定では夕方近くの処置になるので浩子は泊まることにしている。浩史からすれば一晩程度でこの荷物はないだろうと思うが、付き合って三年、結婚して一年になる。どこをさわったらいけないかくらいは分かっていた。


「いよいよだね。赤ちゃん。気は変わってないよね」

「もちろん。そのために結婚式もしなかったし、指輪とかも全部省略したし。俺は本気だよ」

「病院でできるの? 手続き」

「うん、できるんだって。立ち合いもしてくれる。あちこち回るよりいいだろ?」

「そう。便利」


「どうぞ、こちらへ」

 待たされることはなかった。職員は手慣れた様子で二人を案内した。廊下の壁と床に案内線が現れる。まずは供託局の院内支所に連れて行かれた。

「私が立会いも行います」

 整った室内の壁は薄いピンクだった。座るよう促される。

「どうぞ。これが私の資格証明です」

 机から画面が立ち上がる。薄い紙のようだが直立し、二人がのぞき込むと見やすいように角度を変えた。公証人資格証明書の筆跡は筆だった。


「では、お二人はお子さんをご希望ということでよろしいですね」

 確認され、うなずいた。

「ご存じのように法改正により今年度から供託金は一括となっていますが、ご用意は?」

「できています」

 浩史は端末を取り出し、ロックを解除して卓上に置いた。通信が始まり、数字が移った。

「結構です。確認できました。それでは最終の意思確認になります。初めにも申し上げましたが、お二人はお子さんを一名ご希望で、その子が法的に成人するまで責任をもって養育することに同意されていますね」

 二人とも肯定した。

「では、お二人の意思は確認されました。証書は送りましたので、指定病院――ここですが――での処置が可能になりました」

「ありがとうございます」

 礼を言うと、職員はまた二人を先導した。


 部屋は思ったよりふつうだった。わずかに消毒薬のにおいが漂っているが、それを除けばホテルの一室と言っても通りそうだった。ただし、観葉植物の代わりにアームが多数生えたピンクの機器が控えていた。ここではなんでもピンクだった。

 医者が形式的に二人を確認し、説明があり、浩史は職員とともに部屋を出た。雲が切れて夕日が差し込み、窓が自動調整した。長く伸びた影が壁に映った。

「こちらでお待ちください、十分か十五分ですから」

 頭を下げる浩史を後に、職員は去った。


 処置が終わり、また部屋に入ると浩子はもう部屋着に着替えていた。医者は観葉植物型の機器を連れ、簡単な注意事項を告げて出て行った。


「終わったの?」

「終わった」

 浩子は腹をなでている。

「不思議だね。もう今はここに赤ちゃんいるんだよ」

「十か月したら会えるな」


 その時、端末に処置終了と、予備で取ってあった精子と卵子が処分された旨の通知が届いた。


 しばらく話をし、お互いの両親にも連絡をすると、明日仕事が早い浩史は部屋を出た。日はすっかり沈んでいたが、窓から見える地平線にはまだ紫が残っていた。


 歩きながら考える。昔は子作りには性行為が一般的だった。時代が変われば価値観が変わるとはいえ、どうやって同意があったと証明していたのだろう。性行為を強要されたとあとから訴えられたらどうしていたのだろう。

 昔どうだったか調べてみても、そこを詳述したものはなかった。どうやらそのあたりはそういうものだとぼやかされていたらしい。

 怖いもの知らずだったんだな、と思う。同意の証明など不可能なのだから、浩史は性行為はしたことがない。浩子もそうだ。性欲は自分で処理する。子供が欲しければ第三者立ち合いで意思確認を行い、人工授精処置を行う。それが立派な社会人だろう。


 それともうひとつ信じられないのは、昔は子供ができた後に二人の関係が消滅した場合の受け皿がなかったに等しいことだ。供託金を預ける程度のこともできなかったのだろうか。たしかに金額的には楽ではないし、両親から借りたり、必要な分を貯めるために少しばかり無理をしたりした。でも後悔はしていない。子供をこの世に迎える以上当然だと思う。


 玄関の扉に掌を当てる。ここに子供のを登録する日も来るだろう。とても楽しみで、同時にくすぐったいような気もする。少しばかり不安もある。


 心がざわめく。落ち着かない。今日は自慰をして寝よう。


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