好きな子が豆腐をつれてきた話

向日葵椎

木綿と絹と私

 カバンに豆腐が入っていた。


「え!? ちょっと、どうして」

「モメーン」


 どうしよう。

 学校に連れてきてしまった。


 この子は豆腐の〈モメン〉。

 夜食を探しにキッチンへ忍び込んだ私がうっかり命を息吹いぶかせてしまったの。

 遠い親戚が巫女をやっているから、きっとそういう霊的な力がアレして偶然こうなることもあるのだろう。


「どうしたの優葉ゆうはちゃん」

「ゆ、ゆうさんっ!? べ、別に何でもないの」


 隣の席の〈登荷とうに ゆう〉さん。

 私、〈尾空おから 優葉ゆうは〉とは、席が近いのと、名前の読みに同じ〈ゆう〉が入っていることがきっかけで仲良くなった。

 高校入学から二年連続同じクラス。


 絹のようにきめ細やかな白い肌に、明るい茶色のロングヘア。

 お豆腐にお醤油をかけてもこんなに綺麗にはならないだろう。

 自分でも何を言っているのかわからない。

 しかし私は、彼女がめちゃくちゃ好きなのである。


「ふーん、変なのー」


 そう言って悠さんはコップから豆乳を飲んだ。

 悠さんは一リットルの豆乳を毎日欠かさず持ってきてコップで飲んでいる。

 きました。

 表情の変化が少ないけれど、感情が読み取りづらいけれど、豆乳をめちゃくちゃ飲んでいるけれど、こういうよくわからないところが、彼女の魅力なのである。


「えへへ……」


 私はとりあえず笑ってこの場をごまかし、カバンに顔を突っ込んで、今にもプルプル暴れだしそうなモメンに注意する。


「もう。ついてきたらダメでしょ? 今日は静かにしててね」

「……モメーン」


 私もモメンももちろん小声だ。

 皆にバレてしまっては残りの高校生活が豆腐とうふ使テイマーいというよくわからない役職クラスになること必至である。


 モメンはちょっと落ち込んでしまったみたいなので撫でておく。

 つるつるしてて気持ちいい。


「優葉ちゃん次の授業の宿題やったー?」

 悠さんがカバンを机に置いて次の授業の準備を始めた。


「うん。ちょっと量が多かったけどね」

「そっかー。私すっかり忘れててー。これからやるんだー」

「えっ、もう五分もないよ」

「だいじょぶだいじょぶ、いけるいけるー」

「そうだね。悠さんなら……」


 悠さんは勉強ができる。

 普段はちょっとおっとりしてるけど、急いでいるときの手はものすごく速い。


 そんな悠さんに見とれていたが、私も次の授業の準備を始めようとする。

 始めようと――

 モメンが机の上にのっていた。


「モメーン!」

「もめーん!?」


 悠さんがこちらを見る。


「優葉ちゃん?」

「ジャスタモーメンプリー!!」

(意訳:ちょい待ちな)


「優葉ちゃん、それ」

「えっと、その……け、消しゴム! これ、新しい消しゴムなの! いやー、ちょっとおっきかったかなー。えへへ……」


 勢いでごまかそう。

 そうしよう。


「あ、そうなんだー」

「そうそう。ちょっと重いから使いづらいかも」


 よし、いける……!


「私も同じの持ってるんだー」

「シリアスリー!?」

(意訳:マジで?)


 悠さんはカバンから何かを取り出して机にのせた。

 白い直方体。

 完全に豆腐でした。


 それはプルプルと震えて、

「キヌ! キヌキヌ!」

 なるほど。鳴いたぞ。


「どどど、どうしたの、それ!」

「えっとー、ほら、昨日優葉ちゃんがニガリくれたでしょ? 手作りの。だから豆腐作ってみようとしたら、失敗しちゃったみたいで、できたの。これ」


 あれか。

 私は昨日、悠さんに手作りのニガリをプレゼントした。

 単純な方法だけど、プレゼントは親睦を深めるいい方法だって恋愛指南書で読んだんだから間違いない。

 いつも家の大釜で作ってるものだけど、手作りっていうのは女子っぽくてかわいいかなって思ったの。

 ニガリだけど。

 女子対女子じょしたいじょしだけど。


「そ、そうなんだ。ニガリが悪かったかな。えへへ」

「どうかなー。でも、消しゴムならちょうどよかったよー。今日、消しゴムどこかにいっちゃったみたいだったからー」


 悠さんは消しゴムをガッチリと掴んで、ノートにこすりつけた。


「あれー? なんか、ノート濡れるだけで消えない……?」


 掴まれた豆腐は断末魔と共に崩れていった。

 断末魔というか、「ヴッ」だった。


「ニガリが悪かったかなー……えへへ」


 それを見たモメンはガクガクと震えてカバンに飛び込む。

 ごめんよモメン。

 ごめんよ。あとでオカラをたんまりやるからね。


「そっかー。じゃあこれはお昼ご飯にしよっと。優葉ちゃん消しゴム貸してー」

「いいよ。この大きいやつは試作品だから使えないけど、普通のならあるから」


 悠さんに本物の消しゴムを手渡す。

 悠さんは高速宿題消化モードに入った。

 手だけが尋常じゃないスピードで動き出す。


「優葉ちゃんさー、魔法使いだったりしないー?」

「魔法使い?」

「そう。魔法使い」

「どうしたのいきなり」


 悠さんはノートを見ながら不思議なことを言いだした。


「うちね、錬金術師の家系なんだけど、さっきの消しゴムね、お母さんが見たら『ホムンクルスを作ったのね』なんて言ってね。でも、私の感じだとこれはそういうのじゃなかったから、優葉ちゃん、そうなのかなーって」

「れれれ、錬金……術師」


 悠さんの視線はノートへ向いている。


「……どうなの?」

「どうだろう。私にはよくわからないや」

「そっかー。うちのクラスさ、ロボットとか、超能力者とか、霊能力者とか、悪魔保持者とか、いろいろいるじゃない? だからさほど驚かないんだけどね」


 聞いたことがある。

 クラスの端っこで陰鬱なオーラを放っていつも何かブツブツ言っている小説家志望の〈向日葵ひまわり〉さんが『このクラスには超常的な存在が芳醇で濃厚な百合のフレーバーを無邪気に放ち続けているから濃度で百合酔いしそうになる』と意味不明なことを言っていたけれど、このことかもしれない。


「そうなんだ。たとえば誰が?」

「よくわからないけどね、かえでさんと椿つばきさん、たずなさんと網野さん、ひとみさんとあかりさんあたりが怪しいんだと思うんだー」

「へー……」


 私にはよくわからないけれど、向日葵さんが、短編読んでくれたらわかるから、とかなんとか、そんなことを言っていた。


「優葉ちゃんさ、私がホムンクルスって言ったら信じる?」

「ホム?」


 悠さんはノートへ視線を向けて手を高速で動かしている。


「そう。ホムーンクルスー」

「私にはよくわからないな。ただの豆腐職人だし」

「おー、そっかー」


 母さんの口癖がある。

 ことあるごとに、

『優しいヤツから豆腐の角に頭ぶつけて死ぬんだ』

 と言う。


 ちょっと意味わかんないけど、

 それが大事なことだとすれば、

 生まれや育ちは関係ない。

 大事なのは、優しさと、生きるか死ぬかだ。


 ふと視線を感じて教室の隅っこを見ると、向日葵さんが私に向かって親指を立てて微笑んでいた。

 やっぱりちょっと意味がわからない。

 あの人は気にしないようにしよう。


「悠さん、今日ね、ウチで湯豆腐フェスティバルなの。おばあちゃんちが京都にあるんだけど、そこで豆腐が食べ放題なんだけど、よかったらこない?」

「いいのー? 今日ね、両親がイギリスに行ってて誰も家にいないから、夕飯どうしよっかなって思ってて、うれしいなー」


 私はまだまだ悠さんのことを知らない。

 二年生になってもだ。

 私は悠さんについて知らなければいけない。

 なぜなら私がめちゃくちゃ好きだからだ。

 はよくわからないけど、そんなことは悠さんの横顔と私の鼓膜を心地よく刺激する声に比べれば些細な事なのである。


「じゃあ海水をくんでくるところからね」

「えっ……え?」


 私は悠さんの時間を、誰よりも私のものにしたいと思う。

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