第29話 叫び願う

2時間ほど飲んだ後、元気が出た私は綾と別の店に行くことにした。


外に出てどこの店に行こうかと二人で歩いていると、私の好きな人が遠くの方を歩いているのが見えた。


ただし、満面の笑顔を見せながら男の人と歩いている姿が。


先ほどまでの陽気な気持ちが嘘のように冷たくなる。


私が姫乃ちゃんの告白を断ってから1ヶ月とちょっと。


私への気持ちが離れるには十分な期間だったのかかもしれない…


予想もできなかった光景に、足を動かすこともできずただじっと遠くの彼女を見つめることしかできない。


今にも手を繋いでどこかにいきそうな二人をみていると胸が痛くてうずくまりたくなる。


私の様子がおかしくなった原因に気づいた綾が、


「紗季…ただ見ているだけでいいの?」


「良いよ、ただの飲み友達かもしれないでしょ?」


私は自分に嘘をつきながら綾に答える。


姫乃ちゃんと過ごしていた時には一緒に飲みに行くような男性はいなかったことに目を瞑って…


それに今更なにを言ったら良いんだろう?


仲良く男性と歩いているところまで行って何をしているの!とでも喚いたら良いのだろうか?


何もできないまま彼女を見つめていると、道路のそばまで歩いていきタクシーを止めようとしている。


一向に動き出そうとしない私に向けて綾が真剣な顔をする。


「止めなくて良いの?遅いかもしれないけど遅くないかもしれないんだよ」


「良いんだよこれで、だって見てよ姫乃ちゃんのあの楽しそうな顔」


そうして綾に大丈夫って思って欲しくて笑顔を見せる。


「じゃあなんで泣いてるのよ、本当は行って欲しくないんでしょう!」


綾が私の肩を揺さぶりながら必死に問いかける。


「そんなこと、無いもん…」


力なく私は返事をすることしかできない。


そしてタクシーが二人の元へ近づいてくる。


姫乃ちゃんはあの男性と一緒に…


「紗希!」


そう言って大声をあげて綾が私の背中を叩く、動かなかった足が一歩だけ前に出るほどに強く。


「自分の幸せのために全力を出しなさいよ!勇気を出しなさいよ!」


綾も私に釣られてか泣きながら叫ぶ。


「行きなさい!行ってこっぴどく振られてきなさいよ!」


ひどい言いようだと思う。でも綾がくれた言葉は私の冷え切った体に熱を与えてくれた。


「…うん!」


一言だけ頷いて私は姫乃ちゃんの方へ向かう。


最初は小走りで途中からは恥も何もかも全て捨てて全力で走る。


タクシーが停車しドアが開く。

間に合いそうに無い。


だから叫んだ


「姫乃ちゃん!」


気づいてもらえないまま男性はタクシーに乗り込む


「姫乃ちゃん!」


何度でも叫んでやる


明日声がガラガラになっても良いから


誰かに笑われても良いからもっと大きな声を出す


「姫乃ちゃん!」


彼女の動きが一瞬止まる。だけど気のせいと思ったのか再びタクシーに乗り込もうとする


「姫乃ちゃん行かないで!」


私の全力の声が届いてようやく周りを見回してくれる。


そうして全力で夜の街を走る怪しい女性に気づいてくれた。


紗希先輩どうして…姫乃ちゃんの口がそう言っているのが見える。


やっと姫乃ちゃんの前までたどり着いてもう一度言う


「姫乃ちゃん行かないで…」


そうして彼女が嫌がることなんか関係なしに無理やり抱きしめた。


息が上がったままの私に耳元で姫乃ちゃんの声がする。


「紗希先輩どうしてここに…。いえ、それよりも行かないでってどういう意味ですか?」


「あの人と一緒に、タクシーに乗ってどこかに行こうとしているんでしょ?」


「まぁそうですね。それが何か問題でもありますか?」


「問題なんて無いよ、ただの私の我儘。でも行って欲しくないの…」


姫乃ちゃんのことを決して行かせないとばかりに強く抱きしめる。


そんな私に困惑した声が聞こえる。


「勘違いしているかもしれませんが、本当に家に帰るだけですよ?それに相手は田中くんだし」


そう言われて顔をタクシーの中に向けると、驚いた顔でこちらをみている田中くんがいた。


職場の後輩にこの姿を見られて硬直する私。


「田中くん今日はこれでお別れにしよっか」


そう言って姫乃ちゃんが田中くんに話しかける。


頷いた田中くんはタクシーの運転手に告げてドアを閉めてもらい、姫乃ちゃんを置いてタクシーが走り出した。


「それで、一体どうしたんですか」


先ほどまでの楽しそうな様子とは一転して、ひどく平坦な声で私に問いかける。


「聞いて欲しいことがあるの」


「聞いて欲しいことですか…今更何を話したいんですか?」


姫乃ちゃんの言葉に胸が締め付けられる。


「わかっている、姫乃ちゃんの告白を断った私となんか今更話をすることなんてないってことは。でも姫乃ちゃんに最後になっても良いから伝えたいことがあるの。だから聞いてくれないかな?」


そう言って絶対にはなさないとばかりに強くだきしめていた腕の力を緩めて姫乃ちゃんを正面から見つめる


「…わかりました。それじゃあ落ち着ける場所にいきましょうか。紗希先輩の家でいいですか?」


「うん、いいよ」


そう言って再びタクシーを止めてから私の家に向かう。


タクシーに乗った時に、遠くで綾が私に向かってガッツポーズを向けているのが見えた。


綾ありがとう、心の中でそう言う。


そして私と姫乃ちゃんを乗せたタクシーは動き出した。

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