第三十三章 妖提灯祭り

  第三十三章 妖提灯祭あやかしちょうちんまつ


 トン、トン、トトン。何かか床の上をねているような音がした。目を開けると、暗闇に美しい依頼人いらいにん山口詩織やまぐちしおりさんの白い顔が浮かび上がった。驚いて声が出なかった。

 「浅井あさいさん、おまつりに行きましょう?約束したでしょう?見せてあげるって。」

 詩織しおりさんはそう言った。

 「いや、でも・・・」

 なぜここに詩織しおりさんがいるのだろう?どうやって入って来た?天乙てんおつは?頭にそんな疑問ぎもんよぎったが、寝起ねおきで頭の回転が悪く、瞬時しゅんじに判断ができなかった。


 「ほら、行きましょう。」

 詩織しおりさんはそう言って寝巻用ねまきよう浴衣姿ゆかたすがたの私の手をいた。私は手をかれるままついて行ってしまった。


 詩織しおりさんは約束通り、夏祭なつまつりに連れて来てくれた。宮ノ下神社みやのしたじんじゃ夏祭なつまつりだ。境内けいだい露店ろてんのきつらねていた。


 「提灯ちょうちんを見に行きましょう。」

 詩織しおりさんはそう言ってまた私の手を引いた。女同士で手をつなぐなんて何十年ぶりだろう。それも女の私ですられるくらいの美女。光栄こうえいなことだ。美しい詩織しおりさんの横顔よこがおとお祭りのお囃子はやしかされて、私の思考しこうは止まっていた。


 「ここよ。見て、あの提灯ちょうちん。」

 詩織しおりさんはそう言って、上の方を指した。

 そこには地元の名士めいしの名前が書かれた提灯ちょうちんかざられていた。

 「あの一番上にあるのが私の次の獲物えもの。」

 詩織しおりさんはそう言った。目をうつすと、そこには先ほどまでの美しい女の姿はなく、代わりに赤い目と大きな耳と持ったうさぎあやかしの姿があった。

 『赤目あかめだ!』

 私はつないだ手を振りほどこうとしたが、赤目あかめはなさなかった。長い爪を出し、私の手をにぎりしめた。

 「どこ行くの?」

 赤目あかめきばのぞかせて笑った。

 「放して!天乙てんおつ天乙てんおつ!」

 私は助けを呼ぼうと必死ひっしさけんだ。

 「式神しきがみの名かい?おにはここへは来られないよ。ここはけものあやかししか入れない。」

 赤目あかめはそう言った。

 「私は人間よ!」

 「そう。人間。私たちのえさだよ。」

 赤目あかめはそう言って不気味ぶきみな笑い声を上げた。

 「はなして!」

 私は赤目あかめに向かってりを入れようとした。赤目あかめはそれをけるために私の手をはなした。私はいきおあまって地面じめんころがった。


 「私はね、お前みたいな人間の女が嫌い。」

 赤目あかめは私を見下みおろしてそう言った。

 「甘ったるい、くちなしの花の香りで男をさそい、まどわせる。だから、みにじってやりたくなるんだよ!」

 赤目あかめはその血走ちばしった目をつり上げて言った。

 「人間の女はえさだ。おかしてうのはけものあやかし本能ほんのう。」

 赤目あかめはいい気味きみだと言うようにケタケタと不気味ぶきみな笑い声を立てた。

 気が付けば私は周囲しゅういけものあやかしかこまれていた。皆、獲物えものを前にしてよだれをらし、ニタニタといやらしい笑みをかべていた。

 ゾッとして背筋せすじこおった。天乙てんおつは助けに来られない。私は浴衣姿ゆかたすがた丸腰まるごし。助かる道はなかった。あやかしおかされてい殺される。それが私の目前もくぜんせまった未来だった。


 だが次の瞬間しゅんかん周囲しゅういを取りかこんでいたあやかしたちが、かまいたちのような突風とっぷうに切りきざまれた。

 暗闇くらやみの中から銀狐ぎんこあらわれた。

 「にぎやかだな。」

 銀狐ぎんこが言った。

 「おや、銀狐ぎんこ。どこの色男いろおとこかと思えば。」

 赤目あかめは色っぽい口調くちょうで言った。だが、どこかおびえていた。

 「赤目あかめ、その女をどうするつもりだ?」

 銀狐ぎんこ赤目あかめに尋ねた。

 「せっかくの祭りだから、ちょっとした余興よきょうさ。皆の酒のつまみにと思ってね。」

 赤目あかめ愛想あいそよくそう答えた。

 「俺の妻と知っての所業しょぎょうか?」

 銀狐ぎんこてつくような視線を赤目あかめに向けた。

 「あんたの女房にょうぼうだったのか。知らなかったよ。甘ったるいくちなしの香りがするし・・・。」

 赤目あかめがそう言うと、銀狐ぎんこがギロリとにらんだ。赤目あかめは口をつぐんだ。

 「知らなかったのだ。許そう。」

 銀狐ぎんこはそう言った。命拾いのちびろいしたと思って赤目あかめの表情がパッと明るくなった。

 「らくに死なせてやる。」

 しかし銀狐ぎんこはそう言葉を続けた。赤目あかめは礼の言葉を言おうとした瞬間、銀狐ぎんこに切りきざまれ、死んでしまった。私は茫然ぼうぜんとその光景こうけいを見ていた。


 「おいで、小子しょうこ。帰ろう。」

 すると銀狐ぎんこはそう言って、手を差し伸べた。私は無我夢中むがむちゅうでその手をつかんだ。

 「帰りたい。」

 私はすがるように銀狐ぎんこうったえた。銀狐ぎんこは私の手をつないでゆっくりと歩き始めた。

 「ここは裏境内うらけいだいあやかしたちの宮ノ下神社みやのしたじんじゃといったところだ。境界線きょうかいせんへだててあちらとこちら。小子しょうこのいた宮ノ下神社みやのしたじんじゃとは表裏一体ひょうりいったいの関係にある。天乙てんおつもすぐそこにいる。」

 銀狐ぎんこ暗闇くらやみを指して言った。私には何も分からなかった。


 「小子しょうこ天乙てんおつから注意されなかったか?」

 銀狐ぎんこが尋ねた。

 「何を?」

 「赤目あかめのことだ。赤目あかめは男の肌を知らいない女のにおいきらう。ぎ分けるのだ。人間の女からはくちなしの花のような香りがする。普通のあやかしはそれしかぎ分けられないが、赤目あかめには違いが分かるらしい。より甘ったるい香りがするのだとか。」

 銀狐ぎんこは顔をあからめることなく平然へいぜんとそう話した。私は顔が真っ赤だった。

 「天乙てんおつ純粋じゅんすいそうな女って言ってた。それじゃ分からなかった。」

 私は小さな声で言った。

 「そうか。」

 銀狐ぎんこは短くそう言った。


 ずかしくて気まずい気持ちで一杯だったが、お礼を言わなければと、思い切って私から話しかけた。

 「助けてくれてありがとう。銀狐ぎんこ。」

 「光輝こうきだ。お前は光輝こうきと呼んでくれ。」

 「光輝こうき。」

 「うん。」

 光輝こうきはそう返事をすると、名残惜なごりおしそうな顔をして暗闇くらやみの中に消えて行った。

 気が付くと、私はまた布団ふとんの中にいた。夢だったのだろうか。

 「小子しょうこ!良かった!」

 耳元みみもと天乙てんおつがそう叫んでいた。やはり夢ではなかった。


 後日調査ごじつちょうさ依頼人いらいにん山口詩織やまぐちしおりさんは赤目あかめわれていたことが判明はんめいした。自分一人で赤目あかめを見つけ、たたかってかえちにったのだ。

 ちょうどそこへ私と天乙てんおつおとずれ、赤目あかめは何食わぬ顔で山口詩織やまぐちしおりさんのりをしていたというわけだった。


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