第五十五章 鏡よ鏡

  第五十五章 かがみかがみ


 芽吹いぶきに頼まれて兄さんと一緒に奥多摩おくたまへ行くことになった。そこで芽吹いぶき宿敵しゅくてき白木しらきが待っている。僕たちはバスの最後部を陣取って移動中だった。

 「一悟いちご、お前の番だ。」

 そう言って芽吹いぶきが古びた鏡を差し出した。それは芽吹いぶき式神しきがみである天乙てんおつが持っていた魔鏡まきょうで、現在、過去、未来を映すことがあるらしい。白木しらきとの戦いを控えて自分の未来を確かめておけと芽吹いぶきが言った。気まぐれな鏡で映してくれるとは限らないのに。でもまあ、芽吹いぶき天乙てんおつから無理やり借りたみたいだし、見ておくか。

 「芽吹いぶきと兄さんは何か見えたの?」

 僕は二人に尋ねてみた。

 「いいや。」

 芽吹いぶきはそう答えた。嘘をついている目だった。

 「一悟いちご、話すかどうかは本人の自由だろ?」

 兄さんがたしなめるように言って視線をらした。

 「はいはい。」

 僕はそう言って魔鏡まきょうを眺めた。至って普通の鏡だ。自分の顔しか映らない。芽吹いぶきの様子からして、何か見えたのだろう。だからこそ、僕と兄さんにも見せたがったのだ。

 僕は斬鬼士ざんきしだし、鬼は見えているからあやかしの存在は信じているが、こういうオカルト的な代物しろものはどうも信用できなかった。

 何度も角度を変えて魔鏡まきょうを覗き込んだが、やはり自分の顔した映らなかった。

 「芽吹いぶきはこれまでにもこの魔鏡まきょう使ったことがあるの?」

 バスの中で揺られながら、じっと魔鏡まきょうを見ていると酔いそうで、気をまぎらわせるために話しかけた。

 「ううん。今回初めて見た。あるのは知っていたんだけどね。」

 芽吹いぶきは窓の外を眺めながらそう言った。

 「何で見なかったの?」

 僕は気になって尋ねた。魔鏡まきょうが未来を見せてくれたら、いろいろと便利なはずだ。白木しらきに勝てるのか芽吹いぶきは知りたくないのだろうか。

 「天乙てんおつが昔のことを気にして、見せたがらなかったし、俺は自分の未来は自分で切り開くタイプだし。必要なかったんだ。」

 芽吹いぶきが言った。

 「昔のことって?」

 僕は無遠慮に尋ねた。

 「俺が安倍晴明あべのせいめいだった時のこと。姉ちゃんの体をあんなふうにしてのは俺なんだ。白木しらきとも仲間だった。」

 芽吹いぶきは淡々と言った。芽吹いぶきの中でそれはすでに消化済みの事実だったが、天乙てんおつの方か気にしていたのか。

 昔から思っていたが、天乙てんおつは使役されている鬼というよりも、親兄弟のように振舞っていた。芽吹いぶきの両親が安倍晴明あべのせいめい遺業いぎょうを成し遂げるために天乙てんおつに託したらしいが、芽吹いぶき天乙てんおつ調伏ちょうふくした後も二人は主従関係にはならなかった。

 「僕は何も見えないや。」

 そう言って僕は芽吹いぶき魔鏡まきょうを返した。すかさず天乙てんおつ芽吹いぶきから魔鏡まきょうを取り上げた。

 「これは僕が持っていることにするよ。」

 天乙てんおつが言った。そう言った天乙てんおつの手元の魔鏡まきょうが何かを映していた。見えたのは土色つちいろの顔をした芽吹いぶきを抱えた僕と兄さんだった。

 天乙てんおつ魔鏡まきょうに目を落としたが、何事もなかったかのようにふところにしまったが、何も見えていないようだった。僕は芽吹いぶきと兄さんを見た。こちらを見ていた。二人も知っているのだ。これから迎える未来を。


 僕たちは奥多摩山中おくたまさんちゅうに入った。まだ昼間だというのに妙な霧が出ていた。それでも安倍晴明あべのせいめいのこしたという資料を頼りに胴塚どうづかを探した。正確な資料で目印通りに進むと石碑せきひがあった。

 「これか。」

 そう言いながら芽吹いぶき石碑せきひの周りをぐるぐる歩いた。

 「ここが胴塚どうづかの隠されている場所ならどこかで白木しらきが見ているはずだ。」

 兄さんがそう言って警戒した。僕も辺りを見回したが、人の気配はなかった。だがあやかしの気配を感じた。白木しらきくみしているというシスルナだろうかとも思ったが、鬼の気配ではなかった。地をいこちらの動きをそっと窺い見ている。そんな気配だった。

 「天乙てんおつ、この石碑せきひは結界だ。ここへ来るまでにあった目印もおそらく結界けっかいを構成する要素だ。結界けっかいの中に何かが放たれている。おそらくそれが胴塚どうづかを守っているんだ。」

 芽吹いぶきが言った。気配が声に反応するようにうごめき、近づいて来た。

 「胴塚どうづかきずいたのは勾陳こうちん青龍せいりゅう玄武げんぶ。三人の共通する眷属けんぞくは蛇だ。放たれているとすれば・・・」

 天乙てんおつがそう芽吹いぶきに言いかけたところで、全員がうごめく気配に気づいた。地をうねりながら走り、こちらに猛スピードで向かって来た。

 「来る!」

 芽吹いぶきが叫んだ。次の瞬間には大蛇だいじゃ鎌首かまくびをもたげて芽吹いぶきを喰らおうと大きな口を開けていた。

 「芽吹いぶき、危ない!」

 天乙てんおつが間一髪のところで芽吹いぶきを抱えて飛んだ。大蛇だいじゃは悔しそうにくうを噛んだ。僕と兄さんも大蛇から逃れようと必死に走って距離をとった。けれど大蛇はまるで僕らなど眼中にないとでも言うように、ひたすら芽吹いぶきたちの後を追った。

 「おい、あいつは何で芽吹いぶきたちを狙うんだ?」

 兄さんが物陰に隠れながら言った。

 「分かんないよ。芽吹いぶきの方が美味しそうだからじゃない?」

 僕は適当に答えた。

 「美味しそう・・・」

 兄さんがつぶやいた。兄さんは馬鹿だからこんな時でもすぐ真に受ける。

 「兄さん、真剣に考えないで。適当に言っただけから。」

 僕は親切にもそう言った。

 「千年以上あの蛇はここにいて胴塚どうづかを守ってる。白木しらきはわざわざ芽吹いぶきに場所を教えた。それってやっぱり、白木しらきはあの大蛇が邪魔で胴塚どうづかに辿り着けないってことだよな。」

 兄さんが言った。ただの情報整理だ。そんなの分かっている。

 「うん、そうだね。」

 僕は冷たくあしらった。

 「よし、分かった。」

 兄さんがそう言った。一体何が?

 「一悟、俺とお前で大蛇を退治するぞ。」

 兄さんはやる気に満ちた顔をしてそう言った。はたから見れば男気おとこぎ溢れる男の中の男なのかもしれないが、僕から見ればただの馬鹿だ。

 「意味わかんないだけど!?」

 思わずそう突っ込んだ。

 「いいか、あの大蛇は芽吹いぶき白木しらきレベルの奴しか相手にしない。霊力れいりょくの高い奴が好物なんだ。あいつから見れば俺たちは雑魚ざこだ。だが俺たちは斬鬼士ざんきしだ。陰陽師おんみょうじには霊力れいりょくおとっても、それを補うだけの戦闘技術がある。あの蛇に目にもの見せてやろうぜ。」

 兄さんは決め台詞のようにそう言った。僕もこの人の弟だから馬鹿なんだろう。カッコイイと思ってしまった。

 「うん、分かった。兄さん。」


 僕らは忍ばせておいた破魔刀はまとうさやからいた。こんなことなら、もっとの長いのを持ってくれば良かったと後悔した。人目について職質しょくしつされるのが怖くて、二人共短いのを持って来ていた。

 「後悔先に立たず。」

 兄さんが二人の気持ちを代表してそう言った。

 「行くぞ、一悟いちご!」

 「はい、兄さん!」

 かけ声とともに二人で山道を疾走しっそうした。鍛え上げた足腰は強く、急な傾斜けいしゃなどもろともせず、あっという間に駆け上がり、大蛇の背に飛び乗った。反撃を喰らうと分かっていながらも二人共大蛇の背に刀を突き立てた。悲鳴のような風が吹き、鎌首かまくびがこちらを向いた。

 「ヤバイぞ、一悟いちご!もっと刺せ!」

 兄さんが言った。

 「刺したらもっとヤバイことになるだろう!?」

 「そうだ!だからもっと刺せ!」

 兄さんはそう言いながらブスブスと大蛇の背に刀を突き刺した。大蛇は背を針で刺されるような痛みに耐えきれず、芽吹いぶきたちを追うのを止めて、僕らを振り払おうと大きく体をうねらせた。

 いくら日頃鍛えているとはいえ、これにはひとたまりもなかった。大蛇の背から振り落とされ、地面に叩きつけられ、あばらの骨が何本かやられた。

 でもそれで一瞬の隙を作れた。芽吹いぶき天乙てんおつに抱えられながら術をり出して、大蛇の動きを封じた。大蛇はうらめしそうに大きな口を開けたまま硬直こうちょくし、動かなくなった。

 芽吹いぶきは地上に降り立つと、ゆっくりと大蛇に近づき、何かを探すようにその表皮ひょうひに触れた。頭部に近いところで手を止めると、背に刺さったままだった破魔刀はまとうを抜き、えぐるように突き刺した。大蛇の心臓はそこにあったようで、芽吹いぶきが一突きすると、大量の血がき出した。

 とどめめを刺してこれで終わりかと思いきや、芽吹いぶきは返り血を浴びながら、破魔刀はまとうさきに当たったものを取り出そうと、大蛇の心臓に手を入れた。引き抜いた手には壺があった。

 「やったあああ!」

 兄さんと声を合わせてそう言った。二人共あばらをやられてくような声だったが、歓喜かんきの声だ。

 「芽吹いぶき、やったな!」

 兄さんがそう声をかけた。だが、芽吹いぶきは壺を抱いたまま返事をしなかった。そしてふらりと地面の上に倒れると、土色つちいろの顔をして、動かなくなった。

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